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箱庭の技法  作者: 游魚
閑話休題
27/31

とある山奥

ゼノおじさんのちょっと昔のお話

 ‬



 初めてあの子達を見たときの感情を、どう言い表せば良いのだろう。‬


 本当は、ただ遠目に確認するだけのつもりだったのだ。‬


 あの子達は、私の腰にも届かない小さな体で、捻れば簡単に折れてしまいそうな華奢な手足で、足場の悪い山の中を駆けていた。 ‬

  ‬

 その姿を見た時、こう、胸の奥がギュッと締め付けられる様な、喉元に突きつけられた剣の切っ先に思わず息が詰まる様な、力の拮抗する敵との戦闘中に雑念が消えて無くなる時の様な、色々な感情が複雑に入り混じって真っ白になった、未知の感覚が体を満たした。‬


 次に感じたのは、怒りだった。何故、こんな森の中で幼い子供が2人だけで遊んだいるのか。子供はただでさえ頭の比重が重くてバランスが取りづらいのに、何故あんなに頼りない手脚で走ったりするのか。彼らの足元に張り出した木の根も、転がる小石も、重なった落ち葉も、小さな風景一つ一つが腹立たしくて仕方がない。‬


 だから私は、双子の片割れが躓いたのを見た時、咄嗟に飛び出して行ってしまった。そして、その首根っこを引っつかんで支えると、まだ幼い子供に向かって怒鳴りつけてしまったのだ。‬


「おい! 危ないだろう!」‬


 怒鳴ってしまってから、後悔した。私はこれまで一度も子供とまともに触れ合った事などない。身近に子供がいなかったという事もあるが、そもそも私は子供に好かれない。道端ですれ違う子供と目が合っただけで泣きだされる始末だ。‬


 そんな私を見て、「幼い子供っていうのはね、良い人と悪い人を“臭い”で嗅ぎ分けるんだよ、ゼノ。防衛本能だね」と笑っていた仲間の姿が蘇る。子供にとって、私はさぞ臭いのだろう。‬



 今、私の目の前には、いきなり現れた見知らぬ男に、大きな目を溢れそうなほど見開いて固まっている幼い子供がいる。私に摘まみ上げられたままのもう1人の子供は、私が姿が目に入っていないのか「わっ⁉︎ 父さん⁉︎」と間抜けな声を上げていた。‬


「兄さん、しらないひとだよ! にげないと!」‬


 私には全く見分けがつかないが、そう言う目のもう1人のこの子は双子の弟なのだろう。私にぶら下げられた兄を泣きそうな顔で見ながらも、既に逃げ腰だ。‬


 私は慌てて兄をそっと地面に下ろすと、距離を取る。この子達には、私の悪臭に気付かれたくなかった。‬


 地面に下ろされた兄の方は、私の姿を見ても逃げ出すわけでもなく、驚いたように目を瞬くと、こちらの顔をジッと見上げて来た。その真っ直ぐな視線に耐えられず、泣き出されないうちにその場を離れようと決意したその時、その子が口を開いた。‬


「あの、たすけてくれてありがとう。おじさんはだぁれ?」‬


 その舌足らずな幼い声に、身を翻そうとしていた足がぴたりと止まる。‬


「……おじさんか」‬


「だめだよ兄さん。おにいさんっていわないと!」‬


 弟が木の幹に半分体を隠しながら、焦ったように見当違いの注意を兄に叫ぶ。それを聞いた兄は「しまった」という顔をして、急いで言い直そうとした。‬


「ごめんなさい! おにいしゃん……あぅ」‬


「いいや、おじさんで正解だ。ちゃんとお礼が言えてえらいな」‬


 私はまだ20代だが、周囲からはいつも30以上に見られる。それに立場的に“おじさん”で間違い無いのだから、この子達にそう呼ばれる事には全く抵抗がなかった。しかし、れば見る程、自分がこの子達と血の繋がりがあるのだという事が見信じられない。‬


