……まさか、俺から連絡しろと言うのか?
翌朝、朝霞が急いで玄関から出ると、先に外に出ていた廣也が、
「ちょっと待てっ。
忘れ物した」
と言って、一度、中に戻ってしまった。
それを待っていると、佐野村が来た。
「おはよう」
と言ったら、佐野村は一瞬、沈黙したあとで、
「おはよう」
と言う。
「……廣也さんは?」
「すぐ出てくるよ」
と言っているうちに、廣也が出てきて、佐野村は何故かホッとした顔をした。
なんなんだ、と思いながら、いつものように三人で駅まで歩く。
「そういえば、廣也さん、ずっと同じ電車でいいんですか?」
と佐野村が廣也に歩く道道訊いていた。
「廣也様が電車を変えられたけど。
彼女でもできたんだろうかとか。
ストーカーでもいて、逃げてるのだろうかとか、女子の間で話題になってますよ」
……兄よ。
芸能人か
何故、いちいち、電車に乗った乗らないで話題になるのだ、と思う朝霞の横で廣也が言う。
「だが、俺やお前があの電車から消えたら、あの電車に乗るの、十文字とこいつだけになってしまうじゃないか」
いや、満員電車なんで。
デカくて目立つこの二人がいけなれば、むしろ、先輩と出会う確率は下がるんじゃないかと思うんですが。
「でも、別に二人だけになったって、朝霞が十文字先輩を好きになるとは限らないじゃないですか」
と主張する佐野村に向かい、廣也は言う。
「いや、お前、十文字だぞ。
誰でも好きになるだろう」
おにいちゃん、大好きなんだね、十文字先輩が……。
「だが、十文字が家を出て、貧乏になるなら、朝霞はやらん」
何故、貧乏になると決めつける。
「家を出て、バイトして、バンド始めて、貧乏になるとか、定番だろ」
いや、バンドに誘ってるの、あなたですよ、兄、と思っていると、
「朝霞が十文字を支えるために、手を荒らして働いているところなんて、俺は見たくもない」
と言った廣也は、電車に乗り、そのままその話を十文字に始めた。
「朝霞は家事もロクにできないんだぞっ。
朝霞の手があかぎれにでもなったらどうしてくれるっ」
「なんの話だ」
ごもっともです……。
「というか、家事ができない文句は俺じゃなくて、妹に言え」
ますますごもっともです。
「そういえば、廣也さん、冬になると、朝霞の手にクリーム塗ってやってましたね。
登校班を待たせても」
と言って、佐野村は笑っていた。
考えてみれば、結構、この兄に大事にされてきたんだな。
邪険にされてたことしか、印象に残ってなかったが、と朝霞はつり革をつかんで、思っていた。
『王子があなたを守らないのなら、私があなたをお守りしましょう』
騎士団長のあのセリフ。
あれはやはり、自分の中の兄のイメージだったのか。
ありがとう、おにいちゃん、と言いたいところだが、なにやら恥ずかしいので、黙って電車に揺られていた。
こいつ、鬼龍院に俺の携帯の番号とか聞いたはずだよな、と思いながら、十文字も黙って電車に揺られていた。
一向に、朝霞から連絡が入ってこないのだが。
知らない番号から入ってきてもいいように設定し直したというのに。
……まさか、俺から連絡しろと言うのか?
いや、そういえば、俺はお前の番号を知らないんだが。
まさか、俺にお前の連絡先を訊けというのか?
いや、訊いたところで、かけるつもりなどないんだが。
いやいや、ほんとに……。




