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第八話 漢方薬

 天文十五年(1546年)10月



 医家の盛方院(せいほういん)こと坂浄忠(さかじょうちゅう)先生とその弟子で俺の叔父でもある清原喜賢(よしかた)に、現代知識に基づく医学論について話をしていたところ、細川藤孝にとっての重要人物である米田求政(こめだもとまさ)が現れ俺は喜んだ。


 米田殿が新たに加わって医薬談義を再び始めることになる。

 米田殿が途中参加なので細菌とウイルスの話と感染経路の話を改めて説明しているところだ。

 坂浄忠(さかじょうちゅう)先生や清原喜賢(よしかた)叔父には2回目となるが、代わらず熱心に聞いてくれたので助かった。


 さて、米田殿の反応はというと……


「与一郎殿! 感服いたしました! いったいどこでこのような素晴らしい医学を学んだのでござるか?」


 非常に良い反応で、なんとメモまで取りながら熱心に学ぼうとしていた。

 さすが家老までになる男だ、向上心がハンパない。


「いやあ、それが怪我で昔のことを忘れてしまい、どこで読んだのか、あるいは誰かに学んだのか、まったく覚えていないのです」


(現代知識とは言えないからな)


「それがしは恐ろしく納得できるというか、素晴らしい考えだと思いましたぞ」


 米田殿が大絶賛するが、まあ、ぶっちゃけると「()()」だしな。

 はっはっはー、細菌とウイルスによる病気の感染などは現代では常識なのだ。

 説得力は間違いなくあると思うよ。


 だが、いつの時代も新説は受け入れられないものなのだが、米田殿は新しいものを受け入れる柔軟さがあるようだ。

 だからこそ史実では、細川藤孝のもとで家老になったのであろう、有能な人物である。


「これから、蟲憑(むしうつ)り(感染の造語です)を防ぐ手段についてもお話ししたいのですが、浄忠先生もよろしいですか?」


「ほうほう、それは是非とも拝聴はいちょうしたいものじゃ。よろしくお願いしよう」


「分かりました。ではその手段なのですが……」


 飛沫(ひまつ)感染の予防ついては布などによる口と鼻を覆う方法を、ようするに現代におけるマスクによる予防方法を説明した。

 上布じょうふで簡単に作ったマスクというか、ただの布を顔に巻いただけの代物(しろもの)なのだが、それを付けて実演もする。

 また、くしゃみの真似事を着用、非着用の両方で目の前でやってみせた。


 空気感染の予防については、水でのうがいと生理食塩水での鼻うがいを今度は米田殿にやってもらいながら説明した。

 ただの冷ました水で鼻うがいをさせて鼻ツーンさせてから、改めて生理食塩水で鼻うがいすると、「イタクナーイ」もやらせてみる。

 米田殿が痛がるところを三人で笑う鬼畜ぶりである。


 接触感染について、まず実演として、刀傷などの傷口の洗浄方法をやってみせた。

 生理食塩水による傷口周辺の洗浄になる。

 破傷風(はしょうふう)の蟲(菌のことです)が土の中にいるため、傷口周りの泥の汚れを洗浄することの重要性を説明したのだ。


 接触感染の予防の話では、手を洗うことによる除菌の重要性を説明する。

 除菌については石鹸による実演を行った。


 現代でも勘違いする人が多いらしいのだが、石鹸は「殺菌」ではなく、洗い流すことにより手についたウイルスや細菌を取り除く、いわゆる「除菌」になる。

 殺菌できるのは薬用石鹸で、ただの石鹸では除菌しかできない。


 蕎麦屋の天ぷらに使った廃油で石鹸を作っておいたので、それを持って部屋での談義を一時中断して井戸へと向かった。


「これが石鹸と申します」――と小壷に入れた石鹸で手を洗ってみせる。


 わざと手を土で汚して、水だけで洗うのと石鹸をつけて洗うこととの洗浄力の違いを見せるわけだ。

