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第五十五話 一色藤長(2)

【一色藤長(1)の続き】

 ◆


 亡くなった一色晴具(いっしきはるとも)殿とその発端の喧嘩騒動の責任追及などで当然のごとくゴタゴタすることになり、細川晴元は出陣前からグダグダな状況になってしまい、摂津への出陣は遅れることになってしまった……

 これから本格的に三好長慶と対峙することになるのだが、戦の最中だというのに仲間内で争いごとをやっていて細川晴元軍が勝てる未来はあるのだろうか……(たぶんない)


 山崎城に再度出陣するためバタバタと準備をしていたら来客があった。


「これは七郎殿、よくおいでくださりました。お父上は残念な仕儀となり心からお悔やみ申し上げます」


「おそれいりますのだぁ。それで兵部殿、実は銭がなくて父上の葬式もあげることができないのだ。すまんのだが銭を貸して欲しいのだ」


 来客は先日の騒動で亡くなった一色晴具殿の嫡男で、新たに奉公衆の一色式部少輔(しきぶしょうゆう)家の当主となる一色七郎藤長(ふじなが)殿であった。

(この時代にはなぜか一色を名乗る者がたくさんでてきますが、一色式部少輔家はマトモな一色家だったりします)


 突然の不幸な事故により急遽家督を継ぐことになった一色藤長殿は、葬儀とか急な家督の継承で費用がかさむため、恥を忍んでお金の無心の相談に参ったのであった。(恥じてる様子がない気もするが……)


 一色藤長は史実でも細川藤孝とかなり親しかったはずだ。

 幕臣として若い頃から藤孝と交流があり、藤孝の伯父の細川元常(ほそかわもとつね)が亡くなった際に宛行状(あておこないじょう)を発給していたり、近衛家での舞の見物や歌会などに藤孝と一緒に参加もしているし、足利義輝の有馬温泉の湯治にも藤孝と一緒にお供もしていたりする。


 なにより足利義昭の興福寺(こうふくじ)の脱出に細川藤孝と共に協力し、足利義昭の征夷大将軍就任にも貢献している。

 晩年は足利義昭になぜか怒られて、(とも)幕府(笑)には参加できなかったようだが、細川藤孝とは能をやったりしてズッ友だったようだ。

 多少空気が読めないところはあるのだが、足利将軍家への忠誠心はヘタすれば細川藤孝より高いかもしれないので仲良くなっておいて損はないだろう。


(まったくの余談ではあるが一色藤長の甥には江戸幕府において禁中並(きんちゅうならびに)公家諸法度(くげしょはっと)を起草するなどして活躍した「黒衣の宰相」こと以心崇伝(いしんすうでん)がいたりする)


「分かりました必要な分をお貸ししましょう。それと紹介状をお渡ししておきますので、下京の茶屋家をお頼りください。私が不在のおりにもいろいろと力になってくれると思います」


「助かるのだぁ。お礼に喜びの歌でも()むから聞いて欲しいのだぁ」


「あ、いやしばらく。これより出陣せねばならぬので、歌会はまたべつの機会にでも」


「それは残念なのだぁ」


 御部屋衆や御供衆にもなる上位の奉公衆には味方は多く欲しいからな。

 一色式部少輔家の当主ならば喜んで金などいくらでも貸し付けてやるわ、クーックックック。

 一色藤長殿にはサラ金「フジタカ」をこれからもご贔屓にしてもらおうではないか、貸しはいずれ何かの役にはたつであろうからな。

 お金の都合がついて喜んでのほほんと鼻歌を歌いながら帰る一色藤長の後ろ姿に下卑た笑いを投げつける藤孝であった。


 ……しかし本当に役に立つのかなこの人?


