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死が全てを解決する

戦闘シーンが入ります。

結構えぐい描写が多いので苦手な方はご注意ください。




────死が全てを解決する。あらゆる命が消えればあらゆる問題もなくなり美しい世界が完成する。



────苦しめ。絶望しろ。お前たちの命に意味も価値もない。死んでしまえ。








その日はとても晴れた日だった。

青い空と透き通った風がとても心地よく、うたた寝には最適の日でもあった。

そんな中を日光を浴びながら一人の男が複数の従者と共に荒野を歩いている。



先頭を行くのは真っ赤な衣服にすっぽりと身を包んだ男だ。

上質で分厚い赤のローブ  は金で縁取りをされた頑丈な一品であった。

頭までフードですっぽりと覆った男は肌という肌を全く露出させず、黙々と配下の者らと共に歩いている。




彼らが目指すのは白華国南部に存在するチムンという街であり、その到達はもう間もなくであった。

2里ほど先に存在する城壁に囲まれた街を見て、その中に存在する活気を“確認”した男は自らの仕事の時が近い事を悟る。

チムンの街に住まうチムン族……彼らは白華国に編入されて10年余りの自治区であり、その中でもうまく立ち回っていたと言える部族だった。



だがそれも今日までである。

彼らは発展をした。幸福となろうとしている。

疫病を払いのけ、食料を安定した数生産し、出生率を上げた。


命を増やそうとしている。誰もそんな事を許してはいないというのに。

全て許されない事だ。この世界の「主」は命という汚物を許してはいない。



可能な限り苦しませる必要がある。

呪う必要がある。

浄化する必要がある。

これこそ聖絶。この世で最も尊い行為。



偉大なる白き造物主の意思を蔑ろにした愚物は速やかに排除されなくてはならない。



白華国はこの白仙大陸で最大の勢力を誇る国家であり、この世界の事実上の覇者であり管理者である。

“主”の崇高なる教えを啓蒙し、愚かな命を調整するという偉大な使命を請け負った国とその代行者である彼にとっての日常がこれから始まる。

一歩だけ大きく男らが踏み込む。それだけで2里の距離は0となり、彼らは城壁の前に立っていた。



唐突に現れた一団に警備の者らが駆け寄るが、男は手を腹の前で組みながら淡々と告げる。



「我らは異端尋問官である。この地には白仙の名の下にやってきた。長の下に案内せよ」



それは底冷えするほどに凍てついた声だ。

感情の一切がなく、肉食昆虫が喋っている様な冷酷さを感じさせる声であった。

兵士は圧倒されるように後ずさったが、直ぐに正気に戻る。


彼もまたチムン族の一員である。

そしてこの眼前の尋問官が今述べた事を理解できないほど愚かではなかった。

白華の国においては彼らの存在は恐怖と畏怖を伴う抑止力となっている事ぐらいは彼も知っていた。



曰く殺戮者。曰く主の地上代行者。曰く処刑人。

よい意味での響きなど一つもない。

尋問官が派遣された時点でその地の命は根こそぎ葬られると誰もが口にしていた。



それらをただの噂……嘘だと思った事はない。

白華ならばそれくらいはやると誰もが知っていたから。

この国にとっては民の命とは守るべきものでもなく、幸せと繁栄など許すものではないからだ。



地上に存在する全ての命を刈り取る絶対者にして圧制者。

それが白華だ。



兵士は恭しく頭を下げ、最大限の敬意を見せつつ慎重に言葉を選んだ。



「遠路遥々御足労感謝いたします。全ては白仙の御心のままに。直ぐに手配いたします。

 長が来られるまでお休みになられますか?」



「その必要はない。ここで待つ」



