表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/208

第七話 米田求政(1)

 天文十五年(1546年)10月

 


 蕎麦屋で儲かったというか自由に使えるお金ができたので、少しこの先のことを考えようと思った。

 それで、気がついた。

 将来のことも大事だが、その前に怪我とか病気とか凄く怖いのではないかと。


 病気になったらドコに行けばいい? 医者や病院はドコだ?

 ここは自己責任かつ自己解決しなければならない、デンジャラスでエキサイティングな戦国時代なのだ。

 

 信頼できる病院などあるのか?

 国民皆保険(かいほけん)制度の整った現代の日本は――遥か彼方(かなた)の未来の話だ。

 戦国時代に病院などはない……だが、一応医者はいる。


 この時代の医者といえば、有名なのは曲直瀬道三(まなせどうさん)田代三喜(たしろさんき)永田徳本(ながたとくほん)などであろう。名医の名前ぐらいは知っていたが、さすがに今ドコに居るかまでは分からない。


 名医は居なくとも信頼できる薬さえあればなんとかなるかもしれない。

 徳川家康が自分で薬を調合していた話しなどは有名だ。

(家康は毒殺を恐れていたともされる)

 

 武家や公家の教養に医学、薬学があった時代だ。

 公卿(くぎょう)山科言継(やましなときつぐ)も医薬に造詣(ぞうけい)が深かったとされる。

 山科言継が書き残した一級の史料である「言継卿記(ときつぐきょうき)」には、医薬の知識を持つ幕臣なども登場していたりする。


 この時代の薬で手に入るものといえば、現代社会でも流通している「漢方薬(かんぽうやく)」であろう。

 西洋医学などは「ザビエル」すらまだ来日していないので望むべくもない。

(フランシスコ・ザビエルの来日は1549年)


 少し体調が悪くて熱が出るかも――という時に君は何を飲む?

 俺は葛根湯(かっこんとう)をよく飲んでいた。

 葛根湯は風邪の引き始めには最強じゃね?

 とも思っている。(あくまで個人の感想です)


 戦国時代で健康オタクになるために、まずは葛根湯などの信頼できる漢方薬を探すことから始めたのであった。


葛根湯(かっこんとう)? 薬? ああ薬なら知り合いに医家いかがいるから聞いてみるがよい」


 デカイ神社の吉田家なら薬も手に入るかな? と思って、とりあえず俺を奴隷のようにこき使ってくれている、優しい従兄弟の吉田兼見(よしだかねみ)くんに葛根湯があるか聞いてみたのだ。


「知り合いに医者がいるなら助かる。どこかで会えたりできないだろうか?」


「どこというか、さっきからそこで天ぷらを食っているぞ」


「は? 客に居るんかーい!」


「ほら、あそこで天ぷらを食べているのが坂浄忠(さかじょうちゅう)先生だ。代々の医師の家の生まれで御典医(ごてんい)として朝廷に仕え、盛方院(せいほういん)の号と法印(ほういん)(くらい)を持つ名医だぞ」


「良かったら紹介してくれないか?」


「ああ、いいぞ。先生とうち(吉田家)とは家族ぐるみの付き合いだからな。というか浄忠(じょうちゅう)先生は俺の妹の婚約者だ。浄忠先生ー! 少し良いですかー?」


 兼見くんが気軽に坂浄忠(さかじょうちゅう)先生に声をかけている。欲しいと思った時に欲しい人材に会える――相変わらずこいつら(公家で従兄弟です)のコネがハンパねえ。

 

 坂浄忠先生に兼見くんが親しげに話しをしている。そして手招きをされた。

 蕎麦屋を手伝っていたのだが、あとは店長の南豊軒(なんほうけん)叔父さんに任せて挨拶にいくことにした。(藤孝は蕎麦打ちから逃げだした)


細川(ほそかわ)与一郎(よいちろう)藤孝(ふじたか)と申します。兼見(かねみ)殿の従兄弟になります。以後お見知りおきの上よろしくお願いいたします」


「これはこれは丁寧にどうも。拙僧(せっそう)盛方院(せいほういん)坂浄忠(さかじょうちゅう)と申します。見てのとおり医家(いか)をやっておる。細川殿はこの黒うどんと天ぷらを考案されたとか、凄く美味くて驚いておりますわい。いやあ噂を聞いて食べに来た甲斐がありましたわ。腕の良い料理人にお会いできて光栄ですわい」


 坂浄忠先生は、この時代の医者の多くが僧侶であるのと同様に法体(ほったい)である。

 決して、頭が(まぶ)しいとか、口が裂けても言ってはならないぞ。


「いえ、私は武家であります。今は公方(くぼう)様(足利義晴(あしかがよしはる))のご嫡男である義藤(よしふじ)様にお仕えしております」


「それはそれは。して、何か拙僧(せっそう)に聞きたいことがあるとか?」


「はい、実は薬について興味がありまして、坂先生は葛根湯などの薬が記載されている医学書などをご存知ないでしょうか?」


「葛根湯の記載している医学書であるか? 我が父の坂浄運(さかじょううん)明国(みんこく)に留学して張仲景(ちょうちゅうけい)の医学を学んでおりましてな。その折に傷寒論(しょうかんろん)金匱要略(きんきようりゃく)などを持ち帰って来ておる。葛根湯などはたしかそれに詳しく記載されておりましたな」


************************************************************

傷寒論しょうかんろん金匱要略きんきようりゃく


 中国の後漢(ごかん)末期、三国志時代の人「張仲景(ちょうちゅうけい)」が記した「傷寒(しょうかん)雑病論(ざつびょうろん)」から前半部分の傷寒論(しょうかんろん)と後半部分の金匱要略(きんきようりゃく)に分かれて成立した医学書になる。


