第四十八話 池田家騒動(2)
【池田家騒動(1)の続き】
◆
勉学のあとは鳥の唐揚げを作ったので、宣賢爺さんたちと談笑しながら食事を楽しんでいた。
なぜか知らないが俺の過去をサカナに笑いながら食っているようだ。
俺にはその頃の記憶がないので他人事にしか聞こえないのだが、理不尽であることには変わりなく面白くはない。
笑われてばかりではつまらないので話題を変える意味で、山科卿の押領の件を持ち出した。
「山科卿から家領の年貢の未納の件で苦情が来ております。山科卿にはご助力いただいておりますれば、大御所様にも一言お伝え願えないでしょうか?」
「山科郷のことだな。分かった、大御所には申し伝えておこう。それと唐揚げをおかわりじゃ♪」
ちなみに唐揚げは安土桃山時代には技法が伝わり、江戸期には普及していたともいわれる。
自分のレシピは鶏肉に醤油で下味を付けているので竜田揚げに分類されるかもしれない。
そのうち蕎麦屋のメニューに加えるだろう。
「助かります。しばしお待ち下さい追加で揚げますので」
と、そこに沼田三郎左衛門が声を掛けて来た。
「恐れ入ります。常御殿より使いでございます」
「入るがよいぞ」
「失礼仕ります。大御所様が火急の仕儀にて公方様をお呼びでございます。常御殿までお越しくだされ」
大御所からの使いは実父の三淵晴員であった。
「親父、何かあったのか?」
「ああ、右京兆(細川晴元)殿の元に弾劾状が届いたのだ。それで京兆家屋敷が大騒ぎになっている。この御所にも注進があってな対応を協議することとなった」
この日、大御所は側近らと、のちの世に『天文の乱』と呼ばれることになる、伊達稙宗と伊達晴宗による奥羽の過半を巻き込みまくった迷惑極まりない壮大な親子喧嘩を調停するため、奥州へ派遣されることになった聖護院門跡の道増殿の送別の宴を朝から延々とやっていた。
そこに摂津の池田家のお家騒動の顛末と、三好長慶による三好宗三(政長)の弾劾の報が入って来たのである。
道増殿の送別の宴は池田家のお家騒動と弾劾状の対応について協議する場になってしまった。
朝からずっと宴をやっており、酒もかなり入っているので、協議の場はヒドイ有様となった。
「また三好如きが騒動を起こしましたか、忌々しい」
「せっかく洛中が治まっておるのにいたずらに世を乱すとは言語道断の仕儀よ」
「ここはあの憎らしい三好長慶を討伐するもよろしいかもしれませぬな、ぐわっはっは」
「おお、そうよ、そうよ」
「わしの槍先に三好の首級を掲げて見せましょうぞ」
うーん、相変わらず三好長慶の人気のない事よ。
ほとんどの者が三好長慶を非難する言動をしている。
ここで三好長慶を擁護したり、仲裁に動こうなどと提案したらどうなることやら。
ん? 我が主が可愛い顔で俺を見ているが、嫌な予感しかしねえ……
「兵部大輔、何か思うところがあるようだな、発言を許すゆえ申してみよ」
相変わらず空気を読まずに、我が主がスクリュードライバーをぶち込んできやがった。
俺が三好長慶を擁護するだろうことを分かっているのだろうか?
頼むからこんな空気の中で発言させようとしないでくれ……
でもまあ、無駄だとは思うが一応言うだけ言ってみるかな。
「はっ、こたびの池田家の御家騒動につきましては、右京大夫(細川晴元)様が池田信正殿に切腹を申し付けたことがそもそもの誤りであります。また三好越後守(宗三)殿の池田家への不躾な介入は、池田家の家中のみならず、摂津の国衆が異議を唱えることもしかたなき仕儀かと。ここは幕府が右京大夫様に忠告するべきかと思われます。これ以上騒動を広げぬよう、池田家中と三好長慶殿の言い分を聞き、可能であれば右京大夫様には三好越後守殿を隠居させるよう促し、騒動を治めるべく動くべきかと愚考します」
「貴様は右京大夫殿を非難するつもりか!」
「う、右京大夫様の裁定に異議を唱えるとは小僧が増長したかっ!」
「なんでおじゃるその失礼な物言いは!」
「三好宗三殿を隠居させろとはどのような仕儀か!」
「貴様は三好長慶の回し者か!」
「黙れこわっぱ!」
「与一郎! 分をわきまえよ、控えろ、控えるのだ!」
あ、あかーん、義父(細川晴広)にまで反対されてもーた、予想以上に旗色が悪過ぎる。
久しぶりに洛中が安定しているものだから、細川晴元のシンパが増えていやがったのか。
「も、申し訳ありませぬ。出過ぎた真似をいたしました。失礼して頭を冷やして参ります」
とりあえず逃げるとしよう。
公方様が俺を擁護とかしてくれたりしたら、さらにマズイことになりかねん。
「愚か者が申し訳ございませぬ。しかと言い含めますれば平にご容赦を――」
義父が皆に俺の言動を謝っている。
いつも迷惑をかける出来の悪い養子で申し訳ない……
◆
離れの縁側の下で正座して、義藤さまの帰りを待った。
――数刻後、義藤さまが戻り笑顔で俺を中に招き入れてくれる。