尋問官のフードに隠れて見えない顔の中から視線だけが突き出されて周囲を見定める。

障害物を通過し、彼の眼はこの街の営みを直接見ていた。

無邪気に遊びまわる子供たち。仕事の為に街の大通りを行く大勢の人々。何気ない談笑を楽しむ人々。

新しく生まれた赤子を祝福する父母。少年少女に学問を教える教師。



尋問官は頭の奥底で「主」の声をはっきりと聴いた。

なんておぞましいのだという苛立ちを。

醜い。醜い。醜い。醜い。




僅かな時間だけ尋問官は直立し……視線を虚空へと向けてその心は「主」へと祈りを捧げる。

その返答は直ぐに返ってきた。よって尋問官は直ぐに動き出す。

時間が惜しい。一刻も早く「主」の意思を実現させなくては。



ローブの中で彼は己の武器を握りしめた。

ガチャンという金属音が微かに泣き声を上げ、次の獲物は誰かと聞いてくる。

ふっと蝶でも掴むような軽い動きで尋問官は手に持った武器……鎖を振った。



超高速でのたうつ金属のムチは人間の身体を易々と破壊する。



「ぁ」



それだけで今まで彼と話していた兵士の首は空を舞った。

何が起こったのか理解さえ出来ていない間抜け面を張り付けたまま紅い絵具を部屋に撒き散らす。



「偉大なる“主”の神託は下った。

 被告チムン族。被告チムンの街。及びここに存在する全ての命。

 浄化を開始する。堕落を正せ。劣化を糾弾せよ」



「くひっくひっ……ひっ! 全ては“主”の御心のままに。御心のままに! みこころのままに!!!」




傍らに寄ってきた部下が甲高い女の声で喚き、何時ものように“主”へと祈りを捧げてから迷わず力……「仙術」と呼ばれる力を行使する。

嬉々として天から送られる力が街の周辺の位相を歪め誰一人侵入も脱出もできない巨大な箱庭が完成した。

これぞ天の意思。あまねく堕落した者を許さないという神意。



今よりチムンの街は処刑場となる。理屈などない。

天の支配者が死ねと命じたのだ。これはどのような法にも勝る絶対の正義だ。

呼吸するように内丹術を行使し身体を生物の域より超過させた尋問官はただならぬ気配に気付いた者らがざわめきだし始めた通りへと繰り出す。



多くの人が歩いていた。

老若男女問わず大勢の者がいきなり現れた赤衣の男に視線を向ける。

男は彼らにちらとも視線を向けずに腕を一振りした。



断末魔さえ上がらなかった。

鎖の先端についたかぎ爪は尋問官と“主”の意思を宿して超高速で飛び回り、通りにいた人間の8割をバラバラにした。

真っ赤な川があっという間に生み出される。



わっと燃え上がる様に悲鳴が上がり、その中を男は淡々と綺麗な姿勢で歩く。



「“主”は偉大にして全能。“主”は何よりも尊く正しく賢く、叡知を携えた御方。

 民よ、手をたたき歓喜の声をあげて“主”に命を垂れろ。その滅却こそが“主”の望みであり歓びである」



男が天に座する唯一にして無二たる絶対者へと祝詞を捧げ、喝采するように両腕を広げた。

概念的な「天」より男の行動の全ては肯定され、その後押しが発生する。

幾ら男が人智を超えた力を持つとはいえ、この街に湧いた命を一つ一つ潰していては多少の時間がかかってしまう……故に“主”は効率的な掃除を始める。



飛び散った肉片、うち捨てられた屍に不可視のナニカが入り込めばそれらは痙攣し動き出す。

むき出しになった骨や内臓を垂らしながら徘徊し、この世を正しい形に修正すべく生者に襲い掛かった。


子を庇った親の残骸があった。

こうなる前は通りを我が子と一緒に買い物をして談笑しながら歩いていた父だった。

彼は復活を遂げた後にかつての自分が命をかけて守った我が子の頭を引きちぎった。



老婆の前で肉塊へと変えられた孫がいた。

