第五十二話 初陣(1)
天文十八年(1549年)1月
三好宗三は京兆家の在京兵力を率いて、丹波へ向かい晴元に味方する丹波衆と合流ののちに摂丹街道(池田街道)を通り北から摂津に侵攻する手筈だ。
細川晴元は京に残り近江の六角定頼など各方面に援軍を求める事になっている。
我らが幕府軍(笑)は三好宗三とは同行せずに、山崎(西国)街道を西進して京と摂津を結ぶ大山崎へ進軍する予定だ。
目的はいずれ来る(かもしれない)六角定頼の援軍のための進軍路の確保と、三好軍の一部を山城国方面に引き付けることにある。
実はこの幕府軍の中核は……俺だったりする。
俺の与騎である田中渡辺氏を入れると我らはこの幕府軍における最大勢力であり、そもそも大将格の細川晴広と三淵晴員は俺の義父と実父だったりするのだ。
それに政所執事の伊勢貞孝や近衛家に近衛派の幕臣どもが自分の兵が損耗するのを避けるために画策したことではあるのだが、この軍に参加している者のほとんどは俺の関係者だったりする。
そのため軍事行動に関する決定に俺の意見が非常に通りやすい状況が出来上がっているのだ。
さらに出陣の際の当座の兵糧の確保や今後の小荷駄による補給については、俺が策定したものであり、すでに発言権は強化しまくってもいるし、出陣前の評定からして主導権を握っていた。
というか、この幕府軍に参加している者で戦略目標やら戦術目標を主導して決めようという者は情けないことにほとんどいなかったのである。
具体的な方策を考えていた俺の意見がなんとなく幕府軍の目標になっていき、評定では大将の義父や実父は俺の意見をアテにする有様でもあった……
根回しもしていたので表だって反対する者もほとんど居なかったことも理由ではある。
そんなわけで俺の策定した目標に向かって軍事行動を進めていく。
東寺口で相国寺を発した幕府軍と合流した我らは、京の南西、桂川の西岸の地である乙訓郡の西岡と呼ばれる地域へ進軍した。
西岡には西岡衆とか西岡被官衆と呼ばれるという国人領主が割拠している。
(西岡衆は第九話で土一揆を起こした話が出ているのだが、まあ誰も覚えていないだろう)
特に問題もなく西岡の中心である向日神社まで進軍し向日神社を本陣として行軍をストップする。
西岡衆には事前に幕府(という名の俺)から使いを出しており、この地での幕府軍への参集を呼びかけているためだ。
向日神社の本殿は1418年に建立されたもので、現存しており国の重要文化財に指定されている。
また本殿は現代の明治神宮の本殿のモデルにもなっている大層立派なものであった。
その向日神社の本殿にて集まってきた西岡衆を謁見する手筈になっている。
西岡衆は室町幕府の御家人であり本義的には幕府へ出仕するべき者どもであるのだが、室町幕府の混乱と長きにわたる戦乱により西岡衆の内実はぐちゃぐちゃだったりする。
京兆家などの細川家に被官として仕えるもの、伊勢家の被官として仕えるもの、九条家や近衛家などの公家に家司として仕えるもの、国人領主として独立をしようとするものなど、ひとくくりに西岡衆といっても統一的な動きなどはまったくしていないのだ。
ぶっちゃけると細川家の被官になっていた者の中には、細川高国派として細川氏綱や玄蕃頭家の細川国慶を支援していた者もいるし、この三好長慶と細川晴元の争いで、すでに三好長慶に与している者も居たりする。
敵だか味方だか分からん者が割拠するヒャッハーな西岡の地に幕府軍として進出し、西岡衆をなるべく多く味方につけて少しでも戦を有利に運ぼうというのが、とりあえずの表立った目標だったりする。
さて考え事をしている間にも西岡衆が早くも参陣して来ている。
まっさきに来たというか我らより先に着陣し準備を整えていたのは、革嶋城主の革嶋越前守一宣と東久世荘の築山兵庫介貞俊である。
彼らには先に使いの者を送り、向日神社を本陣とする準備を命じていたりしたのだ。