「少し出すぎたようであったな……」
「も、申し訳ありませぬ」
「そなたのことだから、何か考えがあっての言であるとは思うが、すまぬが詳しく説明してくれるか?」
「はっ、まず第一に池田信正殿に切腹を申し付けた仕儀は、摂津の国衆に疑念を抱かせ、動揺させることになりました」
「池田信正とやらは返り忠を行ったのであろう? 切腹は行き過ぎだとは思うが細川晴元が怒るのも無理からぬことではないのか?」
「勝敗は兵家の常であります。戦の当初、畠山尾州家と細川氏綱方の攻勢が強く、摂津の国衆はお家を守るためにやむを得ず氏綱方に鞍替えしたものが少なくありません。返り忠を理由に池田家が処断されるのであれば、ほかの摂津の国衆が自らにも罰が及ぶと考えても仕方なきことかと。それゆえ摂津の国衆は池田家中を擁護し、それを後見する三好長慶を支援しているものと思われます」
「ようするに池田信正の切腹は他の摂津の国衆にとっても他人事ではないということだな」
「左様であります。さらに池田信正は四国衆の援軍により大勢を挽回した三好長慶に対して降伏、開城しております。三好長慶の仲介により池田信正は晴元に帰参しておりますれば、三好長慶は池田家の保護者としての立場を有します。それゆえ池田信正の切腹は三好長慶の面目を潰すことにもなったのです」
「そなたの言うことはもっともだと思うが、だからと言って三好宗三を隠居させろというのは話が飛躍し過ぎて無理筋にあたるのではないか?」
無理は承知だけど、恐らくそれ以外で三好長慶は納得しないんだわ。
「三好宗三は池田信正の義父になり、池田家の家督を継ぐことになった池田長正の外戚(母方祖父)になります。恐らくは細川晴元の意向もありましょうが、池田家の外戚の立場を利用し本来は池田家中で対処する問題にまで手を突っ込み、勝手に裁定していたと聞き及んでおります」
池田家中の親晴元派、親三好宗三派と組んで三好宗三は好き勝手やったらしい。
池田家を完全に晴元の言いなりになるよう、三好宗三の旗下に組み込もうとしたのだろうが、露骨にやりすぎたわけだ。
「それで池田家の者が三好宗三と対立してお家騒動になっているということか?」
「三好宗三が池田長正の外戚としてまっとうに後見し、池田家を守り立てていけば問題とはならなかったものと思われます。こたびの摂津池田家におけるお家騒動は明らかに三好宗三の失策、三好宗三派は追放され池田家中は反宗三派でまとまったと思われます」
「それゆえ、三好宗三に責任を取れということか?」
「それだけではありませぬ。この問題はすでに三好家の問題へと発展しております」
「三好家の問題?」
「10年前の騒動は覚えておりますでしょうか?」
「10年前とは?」
「三好長慶が三好宗三が所領とする河内十七箇所の代官職を求めて挙兵した騒動にございます」
「ああ、もろん覚えておるぞ。わしもその騒ぎで北の八瀬の地に赴いたのじゃからな……」
ん? 何か義藤さまが訴えかけるような目をしている……なんだろう?
「義藤さま、何か私の話で分からないところでもありましたか?」
「い、いや……大丈夫じゃ、続けてくれ」
「10年前は三好長慶の力も弱く、振り上げた拳を納めて和睦しましたが、細川晴元の下にあっては庶流にすぎない三好宗三が三好家の嫡流である三好長慶より立場が上位にあり、庶嫡が逆転しております。10年前に比べ力をつけた三好長慶の家中にとっては庶流の三好宗三が如きの下で、いつまでもこき使われることは納得できぬことでありましょう」
もしかしたら三好長慶は我慢ができるかもしれないが、恐らく出張ってきている三好之虎や十河一存などが文句を言っているかもしれない。
「三好家にもお家騒動があるということだが、池田家の騒動に便乗して三好宗三を貶めようというのは、あまり感心したことには思えぬが?」
「たしかに無理筋ではありますが、そもそも細川晴元が三好長慶をしかと引き立てていればかような問題にもならなかったものと思われます」
「おぬしも三好長慶と同じく細川晴元殿が嫌いなようであるな」
「恐れながら、細川晴元は京兆家の当主としてはいささか器量に欠けるものと存じます」
「……わし以外の者の前ではかようなことは申すでないぞ。そのような言動が広まればわしでもそなたを庇いきれぬかもしれぬ」
「失言でありました」
「それでお主の言うように三好宗三を隠居させればこの問題は解決するのか?」
「三好長慶は主君の細川晴元ではなく、君側の奸である三好宗三を弾劾しておりましょう。三好長慶と細川晴元の和解はまだ可能かと存じます」
「しかし三好宗三は細川晴元のお気に入りの近臣じゃ……細川晴元が三好長慶の要求を拒否すればどうなるとそなたは考えるか?」
「三好長慶は挙兵し……京兆家は崩壊するでしょう――」
なんとか更新できたけど……話がうまくできない