老婆は何が起こった判らないままもぞもぞと動く肉塊をまだ生きていると信じて抱きしめ──首を食い破られる。



親が子を。子が親を。恋人が片割れを。夫婦が交互を。

復活を遂げた“主”の眷属に慈悲も躊躇いもない。

彼らは正しい事を行っていた。これは浄化であり罰だ。



全ての命乞い、懇願を無視し、かつては自分の大切な存在だった者をその手にかける。

悲鳴、悲鳴、悲鳴。死者が増えれば増える程、その屍は偉大なる奇跡により復活を遂げ天の意思を実行する駒となる。



「たすけて……! おねがいです、た、すけ……!」



足元に縋りついてきた女性の頭を男はそちらを見る事もせず踏みつぶした。

噴き出た中身がローブに付着し……それは上質な塗料へと変換される。



男たちが着こむこの赤いローブは防具としても優秀だが、もう一つだけ特徴的な機能が付属していた。

元々はこのローブの色は白であり、この衣服は付着した血や肉片などを真っ赤な塗料へと還元し取り込み着色する効能があった。

つまり殺せば殺す程尋問官のローブは上質な赤に染まり、美しくなる。



もしかしたらコレは“主”が与えた自らの手足として動く尋問官たちへのちょっと褒美なのかもしれない。

狩人が立派な獲物のはく製を作る心境に近いのだろうか。

既に小国の総人口に匹敵する次元の死を吸い込んだ男のローブはこの世のモノとは思えないほどの優雅さを兼ね備えていた。



男は目の前の惨劇に対して何も思わなかった。

酷いとも見苦しいとも、罪悪感さえもない。

彼は正に“主”にとっての理想の男である。


突き詰めれば殺すべしという使命さえも彼の根幹から沸いたものではない。彼の中身は空っぽだった。


何も考えず、思わず、ただ“主”の理想を叶えるためだけに動く人間。

これこそが“主”にとっての理想形の人間である。

否定など論外だが賛同もいらない。そんな自由意志はいらない。



ただ従順であればよい。称えればよい。そして死ね。絶滅しろ。人間に課したのはそれだけ。

それさえもできないのは全て失敗作でありゴミであり最優先の駆除対象だ。

そんなものは直ぐに浄化しなくてはいけない。



チムンの街は既に異端として認定された。

ここにいるモノは造物主が認めた生物ではない。故に早急な浄化が必要である。


男の腕が二度振われる。

一度目の攻撃で鎖が音を遥か彼方に置き去りにして飛び回り、周囲の石造りの家屋を根こそぎ弾き飛ばす。

続いて間髪いれず放たれた二撃目が遮蔽物のなくなった街の中を悠々と飛び回り数百人単位で命を掃除する。



埃の様に青空に無数の小さな点……人間が打ち上げられ、悲鳴と共に落下し動かなくなった。

所々が潰れた残骸が起き上がり更に浄化は進む。




男、死ね。

女、死ね。

子供、死ね。

老人、死ね。



死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。



悲鳴があり、泣き声があり、命乞いがあり、苦しみがあった。

だが結局なにも変える事は出来ない。

チムンを訪れたのは尋問官だったからだ。



どれだけ泣き喚き惨めに懇願しようと尋問官の指先一つ訛る事はない。

そして彼はその中でも更に完成した存在だ。

尋問官たちを統率する大尋問官というべき地位に立つ男、思想なく一切の矛盾なく全ての異端を修正する“主”の代行者である。



「ひひっ、ひきっ……」



「9。“仙兵”を出せ。火を放て。狼煙を上げ、追い立てろ。だが赤子は確保しろ。“主”のご意向である」



高音で調子外れな笑いを零しながら「9」と名指しされた小柄な尋問官がくるくると両腕を広げて回りだす。



「おぉ天に座する“主”よ! “主”よ! 

