ぴぱー
いいんだもんねー。
別に楽器弾けなくても、音楽の時間以外、困らないし、と思いながら、朝霞は夢の中で、また、あの乙女ゲームの世界にいた。
今日は城でなく、野山を歩いているようだ。
自分がそういう気分だったからかもしれない。
子どもの頃、絵本で見たようなキラキラした草原を歩きたい、という現実逃避か。
そんなことを思いながら、ずんずん歩いていると、小高い丘の上に出た。
そこには大木があり、よく見れば、王子が枝に腰掛けている。
朝霞は、よいしょと木に登り、王子が座っているのとは幹を挟んで反対側の太い枝に座った。
「王子、王子」
と呼びかけてみる。
今日の王子はフリーズしていないようだった。
一日、ずっと十文字先輩のことを考えていたせいかもしれない、となんとなく思う。
「なんだ、俺を恋に落とそうとしている女か」
と朝霞を見て、王子は言った。
「いや、落とそうとはしてませんし。
それに、嫌そうに、そう言ってる時点で、まったく呪いにかかってないですよね?」
どこが100年の恋に落ちる呪いだ、と思いながら、朝霞は言う。
さわさわと梢が揺れる音が耳許でする。
そういえば、気持ちのいい風だな~。
なんか外を駆け回ってた子どもの頃を思い出すな、と思いながら、しばらくふたりで、眼下の村々を見下ろしていた。
「王子ー。
今日ねー、楽器の才能がないと言われてしまったんですよー」
と言うと、
「心配するな、俺もない」
と王子は言ってくれる。
「でも、王子は、バーコード、ピッてやるとき、けっこうリズミカルですよ」
「なんだ。
バーコードって……」
朝霞がそのまま、ぼんやりと、幼い頃サボってしまったエレクトーンのレッスンのことを考えていると、王子が隣でなにやら、ごそごそし始めた。
王子は、どこからともなく、オカリナを取り出してくると、それを吹いてくれる。
ぴぱー、とおかしな音がしたが。
小高い丘の木の上で、村を眺めながら風に吹かれて聴く怪しい旋律に、朝霞は、なんとなく和んだ。
「ありがとうございます、王子。
なんだか元気になりました」
「……俺のひどい演奏でか」
いや……、自分が聴かせたんですよね?
と不審げに睨んでくる王子に思ったとき、いきなり、王子がフリーズした。
もう~、不良品なのか、このゲーム。
いや――。
私が十文字先輩のことをよく知らなくて、これ以上、王子の言動を思いつかないせいなのか。
朝霞は、そのまま、朝まで、オカリナを持ったまま固まっている王子を眺めていた。
こういうところを見ちゃうと、この王子、生きて動いてる本物じゃないんだな、と実感して、寂しくなっちゃうな、と思いながら。
次の日、2年の教室を訪ねた朝霞はちょうど戸口のところにいた男子生徒に言った。
「あのっ、十文字先輩はいらっしゃいますか?」
そう言うと、何故か聞き耳を立てていたらしいクラスの人たちが、ざわめく。
ひいっ、私なんぞが先輩を呼び出すなんて、ご無礼ですよねっ。
申し訳ありませんっ、と何故か、十文字本人ではなく、彼のクラスメイトたちに対して思う。
「鬼龍院朝霞だ。
なに? 十文字と付き合ってんの?」
と聞こえてきた。
とんでもございませんっ、と思った朝霞は、十文字がこちらに向かって来ていることより、彼のクラスメイトの反応にどきどきし、自分の許に、
「お前か。
なんの用だ?」
と言ってきた十文字に、みんなにも聞こえるような声で言った。
「すみません。
この間、先輩が図書当番のときにお借りした本のことなんですけど」
みんなが、なんだ、という顔をするのが見えた。
「で、すみません。
ちょっとこちらへ」
と朝霞は、十文字を手をつかみ、ちょうど十文字の教室から近い図書室へと引きずっていく。
「……すみません、先輩。
お呼びたてしまして」
「どうした?
本が破れてたとか?」
と図書室の端で、十文字が訊いてくる。
「いえ、そうでなくてですね」
と朝霞は言いよどむ。
十文字は腕を組み、無表情に朝霞を見下ろしている。
ひいっ。
王子より、謎の騎士団長より、この人が怖いっ、と思いながらも、朝霞は図書室なので、小声で言った。
「じ、実は私、毎晩、ものすごく苦痛な夢を見るんです」
「夢……?」
と訊き返した十文字に、身振り手振りを加えつつ、説明していたが、腕をつかまれ、だんだん隅の方に引きずっていかれる。
「――というわけなんです。
今夜も気まずい時間を過ごしたくないので、先輩、なにかしゃべってください」
「……意味がわからんうえに、此処は図書室だ。
静かにできない奴は帰れ」
と一応、小声でしゃべっていたのに、腕をつかまれ、出口に連れていかれる。
まあ、私でも、こんな訳のわからないことを言ってくる女には関わりたくないな~、と思ったとき、廊下から、
「朝霞!」
と声がした。
十文字に連行されようとしている朝霞の許に佐野村がやってくる。
自分が話しかけるなと言ったくせにな、と思う朝霞に、佐野村が訊いてきた。
「どうしたんだ? 朝霞」
十文字が、
「お前、彼氏いたのか」
と朝霞に訊いてきた。
「いません」
「じゃあ、これはなんだ?」
と十文字は、朝霞の腕をつかんでいる十文字を咎めるように見ている佐野村を指差す。
「幼なじみです」
「1年の佐野村だろう。
人気の男じゃないか。
こんなのがいるんなら、お前の訳のわからん夢にも、こいつを出演させとけ」
と言って、十文字は行ってしまった。
「佐野村……、彼氏ってなにかな?」
「付き合ってる男のことだろう」
「いや、そうじゃなくて――。
彼氏って言葉と佐野村が結びつかないんだけど」
「心配するな、俺もだ……」
と言う佐野村と二人で、ぼんやり十文字を見送る。
「佐野村は、おにいちゃんLOVEなのにね」
「おかしな意味に聞こえるが。
確かに俺は廣也さんを崇拝している」
「じゃあ、妹の私じゃなくて、おにいちゃんと同じ高校に行けばよかったじゃん」
とうっかり言って、佐野村に熱く語られる。
「なに言ってんだ、お前っ。
なにが楽しくて男子校に行かなきゃならないんだっ」
いくら廣也さんがいても、絶対に嫌だっ、と佐野村は主張する。
「俺は廣也さんとは違うんだぞっ?
帰り道で女子が待ち伏せしてたり。
バレンタインには校門にチョコ持った女子で行列ができたりとかしない男なんだっ」
「あ、でも、昔、佐野村のことを好きだって言ってた子が誰かいたような」
「なにっ?」
「誰だったっけな~」
あ、チャイム鳴った、と行こうとする朝霞の肩をつかみ、佐野村がすがりついてくる。
「誰だ、その奇特なヤツはっ。
教えろっ、朝霞っ。
教えてくれ~っ」
うん。
昔から、こういうキャラだったから、イケメンだって気づかなかったんだな。
……高校ではモテているようなのだが、教えてやるまい、と思いながら、朝霞はさっさと自分の教室に戻っていった。