第53話 苦いコーヒー
カランカラン♪
「いらっしゃいませ。 あれ?さとるくん。いらっしゃい。」
「おはようございます。」
ケンイチさんにお辞儀をしながら、カウンター席に向かう。
「コーヒーをお願いします。少し薄めでお願いできますか?」
「かしこまりました。しばらくお待ちください。」
ケンイチさんがコーヒーをいれる様子をボーッと眺める。
「お待たせいたしました。」
コーヒーが目の前に置かれた。
何とも言えない華やかな香りに大きく息を吸い込んで、ほぅと息をつく。
「どうかしたのかい?」
ケンイチさんがそっと声をかけてくれた。
「あ、すみません。 ちょっと……。
やらかしてしまいまして…。」
「何があったのか聞いても良いかな。」
ケンイチさんに問われて、店を見回す。
「今、大丈夫ですか?」
店には、スーツ姿の男性客が二人それぞれ離れた席に座ってコーヒーを飲んでいた。
「大丈夫だよ。」
新しいお客さんが来るまでは話を聞いてもらえそうだ。
「さっき、ダンジョンに行ってきたんですけど…どうやらダンジョン攻略してしまったみたいなんです。」
「ん?」
「え、と。昨日様子見のつもりで試した攻撃でダンジョンクリアしてしまっていたみたいで…。一応まだあのダンジョンには入れるんですけど、ただの通路になってしまっていると言うか…。
出口から出てしまったら、2度と行けなくなると思います。」
「んー。…あれ? それって亨と一緒にダンジョンに行けるの?」
「…たぶん行けないです。すみません。」
自分のやらかしに泣きたい気持ちで頭を下げる。
ゴン。とカウンターに額がぶつかった。
そのまま力が抜けてしまってヘチャリとカウンターに体を預ける。
「あー…。うん。そっか。まずはコーヒーで気持ちを落ち着けようか。」
「はい…。」
ケンイチさんの優しい声に、体を起こしてコーヒーに口をつける。
良い香り。
ほぅ。と息を吐いていると目の前にクッキーが乗った小皿が置かれた。
「どうぞ召し上がれ。少し休憩しててね。」
「はい。ありがとうございます。」
メニューを手に取りながら声をかけてきたケンイチさんにお礼を言うと、ケンイチさんは頷いて店内にいたお客さんのテーブルに向かった。
注文を受けたケンイチさんがコーヒーをいれる姿をぼんやりと眺めながらコーヒーを飲んでいたが、目が覚めるようなコーヒーの香りに目を瞬く。
すごく苦みが強そう…と言うよりも苦みそのもののような香りに
「ケンイチさんそれって、もしかして…?」
「うんうん。そう。この間話した、舐めるように飲む苦みの強いコーヒーだよ。
カウンター席だと強すぎる香りで飲んでるコーヒーのジャマしちゃうよね。
あと1メートル離れると、コーヒーの良い香りに感じられるくらい香りが薄くなるんだけどね。
ごめんね。」
質問の途中で答えてくれたケンイチさんが申し訳なさそうな顔をする。
「いえ。もうコーヒーは飲み終わりですから大丈夫です。」
席を立ち、1メートルほど離れてクンクンと香りを嗅いでみた。
「あ。ホントだ!この位置だとコーヒーの良い香りですね。」
コーヒーショップの周りを漂うあの誘われる香りだ。
席に戻ると、少しだけ身を乗り出してお盆に乗せられたカップを見る。
すごく濃い色のコーヒーがデミタスカップの6分目まで入っている。
お客さんがどういう風に飲むのかも気になって視界の端に入れて見ていると、カップを持ち上げて温度を確かめて腕時計で時間を確認すると少し上向きになりながら一気に口に流し込んだ。
驚いてつい視界の真ん中にその姿をとらえる。
ゴクリと一口で飲み込んだ後も上向きのままカップからの滴を受け止めていた。
「ああやって飲むものなんだ。?」
僕の呟きを拾ったケンイチさんが
「いや。違うからね?」
苦笑して答えてくれる。
最後の一滴まで飲み終えた男性が席を立ち、精算をして出ていった。
ケンイチさんが小皿を差し出しながら
「もしあのコーヒーをさとるくんが頼んだ時に勘違いして同じ飲み方をしないように、チョットだけ味見をしてごらん。」
差し出した小皿にスプーンを添えてくれる。
小皿には少量のコーヒーが入っていた。
興味津々で、スプーンで少しだけ口に入れる。
ガンッ!と下から内側から頭を殴られたような感覚に、眠気のような靄が完全に晴れる。
目が今までない位に限界まで開き、世界が、景色が、まるで違ったもののように見える。
「ふぁ~…。」
「わかったかい?けっしてあのお客様のように無茶な飲み方はしちゃいけないよ?」
苦い顔で諭してくれるケンイチさんを見て
「はい。しません。けっして!」
何度も頷く。
苦いコーヒーで気持ちが切り替わった僕は、トオルに今日はもうダンジョンを出てケンイチさんの店で今からランチを食べて帰宅する旨と今週一緒にランチをしようと伝えるチャットをしてトオルから了解の返事をもらった。
僕も想定外のダンジョンクリアだし、今日は気持ちを落ち着けて直接会って話をすることにした。
頭を整理して今後のことを考えながらランチをのんびり食べて、ケンイチさんにも改めてまた話をすると伝え帰宅する。
まだまだ目がパッチリして一切眠気がない頭で、周回中のダンジョンを何周もする。
夜の11時を過ぎた頃にやっと眠気がきたので逆らわずに寝た。
あの苦いコーヒーが衝撃的すぎて、浮かれた気分も落ち着き落ち込んだ気分も浮上した。
冷静になれた頭で今後のことを考える。
人見町ダンジョンについては、現状維持だ。
トオルが条件クリアしたら出口から出ようと思う。