さらに神足城主の神足掃部春広や今里城主の能勢市正光頼、開田城の中小路五郎右衛門など、続々と西岡衆と呼ばれる国人領主たちが集まってきている。
その者らを三淵晴員や細川晴広の親父コンビが謁見していく。
そして謁見ののちは本殿で主だったものを集めて戦評定を行うのである。
「各々方、我らはこれより摂津の入り口たる大山崎へ向かいまするが、ここ西岡の地は大山崎と京を結び、我らの後背地となります。西岡の安定がなければ我らは安心して摂津へ進軍することが出来かねましょう」
ここでも評定を主導するのは俺である。
「そのとおりでござる」
「もっともだな」
黙れこわっぱとか言う輩が居ないので実にスムーズに話がすすめられるな。
「なれば、我らが幕府軍に協力せず三好長慶に与しようとする者どもらを放置することは危険でありましょう。まずは我らに敵対するものを討つべきであります!」
「おお! 三好長慶に味方する輩を討つべし!」
「そうよ、西岡の結束を乱すものは討つべし!」
サクラとして仕込んでいた革嶋一宣や築山貞俊が俺の意見に賛同して声をあげ、他の者らも同調して討つべしの声をあげていく。
拙速な行動は慎むべきとの声もあるにはあったのだが、申し訳ないけど数の力と声のでかさで押し切った。
こうして向日神社に結集してからわずか数刻(1時間ぐらい)で、出陣が決まったのである。
◆
攻撃目標はここ向日神社から東方わずかの距離(1kmぐらい)にある、鶏冠井城である。
たった1kmの距離だ、出陣してから四半刻(30分)もかからずに鶏冠井城は幕府軍と西岡衆の連合軍3,000に包囲された。
そんなに急に城攻めなんて大丈夫だろうか? と心配するかもしれないが、こっちとら端から攻める気マンマンで準備も万端だったりする。
出陣前から鶏冠井城を攻めることは決めており予定通りの行動なのだ。
西岡に進軍する上で西岡衆を調べていたが、鶏冠井城の前当主である鶏冠井備前守政益は三好元長(長慶の父)に協力して自害していた。
正直いって現当主の鶏冠井孫六がどう動くのかは分からないが、鶏冠井家は三好長慶の父の代からの協力者であり、三好方になりそうだというだけで攻撃する理由としては十分だ。
それに、向日神社のすぐ傍で、補給路となる西国街道を抑えることができる鶏冠井城など、邪魔以外の何ものでもない。
予防的措置で排除して何が悪い? 恨むなら城の位置を恨むがよい。
それに味方してくれる西岡衆への生贄は必要なのだ……というわけで城攻めである。
鶏冠井城といっても平城で堀や土塁なども申し訳程度にはあるが、はっきり言って武家屋敷に毛が生えた程度のものである。
準備万端城攻めの用意をし、城攻めの演習までもやってきた我らが愛すべき郎党の敵ではない。
鶏冠井家にも向日神社に参集するように使者は出していた。(油断させるためでもある)
もしかしたら鶏冠井孫六は幕府軍に合流しようとしていたのかもしれない。
あるいは他の西岡衆がどれくらい集まるのか様子を見ていたのかもしれない。
さっさと向日神社に参集していれば手の出しようもなかったのだが、出頭しなかった君が悪いのだよ、鶏冠井孫六くん。(正直良く知らんし会ったこともない人です)
突然包囲下に置かれた鶏冠井城の城内は混乱しまくっていた。
幕府軍がいきなり攻め寄せて来るとは思ってはいなかったようである。
包囲は他の兵に任せて堂々と大手門から「藤孝軍」が攻めかかる。(淡路細川家の中の藤孝が指揮する部隊のことです)
降伏の使者を出せばあるいは開城するかもしれないが、交渉中に敵の準備が出来てしまっては面倒なので当然の如く問答無用で攻めかかる。
「弓隊かかれーい!」
俺の号令により吉田六左衛門重勝に率いられた弓隊が攻撃を仕掛ける。
かろうじて応戦して来る敵もいたが、用意すら満足に出来なかったのであろう残念ながらその攻撃はまばらであった。
弓隊の援護射撃の中、木盾で防御を固めた自慢の鉄砲隊が前進する。
これから戦の仕様を変える新兵器の威力を喰らうがよい。
「ファイエル!!」
ダダーン! ダダーン!