 あなたさまいわく、わがみ、良心に照らして少しもやましいところがなければ、何を悩むことがあろうか! 何を恐れることがあろうか!」



全ては正義である。これは正しい事であると声高に叫びながら9は術を使う。

仙術と呼ばれる“主”に選ばれた者のみが行使できる奇跡を。

不可視にして超常なる力が流動し、それは物質的な形を伴う現象となった。



それは真っ白な包帯でグルグル巻きにされた金属の塊。

それは40尺ほどの大きさの手足の伴う巨人である。

それは忠実なるしもべであり、慈悲の欠片も持たなかった。



これの名を仙兵という。チムンの街に産み出された数は20である。

天より光が翳し、更なる奇跡が引き起こされる。

闊歩する残骸どもの姿が更に共通の目的に特化した姿へと変貌を遂げ始める。



もはや意味のない手足を残った口で貪り骨まで食べ尽くせば、それは新たな姿として背中より組み直され生えてくる。

皮を突き破り生え茂るのは「爪」である。

本人よりも巨大な一本のかぎ爪が枝の様に人間から生えていた。



生物ではありえない姿をした怪物……白仙教の洗礼を受け信徒となった彼らはその死骸さえも“主”に使役され、最適化された虐殺を行うのだ。

死を、死を、死を。このおぞましい不浄なる者どもを欠片も残さず死を以て清めなくてはいけない。

喝采を上げながら悲鳴の海を信徒と仙兵は作り出す。



脳天に爪を突き刺され白目を剥いて倒れる汚物。

その子供らしき者が鳴き声を上げながら近づけば、親の残骸諸共仙兵にゴミの様に踏みつぶされ大地のシミとなった。

連れ添い逃げようとした老夫婦を仙兵が蹴鞠でもするように蹴り上げバラバラの欠片になってソレは天へと放り捨てられた。



至る所で駆除は行われ、当然……とても悲しい事だが“主”の愛を理解できない愚か者の抵抗が始まる。

チムン「賊」は南部の比較的温暖な所で発生した部族であり、彼らは栄養豊富な食物を喰い漁る事が出来た故に体格もそれに準じて立派なものであった。

更には「国」という単位ではなく「部族」をコミュニティの中心に考える彼らは兵士間でも顔見知りや親族関係のあるモノらは多く、それが素晴らしい連携を産み出す秘訣となっていた。



