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箱庭の技法  作者: 游魚
閑話休題
29/31

怒りは常に愚行に始まり悔恨に終わる 2

今回はパパン(シュウ)視点で


 


 カリカリカリ……と、硬いペン先が紙を削る音がする。


 ドアの向こうから聞こえる、気持ちを逆撫でするようなその音に、俺は何度目かの溜息を吐いた。ペンの音が一瞬止まり、また再び、変わらぬ単調さで再開される。


(うるさいんだよ、ゼノ。お前、筆圧高すぎ。机でも削ってんのか)


 俺の小さな舌打ちに、部屋の中からは淡々と続くペンの音が応じる。


 お互い無言で顔も見えない。しかし、相手が俺に何を伝えたいのかは、手に取るように分かった。

 曰く、(何イライラしてるんだお前? あ、愛しの姫様にフラれたからか。可哀想になー)とでも思っているに違いない。人を小馬鹿にするような顔と口調まで目に浮かぶ。


(は? フラれてねぇよ。俺は自分で身を引いたんだ。と言うか、俺が姫様に抱いてる感情は敬愛であってお前が思ってるようなもんじゃない)


 俺は思わず顔を顰めながら、立っていた足の重心を入れ替える。


(へぇ? ひとの妹の服を剥いた上に抱きしめておいて、本気じゃないってか)と、室内からは鼻を鳴らす音。


(あれは不慮の事故だ。服に着いた炎を消そうとして咄嗟に……)


 王の間から出てきた姫様の服が燃えているのを見たとき、炎を消す手段がそれしか思い浮かばなかったのだ。その時に負った火傷を、服の上から抑える。炎の熱さより、抱きしめた姫様の柔らかさが思い出されて、俺は唾を飲み込んだ。


 ペンの音が滞り、失笑と溜息が聞こえる。


(どさくさに紛れて欲望を……このムッツリ野郎)


(あ? 挽肉にしてやろうかデカブツヘナチョコ野郎⁉︎)


 俺が思わず殺気を放ったその直後、廊下の曲がり角の向こうを歩く、人の気配がした。俺は慌てて直立不動の姿勢をとった後、それが誰なのかを察して青くなる。


 俺が気付いた数秒後、部屋の中のゼノも気配に気づいたようだ。引き出しを開ける音と紙を破る音に続き、ドアまで近づく足音が聞こえる。


「おい、シュウ。お前、今、私の事をザコ野郎と思っただろう?」


 ガチャリとドアが開き、その隙間から顔を出したゼノが、俺を見て片眉を上げる。


「は? 思ってねぇよ。お前こそ、俺の事をムッツリだとか思いやがって」


「惜しいな。私は“チビで意気地なしのスケベ野郎”と思ったんだ。で、どうする? 私としては大事な妹の視界に、またお前を入れたくはないんだが」


 暗にこの場を立ち去れと言ってくるゼノの、その綺麗過ぎる作り笑いに、俺は悪態を返すことができなかった。ギリっと奥歯を噛み締め、ゆっくりと首を横に振る。


「……俺は今、お前の監視を仰せつかっている」


「今さら逃げたりしない。大人しくしてるさ」


 ゼノとの付き合いは長い。信用はしているが、よく知っているからこそ、俺にはゼノが命惜しさに足掻かないと言い切れなかった。


「任務を放棄する事は出来ない」


 ゼノは心底嫌そうに溜息を吐くと、そのまま大きく外開きのドアを開けはなった。


「このムッツリスケベ野郎。せめてドアの陰で気配を殺しててくれ。あの子には気付かれるな」


 俺は無言で頷くと、ドアと壁の隙間に身を潜める。盗み聞きするようで不本意だが、監視対象に気を遣ってはいられない。それに、ゼノがこうして俺に監視されている事を、姫様には知られたくなかった。


「兄様っ……」


 角を曲がり、ゼノの姿を認めたらしい姫様が声を上げるのが聞こえた。その声色の悲痛さに、俺の胸は刺されたように痛む。昨日陛下と何時間もお話されてから、姫様は憔悴しきっていた。


