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箱庭の技法  作者: 游魚
失われた物語
9/31

【とある統率者(氷姫)】

番外…になるんでしょうか?

本編に関わるのはずっと先になりそう。

木の上の少女の正体です。

 

 雲をはるか足元に望む高い高い天険の山。その頂に、まるで天を支える柱のようにそびえ立つ、氷の城がある。


 その中の、円形の広間。


 遥か高い天井まで続く壁一面には氷の花が咲き乱れ、天井から垂れ下がる巨大なシャンデリアは純粋な氷の霊子が発する冷えびえとした光を広間いっぱいに撒き散らし、全てを宝石の様に輝かせていた。


 氷の床には白く網目のような魔法陣が奥底まで何層にも重なり、透明な床を純白に煌めかせている。


 およそ人の手では造り得ない荘厳な美しさの中心に、まるでその一部であるかの様にじっと動かない二人の少女がいる。


 ひとりは、これも氷の彫刻かと見紛うような、透き通る白さの美しい少女だ。肌も、長い髪も、薄布を重ねたその衣服も、どこまでも白い。壁から迫り出した氷の玉座にゆったりと腰掛け、目を閉じている。


 もうひとりは、雪片のように儚い雰囲気を醸し出す、影の薄い少女だった。跪いたつま先や膝、若葉色の髪の先が、霜で白く染まり、まるでこれからこの建物と同化しようとしているかのようにも見える。玉座の少女の繊手(せんしゅ)を押し頂くように両手で包み、彼女もまた、俯いて目を閉じていた。


 耳が痛くなる静けさを、玉座の少女が発した玲瓏(れいろう)とした声が破る。


「相分かった。……下がって良いぞ」


 跪いていた少女は、俯いたまま数歩後退すると、一礼して部屋を出て行った。


 再び、沈黙が訪れる。


 氷の間に残された純白の少女は、固く閉じていた瞼を、ゆっくりと開いた。けぶる白い睫毛の影から、血のように赤い瞳が覗く。


 何の色も付いていない氷のステンドグラスから溢れた光が、白い床に輪郭の曖昧な影を投げかけている。少女は吹雪に彷徨う過去の亡霊のようなその影を、柳眉(りゅうび)をひそめてじっと見つめていた。脳裏では、今しもべから渡された一人の少年の映像が何度も繰り返されている。


 やがて、その口元がぐっと歪められた。作り物めいた花のかんばせに、人間らしい表情が宿る。


「全く、忌々しい。あのノータリンの阿呆(あほう)が今回の“魔王”じゃと?」


 少女は荒々しい仕草で立ち上がると、粉雪を舞わせて玉座から飛び降りた。その白い素足が、魔法陣の描かれた床を踏みつける。


「動くべき時に動かず、寝て暮らしておったくせに……あれは何のつもりじゃ。後始末をつければ、責任をとった事になるとでも思うてか」


 少女の足の触れた部分から根が張るように、光の筋が氷の奥へ奥へと伸びて行く。そして光の行き着く先が遠く見えなくなった時、今度は奥底から突き上げるような光の柱が立ち、広間の陰影を消しとばした。城が彼女の呼吸に呼応するかのように鳴動し、大地が割れるような音を立てる。


 その中で、少女は髪の一毫(いちごう)たりとも動かさず、どこまでも冷え切った鮮血の瞳で、床の、その奥を見つめた。


「……おい。(わらわ)に応えよ、土の。とうとうくたばったのか?」


 冷ややかな声に、地の底から響くような(しわが)れた老人の声が応えた。


『おお! この口の悪さと無茶苦茶な開門の仕方は、氷のじゃな⁉︎ お主、また姿が変わっておるの」


「いつの話をしている? そちと最後に話したのはもう……300年も前の事ではないか」


 それだけ時が経って、変わらない方がおかしいのだ。それに変化はむしろ、少女より相手の方が顕著だと言えた。その変化の根本に、孤独に揺蕩(たゆた)う者独特の緩やかな狂気が見え隠れするようで、少女は少し睫毛を伏せる。


