第五十九話 第一回室町幕府連歌会in勝軍山城(2)
【第一回室町幕府連歌会in勝軍山城(1)の続き】
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こうして義藤さまの歌の特訓をすることになったのだが、ついでなので天守閣の完成記念に連歌会を開くことにもなった。篭城中で娯楽が少なく何か気晴らしをということである。
連歌会の手配は一色藤長にやらせている。何か喜んでやっているようなので特に仕事を押し付けた罪悪感に悩まなくて済むから助かった。
さて、せっかく連歌会を開くので俺自身の箔付けもやっておこうと思うのだ。そう、歌壇(歌人たちの社会)のスーパーヒーローになれる、史実の細川藤孝も手に入れていた、あの「古今伝授」を受けてしまおうというわけだ。
その古今伝授だが、身近な人の中に古今伝授を受けている人が居たりする。メープルシロップで一緒に商いをしている饅頭屋宗二その人だ。
饅頭屋宗二は学問を清原宣賢と吉田兼右に学び、「節用集」という今で言う国語辞典を刊行した文化人でもあるのだが、和歌も学んでいたりする。
和歌は三条西実隆と牡丹花肖柏に「二条流」を学んでおり、肖柏からは後年に「奈良伝授」や「饅頭屋伝授」と称される古今伝授を受けていたのだ。
そんなわけで手っ取り早く饅頭屋宗二殿から古今伝授を受けてしまいましょう。権威ある古今伝授なのかもしれないが、俺にとっては単なる歌道の箔付けに過ぎないので、正直「御所伝授」だろうが「奈良伝授」だろうが、かんけーないね!(柴○恭平風)
【史実では細川藤孝は公家の三条西実枝に師事して1572年から古今集の講義を開始して1574年に古今伝授を受けている。伝授されたのは三条西家に伝わるいわゆる「御所伝授」で、「奈良伝授」ではないし、今から25年も先のことだけど気にしないことにしよう】
饅頭屋宗二とはメープルシロップの商いで、恐らくこの時代において最も儲けさせている「マブダチな関係」なので、古今伝授を受けたいという申し出はあっさり了承された。
公方様の指導も一緒にお願いしたのだが、饅頭屋宗二は非常に喜んでしまい篭城中の勝軍山城に献上品を山ほど抱えてのこのこやって来た。
公方様の歌の師匠としては饅頭屋宗二以外にも呼んでいる。歌道二条派の正統を受け継ぐ三条西公枝と三条西実枝の親子である。三条西公枝の前妻は吉田兼有の従姉妹なのでその筋から公方様の歌の師匠を依頼した。あいかわらず吉田家のコネがハンパない。
さらに一色藤長が若き連歌の天才の宗養まで呼んで来てしまったので、豪華過ぎるメンバーの日替わり講義が開催されることになった。これならポンコツな義藤さまの歌を実用レベルにまで持っていくことは容易であろう。
公方様の和歌の講義と俺の古今伝授を平行してやっていたのだが、饅頭屋宗二殿と三条西家はお付き合いがあったらしく、饅頭屋宗二が古今伝授をすると聞きつけて三条西公枝と三条西実枝の父子が古今伝授に同席させてくれとやって来た。
さらには古今伝授を近衛家で継承している太閤の近衛稙家までもが噂を聞きつけて、古今伝授に同席させろと押しかけて来てしまうのである。
どこの世界にも「教え魔」というのは居ると思うのだが、三条西公枝や近衛稙家はまさにそれであった。
伝授しようとする饅頭屋宗二を差し置いて、ここの解釈は違うだの、ここの講義は是非麻呂がとかお前ら出しゃばり過ぎだろ。
まあ饅頭屋宗二殿が近衛家や三条西家との交流を楽しんでいたのでよしとしよう。
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「兵部殿、少しよろしいでおじゃるか?」
古今の講義のあとに近衛稙家に声を掛けられ、お茶をする機会が得られた。近衛稙家が少し強引に古今伝授の講義に押しかけてきたのはギクシャクしていた俺との関係を修復しようということであった。
「兵部大輔(細川藤孝)殿とこのような機会を持てるとは幸いでおじゃる」
「太閤殿下におかれましては、私のために古今の講義を行っていただき感謝に堪えませぬ」――勝手に押しかけてきただけだがな。
「麻呂は少し誤解していたようでおじゃる。どうにも兵部殿は三好筑前(長慶)に肩入れしていると勘違いしておった」