 舌を噛んだのか、口をへの字にする兄の姿に再び胸が締め付けられる様な感覚に陥る。思わずその頭を撫でそうになって、慌てて手を引っ込めた。自分の汚い手が、この子達の頭に触るなんてとんでもない。‬


「こんな所に子供だけでいたら危ないだろう? 早くお家に帰りなさい」‬


 ついまた厳しい口調になってしまった事に気付いて、私はとことん自分が嫌になった。このまま一緒にいれば、そのうち泣かせてしまうだろう。‬


 けれど、兄は怯える様子も無く、むしろ得意そうな表情で笑った。柔らかそうな丸い頬の右側にだけ、くっきりとえくぼが現れる。‬


「あぶなくないよ! いつもあそんでるもん。それにアルムがいれば、まようわけないよ。な、アルム?」‬


 振り返った兄が同意を求めると、弟のアルムはおずおずと頷いた。‬


「兄さん……。そのおじさん、こわくない? おはなししてもおこられない?」‬


「うん。このおじさんは“いいひと”だよ」‬


 良い人? そんな訳無いだろう⁉︎ 思わずそう詰め寄りそうになった。その後、猛烈にこの呑気な子供が心配になる。この子には、悪人の悪臭を嗅ぎ分ける能力がきっと欠けているのだ。‬


「そっか。兄さんはすごいなぁ」‬


 兄の言葉を素直に信じたアルムが木の陰から出てくる。双子の危機感の無さに目眩がした。‬


 それもこれも、この子達がこんな人里離れた場所に住んでいるせいだ。そう思って両親に怒りを覚えた所で、得体の知れない人間が闊歩する市井にこの子達がいる所を想像して考えを改める。あんな大勢の視線に晒される場所にこの子達を連れて行くのは危険だ。一体何をされるか分かったもんじゃない。‬


「おじさん、ぼくはカランだよ。おじさんはどうしてここに……あれ、なんでにげるの?」‬


 握手を求めるように手を伸ばして近寄ってきたカランに、一種の恐怖を覚えて私は後ずさった。それを見たカランが、困惑したように自分の手と私を見比べて眉を下げる。‬


「あ、いや、悪い。おじさんは、その、汚いし臭いから……あんまり近寄らない方が……」‬


「きたない? くさい?」‬


 カランはこてんと首を傾げると、アルムを見やった。今度は兄の陰に隠れるように立っていたアルムは、同じように首を傾げると、私を見る。‬


「おじさんはきれいだよ?」‬


 見透かすようなアルムの目と、その言葉に、私は自分でも予想外に衝撃を受けて固まった。そんな私の手を、カランがすばしこく駆け寄って伸び上がるように掴み、あどけない笑顔を見せる。‬


 体中全ての神経が、カランの触れている部分に集約されていくのが分かった。指先を伝って来る子供特有の高い体温が、じんわりと体を暖め、熱い塊となって胸に残る。‬


「それに、いいにおい。あ、でもちょっとおくすりくさいかも」‬


 カランは私の腕を両手で抱きしめるように掴むと、真剣な表情でくんくんと臭いを嗅ぐ。振りほどく事も出来ず、私は狼狽して思わず助けを求めるようにアルムを見た。‬


 困り果てた私の表情がおかしかったのか、アルムがはにかむように笑う。そこでやっと、瓜二つの双子の外見に相違点を見つけた。アルムの頰のえくぼは、左側に表れるのだ。本当に、合わせ鏡のような兄弟である。‬


