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第六十一話 義藤さまのヒミツ(2)

【義藤さまのヒミツ(1)の続き】

 ◆


 急ぎ連れて来た俺の伯母である清光院(せいこういん)が義藤さまのお世話をしてくれている。幼少から義藤さまの養育係をつとめていたためであろうか、二人の関係は実にフランクであった。

 清光院の伯母さんは三淵(みつぶち)家出身の義母ではなく、後妻である清原家の母から生まれた俺にも分け隔てなく接してくれる良い伯母なのだが、実は苦手だったりする。

 伯母は普段は京の北の八瀬(やせ)の地で隠居生活を送っているのだが、しょっちゅう大御所に呼ばれており、今回の勝軍山(しょうぐんやま)城の篭城にも参加していた。


「お菊様は体が弱いのだから、無理をしてはダメですよ」


「お佐子(さこ)……いい加減その呼び方はやめるがよい」


「あら、そうでした。将軍様でありましたものね。これは失礼しましたわ。でもね、私にとってはいつまでも可愛いお菊様なのよ。いつでも頼ってくださいましね」


 相手が公方様であろうが、清光院はオバちゃん口調のままだ。


「わ、わかっておる。それよりそこの藤孝を早く下がらせるがよい」


「あら、与一郎まだいたの? まったく無神経な甥っ子ですいませんねぇ。ほら与一郎はさっさと出ておいきなさい」


「お、伯母上、義藤さまは大丈夫なのでありますか? 医者をお呼びしなくて--」


「いいから早く出る。この唐変木は少しは察しなさい」


 義藤さまの私室から追い出されてしまい、一階に下りる階段のある控えの間で落ち着きなくウロウロする。ここは義藤さまをお守りする新二郎や沼田兄弟が控えていたりする場所なのだが今日は一階に下がらせていた。


「伯母上、義藤さまは病気ではないのですか?」


 ようやく義藤さまの私室から出て来た清光院に慌てて問いかける。


「安心しなさいな、公方様は病気じゃないわよ……本当ならおめでたいことなのだけれどねえ。しかし貴方も本当に鈍いわね、そろそろ嫁を迎える歳だというのに、まったく……」


「は?」


 ――伯母上いわく、義藤さまに「女の子の日」が来たらしい。

 ああ、まあ……そうだよな。そういうお年頃というわけか。義藤さまはもうすぐ、数えで14歳になるのだ。


「はあ、とりあえず暖かくすることを心がければよいのですね」


 あとで赤飯でも炊いておくか。


「そうね、なるべく暖かくして頂戴。でも貴方が世話をするのはダメよ。誰か女房衆にでも任せたいところだけど……難しいわね」


 義藤さまが女の子であることは隠しているので、誰でもよいというわけにはいかないのだ。だが男の俺ではやはりマズイのだろう。誰か口の堅い女性がいれば良いのだが……と考えて、はたと気付く。

 そういえば女性の知り合いなんて義藤さま以外にいねえよ。恋人どころか女友達もいねーわ。俺は戦国時代でも非モテかよ(涙)。

 まあ義藤さま以外の女性にモテたいとか思わないけどな。(強がりです)


「はあ、いいわ。大御所と相談して参ります。義藤さまにもお付きの者がもっと必要でしょう。私もいい加減歳だからいつまでも義藤さまのお世話はできないからねえ」


「あの伯母上、義藤さまの御母堂様は? こういったことは母親にも相談すべき事柄では……」


「ああ、あのお方はお菊様を男の子と思っているのよ」


「は?」――産みの親が何でやねん。


 大御所と義藤さまという二人の将軍の養育係を務めた伯母上はさすがに詳しかった。伯母上から義藤さまの身の上を詳しく教えてもらうことができた……嫌な話ではあったのだが。


 ◆


 足利義輝は天文5年(1536年)の3月に第12代将軍の足利義晴を父に、摂関家の近衛稙家(このえたねいえ)の妹(慶寿院(けいじゅいん))を母に生まれている。

 義藤さまもそこはむろん変わらないのだが、伯母上の話では義藤さまは男女の双子として生まれたというのだ。


 だが、この時代において双子は『畜生腹(ちくしょうばら)』として忌み嫌われるものであった。将軍家と近衛家の子に双子が生まれたことは固く秘められたという。


【動物は多産が多いのでこう呼ばれた。畜生腹などというのは双子を差別する用語でありますが、当時の考えによるものなので、御理解いただければと思います。双子を差別する意図はありません。あと足利義輝が双子とか創作ですので、念のため】


 女の子であった義藤さまは生まれてすぐに、出家して八瀬に隠遁していた清光院に預けられることになった。この時代は当然男女では男が優先されるのだ。男の子は将軍の嫡男だしな。