信徒が押され出す。

的確に矢を額に叩き込まれ頭部を粉砕され動かなくなるモノや、四肢を切り落とされて無力化されるモノなどが多い。

これは尋問官にとっても予想外……ではない。多少過程が変わっただけで結果は何も変わらない。




ふざけるな! と誰かが叫んだ。

自分たちが守るはずだった民の変わり果てた姿を認めながらそれに槍を突き刺す兵士だった。

何でだ、という嘆きが響いた。

彼は己の妻を目の前で仙兵にひき肉に変えられた男だった。



どうして、という問いがあった。

自分たちは何も悪い事はしていないという疑問を抱いたのは医者を目指す女だった。

チムンでは医療にも力を入れ、様々な薬草の効能や人体の病気やケガなどについても研究を入れていた。

だがそれも全て意味はなくなる。何もかも灰になり、人の生存率を上げる邪法など消し去られてしまうのだ。



結果は変わらない。

だが至るまでの速度は重要だと判断した大尋問官は冷静に指示を下し、歩き出す。



「仙兵に指示を出せ。お前たちも参加して兵士達を駆除しろ。私は長を執行する」



正しく彼は天災だった。

意思をもった殺戮の嵐であり、完璧なる異端の処刑人だ。

大尋問官の進行方向に存在する一切の“主”の敵が始末される。



縦横無尽に鎖が赤黒い光を放ちながら踊り、夥しい血が塗料へと変わった。



女も、子供も、男も、老人も、赤子を除くすべてが殺される。

赤子だけはまだ使い道があるから壊さない。それだけだ。



ほんの半刻前は大勢の人々と活気、笑顔で賑わっていた通りは今や屍山血河の様相である。

この汚物の残骸も後でしっかりと掃除する用意が尋問官には存在し、それらが終わればこの地の浄化は完了し世界は美しくなる。



真っ赤に飾られ美しくなった道を彼は征く。

何故か? 彼は直感で悟っていた。

この先に自らの目的としている者がいることを彼は理解していたからだ。



やがて目の前に現れるのは仁王立ちした偉丈夫。

周囲には複数の仙兵の残骸が転がっている。

鎧で完全武装した彼は大尋問官を前にしても動じず、ただ巨大な剣を構えた。



勇猛なる殺意。お前だけは殺すという研ぎ澄まされた念を叩き込まれた大尋問官は……何も思わなかった。



彼はただ告げるだけだ。会話をする必要もない。

ただ知ればよい。これは全てが天命であり正義であると。



「チムンの長トン・ツー。お前たちは異端だ。

 お前たちは害悪だ。お前たちは不要だ。執行する。受け入れよ。それが救いとなるだろう」



告げて───足元に転がっていた童の亡骸を踏みにじれば、チムンの長は真の意味で怒り狂う猛獣となった。

音を凌駕して振るわれる鉄塊……特大の剣が大尋問官に向けて牙を剥くが、赤い殺戮者は最低限の足さばきでそれを躱す。

大地を割った剣の余波が街を更にずたずたにするが、そんな中でも大尋問官の声は不思議とよく通った。



彼の声は“主”の声であった。

彼の代理人であり代弁者、彼の舌は天意の舌となる。



「憤怒。憎悪。怨嗟。生存。繁栄。醜い。その醜さがお前たちを異端たらしめる。

 どの様な世であってもそうだ。お前たちは等しく汚物である」



どうして増える? 

どうして願う? 

執着をするな。産まれるな。

存在するな。この世のあらゆる存在の全ては私の所有物だ。

私が許可もしていないのに勝手に存在するモノは全てが悪なのだ。



「汚物だと? 白仙の気狂いがよくも吼えたものだ!」



トン・ツーが歯をむき出しにし怒りに震えながら声を絞り出す。

その様はまるで猛獣が唸っているかの如く。



チムンの長としてこの街を発展させてきた。

先祖代々受け継がれてきた土地を守り、人を守り、伝統を維持しながら新しい繁栄の種を撒いてきた。

白華に併合された時も忌々しくは想いながらも苦渋を啜りいつかはと努力を欠かさなかった。



病には薬を。多くの学者を招き入れその知識を借りた。

飢えたモノには食料を。安定した食料の生産と交易を。

罪には罰を。公平な法の制定。


必死の思いで部族と街を守り大きくしてきた。

彼の父から、そのまた父から、その父から……木が育つように何世代分もの時間をかけてじっくりと彼らは民という子供を大きくした。



だがそれも全て無駄になった。

大尋問官の腕の一振りで何千という彼の民は残骸になり「主」の威光によって残骸は搾りかすになり果てた。

そして最後は何も残さない。「主」とその意思を確実に実現させる尋問官はこの街を消し去り、土地を永遠に枯れさせるまで止まる事はない。




「何が白仙教だ! お前たちのやっていることを見てみろ! 

 無垢な子供まで殺し尽くし、どのような世を作るというのだ……!」



「“主”の望む世界だ。汚れのない世界だ。命の存在しない世界だ。

 全ての異端を消し終えその役目を終えた時、我らという最後の汚れも消えるのだ」

 


