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箱庭の技法  作者: 游魚
失われた物語
7/31

憑いたモノ

 

『あっ、痛っ。これは痛いわ。……小僧、今日のところはそこのおっさんに食わせてもらえ』


 そんな声が聞こえたかと思うと、腕の痛みはほんの一瞬で去り、目に見える勢いで膨らみ始めていた切断面もぴたりと動かなくなる。残ったのは左腕の重怠いような感覚だけだ。


「……えぇ⁉︎ いやちょっと」


「カラン、どうかしたか?」


 思わず悪魔に突っ込みそうになった僕をゼノヴィスが訝しげに見つめる。そういえばこの前は悪魔憑きについての質問ができなかった。今なら答えてくれるだろうか。


「ゼノさん、悪魔憑きになると身体の再生が出来るものなんですか? 悪魔が左手を生やすと言っていたんですけど」


「……ちょっと待てカラン。今、悪魔が話すと言ったか⁉︎」


 ゼノヴィスは鍋をかき混ぜる手をぴたりと止めると目を剥いた。こんな反応をされるという事は、やはり悪魔が話しかけてくる事は一般的ではないのだろう。


「孤児院を出て以来、時々声が聞こえますよ。今は左手を治すと言われました。無いと料理や食事に困るから、と。時間がかかりそうですけど」


 それを聞いたゼノヴィスは、固く目を閉じると眉間を押さえて俯いた。


「間違いないのか?……何かの勘違いでは?」


 僕は少し伸びた左腕を指し示して首を振る。


「最初は幻聴かと思いましたけど、その言葉どうり腕もちょっと伸びてますし」


「……」


 ゼノヴィスは僕の左腕を、薄目を開けて睨むように一瞥すると、溜息を吐いた。嫌な家系だ、と小さく吐き捨て自分の言葉に顔をしかめる。


「……その、僕は大丈夫なんでしょうか?」


 その様子を見て少し不安になった。一体自分の身に何が起こっているのだろうか。自分では全く予想がつかないのだ。


「少なくとも、その体は大丈夫だろうが……」


 鍋の沸騰する様子に、ゼノヴィスは言葉を切ると、再び鍋に視線を落とした。


「先に食事にしようか。冷めてしまったらもったいないからな」


 僕は釈然としない気持ちを抱えながらも頷く。辺りには炊き立ての米とスープの何とも食欲をそそる香りが漂っていて、一気に空腹を感じ始めていた。今は食欲が優先だ。ゼノヴィスから器を受け取ろうとしたところで思い出す。


(あ、そうだ片手じゃ食べられないんだった)


「すみません、何かテーブルの代わりになる様な物ありますか? 片手だと食べ難くて……」


「ん? あぁそうだったな」


 ゼノヴィスは納得した様に頷くと、木の器とスプーンを手に取った。


「ほらカラン、あーん」


「……」


 至極当然の顔をして目の前に突き出されたスプーンに、思わずジットリとした視線をゼノヴィスに向ける。


 なんというか、拾った子犬や子猫にエサをやって、食べるかどうか見守る子供の様な顔をしている。彼の中で僕に対する認識はどうなっているんだろうか。


「……馬車に丸イスがありましたよね。あれ使っても良いですか?」


「あぁうん。いいぞ……」


 残念そうにスプーンを引っ込めるゼノヴィスを尻目に、僕は馬車に向かう。


 意識の無い間はああやって給仕されていたのかもしれない。まずい、早く何もできないお荷物の印象を払拭しないと、このままでは子供扱い……下手したら、か弱い赤ん坊扱いされ続けかねない。別に不快なわけではないが、きっと人としてダメになる。


 僕がイスを持って戻って来ると、ゼノヴィスは平らな座面の上に、山盛りのごはんの器を載せてくれた。スープの器は下に置いて、食べる時には交互にイスの上の器を入れ替えなければいけない。片手しか使えないのは本当に不便だ。


 孤児院ではパン食だったので米を食べるのも、箸を使うのも久しぶりである。


 炊きたての米から漂う懐かしい香りに引き寄せられるように、ごはんに手をつけた。久々に食べる米の甘みに頰が緩む。程よいおこげも香ばしい。

 湯気の立つ温かなスープは、馴染みのない香辛料の複雑な香りがした。ピリリとした辛味が干し肉と野菜の旨みを引き立たせ、胃からじんわりと身体を温めていく。


 美味しくてびっくりした。そして、そんな美味しい物を、何の制限もなく食べる事を許されている。

 僕がしみじみと感動を噛み締めている一方で、どうも感覚は完全に共有しているらしい悪魔は、脳内で騒がしく狂喜乱舞していた。


『うまっ⁉︎ うっっま‼︎ 何だこのおっさん天才か⁉︎ いや〜こいつに憑いて一時は失敗したかと思ったが、これは正解だったなぁ……。まさかこんな感覚が味わえるとは! あ、おい小僧! 米ばっかり食うな。交互に食べてこそ両方の美味しさが引き立つもんだろう⁉︎』


