第四十六話 祇園祭り(2)
◆
「慈照寺は静かで良かった、洛中は何かと忙しくてかなわん」
「左様ですなぁ」
「じゃが昨日のお主は楽しそうにしておったではないか」
「昨日? ああ連歌会ですか」
「わしには連歌の何が楽しいのかさっぱり分からぬがな」
「さっぱり分からないのは困りますが、私もそれほど楽しかったわけではありませぬ」
昨日もつまらぬ連歌会に付き合わされて、そういえば俺は細川藤孝なのだから連歌会をツマランとか言っていたらダメだった。
連歌は細川藤孝の大事な教養の一つであるから、マジメに取り組まねばならないものなのだ。
「そうなのか? さすがは清原宣賢公の孫じゃと褒められて悦に入っておったように見えたがのう」
「悦に入るなどとは人聞きの悪い。ですが、義藤さまも少しは連歌を習いませんか? 宣賢爺様も公方様になら喜んで教えたいと申しておりますが」
「連歌など習ってどうなるものでもあるまい。わしがするのは連歌会の発句ぐらいなものであろう? そんなものは歌の心が分かるであろうそなたが代わりに詠んで用意すれば済むではないか」
(連歌会は簡単に言うと大人数で後世の俳句みたいなものを順番に詠んで行くものです。その歌の繋がりの上手さや、古典の引用などを評価したりします。基本的には文化交流して人脈を作ったりするのに使われました。将軍も参加したりしますが、大体はその起点となる最初の歌である初句を贈るだけで済ませたりします)
「まあ、そうなんですが。連歌の楽しみが分かれば連歌会に参加するのも楽しくなるかと」
「こころみに聞くが連歌の楽しみはどうすれば分かるのだ」
「それは古典にあたることです。まずは古典の知識がなければ何が上手いのか分かりませんから」
「……結局お主はわしに勉強しろと言いたいのであるな」
「申し訳ありません。清原家からは公方様の国学の師として、さっさと招聘しろとせっつかれております」
国学や和歌を学べば、連歌が上手くなるというわけではないが、学ぶことは箔付けにもなるので損はないと思う。
俺も細川藤孝の歌の箔付けのために少し早いが動いてもいいかもしれない。
「別に構わぬぞ、そなたの紹介なら悪いことにはなるまい。清原家にはわしが招きたいと言っていたと伝えておくがよい……じゃがこうも宴や行事に付き合いが続くと学ぶ時もつくれぬがな」
先日の祇園祭の見物以来、連日なにかと忙しい。
宴や幕府の行事に、連歌会、蹴鞠、武家やら公家やら寺社やらの挨拶、ここ2,3週間そんなものばかりだ。
公方様が洛中の今出川御所へ戻ったことで、思い出したかのように行事が降って湧いて、嵐のような有様である。
これが本来の幕府であると言いたげに政所も忙しそうにしている。
式典などに力を入れたところで幕府の権威など回復しないと思うのだが、伊勢貞孝や細川晴元はそうは思わないのであろう。
付き合わされる方はかったるいだけなのだが……
「本当にこうも忙しいと何もできませぬな」
「お主は何かしたいことでもあるのか?」
「そうですね、兵の補充に兵の調練、兵糧の買い付けなどですね」
「何か戦でも始めるつもりに聞こえるのう」
「私にその気がなくとも戦は起こりますので」
「戦になるというのか?」
正直、いつ戦が起こるのかまで全ては詳しく覚えてはいない。
だが、この先の歴史の流れはだいたいであるが分かっている。
分かっているなら対処しろと言われそうだが、実際は手が出せる問題ではないのである……専制者として力を持つ細川京兆家内部の問題に口が出せる者などは、実はこの時代の幕府には居ないのだ。
公方様だろうが、大御所だろうが出来ないことを、今の俺にできる訳がない。
「私ができるのは戦になった時に義藤さまをいかに守るかを考えること。そのためには兵が必要ですし、護衛の手段も考えなくてはなりませぬ」
「そんな事態が来るというのか?」
「この先来るかもしれないという話です。転ばぬ先のなんとやらで、今のところ幕府は安定しておりますのでそこまでご心配なく、ただ護衛を増やす件はお考え下さい」
未来予知などしても誰も信じないし、ろくなことにはならんものである。
「わしの護衛というと近習を増やせという話であったな」
「はい。是非とも近習の数を増やすことを早急にお考え下さい。洛中は慈照寺とは違い人の出入りが多すぎます。正直、義藤さまの身辺が心配で、私はおちおち遠出も出来ませぬ」
「どこかに遠出をする用事でも出来たのか?」
「領地へ――小出石村や大垣へ行きたいだけです。数日で帰って来るような用事ですが」
義藤さまが心配しないように、すぐに帰ってくることを伝える。
表情を見ればそれは成功したようである。
「そなたには信頼できる近習の当てはあるのか?」
「私もそうですが、近習を増やす手段としては重臣の子などが手っ取り早いものです」
「そなたが信頼にたるという人物なら近習に取り立てるにやぶさかではないが、誰ぞを挙げるつもりなのだ?」
