第四十七話 吉田雪荷(2)
【吉田雪荷(1)の続き】
◆
さて米田ブートキャンプで新参者はヘロヘロになっている頃合だろう。
特別美味しい飯を作って出迎えてやろうかな。
メニューは斎藤利三の部隊が山で狩りまくった鹿肉のハンバーグに、鳥のから揚げをメインにいつもの鰻重や蕎麦に、おやつにもみじ饅頭もたくさん作ってあげた。
酒も奮発して清水の神酒を振舞ってやるつもりだ。
訓練でくたばっているところで、美味しい物で胃袋を掴みやさしくしてあげれば、忠誠心もぐっとあがるという寸法である。(ワレを神と崇めるがよいぞ)
「五郎八(金森長近)好きなだけ食ってよいからな」
「ういーっす馳走になりやーす。いやあ淡路細川家の何が良いって、いつでもこの極上の飯が食えるところでありますなぁ」
「五郎八が育った金ヶ森は一向衆徒の町のはずだが、肉食は大丈夫なのか?」
「はぁ、一向宗の幹部連中なんざ平気で肉も酒も女もたらふく食っておりましたぜ。まさに生臭坊主でありますなぁ」
「肉はいくらでもあるからな生臭坊主に負けないよう、たらふく食ってくれてよいぞ」
「ういっーす。このはんばーぐというものは初めて食しましたが絶品でありますな。いくらでも食えるってもんでさ。それに酒も最高ですわ。これで女でもいれば文句なぞ全くありません」
ちなみに金森長近は82歳の高齢で子供をもうけた、生粋のエロ爺であり、老いて盛んというか、とんだハッスル野郎だ。
「女か……まあ金は出してやる。洛中へ戻ったら上等の商売女を買ってもよい。だが、夜鷹や辻女ではなくしっかりした傾城屋に行ってくれよ」
夜鷹や辻女は街角で客待ちをする『街娼』や『たちんぼ』といわれるいわゆる売春婦で、『傾城屋』はのちの吉原などにみられる『遊郭』の原型のようなものだ。
室町幕府も足利義晴が傾城局に御触れを出して、遊女の統制や税の徴収を図っていたようである。
「本当ですかい。いやぁ話の分かる御大将の元で働けて幸せだなぁ、ですが傾城屋ではえらく金がかかりますがよろしいので?」
「うむ。巷では梅毒という性の病気が流行っていると聞く。大事な臣下がそんな病にかかるぐらいなら、軍資金はいくらでも出すから評判の良い店に行って欲しい」
「いやあ本当にふとッ腹な御大将だ。この五郎八、受けた恩は必ず返しますので期待してくだされ」
「うむ、期待させて貰おう。それと俺は遠慮しておくが、利三などの若い連中も一緒に連れて行って裏町の仕来りを学ばせてやってくれるか?」
「ガッテン承知の介! 若い者に天国を見させてあげやしょう」
「うむ、それと五郎八には任務を与える。今後も夜の街での情報収集は五郎八に任せるゆえ精々励んでくれ」
「それは仕事で女郎通いをしても良いということでありますかな?」
「うむ。行く前には声を掛けてくれ軍資金を持たせるからな」
「ああ、はやく洛中に戻りたいでござるー」
「まずは鍛錬をしっかり頼むぞ。しっかり鍛えた男はさぞやモテるであろうからな」
「ういっす! みっちり鍛えて京娘をメロメロにさせてご覧にいれましょう」
金森五郎八はなかなか愉快な男で心配はいらないな。いい意味でムードメーカーにもなってくれるだろう。
さて、問題はかの本能寺な男だが、心配していたのだが米田源三郎とはうまくやっているようだった。
うちの光秀くんには無駄な教養がまだないため、あまり源三郎とはぶつかっていないようだ。
現時点では源三郎の方が圧倒的に知識が豊富なため、うまく教えを受けながら付き合っており問題なく鉄砲隊の指揮権を引き継いでくれそうである。
残る問題は米田是澄にやらせている硝石の培養法であるが、こちらも特に問題はなさそうであった。
硝石作りは角倉家が力を入れてくれており、当主の吉田光治の叔父である堀紀兵衛殿が乗り込んでガッツリやってくれている。
米田弟も角倉家も医学薬学の知識が豊富であるため硝石作りには持って来いの人材だ。