兜の内側より悲痛な声音で叫ぶ男に大尋問官は無機質に答えた。

更に本来の彼ならば口にしない言葉だが“主”の啓示を受けた大尋問官が続ける。



「お前たちの企みは全て知っている。全知たる“主”は全てを見通す。

 白華を討つ為に大同盟を結んでいるな。これは見せしめだ。 

 抑止のため、ではない。その逆……我々はお前たちに徒党を組み世界大戦を起こして欲しいのだ」



今回のチムンに対する処断ほどではないが、白華は白仙大陸に存在する様々な国と衝突を起こしている。

多くの部族や民族などを殺し回り、国境を侵食し、他国には疫病などをばら撒き続けていた。

数えきれない醜い怨嗟が身勝手にも白仙に向けられているのは知っている。


今回のチムンの浄化は積もりに積もった一切の感情を解き放ってくれるだろう。

そうだ“主”は一心不乱の、世界大戦を求めている。人の醜さの極地を滅ぼす最後の間際に見せてみろと。

勿論勝利するのは白華国……白仙教だ。



そして全ての愚か者を浄化し処分した後、最後は白華という国も国民も何もかも絶えさせる。

全ての命の抹消こそ完全なる浄化なのだ。

後に残るのは浄化の済んだ美しい土壌……“主”はその土壌で新たな、今度こそ間違えない素晴らしい完成された作品を作り上げるだろう。



「我々は不完全だ。我々は失敗作だ。“主”が新しい理想郷を建設する時、我らは存在してはいけない。

 これより創造されるのは新しい楽園なのである。我々はこれより「我ら」を切り捨てる。

 泣いてはいけない。 笑ってはいけない。怒ってはいけない。喜んではいけない。

 これらは全て不要な醜さなのだから」



淡々と“主”の意思と未来絵図を語る大尋問官を前に狂っているという感情さえトン・ツーには思い浮かばなかった。

理解が出来ない、というのが正解というべきだろう。

人と同じ四肢をもっていて頭部をもつ目の前の男が彼には人間には見えなかった。



全く想像できない悪夢の彼方から来訪した埒外の怪異としか見えない。

だから彼は怒りに身を任せた。たとえ相手が怪物であったとしても自らの国と部族を滅ぼそうとする敵には変わりはないのだ。

身を焼くほどの憎悪がトン・ツーに力を与える。


口を開けば出てくるのは嘲りだった。



「全能を名乗る“主”とやらは、ならばどうして今すぐにでも我々を消さないのだろうな?  