 石鹸と言ってはいるが()()石鹸ではなく、使っているのは()()石鹸になる。


 液体石鹸は、エゴマ油の廃油を()して不純物をなるべく取ったものと、草木灰(そうもくばい)(水酸化カリウム)から作った物だ。

 廃油と草木灰を混ぜて釜で炊き上げて加熱して鹸化(けんか)させる。

 カリ石鹸は塩析(えんせき)ができないので、いわゆる()き込み法で作るわけだ。

 出来上がる物はカリ石鹸なので液状またはジェル状のものになる。


 残念ながら、この方法で作った石鹸は固形にはならない。

 固形石鹸には()()()(塩生植物灰で海草の灰ではない)という材料が必要になるのだが、海岸のない京の地では材料が手に入らないので諦めた。

 すぐに欲しいところではあるのだが、固形石鹸はのちに作れる機会がくるまで待つしかない。


 石鹸を作って大々的に販売することをやってみたいが、持ち運びと保管が簡単な固形石鹸でなければ難しいだろう。

 廃油と草木灰から作る液体石鹸では、医療関係者に少量を売るのが精一杯といったところだ。

 

 量産するには、実は油が高いので無理があるのだ。

 廃油じゃない油から石鹸なんてとんでもない。

 廃油を使っても量とコスト面で大量生産は厳しい。

 獣脂からも作れることは作れるが、この方法も畜産のない戦国時代では獣脂の量が確保できないので無理だろう。

 それに獣脂だと臭いも問題になり、仏教の忌避(きひ)にも当たるのでやはり難しいのだ。


 取り扱いの面倒な液体石鹸では販路の拡大も望めない。

 販路の確保と固形石鹸のためには海が欲しいところである。

 いずれなんとかしたいと思いつつ、とりあえず話を戻す。


「石鹸を使って、このように手を洗うことにより(むし)を洗い流して減らします。それにより蟲憑(むしうつ)りを防ぐことができます」


「それがしにも是非その石鹸なるものを使わせてください」――米田殿が勢い込んで頼み込んでくる。


「ほれほれ、わしにもわしにも」


 気づいていると思うけど、坂浄忠先生は繰り返し言葉が口癖だ。


 喜賢叔父も試したところで次の話題のために厨房へと向かった。

 厨房で火を使って熱湯をつくり実演する。

 手ぬぐい(タオル)や食器を熱湯で煮沸消毒をした。

 手ぬぐい(タオル)の共用による感染や、食器の共用による感染の防止に、熱湯を使った媒介物の消毒の話をしたのである。


 ほかに媒介物感染としては、汚染された水や、汚染された食品の危険性を説いた。

 汚染された水やアニサキスなどの寄生虫、牡蠣のノロウイルスなど、これらについては加熱殺菌が可能なので、晩飯用の蕎麦を茹でながら説明したりした。

 食材を加熱処理することで、病原菌を減らすことができ、安全に食すことが出来るのだ。


 ◆


 「蟲」と称した細菌とウイルスの話、「蟲移り」と称した感染経路の話、そしてマスクや除菌や煮沸などによる感染防止の話について、こうして実演を交えながら皆と談義したわけだ。


「にわかには、にわかには信じがたいが、納得できる部分も多いにあったわ。拙僧なりにも考えるところがあるので、機会があれば検証してみようぞ」――と、浄忠先生はこんな感じ。

 

 喜賢叔父も似たような反応だった。

 米田殿はメモを取りまくっており、補足の説明なんかも求めてくるから感心しきりというところだろう。


「すいません。私の話が長くなってしまいましたが、傷寒論(しょうかんろん)の薬についてお話をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「そうであった、そうであった、貴重なお話を聞かせて頂きましたのでな、協力できることがあれば力になりますぞ」


「よろしくお願いします。ではさっそくですが、傷寒論と金匱要略(きんきようりゃく)についてですが、いくつか気になる薬などを見出(みいだ)しております。それらについてご教授願いたくお願いします」