 とりあえず喧しい悪魔の声は聞き流し、僕はゆっくりと食事を味わった。


「……すごく美味しいです」


 そう言うと、僕が食べるのをチラチラと気にしていたゼノヴィスは笑み崩れた。


「そうか! 今日はあまり食材を揃えられなかったが、職業柄、香味料は色々手に入るからな」


 それからゼノヴィスは頼んでもいないのにおかわりを盛り、僕が食べる様子をニコニコと眺めていた。自分の食事などそっちのけだ。正直、向けられる視線がいたたまれないし面映ゆい。僕は片手でできるだけ速く食事を平らげると、箸を置いた。


「ごちそうさまでした。……それでさっきの続きなんですが、僕はどういう状態なんですか?」


 ゼノヴィスは僕の質問を避けるように視線を落とすと、食器を片付け始めた。


「悪魔憑き自体はそう珍しくもない。その名の通り、人に悪魔が取り憑いた状態だよ。よくあるのが、術によって悪魔をとり憑けられ、魔術師や貴族の支配下に置かれた状態の“悪魔憑き”だ。他にも、稀に魔術師自身が悪魔に乗っ取られる事がある。この場合、受肉した悪魔は王や術師の統制が効かないから厄介だな。この悪魔に肉体を奪われた状態の人間は、特に“魔人”と呼ばれているが、これも悪魔憑きの一種ではある」


「ええっと、僕はどっちでしょう? 乗っ取られてはいないと思いますけど」


 だからといって、わざわざ僕を支配下に置こうとする奇特な人物がいるとも思えないが。


「私にはどちらとも言えないが……問題はそこじゃない」


 ゼノヴィスは大きくため息を吐いた。


「さっき神話を教えただろう? 私が知る限り、王家の長い歴史の中でも、明確な人格を持ち、人と言語による意思疎通ができたとされる悪魔は……祖王達の使役した、6体の“創世の龍”を除いて他にいないんだよ」


「……つまり、僕に憑いているのがその“創世の龍”のどれかだと?」


(この食に関して小うるさくて、痛がりの声の主が……⁉ まさか)


『おい小僧! 口のきき方に気をつけろ⁉︎ テメェ、誰のお陰で今生きていられると思ってる⁉︎ 俺様をその他の悪魔と同じと思うなよ。王族も跪く存在なんだぞ!』


「ああ、当たりみたいですよ。それらしい事を悪魔本人が言ってます。だけど、そんな悪魔がずっと憑いていても僕、大丈夫なんでしょうか?」


 ゼノヴィスは何とも言えない表情でしばらく僕を見た後、言葉を選ぶようにゆっくりと答える。


「……この世での肉体と寿命を持たないイストリアの悪魔が、それでもこちらの世で存在し続けるために必要とする物がある。それが依り代となる血肉と、この世に滞在する間の命数だ。大概の悪魔憑きでは、憑かれた者の命が持ってかれるが」


「えっ」


 それは困る。一刻も早く悪魔にはこの体からご退去願わなければ。


「お前の場合はしかし、大丈夫だろうな。少なくとも当分は」


『そうだぞ。久々に大盤振る舞いされたからな』


 満足げなゲップさえ聞こえてきそうな、のんびりとした悪魔の声がゼノヴィスに追従する。


「どういうことですか?」


「悪魔の霊子量に比例して、代償を支払う者は負担が増える。本来、悪魔は気軽に使えるものではないんだ。それなのに、高位の悪魔を使役できる王族が短命でないのはなぜだと思う?」


「……滅多に使わないからですかね。身分の差で命の価値は変わらないでしょう?」


 ゼノヴィスは口の端で淡く笑った。


「それが、イストリアに繋がれる者にとってはそうでもないんだよ。王として立つ者や、貴族として表に出てくる者達が短命である事はない。しかしこの一方で、表に出ない者達がひどく短命なんだ。これは統治者を早死させない為、そして支配階級を増やさない為に必要に駆られてできた制度だろう」


 僕は説明の意図をはかりかねながらも頷いた。


「つまり、統治をする人と、魔術を使う人を分けてるんですか?」


 ゼノヴィスは魔術じゃなくて奇蹟な、と呟くと首を振った。


「違う。権力をもつ者と、力をもつ者が違うと面倒だからね。王も貴族も、皆本人が奇蹟を使って統治している。ただ、彼らが消費するのは自分達の寿命じゃない。彼らの親族が使わずに遺した命数なんだよ」