準備も予定通りに進んでおり、これなら3年後には培養法による硝石が手に入りそうな感じである。
北の領地でやるべきことは概ねうまくできているので、源三郎に引き続き指揮を任せて洛中に戻ることにする。
六角義賢の用事をこなすためと、あまり洛中を留守にすると寂しがりやの義藤さまが駄々をこね始めかねないので早々に帰らないといけない。
お土産に鹿肉を持って帰り、ハンバーグでもご馳走すれば食いしん坊将軍のご機嫌はとれるであろうからな――
◆
「う、うまうまじゃ〜♪」
「これはうますぎるだろ!」
ジビエとか気取ったことは言わないが、鹿肉で作ったハンバーグはなかなか美味しく義藤さまにも好評だった。
人力で肉をひき肉にした、肉だけハンバーグに目玉焼きをのせて醤油をかけたロコモコ風なハンバーグであり、現代のハンバーグを知るものとしては味付けに物足りないものを感じるが、まあこんなものだろう。
ハンバーグにはつき物のタマネギもケチャップもこの時代では手に入れようがないからな。
ちなみにハンバーグの起源は18世紀のドイツといわれている。
タマネギが日本に入ってくるのは江戸時代末期で食用になったのは明治の頃だったりする。
ケチャップも同じく日本に入ってきたのは明治になるので、あきらめるしかない。
ハンバーグを改良するとすれば、冬になったらダイコンおろしで和風ハンバーグが良いかもしれない。
「して、義藤さま。六角家の嫡男である四郎義賢殿の依頼の件ですが、話をすすめてもよろしいでしょうか?」
「うん? たしか弓術の相伝がどうとか言っておったな」
「はい。近江川守の吉田家は日置流弓術を起こし、当代は吉田助左衛門重政殿になります。日置流はその奥義を一子相伝の技としているのですが、主君の嫡子である六角義賢殿がことのほか弓術にのめり込みまして、一子相伝の奥義を我が手にしたいと、吉田重政殿に詰め寄っております」
「ふむ、吉田家は家業と主君への忠義で板挟みになっておるということだな?」
「左様です。重政殿は六角家からの出奔まで考えていたようでありますが、縁あって私が相談にのり、今のところ出奔は思いとどまっております。対策として奥義を六角義賢殿に相伝した上で、改めて六角義賢殿から重政殿の嫡子である吉田重高殿に辺伝することを提案いたしました」
「それであれば奥義も相伝でき、主君への忠義も尽くせることで安心できるということであるな……それで何が問題であるのだ?」
「重政殿が心配しておりますのは、六角義賢殿が奥義を我が物として、吉田家に返さず自己の物としてしまうことを恐れております」
「ああ、そういうことか。そこでわしが六角家と吉田家を仲介し、六角義賢殿に吉田家にしかと奥義を返すことを誓約させれば良いということだな?」
「ご明察恐れ入ります。公方様が仲介の労を取っていただければ、重政殿も安心して義賢殿に伝授することができるとおっしゃっております」
「ふふーん、六角家にも吉田家にも恩が売れるなどと思っておるな? お主もなかなか悪よのう」
セリフがなにやら悪代官っぽいが、れっきとした将軍様である。
「次代の佐々木六角家の当主となる六角義賢殿と公方様との間に個人的な恩義が作れることは悪くない話でありましょう。それに吉田家は六角家の武の要、六角家と吉田家が仲違いを起こし、六角家の戦力が落ちることは避けたくあります。これはどなたにとっても良い話になるかと存じます」
パンっ! 扇いでいた扇子を勢いよく閉じて、我が主が命じる。
「相分かった! 委細はその方に任す。うまく取り計らうがよい」
「ははっ」
六角義賢は後年、三好長慶と和睦した足利義輝の政権に対して兵を挙げたり、義輝の死後には足利義昭の上洛に協力しなかったりするなどしている。
基本的には協力関係にあり、足利義晴を本拠である観音寺城下に数年間匿った六角定頼と、その定頼を管領代にまで任じた足利義晴との関係に比べると、足利義輝と六角義賢の関係は少し弱かったのではないかと思われる。