「ほうほう、それはそれは。今は傷寒論などよりも、最新の(きん)(げん)(中国の王朝)などの医学が奨励されておるが、傷寒論や金匱要略にそこまで研究熱心なのは珍しいことでありますな」


 ――さて()()()()()()()――

 漢方薬もかなり多くのものが古来より作られ試され、あるいは消えていった。

 実はあまり効かない物もあったであろうし、危険なものもあったと思われる。

 だが現代でも使われ、売られている漢方薬についてはかなり安全だろうと考えたのだ。

 ようするに俺でも知ってる漢方薬なら安全ではないかと……

 だから早く作りたいし、早く手に入れたいのである。


「傷寒論」と「金匱要略」が重要視されたのは、史実では江戸中期からである。

 この戦国時代から江戸前期にかけては、中国の最先端の金元医学(きんげんいがく)、なかでも李朱医学(りしゅいがく)が隆盛であった。


 現代の我々が多く目にする漢方薬は江戸時代の古方派の流れをくむものが多い。

 江戸時代中期に古方派(こほうは)(古医方(こいほう))が現れ、「傷寒論」と「金匱要略」に回帰し、現代の漢方薬にまでつながる流れを作ったのである。


(実は漢方薬は日本で発展した独自の物であるといってもよい)


 そのため「傷寒論」や「金匱要略」には現代の誰もが知る有名な漢方薬が多く記載されている。

 江戸中期から重要視される薬を戦国時代においてさっさと作ってしまおうというのが、今回の作戦なのである。

 そして三人の協力もあり、俺でもよく知っている有名な漢方薬を拾い上げることができた。

 下記がその例になる。


************************************************************

 注意 漢方薬は医師または薬局と相談して処方を受けてください。

   下記は傷寒論に記載のある漢方薬の()()()()()です。

   指示を受けて用法用量を正しく守ってください。

   あと、読み飛ばしてください。無駄に長くてすいません。

************************************************************


【葛根湯】(かっこんとう)

 最も有名な漢方薬だろう。

 汗の出ない風邪のひき始めに効果があり血流をよくして体温をあげて汗をかかせる。

 鼻かぜ、鼻炎にも効き、血流改善で頭痛、肩こりにも効くという。

 江戸時代にはなんでもかんでも葛根湯を処方する葛根湯医などという言葉も生まれたそうな。

 ドラッグストアに行けば目に入らないことがないぐらい有名な漢方薬。


【麻黄湯】(まおうとう)

 風邪のひき始めに効くという漢方薬。

 さむけがして発熱、頭痛、せきがあり身体のふしぶしが痛く汗が出ない症状によいという。

 インフルエンザにも効果があるといわれ現代では保険適用もされる。

「ルル内服液」などでメジャーな漢方薬。ドラッグストアで普通に目に入るだろう。


【小青竜湯】(しょうせいりゅうとう)

 たんを伴うせきや鼻水が出るもの、気管支炎、気管支ぜんそく、アレルギー性鼻炎、花粉症にも効くという。

 現代でも「ロート製薬」などから販売されドラッグストアでよくみる。


【麦門冬湯】(ばくもんどうとう)

 痰の少ない咳きに効くという漢方薬。

 咽喉部に乾燥感のある痰の少ない気管支炎や気管支喘息などにも有効。

「麦門冬湯 パブロン50錠」が現代でも有名であり、ドラッグストアでも目に付くパッケージで売られている。


【芍薬甘草湯】(しゃくやくかんぞうとう)

 こむら返りなど足のつりによく効くという。

 現代でも売っている有名な漢方薬。

「小林製薬」の「コムレケア」はネーミングセンスが秀逸だと思う。


【五苓散】(ごれいさん)

 二日酔いの漢方薬としてあまりにも有名だ。

 ほかに暑気あたり、気圧の変化による頭痛などにも効くといわれる。

 現代でも「宇津救命丸」などが販売しておりドラッグストアで目にする。


【四逆散】(しぎゃくさん)