 女の子は八瀬の地で将軍の子であることは秘められて、伯母上の養女「お菊姫」として育てられるはずだったのだ……


 何事も起きなければ義藤さまは「女の子」として何も知らずに幸せに生きられたのかもしれなかった。

 だが、義藤さまの弟であった「菊幢丸(きくどうまる)様」が生後7ヶ月余りで亡くなってしまい、運命という歯車が動き出してしまうのだ。


 問題だったのが足利義晴はその当時の世上から隠居して、生まれたばかりの菊幢丸様に家督を譲っていたことであった。


 室町幕府の将軍は正室を公家の日野(ひの)家から迎えることが慣例となっていたが、足利義晴は公卿として最高の家格を誇る摂関家の近衛家から正室を迎えた初めての将軍である。

 将軍と近衛家からの正室が生んだ嫡子である菊幢丸は、室町幕府の将軍継嗣としては過去最高の血筋を誇る期待の子であるのだ。

 さらにいえば正室の生んだ子が将軍になるなどは日野富子の子である9代将軍の足利義尚以来47年ぶりでもある。


 当時関白であった近衛稙家も誕生直後に菊幢丸を猶子(ゆうし)(相続権のない養子)にするなど、バックアップする気マンマンであった。各地で家領を押領(おうりょう)される近衛家にとっても近衛家の血を受け継ぐ将軍の誕生は悲願であり切り札でもあるのだ。

 菊幢丸が将軍となることは、足利義晴・近衛稙家双方にとって絶対条件であった。


 すでに第12代将軍に就任してから15年が経っているのだが、足利義晴の立場はそれほど強固なものではなかった。義晴と同じく11代将軍の足利義澄(よしずみ)の子であり、堺公方と称された足利義維(よしつな)(義冬)の存在があったためである。


【足利義晴と足利義維のどちらが兄かは諸説あるのだが、恐らくは足利義維の方が年長であり、生母の身分も斯波(しば)氏といわれる足利義維の方が上であったと思われる。そのため将軍の後継者としては足利義維の方が正統性をもっていたかもしれない】


 足利義晴と細川晴元の和睦がなり、1532年には堺幕府は崩壊しているのだが、足利義維が左馬頭(さまのかみ)に叙任されるなど次期将軍の地位を得ていたこともあり足利義晴は不安であったのであろう。

 足利義晴としては足利義維という自分に取って代わることのできる存在が居るということは非常に都合が悪いことなのである。


 だが「菊幢丸」はその血筋から足利義維よりも、へたすれば足利義晴自身よりも、誰もが認める将軍に相応しい存在であるのだ。


 もろもろの事情から次の将軍は「菊幢丸」でなければならず、菊幢丸の将軍就任を規定路線とするために足利義晴は生まれたばかりの幼子に家督を譲り隠居するのである。


 足利義晴の隠居と幼年の当主の就任により、政務に不都合がでるという理由で内談衆(ないだんしゅう)が組織されることにもなった。実態として足利義晴は実権を手放してはおらず、「菊幢丸」の誕生を将軍親政の強化にも利用したりしている。


【内談衆は奉公衆で構成され、大館尚氏(おおだてひさうじ)常興(じょうこう))、大館晴光(おおだてはるみつ)摂津元親(せっつもとちか)(元造)、細川高久(ほそかわたかひさ)(細川藤孝の義祖父)、海老名高助(えびなたかすけ)本郷光泰(ほんごうみつやす)荒川氏隆(あらかわうじたか)(澄宣)、朽木植綱(くつきたねつな)などの8人とされる。この内談衆のメンバーやその後継者は足利義輝の側近ともなり、この時期の幕府を支える存在であった】


 義藤さまの御母堂(慶寿院)は子の養育を乳母に任せることが当たり前のこの時代にあって、我が子である菊幢丸を自ら育てるなど非常に可愛がった。

 将軍継嗣は政所執事(まんどころしつじ)の伊勢家で育てられることが慣例となっているのだが、慶寿院は足利義晴とともに伊勢家の屋敷に赴き自らが育てたのだ。


【伊勢家の当主は将軍を養育することで権力を握ってきたのだが、足利義晴も義輝も伊勢家の管理下で養育されていない。内談衆は政所執事の権力を奪うことにも繋がっており、伊勢貞孝(いせさだたか)が足利義輝に反する行動を取ることが多いのは、こういった足利義晴の政策にもよるだろう】


 だが母親の愛情が仇となってしまう。「菊幢丸」は御母堂の不注意により命を落とすことになったのだ。御母堂様は「菊幢丸」の亡骸を抱き続けていたという……「菊幢丸」の死を直視できなかったのだろう。