『そんなにもなるかの? しかし相変わらずの若作りっぷりは見事じゃ』


「黙りゃ。氷漬けにされたくなければ、あの阿呆がどういうつもりで此方(こなた)に顕現したのか、そちの知る限りを吐くのじゃ。妾に理解できるようにな」


 心臓を凍りつかせるようにな少女の声もどこ吹く風と、老人の声は愉快そうに答える。


『ほほぅ! なんとも物騒な脅しじゃのう⁉︎ お主とやり合えるなんて願っても無い機会じゃ! 美女に氷漬けにされるのなら本望じゃしのぉ』


「お主ではなく、お主の“お気に入り”を氷漬けにすると言ったのじゃ。無駄口を叩くな、老害」


『……ほーう?』


 飄々と掴み所のなかった老人の声が、急にずしりとのし掛かるような圧を帯びる。突如、建物全体が身震いするように揺れた。天井のシャンデリアから小さな氷のカケラがぱらぱらと落ちて降りそそぐ。


 厄介な、と少女は小さく舌打した。彼女は、莫大な霊子を持つからこそできる力技で、イストリアの封印に小さな狭間を空けているに過ぎない。彼女らにとっては針の穴のように小さな隙間から、此方の世界の、彼女の創造物であるこの城にこれだけ影響を与えるとは。


『それはまた、楽しそうな事を言ってくれるの? 年甲斐もなく心が沸き立つようじゃ』


 相手はこちらの聞きたい事を全部分かった上で、わざと会話を長引かせているのだろう。ふざけた態度も、怒る様子も、あちらにとっては全て少女の反応を楽しむだけのお遊びに過ぎない。しかしこれでもまだ、他の仲間よりは話の通じる相手なのだ。


「イストリアに囚われるそちが、此方で妾に敵うと思うてか? 負けの分かっている勝負に乗ろうとするなど、そちも相当暇よの?」


『お主こそ、その体でワシとやり合うと? ふむ、人の身に降りても、所詮(しょせん)は血も涙も借り物か……情がないのぉ?』


 少女の白い頬にさっと血の気が差した。殺意が氷結し、鋭利な刃となって華奢な体の周りを漂う。


「そち達に、情について説かれる筋合いはないわ。無為に会話を続けるつもりなら切るぞ」


『なんと、時の流れる世界で生きる者は誰も彼もせっかちで困るのぉ。寂しい老人の相手もしてくれん。炎のはまだ面白味の分かるやつじゃったのに、呼ばれた途端にいそいそとそっちに行ってしまうし……。やはり、あの“茶飲友達”とは貴重な申し出だったの。……どうしたんじゃ? 切らんのか?』


 すっとぼけた声に少女の顔つきはますます険しく、生気を帯びた表情になった。


「呼ばれた、と? アレが自ら来たわけではないのか?」


『耳が早いお主が、隠居したワシなんぞに教えを請うのか? まさかのぉ? きっと無知なワシをからかっておるんじゃ……悲しいのぉ……』


「いい加減にせんと、妾も本気で怒るぞ?」


 少女の赤く色付いた唇から、血霧が漏れた。瞳にちらちらと金の火花が散る。

 やがて床の奥底から不快そうな呻き声が聞こえる。


『おお怖い。ほんとに無茶苦茶な奴じゃ。そこからワシを喰らおうとするとはの。……はぁ、仕方がないのぉ。おなごにここまで迫られてはワシも応えんわけには……痛い痛い』


 別に痛くもなさそうに、笑いの混じった叫び声が響く。

 一方で少女は苦しげに顔をしかめた。口の端を血が伝い、陶磁器のように滑らかな手足には亀裂が走っている。

 少女は乱れる息を無理やり整えながら声を絞り出す。


「ふざける、のも、大概にせい。……それで? 呼ばれたとは、どういうことじゃ? アレの依り代となれるような者は途絶えたかと思っておったが……」


「ふむ、なるほど。お主の走狗そうくは聖堂にしか潜り込めておらんようじゃの?」


 少女は、口端の血雫を指の腹ですくって舐めとりながら、老人の声に無言で応えた。


『……それがの、あの娘には子ができたんじゃがな? 都合のいい事に、血が薄れはしたが双子だったのじゃよ』


「一人を使い潰して、もう一人に降ろしたのか。相変わらず(むご)い事をさせる」


 少女は自分の血の味に舌鼓(したつづみ)を打ちながら、つまらなそうに呟く。

 しかし、地響きを伴った老人の笑声が、その言葉を訂正した。


『それが、双子の片割れが自主的にやったんじゃよ。しかも、自分の兄以外の候補を何人も道づれにして、完璧な魔方陣を描きおった。お陰で炎のは、命令に縛られておる。あれは、なかなか死ぬには惜しい傑物(けつぶつ)じゃったのぉ』