「あ、わかった! おじさんは“やくし”さんでしょう? むこうの池にはえてるやくそうをとりにきたんじゃない?」‬


「あー、それでまいごになったの?」‬


 ふたり揃って笑いかけてくる双子に、動悸とめまいがする。これほど愛くるしい生き物がこの世に存在したのかと、この世界に対する認識を改めたくらいだ。‬


「あ、ああ。実はそうなんだ。この山で採れる薬草は品質が高いと聞いてな」‬


 薬臭いのは、今体のあちこちに生傷があるからだとも、常に毒とも薬とも言える様な薬物を持ち歩いているからだとも言えない。‬


「そっかぁ! すごいね!」‬


「父さんも母さんも、なんでもつくれるけど、いつもおくすりはまちでかってくるもんね!」‬


 しかし、肯定した途端、双子の表情が尊敬に輝くのを見てしまい、強烈な罪悪感に襲われた。せめて今後はもう少し真面目に薬の勉強をしようと決意する。‬


「じゃあ、ぼくらが池まであんないしてあげる。ついてきて!」‬


 小さなカランの手に引っ張られて、私は中腰になりながら木々の間を進む。後ろにアルムがきちんとついてきているのを確認しながらしばらく歩くと、水のせせらぎの音が聞こえ、開けた場所が見えてきた。‬


「ほら! こっちだよ!」‬


 そう言って勢いよくこちらを振り返ったその拍子に、カランが苔に足を滑らせる。‬


「危ない!」‬


 私は咄嗟にカランの腕を掴むと持ち上げた。しかし勢い余って体を宙ぶらりんにしてしまう。手の中にある腕の細さと柔らかさ、そしてそのの軽さにギョッとした。‬


「すまん! いきなり引っ張って悪かった。腕は大丈夫か? 外れてないか? どこか痛いところは?」‬


 目を白黒させているカランに、焦って声をかける。子供の脆弱さは、昔王宮で見た砂糖細工を思わせる。ほんの少し力加減を間違えてだけで、全てバラバラになりかねない。‬


「おもしろかった」‬


「は?」‬


「いまの、すごくおもしろかった! おじさん、もういっかい!」‬


「兄さんずるい! ぼくも!」‬


 さっきまで一定以上距離を詰めようとしなかったアルムが寄ってきて私の腕に取り付く。子供がふたり自分にまとわりついているというこの状況が信じられないが、期待に満ちた笑顔を裏切ることもできない。‬


 ふたりを両腕にぶら下げて、私は水辺まで進む。わざと水に落とす振りをすると、ふたりは喚声を上げて笑った。‬


 その後は薬草の事などそっちのけでふたりの相手をした。双子は私の体にぶら下がるのに飽きると、今度は私の見えない所で入れ替わり、どっちがどっちか言い当てさせるゲームを始めた。どちらも楽しそうに笑っているので、一目で分かってしまう。本人達はお互いのえくぼの位置が左右反対な事に気付いていないのだろう。一度も間違わない私を、しきりに不思議がっていた。‬


「なぁ、なんで私が良い人だなんて思ったんだ? 知らない人を簡単に信用しちゃ駄目だろう?」‬


 はしゃぎ疲れたのか、私の体に背中をもたせかけて休んでいるふたりに問いかけた。‬


 今更私が言うのもおかしいが、この人懐こさは危険だと思う。子供が苦手な私でさえ、このままふたりとも袋詰めにして攫って行ってしまいたいくらい愛らしいのだ。例えこの子達の血筋を知らなくても、誘拐をしようとするような輩が表れて不思議でない。‬


「なんでって……きれいだったし、兄さんがいいひとだっていったから。やさしそうだったし」‬


「うん。なんだか、父さんと母さんににてたもんね。わるいことしようとするひとは、ぼくわかるよ」‬


 にこにこと述べられるそのふわっとした根拠に、私はガックリと肩を落とした。この私の、どこが優しそうに見えるのだ。‬


「そんな曖昧な理由で信用したのか? お前達は知らないだろうが、世の中には優しそうな顔をしている悪い人なんて、たくさんいるんだ。それに、例え本当に優しくて良い人でも、自分の利害が関わればあっけなく裏切る。そういうものだ。他人に簡単に気を許してはいけないよ」‬


 そう言ってふたりを見下ろすと、きょとんとした赤い瞳が見返してきた。言葉が難しかっただろうか。こんなことを純真な子供に教えるのは抵抗があるが、自分で身の安全を守って行くには必要な事だ。‬


