第四十七話 吉田雪荷(1)
天文十七年(1548年)7月
領地である小出石村にさらに追加で募集した郎党を引き連れて向かった。
合計すると兵の数は300にはなったが、正直いって今の現金収入だけで賄う兵としてはこの辺が限界だったりする。
古知谷での開墾や狩りもさせているが兵は基本的には無駄飯ぐらいであり、メープルシロップを基本とする今の収入では厳しいものがある。
これ以上の兵を揃えるには、無駄飯ぐらいの兵をなんとか使って別の収入を得ることを考えねばなるまい。
古参の兵は斎藤利三に狩りをさせ、新参の兵と家臣は恒例の米田ブートキャンプ送りである。
金森長近も明智光秀も漏れなく強制参加である。
こいつらは恐らく十分強いとは思うのだが、肉食による肉体改造と米田鬼軍曹の精神力強化を受ければ、さらに強くなって戦国無双並みに一騎当千にでもなってくれるかもしれん。(そんなわけない)
それに我が淡路細川家の家風というか、洋風で行う調練にも馴染んでもらわねばならんからな。
米田鬼軍曹がやり過ぎてイジメになっても困るので、光秀には俺がなるべく付いて指導をしていこう。
主力になるであろう鉄砲隊を任せるので、鉄砲隊の運用方法で考えていることもおいおい教えていこうと思う。
変な化粧をして『殺し間』にようこそとか言い出しては困るので、普通に鉄砲の十字砲火の有効性や火力の集中の有効性、アンブッシュにおける迷彩ボディペインティングの有効性なども光秀には教えておこうと思うのである。
「それがしの使命は愛する我が細川家のウジ虫を駆除することである! 分かったか、このクソ共が!」
いつもの調子で米田鬼軍曹が元気に指導を始める。
最近思うのだが、絶対に源三郎のヤツはノリノリで楽しんでやっているよな。
「さー! いえっさー?」
「ふざけるな! 大声をだせい! 金○マ落としたかぁ!」
「サー! イエッサー!」
「そこのお主、名はなんと申す」
「金森五郎八であります! 米田軍曹? どの!」
「気に入った。屋敷に参って妹を手篭めにしてもよいぞ」
米田源三郎に妹なんていたっけか? などと深く考えてはいけない。
てきとーに俺が教えたセリフを言っているだけなのである。
とりあえず金森長近らの新参どもには地獄を見てもらおう。
海兵隊式訓練に肉食による体質改善、現代式部隊運用法の習得で部隊の質を劇的に上げていくぞ。
残された時間は少ないからな。
「与一郎様、お客人でありやす」
訓練を監督していたところで、中村新助から声を掛けられた。
客人は呉服商の茶屋明延であり、茶屋殿には大垣から運んできた石灰と、京で集めて貰った古着を小出石村まで運搬して貰っていた。
商家の当主である茶屋明延にわざわざ小出石村まで足を運んでもらったのは頼みたいことがあったためだ。
「何やらよいお話をいただけるとか」
小出石村の屋敷でお茶をいただきながら商談に入るとする。
「ええ。茶屋殿には大垣の御料所の又代官をお願いしたく思っております。さしあたって我が淡路細川家と三淵家、(京都)小笠原家が管理する御料所の代官になりますが……三淵家と小笠原家の了承はすでに得ております」
いずれは大垣の御料所全域の又代官をお願いしたいとも思っている。
正直、アホな幕臣に任せるよりも豪商に領地の管理は任せた方が安心ではないかと思っている。
豊臣秀吉も徳川家康も倉入地や天領の代官に豪商をあてていたりするからな。
それに切実な問題として、ただでさえ少ない戦力を大垣に貼り付けて置く余裕がない。
「それは有り難いお話ですが……」
「それと石灰を運んで頂きましたが、美濃大垣にあります金生山で石灰鉱山の経営もお願いしたく考えております」
「あまりに良いお話すぎて、何か見返りを求められるのではないかと勘ぐってしまいますが」
「条件はあります」
「お伺いしましょう?」
「まずは信濃守護家たる小笠原家との仲介をお願いいたします」
吉田神社の伝手にて入手したての情報なのだが、先週に信濃の深志城主である小笠原長時が武田信玄(まだ晴信)にボッコボコにされたそうだ。
恐らくは史実でいう『塩尻峠の戦い』であり、近いうちに信濃小笠原家は崩壊するであろう。
茶屋の本姓である中島家は元々小笠原家の血筋の家柄であり、小笠原長時とは親交もある。(諸説あります)
