怒りは常に愚行に始まり悔恨に終わる 1
フィアラム滅亡シリーズ始まります〜
カラン君のママン視点で
長い回廊を走る。
早く静かな所へ。人のいない方へ。誰にも、わたしの姿を見られないように。
そうなると、必然的に宮殿の中央に向かうことになる。蜘蛛の巣のように張り巡らされた回廊の真ん中、宮殿の最奥にある黄金の扉に行き着いたわたしは、その前でやっと足を止めた。
自分の荒い息だけが、シンと静まり返った広間に響いている。わたしは、扉の繊細な金細工をなんとなく指でなぞりながら、ゆっくり深呼吸した。心の縛が緩み、ひくり、と喉の奥が震える。
「姫様」
不意にかけられた声に、今にも溢れそうだったわたしの涙は引っ込んだ。慌てて振り返る。
そこには、まるで影のような気配のなさで、ひっそりと青年が佇んでいた。こちらを見つめる赤銅色の目に、わたしはかろうじて微笑みを返す。
「……シュウ」
「申し訳ありません。しかし、お声がけした方が良いかと」
彼はそう言いながら、気まずそうに目を逸らした。
「私にお気づきでないようでしたので」
「謝ることないわ」
決して手が届く範囲には近づこうとしない自分の護衛騎士の姿に、ズキリと胸が痛んだ。思わず歪みそうになる口元を長い袖で隠して、なるべくいつも通りの声を出す。
「貴方は、わたしの側に居るのが、お仕事だものね。気を使わせてごめんなさい」
しかし、わたしの言葉に、シュウはかすかに動揺を見せた。短い黒髪に隠れたこめかみの傷跡を、左手の親指で擦る。彼がまだ少年だった頃、表情を隠したい時によく見せていた癖だ。
久々に見た予想外の反応に、彼も平常心ではないのだと気がついた。いつもの彼なら、わたしなんかに己の内心を悟らせたりはしない。
「……しばらく、席を外していましょうか」
「あら、そんなにわたしと一緒に居るのは嫌?」
そんな仕草を見てしまったせいだろう。わたしの取り繕った大人の態度は脆く崩れ去り、行き場のない苛立ちが、幼稚な八つ当たりとなって溢れ出す。ついさっきまでひとりになりたいと思っていたはずなのに、シュウを詰るような言葉が口から溢れた。
「よっぽど早くわたしから離れたいのね?」
感情的になったわたしとは対照的に、シュウはみるみる内に気持ちを窺わせない無表情に戻ってしまう。
「私の防衛兵への異動は、合理的な判断に基づくものです。新たに加わる護衛騎士達は年長者が多く、私が統括するのでは角が立ちますし、それに、旦那様のご希望でもあります。ですから……」
「旦那様なんて言わないで!」
耳を塞いだわたしに、シュウはただ淡々と答える。
「姫様の旦那様ですよ」
「あんな、話したこともない人を夫と呼べと言うの? 20も歳上のあの人を?」
「問題はないはずです」
「どうしてそんな事言えるの」
「血統が」
シュウはそう言うと、一瞬言葉に詰まった。わたし達の間に、痛いような沈黙が流れる。
「姫様に相応しい血統の方ですから。それが一番、重要でしょう」
シュウはやはり仮面のような無表情で、ゆっくりとそう言い直した。
「そう」
体から、一気に力が抜けていくのが分かった。もうこれ以上、彼の視線に晒されていたくない。こいつなんかに、泣かされてたまるものか。
しかし、この広間の唯一の出口はシュウの背後にある。わたしは半ば無意識に、後ろ手で黄金の扉の取っ手をまさぐった。
そんなわたしに気付かず、彼はなおも言葉を続ける。
「姫様の護衛には、ゼノが入れるように手配しておきますから。彼なら文句も出ない」
「実の兄をはべらして、わたしが喜ぶとでも思うの? 貴方は」
