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おまけ 古今伝授

おまけの解説なので本編とは関係ありません

読み飛ばしても大丈夫です

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 おまけの解説

 謎の作家細川幽童著「どうでもよい戦国の知識」より

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古今伝授(こきんでんじゅ)

 古今伝授とは簡単に言ってしまえば、我が国最初の勅撰(ちょくせん)和歌集(わかしゅう)である「古今和歌集(こきんわかしゅう)」の解釈上の秘伝を師匠から弟子に相伝したとされるものである。よく分からないと思うが、正直内容はどうでも良いから「古今伝授」を受けたということが大事なのだ。(ほんとはダメです)


 古今伝授の歴史は伝授の次第などでは「古今和歌集」の選者の紀貫之(きのつらゆき)の娘である紀内侍(きのないし)(紀貫之の娘)から藤原基俊(ふじわらのもととし)口伝(くでん)を受けて始まったとされるが、まあ伝説であろう。


 藤原基俊からその晩年の弟子である藤原俊成(ふじわらのとしなり)(しゅんぜい)が受け継ぎ、歌道の家である「御子左流(みこひだりりゅう)」の藤原俊成、新古今和歌集選者の藤原定家(ふじわらのさだいえ)(ていか)、藤原為家(ふじわらのためいえ)と代々伝えたとされる。


 だが歌道の本流となった「御子左流」は藤原為家の子の代で二条家(にじょうけ)冷泉家(れいぜいけ)京極家(きょうごくけ)に分裂してしまう。

 嫡流である二条家の二条為氏(にじょうためうじ)二条為世(にじょうためよ)が歌道の「二条派」(御子左流とも)となるのだが二条派の本流は衰退ののちに断絶してしまう。


 代わって二条派の中心となったのが、二条為世の弟子で和歌四天王と称された頓阿(とんあ)の家系である「常光院流(じょうこういんりゅう)」だ。

「常光院流」は頓阿から経賢(けいけん)尭尋(ぎょうじん)尭孝(ぎょうこう)へと世襲され繁栄した。

仁和寺(にんなじ)常光院(じょうこういん)に住したので常光院流と呼ばれる)


 歌道の研究に熱心だった東常縁(とうつねより)は尭孝の弟子となり、二条派の歌道と自己の家である郡上(ぐじょう)東家(とうけ)に伝わる歌道を集大成する。

 東常縁の郡上東家の3代東胤行(とうたねゆき)は分裂する前の「御子左流」の藤原為家の娘婿であり、「御子左流」の歌道を受け継ぐ家でもあった。


 そして東常縁が切紙(きりがみ)による伝授を宗祇(そうぎ)に与えて、「古今伝授」という形式が始まった。切紙とは小型の文書のことであるが、メモみたいなものに伝授する口伝の内容の要点や秘事を書いて渡したと考えてくれればよい。


 ようするに東常緑と宗祇が始めた「切紙」形式による古今和歌集の秘事の伝授が非常に画期的であり、今で言うところの「古今伝授」として有名になったわけである。


 宗祇は室町後期において最も評価された連歌師で、三条西(さんじょうにし)実隆(さねたか)や管領の細川政元(ほそかわまさもと)、越後守護上杉家や周防守護の大内家などとも交流し有名となった。北野社(天満宮)の連歌会所(れんがかいしょ)の奉行職である「宗匠(そうしょう)」ともなり連歌界の第一人者となる。

 この宗祇が古今伝授を三条西実隆、近衛尚通(このえなおみち)牡丹花(ぼたんか)肖柏(しょうはく)などに行ったことで古今伝授はいくつかの系統に分かれることになった。


御所伝授(ごしょでんじゅ)

 宗祇から三条西実隆に古今伝授され、三条西(さんじょうにし)公条(きんえだ)、三条西実枝(さねき)と公家の三条西家に相伝され三条西実枝から細川藤孝が伝授を受けている。細川藤孝が八条宮(はちじょうのみや)智仁親王(ともひとしんのう)に伝授し、さらに後水尾(ごみずのお)上皇(じょうこう)が伝授を受けたことから御所伝授と呼ばれる。一般的な「古今伝授」はこの系統をさす。