この日置流弓術の件で六角義賢と公方様が親交を深め、史実では弱かったであろう信頼関係を厚くすることができれば、これは幕府にとって大きな力となるに違いない。
公方様の許しが出たので、さっそく六角義賢殿や吉田重政殿に上洛を促す早馬を送り、歓待の準備もすすめることにした。
日置流吉田家の同族である角倉吉田家に協力を仰ぎ万全の準備をして、六角義賢殿一行を出迎えることにする。
六角義賢殿も日置流の相伝の件では気を揉んでいたのであろう、すぐさま吉田重政殿を伴って上洛して参った。
今出川御所にほど近い相国寺を宿にしてまずは六角家の歓迎の宴を開いた。
「おお兵部大輔(藤孝)殿、こたびは公方様への仲介の労痛み入る」
「我が淡路細川家も元は佐々木の一族であります。佐々木の宗家であらせられる左京太夫(義賢)殿にご助力することが出来嬉しく思いまする」
『佐々木』だったり『細川』だったり、淡路細川家ってどっちにでもなれる便利な家だわ。
「そうであったそうであった。我が佐々木の一門に兵部大輔殿が居てくれたことを嬉しく思うぞ。これからも同族としてよろしく頼むわ」
「はっ。佐々木一門と申せば、今宵の宴は角倉吉田家が差配しております。角倉吉田家も佐々木の一族にございますれば、この機会に吉田与左衛門光治殿を紹介させていただきたくお願いいたします」
「おう、同じ佐々木一門であれば歓迎するぞ。是非紹介していただこうか」
「ありがたき幸せ。与左衛門殿お許しを得ましたぞ。こちらにて左京太夫様にご挨拶を」
「嵯峨野にて酒の商いをやっております。角倉屋の吉田与左衛門と申します。今宵左京太夫様に御意を得られましたこと、佐々木一族として嬉しく思います。これを縁として我が角倉屋を懇意にしていただきたくお願い申し上げます」
「今宵の酒も角倉屋の酒であるのか? なかなか良い酒である。同族の誼もある。今後は懇意にすることを前向きに考えてしんぜよう」
「ありがたきお言葉でございます。ささ、左京太夫様もう一献」
「おう」
この機会に六角家を紹介して角倉吉田家にも恩を売っておくわけである。
同族とはいえ機会がなければ商家の当主では、佐々木六角家の嫡男にお目通りは簡単にできるものではないからな。
淡路細川家に日置流吉田家、角倉吉田家という非常にマイナーな佐々木一族が集う今宵の宴は、金に物を言わせて豪勢にやりまくった。
六角義賢は終始ゴキゲンであり上手く行ったとは思う。
ちなみに費用の大半は角倉吉田家に出させているので、別に俺の懐は大して痛んでいない。(これ大事)
◆
翌日、公方様や大御所に御供衆や走衆などの奉公衆の面々に、主賓の六角義賢殿とそのお供を連れて東山の吉田神社へ向かった。
せっかくの機会なので幕府の行事として、吉田神社の神事として、弓術の一大イベントを開催してしまったのである。
無論費用は吉田神社の全額負担であるが、吉田神社の権威付けのためか吉田兼右叔父は喜んで出してくれた。(俺の懐が痛まないのが大事)
大御所と公方様を吉田神社の神殿に迎え入れ、神酒拝戴式から始まり、まずは騎射の儀式である流鏑馬からイベントは始まった。
取り仕切るのは武田流弓術の武田刑部大輔信実であり、まず一番手として登場し見事に騎射を決めていった。
実はこの武田信実は若狭守護武田信豊の弟であり、安芸武田家の9代目で最後の当主だったりする。
安芸武田家の滅亡後に出雲で死んだとされていたが、最近の説では生き延びており上洛して奉公衆として足利義輝・足利義昭に仕えていたとされている。
(定説とは違うのだが、細川藤孝の武田流弓術の師は在京することの多かったこの武田信実であると考えている)
武田信実に続いて弓自慢の奉公衆も流鏑馬に参加して儀式は大いに盛り上がっている。
大御所も吉田兼右叔父の酌を受けながら、豪快に酔っ払って喜んでいた。
続いては同じく騎射の儀式である笠懸だ。