「……ですが、姫様は、次の王となる方ですから」
頭の中で、ぷちんと何かの切れる音がした。最後の理性で止まっていた手が、ほんのりと温かい取っ手を握りしめる。
「姫様っ⁉︎」
わたしが握った取っ手を中心に、黄金の扉に施された細工は生気を帯びて動き出す。シャラシャラと鈴のような音と共に解けた金の蔦花は、絡みつくようにわたしを中へと誘った。
わたしは真っ直ぐ奥へと歩を進める。
背中に焼け付くような視線を感じたが、わたしを引き止める声は、とうとう聞こえなかった。
シャン、と軽い音を立てて扉が完全に閉じてしまうと、わたしは硬い床の上にぺたりと座り込んだ。ここには、シュウも他の騎士も、わたしを追って来れはしない。
ここは“王の間”。この部屋に入れる者は限られている。わたしの家族、というのも釈然としないが、直系の王族でしか入れない場所だ。たとえ泣こうが喚こうが、見咎める者はいない。
しかし、不思議と涙は出てこなかった。わたしの無意識に刷り込まれたこの場所に対する認識が、きっと無様に泣く事を許さないのだろう。そう思うと、無性に腹が立つ。
「……貴方のせいですから」
わたしはそう呟いて、薄暗い部屋で赤く燦然と輝いているこの部屋の主を睨み上げる。
「貴方という重石がいるから、わたし達は自由になれない」
声に苛立ちが滲むのも隠さず声をかけたが、わたしの言葉に応えは返ってこなかった。部屋の中央にそびえる小山のような真紅の龍は、わたしに背を向けたまま、こちらを見ようともしない。
眠っているのだろうか。そもそも、この膨大な霊子の凝集体は、生き物のように眠ることなどあるのだろうか。わたしは立ち上がるとゆっくりその巨体に近づいていった。
ボッと目の前に赤い光が閃いて、わたしははたと足を止める。
「あっ……」
見下ろすと、羽織っていたレースのガウンが燃え上がり、熱に浮かされはためいていた。スカートの裾はいつのまにか焼け落ち、一部は太ももが露わになるほど短くなっている。わたしは慌てて足下を確認した。磨き抜かれた御影石の床に目を走らせ、あるはずの魔方陣を探す。
黒の床に描かれた赤い魔方陣は、薄暗い中では視認しにくい。この部屋の光源が、炎龍の発する赤い光なのでなおさらだ。しかし、明らかに、わたしは魔方陣の中まで入り込んでいた。一歩や二歩ではない。何重にも重なる同心円の、半分近くをすでに踏み越えている。
「え? ひあぁ……!」
わたしは、死の恐怖でその場に棒立ちになった。
魔方陣は、イストリアの門だ。この国に供給される霊子、すべての源泉だ。魔方陣の霊子濃度は、その外とは比べ物にならないくらい高濃度である。たとえこの国と近い霊子組成を受け継ぎ、圧倒的な霊子量を誇る王族といえど、その濃度差に晒されては、体などあっという間に崩壊してしまう。
ここに足を踏み入れるのは、もう役目を終えた王と、国の生贄となる“神饌”だけだった。
しかし、いくらなんでも、死ぬのが遅すぎるのではないだろうか。
そう思って、わたしは恐る恐る逸らしていた目を、自分の体に向ける。わたしが知る限り、体の崩壊は魔方陣の中に足を踏み入れた瞬間から始まるそうだ。だというのに、ジリジリと服が燃えているだけで、体に痛みなどなければ傷一つない。服の炎が皮膚を撫でる感覚が、むしろ心地よいくらいだった。
「なぜ……」
『そりゃテメェが、昔この魔方陣を作った小娘に、生き写しだからな』
急に頭上からかけられた声に、わたしはギョッと上を向く。
『数千年も経ってこんな子孫が生まれるか。血筋ってのは不思議なもんだな』