「ごめんなさい……! ごめんなさい兄様! そんなつもりじゃなかったの」


「落ち着いてください、姫様」


 ゼノが泣き出した姫様をなだめようと、どこまでも優しい声で話しかけている。


「そんな風に泣いては、はしたないと叱られますよ?」


「わたしを叱る人なんて、誰もいないわ。わたしの側には、誰も居ないもの」


「……では、私が部屋にお招きしても見咎める者はいませんね。中へどうぞ、姫様。姫様の泣き顔を人目にさらす訳には参りませんから」


 そう言ってゼノは、姫様を室内へと誘った。ドアがバタンと閉まり、俺は知らず詰めていた息を吐く。


 本来なら、王権を持つ者が、まだ従属していない神饌と二人っきりになる事など許されない。しかし姫様は、身を守る為の法具をいくつも身につけているし、俺がここにいる。俺ならば、たとえゼノが姫様に危害を加えようとしても、力づくで止められる。それをゼノも分かっているはずだ。


 俺はそっと閉じたドアに背を預けると、目を閉じて室内の気配に意識を集中した。これが彼らの兄妹として最後の会話になるかもしれないと知っていても、耳を塞いでいてやる事は出来ない。俺には王への報告の義務があるし、姫様はともかく、ゼノもそれは先刻承知でいる。


「さぁ、おかけになって下さい。そうだ、お茶とお菓子はいかがですか? 今朝になって陛下から大量のお心遣いを頂いたのですが、きっと食べ切れないだろうと困っていたのです」


 部屋からはゼノの浮かれた声と、かちゃかちゃと銀器を扱う音が聞こえた。姫様と話せる事が、ゼノは本当に嬉しいのだろう。その境遇にあって妹に愛情を持てるゼノの心理が、いつも俺には理解できない。


 王族向けの穏やかな仮面を被ったゼノは、俺が知るゼノとは別人だ。それを見ていると、お前はもっと自分勝手で激情的なやつだろう、と笑いたくなる。取り繕ったお上品な態度には、薄気味悪さすら感じる事もあった。


(いや、本当はこっちがアイツの本質なのか?)


 家族への献身的な愛情に満ちた、自己犠牲を信奉する国の“神饌”。そちらが彼の本来の姿で、俺への態度はただ、そんな彼に出来た小さな綻びなのかもしれない。小さい頃から1つ歳下のゼノを散々虐めてきた自覚はあるので、むしろこの綻びは、俺が暴いてしまった彼の脆い人間性なのかもな、とも思う。


「あの人は兄様にそんな物を寄越したの? 今さらお茶とお菓子?」


「温かいお心遣いですよ、姫様」


 姫様の尖った声に被せるように、ゼノの声が響く。


「父上の事をそんな風に言ってはいけません」


「わたしの家族は兄様だけだわ」


 はっきりとそう言い切れる姫様の無自覚な残酷さに、俺は思わず唇を噛んだ。ゼノが、言葉にならない感情のこもった深い溜息を吐く。押し殺された感情の中に、姫様へ向けられた鋭利な怒りがあった気がして、俺の背筋に冷たいものが走った。


(おい、自暴自棄になるなよ)


 俺が思った事はともかく、ドアの向こうで身動ぎした気配は伝わったのだろう。ゼノはまた小さく溜息を吐くと、困ったような声を出す。


「それは……父上や旦那様がお聞きになったら、悲しまれますよ。お二人とも、姫様の事を何より大事に思ってらっしゃいます」


「……ごめんなさい」


 短い沈黙の後、姫様の謝る声が聞こえた。


「ごめんなさい。わたし、自分がやった事を棚に上げて。最低だわ」


「姫様が悪いとは思っていません。それに私は、こうなって良かったと思っているのです」


 その言葉に姫様が驚いたように息を乱す一方で、俺は納得と、後ろ暗い安堵が胸に訪れるのを感じた。ゼノがもうこれ以上の役目を負わなくて済む事は、確かに救済だろう。彼自身にとっても、彼を抱えるこの王族にとっても。


「兄様……⁉︎ 兄様は、人柱にされてしまうのよ? 全部わたしが考えなしだったせい」


「ええ。これからは、気をつけて下さいね」


 ゼノはくすりと笑うと、まるで自分に言い聞かせるようにはっきりと、優しい言葉を続けた。


「まぁ、仕方のない事ですよ。私は“神饌”ですから、とっくに覚悟は出来ていました。むしろ名誉な死を与えて頂ける事に感謝しているくらいです」


 ゼノの言う通りだ。神饌を使う事に、王となる姫様が引け目を感じる必要などない。


 王権を持って生まれず、王と国にその寿命を捧げる運命にある王の兄弟姉妹が、“神饌”である。有り体に言えば、生まれながらの生贄だ。ただ、特に次の王が女性である場合、その兄弟は王となる者に従属させて生かしておく事が多かった。

