怒りは常に愚行に始まり悔恨に終わる 4
さて、これは誰視点でしょう
カタカタと、重厚な造りの割に軽やかな音を立てて飾り立てられた馬車が走る。屋根の上にはためくのは漆黒の雲を切り裂く黄色の龍の紋章旗。エレットネールの国旗である。
馬車の窓を覆うベルベットのカーテンは、この国の好奇心に満ちた視線だけでなく日光すらも中に差し込むことを許さない。そのため外の明るさに反して車内は薄暗かった。光源になっているのは、天井に固定された小さなランプだけである。
大きな荷物を載せる事や、大人数が乗り込む事など全く想定されていないのだろう。その車内の大部分は進行方向を向いた大きなソファに占められ、床には牙を剥き出しにした白狼の毛皮が敷かれている。ただただ中で過ごす者の快適さのみを追求した内装は、まるで大人向けの乳母車のようだった。
そんな車内の柔らかすぎるソファには、ひとりの青年が痩せた体をクッションに半ば沈み込ませ眠っている。
薄闇で浮き上がるような病的に白い肌。知的に秀でた額。艶のない薄墨色の長い髪は緩く編まれ、後頭部の低いところで一つにまとめられている。
車輪が小石でも踏んだのだろうか。カタン、と車体が揺れた。
髪が一房、髪紐から逃れてはらりと青年の目元にかかる。それを契機に彼の意識は何かに引っ張られるように覚醒に向かい、やがて重たげな瞼は開かれた。
また、馬車がカタンと揺れる。
とろんとしていた青年の垂れ目が突然はっと見開かれた。視線が頭上をさまよい、窓の方へと向けられる。
「あら起きたのね、わたしのオーディン」
青年の隣にひっそりと腰掛けていた若い女は目覚めた青年に優しく微笑むと、指先で彼の目元にかかった髪を払って額に軽くキスをする。
「ちょうど良かった。ほら、感じるでしょう? もうコフェルスに入ったみたい。……どうしたの? また体調が悪い?」
彼女は、窓のカーテンを凝視し続けている青年の顔を心配そうに覗き込む。胸元を飾る銀細工のネックレスが揺れ、嵌め込まれた小粒の黒聖石がチラチラと鈍い光を反射した。はるか遠くを見るようだった青年の目は、やがてその揺れる光の方に焦点を結ぶ。
「……いえ。なんでもありませんよ、姉君」
「本当? 無理はしないでね。貴方は昔から体が弱いのだもの」
青年はなおも心配そうな姉にふわりと優しい笑顔を返すと、ソファに浅く座り直して伸びをする。
「少し、寝ぼけただけです。異国の気配に驚いてしまって」
よほど鈍感な者でない限り、どの国であっても王都に足を踏み入れれば何となく感覚でそれが分かる。濃くなった霊子濃度の変化を体で感じとるのだ。特に国外から訪れた者は、慣れない霊子に晒されるだけにその時感じる違和感も大きい。これが所謂“異国酔い”というものである。
感じ方は人によってまちまちで、例えば気温や湿度の変化を肌で感じるようであったり、遠地の水の硬度の違いに舌が違和感を感じるようであったり、馴染みのない匂いに包まれるようであったりする。
彼は姉の様子をちらりと窺い見た。
異国酔いで、まれに体調を崩して寝込んでしまう者もいるのだ。魂に馴染まぬ霊子に晒されるのは、やはり体に負担をかける。青年は不思議と異国酔いには強かったが、国外に出ることなど滅多にない姉は大丈夫だろうか。しかし、姉は彼の心配をよそにワクワクとはしゃいだ声を出した。
「素敵な雰囲気。これがフィアラムなのね。エレットネールとは空気が違うわ。分かるでしょう? 明るい炎のにおいがする。景色を見なくても楽しい国なのが分かるわ」
彼女はくんくんと空気を嗅ぐ仕草をして見せると、悪戯っぽい笑みを浮かべて青年を見た。
「オーディン、貴方は? 貴方はこの国に何を感じる?」
彼の姉はにおいを感じると言ったが、彼はもっと顕著にその変化を認識していた。彼の場合、生まれつき視えるのだ。あらゆるものに宿る霊子のその様子が。
「フィアラムの暑苦しい気配をむんむん感じます。それに確かに匂いがしますね。何か、花の芳香のような」
しかし、彼は姉を真似て鼻をひくつかせるだけで、彼の目に映る光景を姉に説明しようとはしなかった。青年が視界から感じる王都らしかなさ、そして胸がざわめく不安感は、視えないものに言葉で説明するのは難しい。
彼はソファから立ち上がると、窓を覆う厚いカーテンを取り除く。常夏の国の焼け付くような太陽の光が車内を明るく照し出した。車内で天井のランプが驚いたようにフッと消える。
「ああ道理で香るわけです。見てください、姉君。……花が」