仰向いたわたしのすぐ上には、こちらを見下ろす炎龍の、鱗に覆われた鼻先があった。間近に見たその姿とその声に、魂が消し飛ぶような衝撃が体を貫く。ガタガタと足が震えた。理解など及ぶべくもない圧倒的に強大な存在に、言いようのない畏怖が湧き上がる。
『だが、入って良いのはそこまでだぞ。真ん中には俺様の依代があるからな』
「よ、依代……?」
わたしは馬鹿のように炎龍の言葉を反駁する。魔方陣の中にそんな物があるなんて、聞いた事がなかった。創世の龍は、魔方陣に囚われているだけではなかったのだろうか。
『ああ! そういえば、アレを最後に見せたヤツは、ウン百年も前に喰っちまったな。と言うことは、今は誰も知らねぇのか……』
炎龍は心底驚いたような声を出すと、音もなく伏せていた巨体を持ち上げた。そして自分腹の下にあった魔方陣の中央部分をわたしに見せる。
『コレだコレ。綺麗だろう?』
そこにあった物を見て、わたしは拍子抜けする。それはあまりにも小さくて、そして別に目新しい物でもなかったからだ。
「黒聖石……?」
床の上にぽつんと転がっている拳より小さい石は、魔術師の血を吸って霊子を媒介する魔石のように見えた。
「なんでこんな物が」
わたしの言葉に、炎龍は唸り声を上げる。
『こんな物だと? 俺様の命だぞ』
「命?」
『俺様の核で、この世に留めるための楔だ。テメェがこの国をぶっ壊す魔王を選ぶなら、テメェはコレを呑む事になるな』
「……貴方の命は」
わたしは、呆然としながら呟いた。
「わたし達が代々捧げてきた物でしょう? 貴方はこの国を守るのが使命でしょう?」
『あ〜まぁ、今生きてるのはコレの命じゃないわな。しかしもう、俺様の今が誰の命かなんて覚えちゃいねぇよ。誰も彼もひょいひょい命をくれるもんだから、俺様は辟易してんだ。そんなにこんな国を維持したいかねぇ』
炎龍はそう言って、試すようにわたしを見た。その金色の瞳が、面白そうに細められている。
「……わたしは、この国の為に、自分の人生を縛られたくなんてないわ」
『へぇ? じゃあどうする?』
わたしは無言で、魔方陣の中へと足を進めた。
中心に近づくにつれて、自分の体にもとうとう異変が起こり始める。まるで体中の血が熱い酒にでも変わってしまったような酩酊感と虚脱感。体は火照り、目は熱で潤んで視界が歪む。足の裏が焦げ付くように熱かった。
それでも、わたしはそんな事気にもしなかった。半ばとろけたような頭の中を満たす激情が、痛みも恐怖も、理性も、隅に押しやってしまっている。
わたしは無造作に、床に落ちた赤黒い石を拾い上げた。
『おお! やっと第二の魔王が登場か⁉︎』
楽しそうな声を上げる炎龍に、わたしは冷たく笑うと素っ気なく答える。
「誰がこれ以上、国に縛られるもんですか。馬鹿馬鹿しい」
そしてわたしは怒りのままに、手にした石を勢いよく床に投げつけた。
『げ、こりゃあ予想外だったなぁ……。でも、テメェだったら』
砕け散った魔石を見ながら、炎龍は小さな声で呟いた。その巨大な姿が、みるみる内に薄れて行く。
『……核など呑まずとも、俺様の依代にはなれるかもな』
ちょっと間が空いてすみません。
親御さん世代の話を何話か書いておこうかな〜と思います。
この話の後をパパン視点で書くと混乱っぷりが面白いと思うんですが、たぶん文字数が一話に足りないので書けない…(T-T)
余裕があれば、活動報告とかにちょこちょこっと書くかもしれません。
感想ご意見、気軽に書いて下さいね…書き続けるのが物凄く不安になってるので…