 そう言ってゼノヴィスは肩をすくめて見せた。


「そうだな……簡単に言えば金銭みたいなものだ。イストリアに繋がる者は、身も魂も、そして命もイストリアに縛られているから、もし術者が自分で寿命を消費し切らず死ねば、残った命数はイストリアで貯蓄されるんだよ。そして通常、それは血の繋がりに応じて分配され、相続されていく。才覚ある者は消費する側になり、それ以外が貯蓄を作る側になる、という役割分担ができているんだ」


 要するに、親兄弟が寿命を気にせず術を使えるようにするため、さっさと死ななければならない人がいるわけか。


「なんと言うか……人身御供(ひとみごくう)みたいですね」


 捧げる先が悪魔なのだから、生贄(いけにえ)といった方が正しいだろうか。どちらにしろ嫌な話だ。


「まさにそうだな。王族は、何代にもわたってこれを繰り返す事で、より強大な力を使役することができるようになった。……いわば命の大富豪だよ」


 流石に、ここまで話をされて気づいた。ゼノヴィスは核心を避けて迂遠(うえん)な話し方をしているが、要するに、僕の場合もこの例に当てはまるという事だろう。

 僕は目を合わせようとしないゼノヴィスの顔から、目の前の炎に視線を落とした。


「同じように、両親が寿命を待たずに死んでいる僕には、その分貯蓄があるってことですよね?」


 なるほど自分の現状は分かった。必要以上にこの話題を続けたくない。


 炎の明かりが揺らめきながら弱まっていき、宵闇が僕達の影を飲み込んで行く。これまでなら、もう寝ている時間だろう。


(他人と話すのは疲れるんだなぁ……)


『人が語る歴史、面白いじゃねぇか。しかし……フム、確かに“疲れる”な。……変な感覚だ』


 悪魔の声もどこか眠たそうだ。多分、傷口は塞がっても、まだこの体の体力が回復していないのだろう。


「両親……そうだな」


 ゼノヴィスは言葉を探す様に、宙に目を彷徨わせる。


『ああ、あとテメェの弟な。あいつはスゲェぞ』


「弟?」


 悪魔に気の無い様子で告げられた言葉が口から溢れた。同時に、ぼんやりと眠気に蝕まれ始めていた頭で悪夢の残滓が再生する。


(ああ……なるほど。あの夢は、現実か)


「弟も死んだんですね」


 多分、頭のどこかでは薄々分かっていたのだろう。だからだろうか、不思議とアルムが死んだ事を認める事に抵抗は無かった。「死んだ」という言葉がストンと胸に落ち、大きな穴を開ける。


 ゼノヴィスは沈痛な面持ちで目を伏せた。


「お前の現状を見る限り、そうなんだろうな」


 ゼノヴィスの悲しそうな表情を、僕はどこか他人ごとのような気持ちで見つめる。


 喪失感は感じている。吸った息が喉に詰まって上手く肺まで届かない。自分が呼吸の必要のない砂袋にでもなったような気分だ。心にぽっかり空いた穴から、何か取り返しのつかないものがサラサラと零れ落ちて行く気がした。

 だけど今、悲しいとか、辛いという感情を許してしまえば、自分が自分で無くなる様な恐怖がある。


 死んでしまったものは、仕方ない。それはもう、どうしようもないのだから。


「だけど、どうして」


 ゼノヴィスは一瞬口を歪めると、視線から逃れるようにしばらく目を閉じた。


「アルムの意思は、私には分からないよ。結局私は、あの子に会う事ができなかったから。お前に憑いた悪魔に聞いてみたらどうだ? 他の悪魔と違って、彼らにははっきりと自我があるんだから、一方的な契約は出来ないはずだ。……何のつもりでそこにいるのか、私も聞きたい」


 ゼノヴィスは感情の見えないガラス玉のような目でこちらを見た。


『このおっさんも大概だな。察しはつくだろうに。俺様がいちいち説明してやがる義理があるか』


 まったく、コイツは俺様にもう少し敬意を払って然るべきだ、と呟く悪魔の声は本格的に眠そうだ。


 僕は目を閉じると、心を空っぽにしながら考える。


(アルムにはどんな目的があった?)


 そうだ、夢で彼は僕に何かを期待しているようだった。


「……僕に何を期待していたんだろう?」


 口から溢れた疑問に、二つの声が同時に応えた。


『復讐だろう? なぁ、手始めに、あの身の程知らずにも俺様に手を出した、あの王族を潰してやろうぜ』


「平穏に生きる事だ。カラン、変な事は考えるなよ」




お読みくださりありがとうございます。

深く考えなくて大丈夫です。


明日も更新します。


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