鉄砲隊80が二手に分かれて一斉射撃で、大手門を守る櫓にぶっぱなした。
1549年のこの時代に鉄砲の一斉射撃などを経験した者などはまず居ないだろう。
敵は何をされたのか分からないうちに倒れる者、混乱して逃げ惑う者、放心してしまう者など、もともと混乱していた敵兵がさらに大混乱に陥る。
敵ながら同情したくなるが、敵も諸悪の根源たる俺なんかに同情されたくはないだろう……
そこにすかさず郎党から選りすぐったマッチョマンによる破城槌の攻撃だ。
鉄砲による攻撃と弓隊による援護射撃で楽々と大手門に取り付き、トドメの一撃を加える。
(本来は亀甲車として組み立てるのだが、奇襲攻撃で準備が間に合わないので破城槌をマッチョマンが抱えて突撃してます)
ドゴーン!
備えもたいしてしていない大手門は簡単に破られた。
続いて弓隊の援護射撃の中、鉄砲隊がさらに前進する。
「ファイエル!」
破られた大手門の門内に対して、待ち受けているだろう敵に備えて鉄砲隊による予備射撃を行う。
なんだか必要もなさそうな気もするが、やっておいて損はない。
そして金森長近を先陣に米田求政も突撃隊の足軽を率いて突入する。
初めから無かったようなものだが、敵の組織だった抵抗はこれで完全に潰えたようである。
もう逃げ惑う敵兵しかいないんじゃね?
包囲していた他の部隊も突入を開始したようだ。
すでに敵兵が逃げ散った、土塁を乗り越え城内に攻め込んでいる。
あとは簡単だ、兵力でゴリ押すだけなのだから。
こうして、力攻めというか奇襲攻撃によって鶏冠井城はあっさりと陥落したのである。
「与一郎、見事であった。とても初陣とは思えぬ立派な指揮振りであったぞ」
藤孝隊の後ろに控えていた義父の細川晴広がやってきて声を掛けて来る。
そういえば初陣だったなコレ……
敵兵は500も居なかったであろう。
ろくに備えもしていなかった城を敵の6倍以上の兵で囲み、奇襲で問答無用に攻撃しただけだからなぁ……勝って当然というか一方的な虐殺に近い。
「敵に備えがありませんでしたので当然の勝利かと」
「うむ。しかし鶏冠井は本当に三好に通じていたのか? あまりにも備えが無さ過ぎるように思えるのだが……」
「心配は無用です。間違いなく証拠はありますので、必要であればのちほどお持ちいたしましょう」
証拠はこれからでっち上げるんだけどなー。
これから筆跡を真似て三好家と通じていた風な書状を偽造するから問題ない。
事前に叔父の飯河秋共には城内の書状の類を押さえて偽造の手筈を整えるよう指示している。
飯河秋共の叔父は一両斎妙佐とも呼ばれ、江戸時代に書道の流派として確立した「大師流」の中興の祖とも呼ばれる能書家だ。
弟子には加茂流(甲斐流)の藤木甲斐守敦直などもいたりする。
そんな書道の大先生に書状の偽造などを頼むのは気が引けるが、今は幕府の奉公衆に過ぎないので、幕府のためにその腕を活用させていただきましょう。
むろん手間賃と口止め料ははずんだけどね。
「そうか……まあよい。それでこののちはどうするのじゃ」
「城の処置が済み次第、向日神社に戻り今後の方針を決める評定を開きましょう――」
そこに城内から一際響く金森長近の声が聞こえて来た。
「敵将撃ち取ったりー! 敵将の鶏冠井孫六はこの金森五郎八が討ち取ったりー!」
さすがは金森長近だな、捕虜となることなど許さず手筈どおりに討ち取ってくれた。
悪いが生き証人など居ては困るのだよ、死人に口無しとはよくいったものだ。
続いて米田求政の声が響いて来る。
「者どもぉぉぉ、勝鬨を上げよー! エイ! エイ! オー!」
そして到るところから勝鬨の声が上がる。
「エイ! エーイ! おおおおおおおお!」×何百。
こうして細川藤孝の初陣は問答無用の奇襲で、圧倒的な戦力で、一方的に攻め寄せ、ほとんど卑怯に完勝で終わったのである――
◆
【初陣(2)に続く】
ついに序章以来の戦が始まった
長かったよーん、予定より倍ぐらいかかってるよーん
なんてテキトーなプロットの小説なんだと
自分でも呆れますね……
さんざん待たせた挙句にご都合主義的な戦闘で
マジ申し訳ないデース
しかもマイナーな敵で土豪クラスだしなぁ
あとこんなに卑怯な主人公でいいのだろうか……




