第七話 米田求政(2)
【米田求政(1)の続き】
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鼻の中の洗浄――それは分かりやすく言えば「鼻うがい」になる。
鼻うがいは現代では耳鼻咽喉科の医師などが勧めている方法であり、花粉症の対策やインフルエンザなどの予防に良いと言われている。
鼻うがいを簡単に行えるキットはドラッグストアなどでも売られているので、実践した方やキットなどを見たことがある方もいるかもしれない。この鼻うがいに使う洗浄液が通常は「生理食塩水」になるのだ。
生理食塩水での鼻うがいを二人に実践して見せてみた。少し汚いのだが鼻水のような白くてドロドロしたものが鼻から流れ出てくる。
二人にも鼻うがいをやってもらったが、洗浄後の爽快感には二人ともビックリしていた。
そして少し鬼畜の所業であるのだが、ただの沸騰させてから冷ました「水」でもやってもらった。むろん鼻ツーンになるので「トテモイターイ」と二人には怒られた。
【注意:水道水での鼻うがいは危険です。最悪アメーバに脳みそを食われます(マジで)。必ず医師または薬局で相談の上、専用の洗浄液を使用して行ってください。また、やり過ぎると鼻の粘膜を痛めますので1日1回を目安にして下さい】
生理食塩水と鼻うがいで二人の感心を得た俺は、本題である「細菌とウイルス」と「感染」についての話を始めたのである。
現代において細菌やウイルスは既に認識されており、誰もが知っている常識であろう。だがこの戦国時代においては知る者はいないのだ。
経験則で、人から人へ「伝染る」ことを、なんとなく理解する者がいるかもしれないが実証などは全くされてない。
細菌の発見は1670年代のオランダの科学者で「微生物学の父」と呼ばれる「レーウェンフック」が発見した例などがあるが、細菌が「細菌学」として病気を引き起こす病原体として研究されるようになるのは、ドイツの医師「ロベルト・コッホ」による1876年の炭疽菌の発見まで待たねばならなかった。
細菌より小さいウイルスの発見にいたっては、なんと20世紀になってしまう有様だ。
傷寒論における傷寒とは色々な説があり、風邪(かぜ症候群)やチフス、インフルエンザ、マラリアなどが考えられるのだが、実は傷寒の正体についてはどうでもよい。
傷寒が細菌性・ウイルス性の病気であり感染する病気であることが大事であり、おそらくは間違いがないと思われる。
傷寒論における傷寒という病気はひとつの病気を指すのではなく、症状などにより複数の原因があり、その原因は目に見えない「蟲」のようなものであると、坂浄忠先生と叔父の二人に話したのである。
(「蟲」とは「細菌とウイルス」のことで藤孝が今考えた造語です)
「なんとなんと、目にみえない蟲であると?」
「傷寒だけでなく、赤痢や痘瘡(天然痘)、食あたりなどは全てそういった目に見えない蟲が引き起こすものなのです」
「すべてすべてのう……」
「まあ、全ては言い過ぎかもしれません。外からの影響のほかに病には内的な問題、体の中に問題がある病も確かにありますので……ただし、多くの人が同じ時期に同じ病になるものや季節によって病になる人が増えるものなどはやはり、その蟲が引き起こすとされているのです。それは感染というものになりますが……」
そして二人には、いわゆる「感染経路」についての説明を始めたのである。
・飛沫感染(咳やくしゃみなどの水分のあるしぶきを吸い込んで感染)
・空気感染(空気中に漂うウイルスを吸い込んで感染)
・接触感染(感染者に直接接触して感染、傷口や粘膜などから)
・媒介物感染(汚染された水、食べ物、血液、虫などを摂取して感染)
飛沫感染については咳きやくしゃみによる飛沫の説明をした。接触感染については刀傷などによる破傷風の説明を、媒介物感染については狂犬病、エキノコックス、牡蠣の食あたりなどで説明をしていったのだ。
そして予防法について説明しようとしたところで、来客があり話しを一旦中断することになった。
◆
清原業賢の伯父上が我々が話をしていた喜賢叔父の部屋に一人の男をつれて入ってきたのである。それは細川藤孝にとっての重要人物であった。
「ご免、米田求政です。与一郎殿、喜賢殿お久しぶりにございます」
米田? 今、米田と言ったか? あれか? もしかしてあの米田求政か?
イヤッフゥー!
細川三家老の米田がぁぁぁ、来たぁぁぁー!
