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箱庭の技法  作者: 游魚
失われた物語
3/31

逃走

 


 128番に引きずられるように、内塀の外に出た。内塀と外塀のの間は馬車が1台ギリギリ通れる位の広さがある。


 逃亡に気づいた教官の怒鳴り声に背中を押されて、僕達は通路を駆け抜ける。


「なあ! こっちで合ってるのか⁉」


「地面に轍が残ってる! これをたどれば外に出られるはずだ!」


 緩い弧を描く通路をしばらく走ると通路を高い壁がふさいでいるのが見えてきた。


「くっそ! そう簡単にはいかないか……!」


 128番は悪態をつくと壁についた鉄扉を殴り、壁を見上げる。


「134番! 持ち上げるから手の上乗れ!」


「無理があるって! それより、錠前を壊せないか」


 そう言いつつ、難しいだろうと思いながらも大きな錠前を触る。


『———なんだせわしねぇな。コレを壊す? 焼き切りゃいいんだな?』


「……へ?」


 突然、頭の中に声が響いた。次の瞬間、手の中で錠前が白熱し、どろりと焼け落ちる。


「おぉ⁉ すげぇな‼」


「今なにか言ったか?」


 突然聞こえた第三者の声に戸惑って128番を見たが、彼には何も聞こえていないようだった。僕の視線に少し困ったように顔をそむける。


「すげぇってほめたんだよ。分かった。何したかは聞かねぇよ。そういうのは秘匿するもんさ。……ほら、ぼうっとしてないで行くぞ!」


 僕は擦りむいた両手から止まらない血を握り込むと、128番を追いかけた。

 その後も同じ様な扉に行き当たったが、同じように壊して進む。


「何だ、この扉?」


 このまま逃げ切れるのかと思った時、目の前に白い扉が立ちふさがった。錠前どころか、こちら側には取っ手も見当たらない。近寄ってつるりとした扉の表面に触れると、氷のように冷たかった。


『———あぁ~。こりゃ面倒だな。白聖石か。……ここはちょっと門をだな』


 背後から騒々しい足音が聞こえた。128番が舌打ちして振り返る。


「おいっ! 手間をかけさせてくれたな……!」


 数人の教官に退路を塞がれる。じわりと背中を冷たい汗がつたうのが分かった。


「《締め上げろ》‼」


 先頭に立っている教官が叫ぶ。

 途端、これまで感じたことのないような激しい痛みが体を襲った。


『ぐぇ⁉ 何だこりゃ⁉』


 痛みで真っ白な頭の中に、自分以外の悲鳴が響く。同時に指示を出した教官のペンダントの石がはじけ飛んだ。途端にスッと痛みが引いていく。


「……俺の後ろに下がれ」


 痛みの余韻で動けない僕の腕を128番は引っ張ると、一歩前に出る。そして素早く指先を噛み切ると、何か呟きながら地面に手を押し付けた。


 128番の手がついた所から、ゴウッと音を立てて地面に亀裂が走る。立っていた教官達が、次々に地面に足を取られて倒れ込んだ。


「よし! いけるな」


 128番が片手を地面につけたまま、僕の上着をつかんで引っ張ると耳元に囁いた。


「足場が作れないかやってみる。白聖石の扉なんていくつも作れるようなもんじゃない。この扉を超えれば出口はすぐそこさ」


「———おやおやおや」


 突然、空から水が降ってきた。その水が皮膚に触れた瞬間、焼けるような激痛が体を突き抜ける。


「———ッ!」


「134番⁉」


 体の力を無理やり引き抜かれるような感覚に思わず地面に転がり体をよじる。体を支えてくれる128番の手の感触もほとんど感じない。


「おやおや。まさかとは思いましたがねぇ。やっぱり“悪魔憑き”でしたか」


 舞い上がっていた土煙が不自然に割れ、急に開けた視界の中、悠々とひとりの若い男が歩いてきた。他の教官より明らかに上質な衣をまとい、口元には楽し気な笑みを浮かべている。


 128番は地面から拳大の石を拾うと、勢いよく男へ投げつけた。石は光の尾を引きながら目にも留まらぬ速さで男に迫ったが、男に触れる前に弾け飛ぶ。


「しかも、これは…土の霊子を操りましたね? なんとなんと、僥倖(ぎょうこう)です。こんなところで土術師が手に入るとは。……しかしよく今まで隠し通しましたねぇ。飼育員の怠慢でしょうか?」


 飛び散る石の破片を気にする様子もなく、男は優雅に首を傾げると、滑るようにこちらへ近づいて来る。


「それ以上近づくな」


 128番が自分の指に歯を立てる。


「いけませんよ。あなたの血は貴重なんですから。無駄に使わないで下さい」


 男がスッと片手を上げる。まばゆい閃光が走り、128番の体が崩れ落ちた。僕は指一本動かせないまま、視界が闇に覆いつくされるまで、ただ男を睨みあげていた。



 ***



『いやぁ……まいった。人に憑くっていうのは意外と難儀なもんだなぁ。まさか“痛み”ってもんがあんなに厄介だとは……。こりゃ人間も大変だな』


 頭に響く声に意識が浮かび上がった。


 水にほんの少し血を混ぜた様な、湿っぽい臭いがする。目を開いているはずだが真っ暗で何も見えなかった。体は重たいが痛みはなく、動かせる。とりあえず拘束はされていないらしい。