こちらは小笠原弓術の小笠原稙盛殿が差配しており、やはり一番手で見事に射抜いていった。
だが本日一番盛り上がったのは、満を持して登場した公方様による笠懸の騎射であろう。
マジメに小笠原稙盛殿から弓術を学んでいた我が主の腕前は中々のものであり、力強さはないが実にしなやかな良い騎射を見せた。
うん、下手すると俺より上手いかもしれない。
笑顔というかドヤ顔で戻って来た公方様を労いながら手ぬぐいを渡す。
「藤孝、どうだ見事であったろう」
「はっ、我が主の腕前に感服いたしました」
「ふふーん、次はそなたの番であるからな、楽しみにしておるぞ〜♪」
ちくしょう、可愛い顔して余計なプレッシャーを掛けてくれやがりよってからに……
北の山中でアンブッシュして動物を狩りまくった俺の腕前を見せてくれよう。
流鏑馬と笠懸に続くのは、本日のメインイベントで歩射の儀式である百々手式である。
本日は趣向を凝らして、日置流と奉公衆との対抗戦になっている。
六角家・日置流から六角義賢と吉田重政を中心とする弓自慢が10人出場し、奉公衆の弓自慢10人と対決するわけである。
その奉公衆10人の中になぜか俺も居たわけだ……
10人の射手が10本射って命中の数を競う。
本来の神事である百々手式とは違うのだが、余興なので気にしてはいけない。
弓術を極めたいという六角義賢の腕前は見事なものであり、吉田重政にその嫡男の吉田重高と、さらには弟の吉田重勝を揃えた日置流に対して、奉公衆側はものの見事に惨敗した。
俺? うん戦力にならずに公方様に笑われた……
諸々の儀式が終了し、流鏑馬や笠懸、百々手式で結果の良かった者に対して公方様からお褒めの言葉と、下賜品が手渡された。
下賜品は吉田神社から提供された吉田の神酒に神棚である。
吉田兼右が本日の弓術大会に協力した理由はおわかりになったであろう。
完全に宣伝目的で、神棚普及活動の一環にしていた。
儀式の締めくくりは日置流の奥義の相伝である。
六角義賢と吉田重政とその嫡子の吉田重高が公方様の面前に着座し、日置流の奥義を吉田重政から六角義賢へ相伝し、六角義賢が習得したのちは吉田重高へ奥義を辺伝することを誓約した。
公方様からも日置流の相伝に関して御内書を発給し、日置流の相伝は将軍の公認するものとなったのである。
(御内書は本来将軍の発給する私的文書であったが公的な性格も持つようになっていた。本来の将軍の公的文書は御教書になる)
将軍に大御所、さらには満座の奉公衆が居る中での誓約であるので、六角義賢が日置流弓術を私物化する心配はないであろう。
というか六角義賢は公方様に日置流の相伝者と公認され感涙していたぐらいだしな。
夜には今出川御所に戻って宴会を行ったが六角義賢は終始ゴキゲンであり、日置流の相伝の仲介は成功裏に終わったといってよいだろう。
六角義賢の支援を受けたい俺としてはこの結果に満足していたのだが、それ以上の幸運が俺のもとに舞い込んで来たのだ。
宴会の最中に吉田重政殿から感謝の言葉を述べられ、予期せぬことを言われた。
「これなるは我が弟にて六左衛門重勝と申します。兵部大輔殿にはお見知りおきのうえよろしくお引き立てお願い申し上げます」
「六左衛門重勝に御座います。この吉田重勝、吉田家の危機を救ってくださりました細川兵部大輔様に生涯の忠誠を誓いまする。なにとぞ配下にお加えいただきたく伏してお願い申し上げます」
そんなもの諸手をあげて歓迎するに決まっている。
こうして後世、日置流雪荷派の創始者となる吉田雪荷(重勝)を配下に迎えることになり、我が細川家の弓隊が劇的にパワーアップすることになる。
思ったより話が長くなってしまった(最早いつものこと
昨日あげるつもりが間に合わなかったー
六角義賢とも仲良くなり、東は大分固まった
弓術のプロも捕まえて、配下武将も大分揃ってきた
そして敵が動き出す……
プロットの倍以上かかっている進みの遅い作品ですが
応援よろしクワガタ