 この事態に足利義晴と近衛稙家は密かに謀って、八瀬の清光院の所に居た「お菊」こと義藤さまを迎え入れ、「菊幢丸」の代わりとしたのだ。双子であり非常に良く似ていたため周囲の者は誰も気付くことがなかったという。


 そして御母堂の隙をついて「菊幢丸の亡骸」と義藤さまはすり替えられた。御母堂は代わりに「()()()」となった義藤さまを「()()()」と思い込むのである……


 ほとんど発狂していた御母堂は「菊童丸(きくどうまる)」が元気になったことで安定したという。御母堂は「菊童丸」を今までと変わらずに非常に可愛がったのだ。

 だが御母堂にとって「菊童丸」が()()()であることは認めることができなかったのであろう。「菊童丸」が女の子であるとヒステリックになり暴れまわったというのだ……


(菊「幢」丸:死んだ双子の男の子、本来の足利義輝。菊「童」丸:双子の女の子、すり替わった義藤さま。分かりにくくて申し訳ない)


 こうして「菊童丸」は足利義晴の「嫡男」として育てられることになり、ついには将軍宣下を受けることにもなった。

 全国の諸侯が認めるまぎれもない正統なる征夷大将軍であり、室町幕府歴代最高の血筋を誇る公方様「足利義藤」の誕生である。


 その将軍が秘めているとはいえ「女の子」であることは当然問題になる。

 実は義藤さまのほかにも近衛家と将軍の血を受け継ぐ「正統なる後継者」は存在したりする。義藤さまの同母弟である千歳丸(ちとせまる)のちの「足利義昭(あしかがよしあき)」だ。


 足利義昭は義藤さまの一年後に生まれている。だが御母堂は千歳丸が生まれても「菊童丸」のみを執拗に偏愛し、千歳丸を可愛がることがなかったという。


 将軍後継者の地位を「菊童丸」(足利義藤)から「千歳丸」(足利義昭)に変えることが無難であったのだが、それをすると御母堂様が発狂してしまい「すり替え」が発覚することにもなり、ついぞ出来なかったのだというのだ……


 大御所は妻(慶寿院)を愛していたし、太閤殿下も妹を非常に溺愛していたのだ。それが今の近衛家と足利将軍家の絆の強さにもなったのだが皮肉なものである。


「貴方なら分かっているでしょうけど双子のことは他言無用よ」


「ですが義藤さまは、双子の女の子の存在は御母堂様の中ではどうなってしまったのでしょうか? 義藤さまは、その……傷ついておいでなのではないでしょうか?」


 伯母上から非常に重たく嫌な話を聞かされたのだが、まず思ってしまったことがこれだった。


「近衛様(慶寿院)の中に双子の女の子は居ないみたいね……お菊さま(義藤)はそれはもう傷ついておいででありました。でもね……最近のお菊さまは非常に明るいわ。貴方のおかげかしらね……私は良い甥っ子を持ったようだわ。与一郎、私の娘をよろしくお願いしますね」


「娘でありますか――」


「そうよ。私の可愛い娘。貴方にはあの子が可愛い女の子には見えないのかしら?」


「見えます」


「そう。ならあの娘は貴方に任せます。貴方にもそろそろ正室をお世話しなければと思っていましたが……必要ないようね?」


「必要ありません。私には義藤さまがおりますので」


「いつかちゃんと伝えてあげなさいよ。あの娘も不安定なところがあるから」


「分かっております」


 俺が正室を迎える日なんてくるのだろうか……いつか義藤さまに想いを伝えることができたとして、どうやったら将軍を正室に迎えることができるというのだ――


 ◆

【義藤さまのヒミツ(3)へ続く】

はい、今回も長くなり過ぎて2回で終わりません!

いつものことですがすいません、オチは(3)になります

次は短いので、オチがまとまったらすぐに投稿できると思います


あと、なにかデリケートなお話で申し訳ない

これからの展開上そろそろ義藤さまがなぜに女の子なのかという

話をぶち込んでおく必要がありまして……

清光院とか今まで出さなかったのもこのお話のために取っておいたりしたのです

まあ、ほとんどの人にとって清光院とか誰? でしょうが……

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[一言] 日野冨子が悪役・東山文化の尻拭いと京の出入り強化(関所乱立)なんですよね… 兄で当主も蓄財をしてましたが、主に荒れ果ててる幕府及び禁裏維持にも充ててますから、両者共に銭ゲバではない おかげで…
[一言] なるほど、公方様は女の子だったのにはそんな事情が。
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