「申し訳ありませぬ。京兆家の争いに公方様が巻き込まれないようにと考え、少し出すぎたマネをいたしました。私は公方様のことのみを考えておりまする。公方様の大切な御家族である近衛家をないがしろにする気は毛頭ございませぬ。三好長慶が九条家に肩入れしていることを存ぜず、余計な口出しをいたしましたことをお詫びします」
「兵部殿と我が近衛家は今後は協力できるということで良いのでおじゃるかな?」
「近衛家に関係する所領から円滑に年貢が運ばれますよう、これからも働きかけを行いたく考えておりまする」
「美濃と尾張の所領の件は感謝しておるぞよ」
「美濃の斎藤家や尾張の織田家には近衛家からの謝意を伝えておきましょう」
「近衛家もむろん大樹(公方)殿を支えまするが、兵部殿も我が姪のために忠義を尽くすことを期待するでおじゃる」
我が姪と来たか……近衛稙家が踏み込んで来たようだ。
「無論でございます。何があろうと我が忠義は公方様のみにありますれば」
「さすがは兵部殿でおじゃるな顔色も変えぬでおじゃるか。まあ兵部殿は知っていると思っておったがのう……」
いやいや、義藤さまが女の子だと気付かない幕臣やらの方がおかしいと思うぞ……
「公方様の件、どこまでの者が存知あげておりましょうか?」
「大御所は無論のことであるが、麻呂や権大納言(久我晴通、近衛稙家の弟)と、あとは一部の女房衆のみであるかのう」
結構知られていないものだな……
「幕臣にはほとんど知る者は居ないということでありますか?」
「いや、そなたの父の掃部頭(三淵晴員)は知っておるやもしれぬな」
「父上が?」
「ほう、掃部頭から聞いたわけではないでおじゃるか。ではどこより知りえたのか興味があるが?」
太閤殿下が睨んで来る。父上の名を出したのはかまかけであったか。
「ドコと言いますか、公方様本人からでございますれば」
「ホーッホッホ。さすがは兵部殿でおじゃるな。大樹殿によほど気に入られている様子」
「公方様には目をかけて貰っておりまする」
「兵部殿とはまた機会を得たいものじゃ。歌会の方も期待しているでおじゃるぞ」
「はっ。太閤殿下にもお楽しみいただけますよう努力いたす所存にございます」
近衛家と今はまだ必要以上に関係悪化を望んでいない。近衛家の力は公方様に必要なのだ。今はまだな……
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「発句は本日のゲストである太閤殿下の近衛稙家さまだあぁぁ! 脇句には征夷大将軍の足利義藤さまをお迎えしているぞー。第三句は若き連歌の天才の細川藤孝の登場だ。そしてオオトリの挙句は連歌の第一人者である宗養師匠だぁぁ。さあ、みなさんお待ちかねー! 連歌ファイトぉぉぉ、レデぃぃぃゴぉぉぉ!!!」(意訳デス)
いかーん、一色藤長に変なスイッチが入っとる。何かマズイやつに司会進行を頼んでしまったようだ。普通にバテレン語(英語)を使うな。時代考証がおかしくなる。(ギャグ展開なので雰囲気英語的な意訳は許して下さい)
瓜生山の山頂に築いていた公方様の別邸である勝軍山城の天守閣が無事に完成して、祝いの歌会である「第一回室町幕府連歌会in勝軍山城」が唐突に始まった。
司会進行を一色藤長に任せたのが失敗だった。恐ろしいテンションで強引に歌会を進行しているが、正直ドン引きの参加者も多い……
「戦争なんて下らねぇぜ! 歌の愛は幕府を救う。いいからてめーら、俺の歌を聴けぇぇぇ!!!」
いや、一応ボク達は三好長慶と戦争しているはずなのですが……
そしてハメをはずして詠いまくる太閤殿下や、泥酔した大御所に、狂ったように踊りまくる京兆家当主など、連歌会とその後の宴会で、酔いつぶれた奉公衆がそこらを徘徊し勝軍山城は阿鼻叫喚の地獄絵図となった。
今どこぞの敵が攻めてきたら、2、30人でも簡単に落城させることが可能であったろう。
こうして大混乱の中で連歌会は終わり、翌日には政所執事の伊勢貞孝による大説教大会が開催され、二度と室町幕府で連歌会が行われることはなかったのであった――
すいません更新が遅れました
せめて週一更新は頑張りたいのですが
諸事情で執筆が遅くなっており申し訳ないです
次はおまけの解説になる予定ですが
早く更新できるようがんばろう