 少女の動きがぴたりと止まる。


「……なんと言った? 仮にも我らが同胞ともあろう者が、王以外の命令に縛られておる、じゃと?」


『驚くじゃろう? ワシも炎のもびっくりしての。こりゃあ面白いと……』


「面白がっておる場合か⁉︎ 王の道理の一つもわきまえん小童(こわっぱ)が、我らの一柱を使って良い筈がなかろう! あの阿呆、どおりで様子が違うと思ったわ。体の自我を残してどうするつもりじゃ……」


 今にも走って様子を見に行きそうな、焦る少女の姿が見えているのかいないのか、老人の声はどこまでも可笑しそうだ。


『のう、どうするんじゃろ? ワシも炎のに与えられた命令は知らんのじゃよ。しかし、炎のとひとつの体に同居するなんぞ、居心地が悪そうじゃが……そこのところ、どうなんじゃ?』


「脆弱な人の自我など、そのうち発狂しよるわ! それ以前に、あやつがしょうもない事で死んだらどうする⁉︎」


『心配してやるのか? 優しいの』


「……そちも死にたいのなら、はっきりそう言うがいい」


『死にたいの。それがワシの最後の務めであるはずだったのじゃが……』


 少女は脱力したように肩を落とすと、力なく首を振った。


「そちにまともな感性を期待した妾が馬鹿じゃった」


くつくつと、揶揄(やゆ)する様な忍び笑いが地を揺らす。


『まるでお主が“まとも”である様な言い草じゃな。そう思っているのなら、笑止の至り』

 

 言い返そうと開かれた少女の唇は、しかし何の言葉も紡ぐ事なく閉じられた。振動にサラリと落ちた純白の髪が、その表情を影に隠す。


「……とにかく、炎のにも話を聞いてみないことには……アレと話せるかどうかも微妙じゃが」


『しかし、お主がそこまで必死になる必要はあるまい? お主の出番はまだ先じゃろう。なぁ、グラスネーヴェの王よ? 前回ワシにしたのと同じように、ただ“魔王”を退けるだけじゃ。そして散々に誹り、大いに恐れ、その悪名を好きなだけ使い潰すが良い。それで人の心は休まろう』


「また……」


 少女は掠れる声を絞り出す。


「また、あれを繰り返すつもりか? あの阿呆にそんな大役務まる筈が無い……」


『炎のは、お主と似て人情(・・)があるからのぉ? しかし、ワシらの優しさなど、願望が見せる幻じゃ。そうあるべきじゃ。他に道は無い』


 少女が大きくため息を吐く。湿気を帯びた息が、白くキラキラと凍りついた。


「次、炎のに似ておると言ってみい? あの時死ねなかった事を後悔させてやるわ。しかし、そうじゃな……妾が出しゃばるのは間違い、か」


『“結局、理解の及ばない圧倒的な恐怖ほど、人々をまとめ導くのに都合の良い物は無いんだ。我々は、名実共に悪魔である必要がある”』


 突然、地の底から聞こえる声が、若々しい青年のものに変わる。


 パキン、と氷の床に亀裂が走った。

 見たものを骨の髄まで凍りつかせる少女の氷の目が、見えない相手を睨めつける。


「……何のつもりじゃ、土の」


『なに、花の盛りを氷漬けにして、長く愛でようとするのがお主のやり方じゃろうが……朽ちて土の養分となるのも、花の務めじゃよ。お主はそれを忘れておるんじゃないかと、思っての』


 亀裂の入った魔方陣から聞こえるひび割れた老人の声が、徐々に遠のいていく。


 最後に、立ち尽くす少女を励ますかの様に大きく地が揺すられ、そして少女の城は、再び閉ざされた静寂へと戻った。




出来れば明日も更新します。

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