 ◆


 なんとか細川晴元の出陣準備が整い、晴元は六角家の国人衆と共に丹波を経て摂津の一庫(ひとくら)城へ向けて出陣した。

 時を同じくして我らも山崎城へ向けて出陣したのだが、細川晴元に嫌な要求をされてしまった。


 山崎から摂津へ入り、三好長慶方となっている高槻(たかつき)城を攻めるように要請されてしまったのだ。

 三好方を北と東から圧迫しようということである。


 磯谷久次(いそがいひさつぐ)殿が率いる小荷駄(こにだ)隊というか兵糧以外にも野戦用の陣具や武具なども運んでいるのでもはや小荷駄ではなく荷駄(大荷駄(だいにだ)とも)隊と共に山崎城へ向かう。

 この隊にはうちの金森長近となぜか意気投合してしまい先日一緒に喧嘩騒ぎを戦った竹内秀勝(たけのうちひでかつ)殿も陣借りのような形で参加している。

 兄の竹内季治(たけのうちすえはる)に参陣するよう命じられたというので、ならば一緒にと誘ったわけだ。


 山崎城に入り大将格の三淵晴員と細川晴広のオヤジコンビに細川晴元からの要請を伝え、さっそく高槻城攻めの軍議に入る。

 山崎城にいた幕府軍は芥川山城や高槻城と睨みあっていたというか、偵察のほかは軍事行動を取らずに訓練をしていたぐらいだったので、ヒマ過ぎたのか城攻めに乗り気であった。


「源三郎(米田求政)、準備の方は問題ないか?」


「はっ、与一郎様のご命令どおり上手くいっております」


「そうか、ならば問題はないな。これより高槻城を攻める。各隊に伝達を頼むぞ。明朝出陣だ」


 ◇

 ◇

 ◇


 翌朝、我らが幕府軍は高槻城を三方から取り囲んだ。

 城の西手に展開する小笠原稙盛(おがさわらたねもり)率いる隊と東手に展開する三淵藤英(みつぶちふじひで)が率いる隊とが打ち合わせどおりに喚声をあげながら仕寄(しよ)って行く。


 ウオー! ウオー!


「城攻めも三度目ともなると、慣れたものですな」


 米田求政が我が軍の素早い仕寄りに感心の声をあげる。


「うん、打ち合わせどおりに動いてくれて助かるよ」


 西岡での鶏冠井(かいで)城、物集女(もずめ)城に続いてもう三度目の城攻めになる。

 我が幕府軍の練度も上がってきたようだ。

 軍議の席で山崎城に入ってから一ヶ月幕府軍は動いていなかったので敵は油断しており、敵兵も少ないことを伝えていたので、奉公衆や西岡衆は強気で攻め懸けている。

 なんだか我が幕府軍は弱いものイジメが得意になってしまったなぁ……


「半刻ほどは攻め懸けたかね?」


「そうですな敵の注意が東と西の攻め手に向いておりますれば、よい頃合かと」


「では本命を叩き込むとしようか」


 ジャーンジャーンジャーン!


 突撃の合図となる陣鐘(じんがね)の音にのりながら本陣の部隊が城の南手に一斉攻撃を開始する。


 明智光秀率いる鉄砲隊や吉田重勝(よしだしげかつ)率いる弓隊の攻撃に気圧され、対する敵城の弓勢は勢いがない。

 先陣を勤める竹内秀勝が容易(たやす)く土塁をよじ登り木柵(もくさく)に取り付いた。

 敵兵も木柵に取り付いた竹内隊をなんとかしようとするのだが、我が軍の弓隊や鉄砲隊の援護射撃によりその動きは封殺されてしまう。


 そーれい、そーれいっ!