 僕はそっと身を起こすと辺りをまさぐった。直ぐに冷たい檻に手が触れる。


「おい、被検体が目を覚ましたぞ」


 すぐそばで声が聞こえ、思わずびくりとする。ガヤガヤと複数人が話す気配が周囲に満ちた。しかし視界は闇に閉ざされたままだ。何も見えない状況に焦りが募る。


(……まさか、目が見えなくなったのか)


『何だぁ? 目が見えねぇのか? ……確かに瞼を開いてるのに暗いな。不便だ。目玉を元に戻せばいいんだな? ……おいおい、こりゃまたややこしいぞ!』


 頭に響く声がうるさい。幻聴かと思ったが、こうもしつこいと無視できない。一体なにが起こっている?


「おお! 顔が再生しているぞ! 凄い速さだ!」


 辺りがまた騒がしくなった。サラサラと紙に何かを書き付けるような音がする。目の周りがチクチクと痛んだ。僕は混乱しながらも必死に現状把握に努めようとする。


(僕らを襲ったあの男は、僕を見て“悪魔憑き”だと言った。頭に響くこの声は悪魔のものなんだろうか?)


 否応なく、昨夜の悪夢がよみがえってきた。炎に包まれる弟の姿が脳裏によみがえり、心臓が嫌な音をたてる。僕は慌てて不吉な想像を振り払うと、周りの会話に耳をすませた。


「ファスタ様にわざわざ研究を命じられたからには、何かあるとは思ったが……」


「134番は身体的特徴や、これまでの記録からみて炎術師で間違いないでしょう。かなり強力な炎の悪魔が憑いていると思われます」


「これだけの再生能力だぞ? 相当高位に違いない。自然治癒不可能なレベルの傷を再生出来た悪魔憑きなど、グラスネーヴェ家の氷姫くらいなものだ。これは是が非でも憑依条件を解明しなければ……」


 徐々に視界が回復し、周りの状況が見えてきた。僕は白い石で出来た檻に入れられている。その檻を囲み、白衣を着た男たちが3人、興奮気味に話しているのが見えた。


 見覚えのない部屋だ。奥にドアがあるのが分かったが、逃げようにもこの檻を壊すすべがない。部屋にはいくつか白い檻が置いてあったが、僕が入っているもの以外全て空っぽだ。


(128番はどこに連れていかれたんだろう……? 無事でいればいいけど)


『よし! これで大体治ったハズだ!』


 再び頭の中に妙に陽気な声が響く。男たちの会話を聞いている限り、僕に悪魔が憑いているのは間違いないのだろう。


 しかし人間の言葉を解し、話す悪魔などいるのだろうか。なんの指示も与えていないのに自主的に動くのもおかしい。僕が知っている悪魔の説明と違う。


「ほら見てみろ! あれだけ聖水で崩れかけていた目が、もう回復している!」


「これは素晴らしい……いったいどこまでの再生能力を有しているのか……」


「おい、お前! 134番! 自分が誰か分かるか? この部屋に何人いるか認識できるか? 答えろ!」


 男の一人がしゃがみ込み、格子越しに声をかけてきた。飛んでくるつばに、僕は思わず顔をしかめる。


「……締まりの無い口ですね」


 男は首を振りながら立ち上がった。


「従順な性格だと聞いていたのだが。しつけが足りてないんじゃないか? ほら答えなさい」


 そう言いながら近くの水差しを手に取ると、中身を僕の体にぶちまけた。狭い檻の中では避けようもない。水のついた足が煙を上げて焼けただれていくのが目に映る。あまりの痛みに息が詰まって声も出ない。


『———痛っってぇ⁉︎』


 頭の中で悲鳴が響く。途端、視界が真っ赤になった。


「な⁉ すごい! 聖水をかけてなお発火するか!」


「おい、追加の聖水を。暴走されるとまずい」


 ザァッと再び大量の水が降ってくる。僕の意識はあっけなく焼き切れた。





 そこから先は良く覚えていないし、思い出したくもない。


 といっても、飲まされた薬品のせいか、ずっと感情も行動も曖昧な時間がほとんどだった。たまにはっきりと意識を取り戻した時も、なるべく自分に何が行われているか認識しないように努めていたので、自分の記憶が現実だったのかいまいち確信が持てない。しかし、ふと目覚めた時、目の前に自分の内臓が見えたときはさすがに笑ってしまった。