窓の外。真っ直ぐ伸びる広々とした街道。
歓迎の気持ちの表れなのだろう、その白い石畳の上一面に、真っ赤な花が敷き詰められていた。路の脇で陽気に歌う人々が、建物の窓から身を乗り出した人々が、手に手に花を掲げ、それを馬車の進む先へ投げ入れる。その多くは薔薇やベゴニアで、開け放たれた窓からは息が詰まりそうなほどの濃密な芳香と青臭さが流れ込んできた。整備された王都の街道にも関わらず馬車が何度も揺れたのは、大きめの花束を踏んだからだったらしい。
(なんて異様な風景だ)
青年は、馬車の後方を振り返った。車輪に踏み潰され、地面にへばりついた花の無残な姿が見えるようだった。
「まぁ! なんて綺麗。みんな今日の婚儀が嬉しいのね。フィアラム王家は国民に慕われているんだわ」
青年の隣に来て窓の外を覗き込んだ彼の姉は、目を細めて馬車の行き先——フィアラムの王宮を振り仰いだ。
「フィアラムの次王はどんな子かしら。会うのがとても楽しみなの。同じ王を継ぐ者同士、お友達になれたら良いのだけれど」
キラキラと赤い瞳を輝かせる自分の主君に対して、きっと姉君なら仲良くなれますよ、と青年は従順に微笑んだ。
*
(なんだこれは!)
青年は大笑いしたい衝動を頰の内側を噛んで抑え、お行儀の良い無表情で王宮の回廊を歩く。不自然に思われない程度にゆったり周囲に視線を運ぶ。姉ならば好奇心のままに辺りをキョロキョロ見回しただろうが、従者の身分である自分にそんな不作法は許されない。
それに青年が視線を奪われる先は、見事な金細工の飾り柱でも、目に痛い色彩の花が咲き乱れる中庭でも、精緻な模様のタペストリーでもない。他人に見えない物を目で追っている姿に気づかれたら、不審に思われるかもしれなかった。礼服で警備する騎士たちの表情を見れば、自分達が賓客とはいえやはり部外者であるのだと思い知らされる。
青年らがここに着いたのは明けの9時。儀式が始まるまであと6時間。
続々と各国の王族や重鎮がフィアラムの王宮へ到着している。他国の王族たちがこうして一堂に会する事など滅多にない。エレットネールの次王である姉は饗応に応じ社交で交流を深めと忙しいだろうが、それに彼が同行するのはあまり相応しいとはいえないだろう。その辺は姉もわきまえていて、青年がひとり部屋に残る事を許してくれた。束の間の自由を手に入れた青年は、与えられた客室を抜け出し思うままに王宮を探索している。
次王の兄弟である自分は、“神饌”だ。
各国の王や次王、その誰もが神饌に対しては少なからず罪悪感や後ろ暗さを抱いているものである。そんな彼らが集まる場所に青年がいれば、気まずい雰囲気が流れる事は必至だ。そもそも神饌は、それが誰であるか周囲には隠すものなのだ。憚ることなく自分を姉と呼ばせ側に置く姉の感覚は少しズレているのだろう。
(でも姉君の考えには信念があるし、行動には覚悟がある)
自分のために犠牲になるものから目を逸らさない。惜しみなく愛情を注ぐ。いつかは、その手で始末をつける。
それはまるでいつか肉になる家畜を丹精込めて世話する、責任感の強い飼主のように。
青年としては姉の割り切り方を好ましいと思っている。そこに至る過程に対する思考を放棄して、ただ食卓に供される肉を貪るだけの善人たちよりはよほど優しい人だと思うのだ。同時に、自分が本当に死を理解できない家畜であったならどれだけ良かっただろうとも思う。
国の中心であり、イストリアの門を抱えている王宮ほど霊子に満ちた場所はない。
だから王宮にはありとあらゆる場所に法具が設置され、王族の圧倒的に快適な生活を支えている。でも今日ばかりは様々な大掛かりな法具にも魔石部分に霊子止めがかけられて、自動的に作動しないようにされていた。
王族は自国と近い霊子組成で成り立つ魂を持つため、国内の法具を使う事に支障はない。しかし他国に入れば、その国にとって他国の王族は霊子を乱す異物だ。力の強い魔術師と同じ。そんな者たちがぞろぞろと集まって来るのだから、法具の誤作動を防ぐために処置がされているのも当然の事だった。
照明や空調など、必要な機能はどうなっているのだろうと思ってさりげなく視線を向けると、ムッツリとこちらを睨む悪魔と目が合った。目を凝らせば、その周りに霊子回路が描かれているのがぼんやりと光って見える。
法具が持つ本来の霊子回路に外部から別の霊子回路を組み込む事で、悪魔を安定した動力源として使用できるように改変しているのだ。
(こんな事をしてのけるヤツが、この国にいるなんて!)