 神経性胃炎に効くという漢方薬。

「大正漢方胃腸薬 爽和」に含まれており、「救心漢方 四逆散」として普通に現代でも使われ、ドラッグストアでよく目にする。


【当帰芍薬散】(とうきしゃくやくさん)

 月経不順、月経異常、月経痛、更年期障害、足腰の冷え症、安産、産前産後にもよいといわれ女性の聖薬とされる。

 更年期障害などで、現代でも有名な「命の母」にもつかわれる有名な漢方。


【大黄甘草湯】(だいおうかんぞうとう)

 便秘薬といえばコレというぐらい有名な漢方薬。

「タケダ漢方便秘薬」、「大正漢方便秘薬」などは名前を聞いたことがあるだろう。

 現代でもメジャーに使われている漢方薬である。


【桂枝人参湯】(けいしにんじんとう)

 ウイルス性胃腸炎に効くという漢方薬。

 現代でも最近頻繁に名前を聞く、あの「ノロウイルス」にも効果があるとされる。


【酸棗仁湯】(さんそうにんとう)

 不眠症、神経症、嗜眠、自律神経失調症に効くとされる漢方薬。

 テレビCMでもよく見る「小林製薬」の「ナイトミン」など現代でも使われる漢方である。

 いいかげん小林製薬のネーミングセンスが大好きすぎる。


桂枝湯(けいしとう)

 汗が出る風邪の初期症状に効くという。

 悪寒、発熱、頭痛などにつかわれる漢方薬の基本である。


大青竜湯(だいせいりゅうとう)】、

 酷い鼻炎や結膜炎。

 解熱しない感冒、インフルエンザ。

 麻疹(はしか),湿疹などのアトピーなどに使われる。


白虎加(びゃっこか)人参湯(にんじんとう)

 熱中症、喉の渇きに効果があるといわれている漢方薬。


桔梗湯(ききょうとう)

 咽喉(いんこう)の腫れ、扁桃炎(へんとうえん)、扁桃周囲炎などに効くという漢方薬。


 ◆


 こうして我々は、現代でも通用する偉大な漢方薬を「傷寒論」と「金匱要略」から拾い出すことができた。

 またその生薬(しょうやく)の構成も大体把握することができたのである。


「さて、いい加減よい時間でありますな。晩の食事といたしましょう。私が腕を振るった料理をご馳走します。まだ若君様にしか披露していない新作ですよ」


 今回皆さんにお出ししたのは鰻重と蕎麦である。

 蕎麦は工夫をして、緑鮮やかな茶蕎麦を用意した。

 宇治抹茶うじまっちゃを混ぜ込んだ、現代でも通用するであろう高級品だ。


 日本有数のお茶どころで知られる宇治はもうこの時代すでに抹茶の生産地として有名になっていた。

 室町幕府3代将軍の足利義満が、大内義弘(おおうちよしひろ)に命じて宇治に茶園を造らせている。

 戦国時代には宇治七園と呼ばれる名園が繁栄していたという。

 そういえば茶の湯(茶道)も義藤さまと早くしたいところである。

 剣豪将軍阻止計画の一環としてだが……


 三人とも最新作である茶蕎麦と鰻重を笑顔で楽しんでくれた。

 料理で三人の歓心を得たところで最後のお願いである。


「お願いがあります。先ほど調べました薬につきまして、なるべく早く全てを用意したいと考えております。皆さんご協力いただけますでしょうか?」


「それならそれがしが。我が米田家の本家は大和にあります。大和は生薬栽培の本場です。生薬の調達はそれがしにお任せ下さい」


「それは助かります。当座の資金はこちらで用立てますのでおっしゃってください」


「それでそれで、これらの薬が用意できたら与一郎殿はいかがいたすのかな? 医薬の道に進まれるのかな?」


「いえ、私は幕府に仕える身です。医薬の道は喜賢(よしかた)叔父上にお願いしようと思っております。浄忠先生、叔父上を立派な医者に鍛えていただけますでしょうか? 私からもお願いいたします」