 女王が生涯に産める子の数は限られている。神饌を生かしておけば、またその子を神饌として使えるし、神饌の子から、王権を持つ者が生まれる可能性だってある。


 ゼノも、そうして生き長らえるはずだった。王となる妹に従属し、騎士として、そして血の継承者としての人生を歩むはずだったのだ。


 しかし魔方陣が壊れた事で、神饌としてのゼノにもっと優先的な使い道ができてしまった。ゼノと別れるのはしばらく先だと思っていただけに戸惑いはあるが、そういうものなのだから仕方ない。


 それに、ゼノにとっては長生きするよりも、早々に役目を果たしてしまう方がよほど気楽だろう。


「わたしは覚悟なんてできてない」


 嗚咽混じりの姫様の声に、ゼノが苦笑する気配が伝わってきた。


「もう魔方陣は壊れてしまいましたし、再び“門”を開くためには、イストリアの最奥に足を踏み入れる者が必要です。そして、その役目を果たすのに、私は最も相応しい。ただ寿命を捧ぐよりも、よっぽど光栄な役目ですよ」


「壊したわたしがすべき事だわ」


「姫様のお役目は、その後の維持管理です。この国の民を、霊子の恵のない荒野に放り出す訳にはいかないでしょう?」


「………………魔王になれば」


「魔王? お伽話の?」


 ゼノが不思議そうに聞き返す。いきなりなんの話を始めるのかと、俺も内心首をひねった。


「……ねぇ、兄様。こんな事を続けて行くなんて、とてもくだらないと思わない?わたし、この国がただ嫌いなんだわ、きっと。とにかく無くなってしまえばいいと思ってるみたい」


 唐突に発せられた姫様のとんでもない言葉に、俺は閉じていた目を見開いた。「なんてむごい事をおっしゃるんですか」と、叫びそうになる。


(姫様! 姫様が思っているほど、ゼノの心は強くはないのです)


「くだらないですか。ええ、確かにくだらない。でも、他に道がありますか」


「あのね……いいえ。兄様に言う事ではないわ。ただ、壊してしまえたらと思っただけ。ごめんなさい」


「そうですか」


 ゼノの変わらぬ穏やかな声が、俺には恐ろしかった。


(いいか、自分の立場をわきまえろよ。ゼノ)


 俺は気が気でない思いでドアの向こう側に念じる。


(そもそも、神饌のお前を姫様が兄として扱っている事自体がおかしいんだからな。どう感じようと自制しろ)


「姫様、王としての役目が重荷なのは分かります。……私も、この身で出来るだけ尽力いたしましょう。姫様のために。ずっと私がお支え出来ないのは残念ですが、姫様の周りには姫様を心から思いやる者がきちんといますから。心配はしていませんよ」


 ゼノの言葉は、きっと俺に向けられたものだろう。(頼んだ)と言われた気がして、俺は体から力が抜けるのが分かった。


「そうだ、姫様。ひとつお願いを聞いていただけますか?」


「なに? 兄様」


「姫様と旦那様の婚儀に私も出席させて下さい」


「婚儀?」


 姫様が戸惑った声で聞き返す。それも当然だ。魔方陣が壊れた事はその場にいた姫様と俺、それにゼノと王にしか知られていないが、別に何かしらの理由をつけて、婚儀の予定は先送りにされるはずだった。魔方陣も創世の龍もいない状態で、他国からも人を招くような婚儀を開くなんて出来ない。


「魔方陣が無いからといって、直ぐに国が滅びる訳ではないでしょう? 死ぬまでに、姫様の……妹の晴れ姿を見ておきたいのです。どうか、兄の最後の頼みを叶えて下さい」



 

お読みくださりありがとうございます。


シュウさんは心内語と敬語で一人称が変わります。

ゼノさんの内心はシュウが思ってるより結構黒いです。でも妹が好きなのは本心。自分勝手に愛情をくれる妹が、憎くも可愛くて仕方ない。


さて、次は誰視点にしようかなー

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