「まずは我が兄である三淵藤英と飯河山城守信堅、荒川治部少輔晴宣殿を御部屋衆に取立て願います。それと番衆の沼田三郎左衛門(光長)に沼田弥七郎(統兼)兄弟を走衆として取立てが可能なら是非に」
沼田兄弟は俺の烏帽子親になって貰った沼田光兼の子というか、史実では義理の兄であり(細川藤孝の妻、沼田麝香の兄)、荒川晴宣と飯河信堅も沼田光兼の娘婿で、沼田家繋がりの身内だったりする。
ここで挙げた全員が、史実では足利義輝に殉じたか、足利義昭の代まで仕えているので忠誠面ではまったく問題はないと思われる。
ただし能力の面では若干の不安はある。
足利義輝とともに永禄の変で討たれたということは、逆に言えば足利義輝を救えなかったことでもあり、足利義昭の代の幕臣など幕府を滅ぼした輩でしかない。
極論すれば、そもそも室町幕府の幕臣で後世に大名になれた有能な者などは、『細川藤孝』しかいなかったとも言えるのだ……幕府内で人材を探すのは結構アレだったりする。
結局、史実では沼田家も荒川家も飯河家も細川藤孝に家臣として仕えることで何とか幕府崩壊後を生き延びたに過ぎないのだ。
「その者らであれば、わしにも異存はないが、あまり身内贔屓が過ぎると、妬む者も出るのではないか?」
「身内しか信頼できる者がおりませんので、背に腹は変えられませぬ」
身内しか紹介できないことは、情けないことであるがしょうがあるまい。
それに身内人事で妬まれることになったらなったで、俺が恨まれることで義藤さまの安全が買えるなら安い買い物だとも言えるだろう。
「分かった、大御所と相談しよう」
信頼出来る者として身内しか推薦できない俺を我が主は笑うことはなかったが、身内以外で信頼出来る者がただ一人だけ居ることは居る。
「義藤さま少し失礼します。松井新二郎殿! 上がられよ」
「はえ?」
いつもどおり外に控えていた松井新二郎が俺に急に呼ばれてまぬけな声をあげる。
松井新二郎は慈照寺から洛中に公方様が動座しようが、変わらず毎日護衛に勤しんでいる。
「ほかに私が自信を持って推す者は、この松井新二郎になります。是非とも近衛家に話を通し、直臣として足軽衆に取り立てをお願い申し上げます」
新二郎はいきなりの話でおろおろしている。
義藤さまは、そんな新二郎に優しい眼差しを向けていた。
「そうだな、新二郎ほど信頼できるものは居ないだろう。父上にも母御前もわしのワガママなら聞いてくれるだろう。すぐに直臣に取り立てるよう取り計らおう」
「松井家に与える領地が必要でありましたら、私の方で用意が可能です」
「ん、新二郎はそれで良いか?」
「あ、ありがたき幸せでありますだろ……」新二郎は泣いていた。
本来であれば公式の場でも、将軍に御目見えが可能な奉公衆に取り立てたいところではあるのだが、さすがにいきなりは難しいだろう。
公方様のワガママにより、お気に入りの松井新二郎をまずは足軽衆として取り立てる……その辺りで手を打ち、いずれは奉公衆にまで引き上げるつもりだ。
とりあえず今は行事にも一応付いていける直臣になってくれればそれで良い。
「それと我が配下の者にもいずれ足軽衆の身分をお与え頂けると助かります」
「お主の配下?」
「米田源三郎に明智十兵衛、それと金森五郎八になります」
「米田と明智は知っておるが、金森は初めて聞く名であるな」
「近いうちに挨拶させましょう」
自分の部下に幕府の足軽衆の身分を与えるのも護衛のためだ。
信頼できるものを少しでもお側に置いておきたい。(若干一名信頼して良いのか不明なヤツもいるが)
「まあよい。それよりも藤孝、少し小腹が減ったのう」
「分かりました。蕎麦でも用意いたしますので、少し新二郎と剣の鍛錬でもして待っていてください」
「ん、頼むぞ。新二郎、いつまでも泣いていないで早く木刀を持って参るがよい」
「わかりましただろ」
――久しぶりに義藤さまと、新二郎との三人で蕎麦をすすった。
結局なんだかんだで、この三人が一番落ち着いて居られたりするのである。
数日後、沼田兄弟が走衆への取立ての御礼で、若狭の熊川から上洛してきた。
熊川は父の沼田光兼に任せて、沼田兄弟は公方様にしばらく近侍してくれるという。
松井新二郎勝之も足軽衆に無事に取立てと成り、公方様の身辺警護を沼田兄弟に松井勝之、柳沢元政に任せることができた俺は、洛中の行事からこれ幸いと逃げ出し、兵の訓練や金稼ぎの為に領地である小出石村に向かうのである。
「お主ばかり洛中から逃げ出しおってからに……」
という義藤さまの冷たい言葉を受けながらではあったが――
うーん1週間に1話(2回)あげるのが精一杯になってしまった
もう少し頑張って書きたいなぁ
できたら「小説家になろう 勝手にランキング」のクリックとかで
応援お願いします
感想、誤字報告いつも感謝しております
俺はフルクロスで行く!(謎




