お兄様と呼べ、妹よ
「朝霞ー、早くしろよー」
朝、廣也は玄関先で、まだ出て来ぬ妹の名を呼んだ。
すると、妹ではなく、母、麻里恵が現れた。
「ちょっと、廣也。
なんで、最近、朝霞のあとを付け回してるのよ」
「付け回してはいない。
俺が前を歩いている」
と言ったが。
屁理屈言ってないで、と怒られた。
「いや、朝霞に悪い虫がつかないようにだよ」
と言うと、麻里恵は、
「なに言ってんの。
高校卒業までに、悪い虫がつかなかったらどうするのよっ」
と怒り出す。
「それでなくとも、あんたと違って、ぼんやりした子なのに。
あのまま一生ぼんやりしてたらどうするのっ?」
いや、実は、俺も朝霞も似たり寄ったりなんだが、と廣也は思っていた。
表面的にモテていても、そういえば、まだ、誰とも付き合ったことがない。
自分にとって、未知の経験だから、朝霞が誰かと付き合うのも不安なのかもな、と思う。
「ともかく、邪魔しないでよ。
あの子、十文字くんだっけ?
可愛いじゃない」
「確かに十文字はいい奴だが。
いい奴が、いい夫になるとも限らないだろ。
朝霞の旦那は俺がちゃんと見極めてやるんだから」
と言うと、はいはい、と言って呆れたように麻里恵は言ってしまった。
高校生にもなっても、まだ何処か、ぼうっとした妹だ。
つい、心配になってしまう。
だが、こんな風に感じ始めたのは、十文字が現れてからのような気がする。
なんて言うんだろ。
あいつの場合、朝霞の彼氏になりそう、とかじゃなくて――。
そんなことを考えている間に、もっさりとした動きで朝霞が現れた。
「早くしろ、朝霞っ。
王子の乗ってる電車に乗り遅れるぞっ」
と言うと、ひい、という顔をして、急いでやってくる。
「ほら、行くぞ」
と先に出ながらも、数年も経てば、こうして兄妹で学校に通ってたことも懐かしい思い出になってるんだろうな、と少し寂しく思っていた。
「王子よ」
と電車で廣也が呼びかけると、横でつり革をつかむ十文字が淡々とした口調と表情で、
「王子じゃない」
と返してきた。
「お前、カネためて家出る気なんだろ?
だが、あの家を出るようなら、朝霞はやれんな」
と廣也が言うと、
「カネ目当てなんですか?」
と十文字の家が大層なお金持ちなことを知る佐野村が、十文字の向こうで笑って言う。
「カネ目当てなのは、朝霞じゃなくて、俺だ。
朝霞は、俺が蝶よ花よと育ててきたのに――」
育ててないよ、という顔を朝霞がしたが、構わず、廣也は言った。
「こいつには結婚後も、いらぬことで苦労なんてさせたくない」
「お、おにいちゃん……」
と朝霞が少し感動したような顔をする。
「お兄様と呼べ、妹よ」
「おれ、こいつらと関わるのめんどくさくなってきたな……」
と十文字王子は他所を向いて呟いていた。
じゃあ、此処で、と分かれ道で言いかけた廣也は、
「おっと」
と言って、朝霞を手招きする。
なに? と来た朝霞に、
「スマホ見てみろ」
と言った。
え? と朝霞が言う。
「昨日、スマホの調子が悪いから、動画見るのに、お前のを貸せと言っただろ。
十文字の番号とか、入れといたから」
「あ、ありがとう、おにいちゃんっ。
……かけないけどっ」
と祈るように手を合わせ感謝しながら、朝霞はそう言う。
おいっ、という目で十文字が朝霞を見ていた。