 掛け声とともに木柵はなぎ倒され竹内秀勝を先頭に城内に兵が雪崩れ込んで行く。

 城内に侵入を許したことで敵はあっさりと抵抗を諦め、我先にと城を落ちて行ってしまった。

 我が軍は敵の城に三方から攻め寄せていた。城の北側に兵は配置していないのだ。

 敵兵はその城の北側から容易に逃げ出すことが出来るわけなんだな。


 カチャカチャと伝令が鎧を鳴らしながら駆け寄ってくる。


「すでに敵兵は逃亡を図っております。追撃をいたすかどうか指示を仰ぐよう仰せつかっております」


「追撃は無用だ。残った敵兵を捕らえつつ城の防備を固めるよう伝えてくれ」


「ははっ」


 伝令が城内に駆け戻っていく。

 入れ替わりに後方に控えていた親父の三淵晴員と義父の細川晴広が喜びながらやって来た。


「与一郎、見事じゃ! さすがは我が息子よ、もう城を落としてしまったとはな。ぐわっはっは」


「与一郎、追撃は行わぬのか?」


「抵抗されて無駄に損害は出したくありません。まずはこの高槻城をしかと押えることが肝要かと」


「そうだな……」義父上は追撃をかけないことに少し不満のようであった。


 我が軍は逃げる敵兵を追撃することはしなかった。だが別に情けをかけたわけではない。

 元々()()()()()()()で攻め寄せているのだ……皆には内緒にしているがね。


 この高槻城を治める入江(いりえ)駿河守春正(はるまさ)とは実はすでに話し合いがついているのだ。

 札束で横っ面を盛大に殴るという話し合いだがな。(お札なんてまだない)

 一生懸命攻めていたように見えたかもしれないが、この高槻城攻めはただの「()()()()」だったりする――または「()()()」ともいうかな。

「立ち合いは強く当たってあとは流れでお願いします」というヤツだ。


 山崎城に幕府軍が入って一ヶ月。

 無駄に過ごしていたわけではないのだ。

 米田求政に命じて、入江春正と交渉していたのだ。


 高槻城主の入江春正、元秀(もとひで)父子は残念ながらこの戦いでは三好長慶方についているが、入江元秀の子である入江景秀(いりえかげひで)景光(かげみつ)の兄弟は史実では細川藤孝に従うことになり肥後熊本藩の家臣となるのだ。

 そんなわけで心情的に入江家を叩き潰したくなかったりした。


 城を明け渡すことによって入江春正に大量の銭と公方様の御内書(ごないしょ)によって高槻の知行を安堵することを約束している。

 八百長を演じたのは入江家が三好長慶方に疑われないようにするための演技みたいなものだな。


 入江春正が逃げていった北方には芥川孫十郎が籠もる芥川山(あくたがわやま)城がある。

 むろん芥川孫十郎も調略(買収)済みだ。

 芥川孫十郎も入江春正も正規の幕府軍である我らとは表立って戦いたくなかったのであろう結構簡単に話に乗ってきた。


 芥川孫十郎には三好家一門ではなく、まったく別家の芥川家として幕府奉公衆として取り立てると持ちかけた。

 実は芥川孫十郎は数年後に三好長慶を裏切ったりする。

 芥川孫十郎が三好長慶に対してそこまで忠誠心が無いことを知っているので調略の手を伸ばしたというわけだ。


 こうして入江春正が約束通りに逃げ出した高槻城に安々と入城し、細川晴元との約束どおりに我ら幕府軍は摂津の地に侵攻を果たした。


 この高槻城攻めにより城を立て続けに3城も落としたことで、俺にはなぜか「城攻めの天才」とか「攻め兵部」とかいうどこかで聞いた事があるあだ名がついてしまった。

 鶏冠井城はもしかしたら戦う気のなかった城を問答無用の奇襲作戦で落としただけだし、物集女城は音攻めという嫌がらせで落としただけだ。

 そして今回の高槻城はプロレスだったのだが……こんなもので城攻めの天才とか評価されて良いのだろうか?


 おだてに乗って単身でイゼルローンじゃなくて小田原城を落として来いとか言われないように気をつけることにしよう――

一色藤長さんは思わず出してしまったのです

大河ドラマで藤長が活躍したらうちの藤長くんも活躍するかも


物語の展開が遅いのかハッチャケ過ぎたのか

ブックマークがハゲまくってます

最近更新するのが胃が痛い……

ブックマークや評価にレビューとかが増える

奇跡を信じてがんばろう(涙


いつもありがたい誤字報告と感想に

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ありがとうございます、応援してくれる皆様のおかげで

なんとか書けております

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[良い点] ゼッフェルさんかミノフスキーさんを見付けてこないと。まてまて、こんなこともあろうかな シマさんあたりも。さあレッツ城崩し!
[良い点] 複数の城攻めで月越さなきゃ名人って言われるさねww 一色と誼か…対近衛かな~姉?妹?が義晴の側室ですから正室へ近衛関連出来る(成否不明ですがww
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