 真の造物主ならば瞬く間に失敗作など処分してしまう力があるだろうに!」



やらないから、ではなく出来ないのだと叫ぶ。

お前の崇める存在も所詮はまがい物でしかないと。

だが尋問官にはそんな言葉は届かない。


彼の心は凪であり無我である。故に彼はこう答えた。



「それは我らに相応しい末路を用意してくださったからだ。

 愚かで醜い存在へ鉄槌を下すのもまた愛である」



ここに至って言葉はもはや無意味だ。

憎悪を撒き散らすトン・ツーとそもそも会話などするつもりもない大尋問官の相対は全てにおいて平行線である。

じゃりんと鎖が大尋問官のローブの中より現れる。

真っ赤な光とこびりついた生臭い液体を垂らすおぞましい殺戮道具だ。



執行人が死を振りまくべく鎖を走らせる。

大尋問官の脳内は虚無である。

一切の感情を排して最高効率で目の前の存在を浄化する事を目的に掲げ回っていた。



彼にとってはこれは戦闘ではない。

浄化という使命であり作業であり……日常だった。



彼の真っ赤な鎖は蛇の様に空中を掻きむしり、猛禽の如き殺意でトン・ツーに死を突き立てようとする。

だがしかし彼もまたチムン族の長にして部族でも有数の使い手である。

目に見えない速度で迫る鎖鎌という死を前にして彼は全力で横へと飛ぶ。



一瞬にも満たない時間の後、彼の居た箇所を鎖がムチの様に打ち付け、大地に亀裂を入れた。

続く二撃目、横薙ぎに放たれる鎖の軌道を見切り、飛び跳ねる事でそれを回避。

虚空を噛んだ鎖はそのまま街の建築物を紙きれの様に両断していく。



間髪いれず襲い掛かる三撃目、処刑斧の如く落ちてくる超速の刃を大男はとてつもない直感と身体能力で何とか避けきることに成功し、新たな地割れが産まれた。



トン・ツーは長としてだけでもなく戦士としても非常に優秀な男であった。

彼は現状を正しく認識できていたと言っていい。

即ち、このまま距離を取って戦っていたところで勝ち目などありはしないと。



街全体を破壊しつくして余りある規模の鎖を振い続けながらも大尋問官には疲労の色は見えない。

彼は微動だにせず、腕を微かに動かすという最低限の動作だけで扱いずらいであろう鎖鎌という武器を完璧に使いこなしていた。



むしろ体力を削られているのはトン・ツーの方であった。

縦横無尽に這いずる鎖鎌から避け回り、右へ、左へと振り回されている。

あの鎖を防いでみようとは思わない。これは予想だが、防御の上から両断されるという未来予知じみた予感があった。




「ッッシッ!」



噛みしめた歯の間より息が漏れる。

腰を捻り勢いをつけて大剣を投げつけ……当然の様に空中で鎖に絡まれ弾き落とされた。


だが僅かに隙は産まれる。

剣は鎖を大地に縫い付ける楔となった。

ほんの一瞬、あれだけ周囲を飛び回っていた狩人は存在しなくなる。



彼は姿勢を低くし、獣の如く飛び掛かった。

金属の籠手を纏い、憎悪で内丹を活性化させた彼の拳は仙兵を粉々に砕く破壊力があり、人間ならば掠めただけで原型も残らない。



執行人が腕を微かに強く引いた。鎖がこすれ合いながら信じられない速度で巻き戻される。

絡みついた大剣ごと、だ。

トン・ツーほどの大男でようやく持ち上げられる鉄塊を大尋問官は鎖の先端に取り付けたまま、まるでハンマーの様にグルグルと回転させ、異端者を迎撃する。



爆音。とてつもない衝撃。



「ぐ、ぅっ───っっ!!」



横腹に向けて飛来してきたかつての己の相棒によってトン・ツーは空中から叩き落とされる。

咄嗟に拳を叩きつけて撃退したが、遠心力と大尋問官の想像を絶する腕力が加わった鉄塊の破壊力は彼の拳を遥かに上回っていた。

剣と拳が平等に砕け、彼は大地に全身を強かに打ち付けてしまう。




まずいと、瞬時に立ち上がろうとする前に首に鎖が絡みつく。

そのままトン・ツーは宙に引きずりだされた。

伸びる、伸びる、伸びる、鎖は限界知らずに伸び、大男は哀れな人形の様に何度も何度も高度から地面に勢いよくたたきつけられる。



街の東から西へ、南から北へ。とてつもない着弾の衝撃が人間の身体を粉砕していく。

チムン自治領を見渡せる程の高さに放り投げられたトン・ツーは大尋問官から伸びる鎖という基点を元に振るわれるハンマーの先端だった。

執行者はそれを巧妙に手繰り、もう一つの仕事もこなしていく。



風を切りながらも何とか眼を開けたトン・ツーが見たのは迫りくる一つの建物。

立派な造りのそこは避難所だ。こういう事があった場合、非戦闘員を集めて守護するための施設。

白仙教からすれば汚物の掃きだめだ。浄化すべき拠点であった。



「よ、せ、ぇぇぇ……!」



弱弱しく懇願するも何も意味はなかった。

次の瞬間、チムン族の長は自らの身で以て民たちの避難所を粉砕する。

耳が割れる破砕音と悲鳴と衝撃。何人もの弱者の絶望が産まれた。



砕けた施設の中におぞましい信徒が押し寄せ、兵士達は仙兵に大雑把に踏み殺される。