(とある目薬のCMが好きでした)
米田求政は、のちに熊本細川藩52万石のNo.2家老となり、陪臣ながらも1万5千石を領した米田家の家祖となった人である。
(初名は「米田貞能」ですが、面倒なので最初から「米田求政」でいきます)
ちなみに米田は「ヨネダ」じゃなくて「コメダ」と読むのだ。どこかのコーヒー屋みたいな名前だが、どこかのコーヒー屋とは恐らく関係がないと思う。
コーヒーは飲むと胃が荒れるので俺はあまり好きではないのだが、どこかのコーヒー屋の「小倉あんトースト」は絶品だと思っている。あれはたまに食べたくなるのだ……安いしな――余談である。
「米田殿、与一郎は先日、頭を怪我したためなのか昔のことを覚えておらんのだ」
俺が嬉しさのあまりに心の中で踊りまくっていたら清原業賢伯父さんがフォローしてくれた。
「それは失礼をしました。改めまして、それがしは米田源三郎求政と申します。与一郎殿のお爺様であらせられる清原宣賢様やそちらの清原業賢先生の元で国学や漢学を与一郎様と共に学ばせて貰っておりました者になります」
「ご丁寧にありがとうございます。私のほうこそ昔のことを忘れておりまして大変失礼をいたしました。細川与一郎藤孝と申します。改めましてよろしくお願い申しあげます」
「それで源三郎殿、何用でありますのかな?」
挨拶が終わったところで喜賢叔父がツッコミを入れた。
「はい、近くまで来ましたので、業賢様に挨拶に参りましたところ、こちらで与一郎殿が医学を皆様から学ばれているとお聞きしました。それがしも医薬の家の者、できれば向学のために私もお話を聞けないかと伺いに参った次第です」
実は細川藤孝が歴史の表舞台に登場することになる15代将軍の足利義昭の興福寺脱出劇において、この米田求政が一役買っていたりするのだ。
松永久秀に幽閉されていた、当時「覚慶」と名乗っていた足利義昭の元に、医薬の心得がある米田求政が医者に変装して診察に訪れ、義昭の脱出の手引きをしたと云われているのである。
「与一郎が学ぶというよりは、今は与一郎がどこかで学んだという珍しい医学の話を聞いているところではあるがね。師匠さえよろしければ知らない仲ではないので、参加してもらおうと思いますが」
喜賢叔父は米田求政の参加に反対しないでくれた。
「私としては、米田殿にも是非参加していただきたいのですが……これから薬について調べたいと思っておりましたので、薬に詳しい方が多い方が助かります。むろん浄忠先生さえ良ければになりますが……」
俺は米田求政殿と仲良くなりたいんだー! 家老をゲットしたいんじゃー! と、すがるような目で坂浄忠先生を見つめる。
「これはこれは、お二人にそう言われてしまっては拙僧も反対はできませなんだ。それに与一郎殿の医学論について、他の方の意見も聞きたいと思っていたところなのでな、ちょうど良いわ」
「おお、ありがたき幸せ。あ、よければ皆さん。お土産代わりにこの三光丸はいかがでありますすかな? 大和に行ってましたので実家より頂戴してまいりました」
「おお、三光丸とは、これはありがたい」――喜賢叔父は喜んだ。
「ありがたいありがたい」――坂浄忠殿も喜んだ。
「わしにもくだされるのか助かるのう。では皆さんまた」
業賢伯父は三光丸を貰って喜んで部屋から出て行ってしまった。業賢伯父は医薬談義にはまったく興味がなさそうだった。
「米田殿ありがとうございます。なんとこんなにも頂けるとは――」
米田求政殿から三光丸を100粒も貰ってしまった。俺も大喜びで貰った御礼を言う。
だってあの三光丸なのよ? 三光丸は現代の日本でも配置薬として売られているのだ。この時代にあっても信頼のできる安全で貴重な薬なのだ。それをタダで頂けてしまったのだから、ありがたい事このうえない。
しかし米田殿もやるなぁ、お土産で歓心を得るとは、感心する……
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「三光丸」
三光丸の歴史は一説には700年以上前にも遡るといわれている。
大和の豪族である越智氏が西暦1300年代に作っていたという紫微垣丸がその元とされ、かの後醍醐天皇に献上したことによって「三光丸」の名前を賜ったとされる伝説がある。
戦国時代には「言継卿記」にもその名が記されているとてもメジャーな薬であった。
三光丸は生薬由来の胃腸薬であり、現代でも配置薬として堂々と販売されている、歴史と伝統のある薬なのだ。
――謎の作家細川幽童著「なんとなく医学を知ろう♪」より
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「喜んで頂けたようでなによりです。これからも三光丸が必要であればいつでもお声がけ下さい。それでは皆様の医学をありがたく学ばせていただきます。どうかよろしくお願いします」
こうして、医学の勉強会のようなものに新たな仲間、米田求政が加わった――コメモンゲットだぜい!
何やら新型コロナウイルスが怖い状況になってますが、
皆様、手洗い、うがいに除菌をこころがけて下さい。