悪魔の特性と法術の霊子回路の作用、そのどちらの意味合いも深く理解していないと出来ない離れ業である。誰がこんな、無駄に手間のかかる事をしているのだろう。
(暇な王族もお抱えの魔術師もここにはたくさんいるだろうに。悪魔の数匹を呼び出して、必要な仕事を割り振っておけば済む話だ。なのに? たった1日のために、わざわざこんなに悪魔を呼び出して? それぞれの霊子回路を組んだ?)
まず悪魔を法術の霊子回路に組み込もうという考え方が普通ではない。
基本的に感覚に頼って使用する強力で柔軟な魔術。理論を組み立て試行錯誤が必要な繊細で融通の効かない法術。これらは相反するものだし、組み合わせてしまえば両方の利点を殺す事にもなるからだ。
そんな分かりきった事にあえて挑戦し、使用できる状態にするとは一体どんな物好きだろう。
悪魔の豊富な霊子量を見れば、使役しているのは間違いなく血の濃い王族だと分かる。しかし彼の知る王侯貴族は皆、公衆の前で派手な“奇蹟”を起こして有り難がられるのを信条とし、霊子回路の仕組みなど学ぼうともしない連中ばかりだった。
(こんな使い方を考えるのは、ボクくらいかと思ってたけど)
そう思いながら、青年は自分の首にそっと手を伸ばす。その細い首には、宝石で飾られた細い首輪が巻きついている。
*
その男は騎士の姿をしていた。
「そちらは部外者の立ち入りをご遠慮いただいております」
法具の数々を観察しながら歩いていた青年は、彼を引き止めた騎士を見上げ愕然とした。
有無を言わさぬきっぱりとした口調。無遠慮に掴まれた腕。威圧的な高長身。鈍く光る緋色の目。
しかし青年は、そのどれに驚いたわけでもなかった。濃密な霊子に歪んだ騎士の姿をまじまじと見つめ、ぼそりと呟く。
「大丈夫、それ? 魂もれちゃってない?」
騎士は無言で微笑んだ。こちらを見つめるその目に決然とした殺意が宿るのを見て、青年は確信と歓喜を持って自分を掴む騎士の手に手を重ねる。
「ああ分かっちゃった! 君がやった事、君ができる事、君のやりたい事。ねぇ、どこまで壊すつもり?」
ぱちんと、首の後ろで衝撃が弾けた。青年がきょとんと首を傾げ、騎士が顔をしかめて青年の手を振り払う。しばらくして、自分の首輪が作動し騎士の何かしらの攻撃を弾いたのだと覚った青年は、少し熱を帯びた首輪に手をやって思わず笑った。
「今ボクに攻撃したの? 全然分からなかった! ああごめんって、そう怒らないでよ。ボクらは仲間さ。君もボクも不出来な神饌、そうでしょ?」
「……場所を変えようか」
騎士は諦めたように肩から力を抜くと、くるりと青年に無防備な背中を向けた。
「ついて来るか、それとも悲鳴を上げて主君の元へ報告に走るのかは、お前の好きにしろ」
青年は大股でその場を立ち去る騎士の後ろ姿に、嬉々としてついて行った。
フィアラム滅亡シリーズが作者の予想を超えてやったら長引くのでサブタイトル変えました。ごめんなさい。だって最初は2話くらいで収まると思ってたんですもん。大誤算です(。-∀-)
ここのところツイッターのアンケートで誰視点か決めてもらってるので、世界が広がる広がる…書ききれない…
この人の語りだと消化不良な部分も多いかと思います。なるべく早く次を書けるように頑張ります。