そうだとも、ここは楽園だ。この醜い存在の浄化が終われば間違いなく理想郷へと近づけるのだ。

悶えながら地を這う男の前に大尋問官が音もなく現れる。



首筋の鎖が解かれるも既に長にはこの赤い執行人に逆らうだけの力はなかった。



もう戦う事は出来ない。

だがそれは大尋問官にとっては関係のないことだ。

爛々と輝く赤服をはためかせながら彼は無様な異端に近づき勝者として敗者を見下ろし、首筋に向けて足を振り下ろした。



ぽきんと、首と胴体を結んでいる何かがへし折れ……トン・ツーは動く事が出来なくなる。

頭から下が全く動かない、かろうじて僅かに動く胸だけが空気を大きく吸い込み、とてつもない恐怖と痛みと絶望が彼を締め上げた。




「ぎっ! があぁっ!! っぐあぁ!! ぁ、ぁ、ぁぁぁぁ!!」



顔を踏みつぶされ、鼻が砕け頭蓋骨の形が変わる。

口内に抉りこまれたつま先が上口蓋を突き破る。

片目はつぶれ、噴き出る血液によって彼は呼吸さえ困難となった。



どれだけ叫ぼうと苦痛を訴えようと止まらない。

自分の行動に疑問を抱かず、何も思わず、彼は黙々と使命を果たすだけ。

黙々と踏み砕き、彼が彼だったモノへと変わり果てたのを見てからようやく彼は止まる。



「ぁ……ぎ……」



トン・ツーはまだ生きていた。

あと僅かばかり放置しておけば死ぬだろうが、それでもまだ生きてはいる。

彼のズタボロに砕けた胸当てを掴み、フードの中の顔を見せる様に大尋問官は頭を近づけた。




「───っ!」



死にぞこないが残った眼をこれ以上ない程に見開く。

フードの中に映ったモノは……自分の顔だった。

もはや原型も残さずに砕かれ、蹂躙された死ぬ寸前の自分だった。



まるでガラスの様なフルフェイスの仮面がこの者のフードの中にはあった。

そこにあったのは恐怖と絶望と苦痛を刻み付けられた自らの姿。

もう間もなく死ぬ男の顔。



死ぬ。死ぬ。死ぬ。

弱者として嬲られ消える男をこれ以上ない程の恐怖が襲った。

死の恐怖が。自分がいなくなった後、チムン族がどうなるかという恐怖が。



「ぃや……だぁ……ゃ……ぁ」



嫌だ嫌だと逃げたいが身体は動かない。

涙さえ零れない。



自身の死をゆっくりと、狂う程に味わいながらチムンの長は浄化され、こうして世界は少しだけ綺麗になった。



めでたし。めでたし。










廃墟となり何もかもが死に絶えたかつてのチムンの街を見下ろしながら尋問官たちは祈りを捧げていた。

彼らの心に私欲はない。

彼らの心に自己はいない。

彼らにも未来はない。

いつか彼らも“主”の為に命という不浄を捨てる時が来る。



「全てを作りだせし偉大なる白の“主”よ。

 その偉大なる御名の下、この不浄を聖となされますように。

 恐れ多く願わくは御名の下に跪きさせたまえ。

 我ら罪深き命を我らが浄化するが如く、我々の罪をも浄化したまえ」



楽園へと祈りを。全ての命という間違いに終わりを。

もう二度とこのチムンという土地にあらゆる命が根付きませんように。

この地全てがあらゆる命を拒絶しますように。



全て、全て、全てが死に絶えますように。

何もかもが消えた後、今度こそ完成された理想郷が創世されますように。

偉大にして至高なる意思の下に聖絶を実行する。



信者たちの崇拝の念に“主”は応えた。

天から堕ちてくるのは幾つもの奇怪な石の塊。

とても青く美しい宝石で、それは家屋ほどの大きさがあった。



それらが次々と街のいたる所に埋め込まれていく。

並行して青い光が街を覆い尽くし……徹底的な“浄化”が行われる。



啓示を受けた尋問官たちはとてつもない速度で街から脱出し、遠くからその光景を見守っていた。

彼らの身体は“主”が守っているために問題はないが……普通の全ての生命にとってこの青い光は死そのものであった。

土地を殺し、命を終わらせ、仮に生き残っても子を作る能力は奪われる「祝福」でもある。



「祝福」はとても長く土地に根付き、ここを訪れた者らにもそれらは病の様に伝染する。

「祝福」の効果が薄まるにはとてつもない時間がかかる。半減期は10万年ほどだろうか。

“主”はいずれこの行為をこの世界の全てに対して行うつもりであった。



光が瞬く。浄化を撒き散らした青光りは白亜にとって代わり、猛烈な爆風が吹き荒れる。

天に昇るのは真っ白な樹木……それは大地より生える雲だった。

後には何も残らない。街のあった箇所には「穴」だけしか。



かくしてチムンという民族は滅び去り、その文化と歴史も徹底的に抹消された。




そしてこれが始まりであった。

この数か月後、白仙大陸史上最大の戦争が開戦することになる。

全てが“主”の望むがままに進んでいた。




おぉ“主”よ、かく尊き御身に永遠の栄光があらんことを!

あなた様の前に存在する全ての呪われたモノに聖絶のあらんことを!


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