 最初のうちは痛みとともに死の恐怖を感じていたが、やがてどれだけ痛くてもそう簡単には死なないらしいと気づいて、いちいち怖がるのも面倒になった。


 ただ、靄のかかったような意識の中で、自分のものでない声が、時たま聞こえていたことをだけは、どうも忘れられない。


『———ぶっ殺してやる。こいつら、俺様を誰だと思ってる?』




 ガラスが割れるような音と、怒声が聞こえた気がして、僕は久しぶりの覚醒をした。今日はここに連れて来られて何日目だろうか。何ヶ月も経ったようにも、たった数日しか経っていないようにも思える。


 目を開くと、ぼんやりと滲む視界に白衣の男たちが慌ただしく動いているのが映った。破壊音は徐々にこちらに近づいているようだ。


 僕は鈍く痛む頭を必死に働かせる。もし、何かトラブルが起こっているのなら、それに乗じて逃げられるかもしれない。そう思って床に手をつき、体を起こそうとして気が付いた。


 (……うっわ、左手がない)


 正確には左の肘から先がすっぱり切り取られている。一気に気力がそがれ、諦めが胸に広がった。同時に、麻痺していた体中の痛みが蘇り、気力を蝕んでいく。


 僕はぐったりと檻に背をもたせ掛けて目を閉じた。直ぐに意識が、白い靄に飲まれ始める。


 再び意識を手放そうとしたその瞬間、鼓膜を突き破るような物凄い轟音が地面を揺るがし、爆風で体が檻の格子にたたきつけられた。周りで怒号と叫び声が響いたかと思うと、すぐに静かになる。


「お~い! カラン! 無事かー?」


 場違いに落ち着いた、殺伐とした雰囲気を払いのける様な声が聞こえ、軽快な足音が近づいてくる。7年ぶりに聞く自分の名前に、僕はさすがに重たい瞼をこじ開けた。


 白っぽく無機質だった部屋が、今は燃え上がる炎で赤く照らされている。その中を、すり切れたマントをまとった蓬髪の男が悠然と歩いていた。


 歳は30代半ばだろうか。服の端をなめる炎も、足元に転がる男たちも一切意に介した様子はなく、口元を笑みの形に歪めている。


 男は僕の入った檻のそばにしゃがみ込むと、鼻の上の丸メガネを押し上げてこちらを見た。炎を反射して熾火の様に光る目が、レンズ越しにこちらを見つめる。


 その柔らかな視線に、なぜか根拠のない安心感が心を満たしていった。体の力が抜けていくのが分かる。


「ああ、これは……ひどくやられたな。ちょっと待ってろ」


 男はくたびれたカバンをごそごそまさぐると、先端がカギ状になった金属の棒のような工具を取り出し、格子に引っ掛けた。


「白聖石はな、霊子由来の力は吸い込んでしまうから厄介だが、道具さえ使えば、物理的に壊す事は案外簡単だ。硬さは鉄より勝るが、展性はそれほどない。強い力で押し曲げれば折る事も出来る」


 そう言って今度は腕を一振りすると、大きく開いた袖口からトカゲの様な悪魔が這い出し、檻に引っ掛けた工具の反対側を引き上げる。格子はぐにゃりと僅かに曲がった後、耐えきれなくなった様にポキリと折れた。


「よし行くぞ。ちゃんと助けてやる。大丈夫だからな」


(……痛みが見せる幻覚だろうか)


 助けるという言葉に、麻痺していた心がぼっと熱くなるのが分かった。僕はずっと誰かに助けて欲しかったのだろう。自分の力ではどうしようもない高い壁をぶち壊して、何の見返りも求めず助けに来てくれる英雄のような存在を、期待し続けていたのかもしれない。


 男は檻から引っ張り出した僕をひょいっと背負うと、素早く部屋を出る。弧を描く白い廊下に出ると、巨大な狐にコウモリの羽を生やしたような姿の悪魔が僕を背負う男に擦り寄り、先導する様に歩き始めた。


「……待って」


 掠れてほとんど声にならない声だったが、男には聞こえたようだ。僕を揺すり上げながら、何だ?と問いかけてくる。


「僕の他にもう一人、捕まってませんでしたか……? 僕よりひとつ年上で……」


「いや、知らないな。この研究所内はくまなく探したが、子供の魔術師はお前一人だったぞ。何だ、友達でも捕まっているのか?」


「僕と一緒に、捕まった奴が。……確か、土術師だと」


「土術師? それは……少なくとも、殺される事はない。素直に言う事を聞いていれば、むしろ丁重に扱われるはずだ。それは間違いない」


 教官の言いなりになるだけなら、これまでと同じだ。とりあえず128番の命は無事だと聞いて胸をなでおろす。丁重に扱われるのなら、僕のような目にあっている事もないだろう。


 そう思ったのを最後に、僕の意識は再び霧に包まれる。周囲で爆発音が何度も響き、眩しい光が明滅していたような気がするが、僕は何の衝撃も受けることなく、ただ大きな背中の上で揺られていた。



お読みくださりありがとうございます。

明日の22時ごろには、次話を投稿出来ると思います。

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