「お、おい与一郎……」


「ほうほうほう。分かりました。任されましょう。清原喜賢を一番弟子として育て上げましょうぞ」


「師匠まで……」


「私がこの先医薬の道で頼みとするのは叔父上なのですから、よろしく頼みます」


「分かりました。師匠の下で研鑽に励み。与一郎のいう新しい医術についても実践してまいりましょう」


 こうして俺は主治医をゲットしたわけである。

 多分この時代最高の名医になれる余地はあると思うのだ。

 なんといっても俺の現代知識によるブーストがかかる医者だからな。


 ちなみに清原喜賢叔父は後年、坂浄忠の子の吉田浄勝(じょうしょう)浄慶(じょうけい)とともに苗字を吉田に変え、吉田牧庵(まきあん)を名乗る。

 吉田浄勝が坂から吉田に苗字を変えたのは母方の姓を名乗ったものと思われる。(吉田兼右の娘が母になる)

 坂家には上池院じょうちいんという本家が別にあったためであろう。

 清原喜賢が吉田の名字を名乗ったのは、師匠にならったのではないかと考えられる。


 吉田牧庵となった清原喜賢は、後年あの大友宗麟(おおともそうりん)に招かれるほどの名医になるが、なぜか鴨川で溺死するという最後を迎えている。

 だがそれは史実での話しなので蛇足であろう。


 そんなわけで漢方薬と液体石鹸、マスク、生理食塩水などの製造販売は喜賢叔父に、生薬の調達を米田殿に、漢方薬や石鹸などの使用の検証や宣伝を坂浄忠先生にお願いすることになった。

 俺は幾ばくかの販売手数料を貰う。

 そういう体制になった。


 浄忠先生と米田殿とで漢方薬に使う生薬の調達について相談している。

 どうやら米田殿に浄忠先生が生薬の調達先の知り合いを教えているようだ。

 相談が終わって、浄忠先生は先に鰻重と茶蕎麦のお礼を言って帰っていった。


 俺は米田求政に声をかけた。


「米田殿。お手伝い頂き感謝いたします」


「なんの、私も与一郎殿の医学に感服いたしました。数々の薬や液体石鹸に『ますく』でしたかな。よい物を知ることができ、よい話を聞けたことに感謝しております」


「感謝ついでにもう少しお願いをしてもかまいませんか?」


「ええ、わたしにできることであればなんなりと」


「実は『太平恵民(たいへいけいみん)和剤局方(わざいきょくほう)』という医書も探しております。何か手がかりでも見つけたら連絡いただきたいのです」


「和剤局方と申す書物ですな」――メモメモ、さすが米田殿メモ魔だな。


「わかりました。何か手がかりがあればすぐに報せます」


「助かります」


「それと季節的に難しいのですが、紫蘇しそやヨモギにドクダミ草などの葉か、煮汁などが手に入るなら是非欲しいと思っています」


「わかりました紫蘇にヨモギにドクダミですね。これらは何に使うおつもりですか?」


「いろいろ使えるよい生薬ですが、まずは消毒液や虫除けとしての利用などを考えております」


「ほう、消毒に虫除けですね……季節的に難しいですが頑張って探してみましょう」


「ありがとうございます。では、大和まで道中お気をつけください」


「旅なれた道なので大丈夫です。気をつけると言えば、与一郎殿。先ほど浄忠先生にはお伝えしましたが、少し物騒な話も流れておりますので、こちらでも注意が必要かと思われます」


「物騒な話とは?」


「ええ、それが――」


 米田殿が話していた物騒な話とは――この山城国における土一揆(つちいっき)の噂であった。

誤字脱字、変なところ、マズイところの報告をお待ちしております。

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