堺伝授(さかいでんじゅ)

 宗祇(そうぎ)から牡丹花(ぼたんか)肖柏(しょうはく)に古今伝授され、主に堺の町衆などに伝授されたことから堺伝授と称される。「箱伝授(はこでんじゅ)」の形態であったとされ歌人でない堺の町衆が秘伝の入った箱のみを伝えたとされてきたが、最近ではしっかりと相伝されていたとの見解もある。

 牡丹花肖柏から河内屋(かわちや)宗訊(そうじん)(友弘)に伝わった系統が宗訊の子の宗周に伝わり、宗周の死後に受け継ぐものがなく、箱伝授となっていたものを宗周の娘(宗訊の孫)から細川幽斎が買い取ったと思われる。

 牡丹花肖柏は別に伊予屋(いよや)宗珀(そうはく)にも古今伝授をしており、この系統は三好政権下で活躍した連歌師の等恵(とうけい)へと伝わっており、これが堺伝授の正統と考えられる。この系統は中庄(なかしょう)新川家(にいがわけ)淀屋(よどや)箇庵(こあん)にまで伝わっていることが確認できる。


【その他の系統】

 牡丹花肖柏から饅頭屋宗二(まんじゅうやそうじ)に伝授された系統は「奈良伝授(ならでんじゅ)」や「饅頭屋伝授(まんじゅうやでんじゅ)」とされるが残念ながら中身の詳細は伝わっていない。

 宗祇から関白の近衛尚通(このえなおみち)に古今伝授され、近衛家にも代々伝わっている。近衛家に伝わった史料などはのちの細川幽斎が収集している。

 東常縁の生家である郡上東家(ぐじょうとうけ)には宗祇や尭恵(ぎょうけい)、三条西実隆などから古今伝授を返し伝授の形で受けて伝えていたが、郡上東家は東家の一族と称する遠藤盛数(えんどうもりかず)に滅ぼされてしまったので絶えてしまったと思われる。


 古今伝授と言えばとかく細川藤孝(幽斎(ゆうさい))が有名で、細川幽斎が死んだら古今伝授が絶えるといって、関ヶ原合戦における丹後田辺城(たんごたなべじょう)の篭城戦の際には講和の勅使(ちょくし)が派遣されるなどで有名になった。

 細川幽斎は御所伝授の系統を正式に伝授され、また近衛家の史料や宗訊の史料(堺伝授)も集成しており、細川幽斎の手元には歴代に渡り受け継がれてきた古今伝授の根本史料が存在していた。


 幽斎は東常縁、宗祇以来、枝分かれしてしまった古今伝授を集大成し、かつその正統の史料を有していたわけで、細川幽斎が田辺城で戦死してしまうと所有する古今伝授の正統史料が失われてしまうことにもなり、そのため講和の勅使派遣が派遣される事態となったのである。


 ちなみに作者は和歌も俳句も良し悪しがサパーリ分からない。そんなわけでその辺の説明を求められても困る。そもそも文芸史や文化史は苦手である。


 古今伝授のその後であるが、江戸時代になり歌道のメインが連歌から俳諧(はいかい)へと移り変わり、古今和歌集についても解釈や注釈の新しいものが整い、時代遅れとなってしまった古今伝授はその意義を失い、歴史的遺物になってしまうのである。


 ――謎の作者細川幽童著「どうでも良い戦国の知識」より

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【参考 古今伝授の系譜】

挿絵(By みてみん)

画像をクリックして、飛んだ先で画像をさらにクリックしてさらに拡大すればなんとか見えると思います。(いつも手間かけてすいません)

おまけです

取り急ぎ更新します


追記、画像を忘れてましたので追加してます

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