 江戸時代の医学の一派である古法派(こほうは)により再注目されることになり、江戸時代から現代漢方薬にまで繋がる基礎となったすげー書物なのだ。

 成立年代は、なんと西暦210年代となり、まさに三国志の時代なのが驚きである。


 ――謎の作家細川幽童著「なんとなく医学を知ろう♪」より

************************************************************


「なんとご存知でありましたか。その傷寒論(しょうかんろん)には他にも良い薬が記載されておりませんでしたか? 是非とも後学のためにご教授願いたいのです」


「それなら清原家の喜賢(よしかた)殿が相国寺(しょうこくじ)還俗(げんぞく)して、今は私の元で医学を学んでおります。傷寒論(しょうかんろん)金匱要略(きんきようりゃく)もたしか書き写していたかと思ったな。喜賢のもとへ参ればすぐにでも見られるのではないですかな。私も喜賢にこれから会いに行くところじゃったので、一緒にまいりましょうか」


 なんとも渡りに舟である。身近な所に医学書を持つ者が居たのだった。


 ◆


 坂浄忠先生と一緒に、俺と同じく洛中から避難して吉田家に居候している叔父の清原喜賢(きよはらよしかた)の部屋へ向かった。


「おお、師匠に与一郎じゃないか、いかがされましたかな?」


「ちょいとちょいとな、評判の黒うどんを食しに来てのう。そこで与一郎殿に傷寒論と金匱要略を教えることを請われてな、すまんが出してあげてくれんか?」


 浄忠先生が喜賢叔父さんに頼んでくれて、医学書を見せて貰えることになった。


「与一郎、これが傷寒論と金匱要略になるぞ」


「おお、ありがたいです。こんなにもすぐに読めるなんて感謝しかありません」


 さっそく目を通してみる。概念的な部分は俺には分からないので、そういう箇所は読み飛ばしていくのだが、それでも知ってる漢方薬がかなり載っていた――これは使えるぞ!


「ところで与一郎、傷寒論なぞに興味を持つなんて、医薬(いやく)の道にでも進む気になったのか?」


 喜賢叔父が医学書に興奮する俺を不思議に思ったのか、聞いてくる。


「医薬の道は叔父さんにおまかせします。若様にお仕えすることになりましたので。ですが、教養として医学、薬学を身に着けることは悪くないかと思っております」


「そういえば、与一郎は昔から色々なことに興味を持っては熱中していたからなぁ」


「そうなんですか?」


「なんだ自分のことなのに覚えてないのか、ああ、そう言えば昔のことを思い出せないのであったな、すまぬ」


「なんとなんと、与一郎殿は物忘れにかかったのかね?」


「はい。どうにも昔のことが思い出せません。ですが知識までは失っておりませんので大丈夫です。それにどこで学んだのかは覚えていないのですが、医学の知識でおもしろいものを知っております。少しお見せしましょう」


(むろん現代での医学の知識だけど、それは内緒だ)


 井戸から水を汲んできて、その水を沸騰させてから冷まして塩を混ぜていく。ちょうど良い塩分濃度になるように調節して――できたかな?

 

 そしてその塩水を目にたらすのである――やべえ染みる、目が痛いわ。

 もう少し薄めてからまた試す――今度は目に染みない、これならOKだ。


「浄忠先生に喜賢叔父さん。これは塩水でありますが、少し目にたらしてみませんか?」


「そんなことをすれば目に染みて痛いではないか勘弁してくれよ」


 喜賢叔父さんが嫌がる。もちろん浄忠先生もだ。


「それが大丈夫なんですよ。ほら」


 薄めた塩水を目にたらしてみせる。


「……これが不思議なことに目に染みないのです」


「塩水とかいってただの水なのではないのか?」――と叔父さんが塩水をなめた。


「薄いけど一応しょっぱいな。でも目にたらしたら痛いだろうに」


「大丈夫ですよ。ちょっとやってみてください」


 嫌がる叔父さんの目に無理やりその水をたらすが、叔父さんは「イタクナーイ」とびっくりした。

 それを見た浄忠先生も試してくれる。やはり「イタクナーイ」と驚いた。


「で、与一郎この塩水はいったいなんなのだ? 医学の知識と言っていたが……」


「これは完全に煮沸させてから冷ました水に天然の塩をまぜて作ったものになります。生理食塩水(せいりしょくえんすい)といって、実は人の体液とほぼ同等のものになるのです」


「人の? 人の体液であると?」――坂浄忠先生が驚いている。


「ひとの大部分、人体の半分ぐらいは実は水分なのですが、その人の水分と今作った生理食塩水の成分は同じような物なのです。それで目にたらしても痛くなかったりします」


「ふむふむ。それでこの塩水は何かに使えるのかね?」


 浄忠先生が生理食塩水に興味を持ってくれたようだ。


「まずは脱水時の水分補給、怪我の周囲の洗浄、焼けどの部位の洗浄、目の洗浄、そして……()()()の洗浄です」


「鼻の中の洗浄だと?」――二人はそろって驚きの声をあげるのであった。


 ◆

【米田求政(2)につづく】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
読んでくれてありがとう
下を押してくれると作者が喜びます
小説家になろう 勝手にランキング

アルファポリスにも外部登録しました
cont_access.php?citi_cont_id=274341785&s
ネット小説速報
― 新着の感想 ―
[良い点] 歴史をかなり勉強されたみたいで 好感もたれます。 頑張ってください。 [気になる点] 変え歌は? たしか、変え歌乗せて、なろうから追放された作品ありました。 運営から注意される前に、あるい…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