ボロボロになった信濃小笠原家は越後の長尾景虎を頼り、その後に同族である三好(阿波小笠原)家の三好長慶を頼って上洛するのだが、ようするにそれを阻止したいのである。
正直、小笠原家などたいした戦力にはならないとも思うのだが、それでも三好家に行ってしまう戦力を少しでもこちらに取り込めることは悪くないだろう。
まだ一応は信濃の地で小笠原家はギリギリ頑張っているので、小笠原家は滅びます、とは茶屋殿には言えないのだが、どうせすぐに滅ぼされるので、この先落ちのびて来る小笠原一族を大垣に迎え入れることができれば多少の戦力にはなるだろう。
「問題ありません、小笠原家はかつての主筋にて今も懇意にしておりますれば」
「頼み申す。次に古着と石鹸の商いのお手伝いをお願いしたくあります」
「はぁ、古着は伝手もありますので問題ありませんが、石鹸でありますか? 薬屋で商っているのは存じ上げておりますが」
見てもらったほうが早いので中村新助に古着と固形石鹸にタライと、用意してあった洗濯板と火熨斗を持ってきて貰う。
炊事場に移動して古着の洗濯の実演を行い、その汚れ落ちを見てもらい、仕上げにクシャクシャの古着を火熨斗を使ってアイロン掛けする。
「どうですかな?」
我ながら、この時代の古着にあっては極上品になったと思うのよ。
「ええ、なかなかの仕上がりかと」
この時代の衣服はかなり貴重品であり、古着も古手屋と呼ばれる今のリサイクルショップのような店で普通に売られており実は立派な商品になったりする。
江戸時代には北前船の交易品の中にも古着があり東北や蝦夷地まで運ばれ売られている。
また江戸の町では古着屋街が形成されるほど人気商品だったりする。
産業革命が起こる時代までであれば、古着は十分に商いになるのである。
若狭小浜の組屋が仕入れたオカヒジキを小出石村に運び入れ、そのオカヒジキと石灰を使って固形石鹸を作る。
さらにその石鹸を使って古着を洗濯し、綺麗になった古着をさらにアイロンで仕上げて日本海交易に従事している鼠屋を通じて東北や蝦夷地で売りさばいてもらおうという魂胆である。
洗濯板は簡単な構造なので木材の端材から兵に作らせている。
洗濯板はこれが想像以上に登場が遅くて、中国で生まれヨーロッパで流行ったのちに、日本に持ち込まれたのは大正時代になってしまう。
それまでの日本ではもみ洗いであり、江戸時代には洗濯板すら無かったりするのだ。
火熨斗は京の釜座に無理を言って作って貰ったのだが、ようするに現代でいうアイロンになり、江戸時代から使われだしている。
火熨斗も洗濯板も構造が簡単なので単体で売り出すとまず間違いなくコピー商品が作られ、正直儲けられる期間は短いだろう。
それなら売り出す前に自分らで使ってクリーニング業で十分儲けてから、あらためて商品で売り出したほうがマシだと考えたわけだ。
古着のクリーニングは手すきの兵にやらせるので、無駄飯ぐらいの兵隊が少しでも食い扶持を稼いでくれれば万々歳である。
御料所の又代官
金生山の石灰石鉱山の開発
美濃における石鹸の製造販売
古着の仕入れ
将来の洗濯板と火熨斗の販売権
室町幕府への御用呉服店としての推薦
将来の羽根布団の製造販売の権利
茶屋に委ねるのはこのようなものであるが、これだけの利権を与えてズブズブの関係になってしまえば早々に裏切られるものではないだろう。
大き過ぎる儲けは相手を縛ることもできる。
それに加え商売に必要な幕府の奉行人奉書を得るための口利きも可能だ。
茶屋明延には諸手をあげて喜ばれたが、いずれは貸しを大きくして返してもらうつもりなので、精々今のうちに喜んでおいて欲しいものだ。
後日、一緒に大垣に向かい金生山の開発と又代官の件の調整を大垣で行うことも約束して笑顔で別れた。
主目的は後世に「京の三大長者」のひとつとされ、徳川家の政商として名をあげる茶屋家を、いち早く足利将軍家の政商として抱え込んでしまうことなので、とりあえずは上手くいきそうで何よりである。
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【吉田雪荷(2)へ続く】
なんとか前半部分が書きあがりました
後半部分も近いうちに上げたいと思います
いつも応援ありがとうございます
皆様のおかげで書き続けられていますので
引き続き声援を貰えると嬉しいです