「……じゃあ、おじさんもうらぎるの?」‬


 アルムが悲しそうに目を伏せて、私から体を離す。カランは逆に心配そうに私の手に小さな手に重ねてきた。‬


 もちろん、そうなるかも知れない。例え親や兄弟であっても、自分のために尽くしてくれるとは限らないのだから。そう答えようとして、ふと考える。果たして私に、この可愛い甥っ子達を裏切るような事が出来るだろうか。‬


「出来ないな」‬


 この子達が不幸になる事など考えたくもないが、もし私の犠牲でこの子達を救えるのなら、迷わず私の命なんぞ差し出せる気がする。むしろ、この子達のために命を使えるなら本望だ。今よりよっぽど有意義な人生になるだろう。‬


「やっぱりおじさんはやさしいんだ」‬


「ねぇ、おじさんだいじょうぶ? なんだかかなしそうだよ?」‬


 嬉しそうにくっついて来るアルムと、まだ心配そうに見上げてくるカランを見て、私は確信を強める。この子達を助ける為なら、私は万難を排して駆けつけるだろう。‬


「おじさんは、こわいところにすんでるんだね。だからつよそうなんだ」‬


「ぼくらもね、おおきくなったら山をおりて、ちがうくににいくんだよ。やっぱりあぶないの? 父さんみたいにつよくならないとだめ?」‬


 違う国か。この子達が移動に耐えられる年齢になったら、この国から逃げ出すつもりなのだろう。確かに一生山に篭って暮らすわけにはいくまい。今この国でこの子達は、狩人に狙われる獲物と同じだ。少しでも強くなっておくに越した事はない。‬


 それに、彼らが国を逃げ出すなら、これまで私がして来た事が少しは役にたつだろう。そう思うと何となく心が軽くなった気がした。‬


「そうだな。頑張って強くなれ。お前達なら父さんを超える事だって出来るさ。それに、お前達がどうしようもなく困った時は、たとえ何を敵に回そうとおじさんが助けに行ってやる」‬


 そう言ってドンと胸を叩いて見せると、ふたりとも楽しそうに笑った。特にアルムは「かっこいい!」「英雄みたいだ!」とはしゃいでいる。それにつられて私も笑った。声を出して笑ったのなど何年ぶりだろう。‬


 まだ日の高いうちに山を下りたいからと、名残惜しそうな双子と別れて帰路につく。帰り道を心配されたが、後は山を下るだけだからと断った。むしろ双子が無事に家に辿り着けるかが心配だったのだが、彼らの両親には合わせる顔が無い。この辺りの山は知り尽くしていると言う彼らを信じる事にした。‬



 ***‬



「お、帰って来た。遅かったじゃねぇか」‬


 そう言ってたき火を離れ、こちらに歩いてきたギャルムが、私の顔を見て「げっ」と声を上げて後ずさる。‬


「オイオイ、なんだその締まりのない顔はぁ⁉︎ 魔境の山に入ってここがイカれっちまったのか?」‬


 そう言って自分の頭を突くむさ苦しい男に、可愛い甥っ子達との触れ合いで得た幸福感の余韻が、急速に冷めていくのを感じた。‬


「はぁ……。今日ほどお前がウザいと思った事はないよ」‬


「なんだ、とうとう悪魔に頭ヤられちまったのかと思ったが、まともじゃねぇか」‬


 ギャルムは折れた前歯を見せながら大声で笑う。これ以上相手にするのも鬱陶しくて、私はギャルムの側を通り過ぎ、たき火の前に座り込んだ。‬


「おかえり、ゼノ。何かいい事でもあったのかい? さっきは見た事無いような笑顔だったけど」‬


 正面に座るネヒトが興味深そうに私の顔を覗き込んできた。‬


 そんな笑顔を浮かべていたつもりは無かった。私は思わず自分の頬を触って顔をしかめる。‬


「別に……そうだ、私はこの後オーリュイ国まで向かおうかと思うんだが、お前らはどうする?」‬


「ゼノはいつも唐突だね。学術の国に何の用? 自分探しの旅?」‬


 特に驚いた様子も無く、揶揄するように返すネヒトに私は肩をすくめる。‬


「向こうにもツテがあった方がいいだろう?」‬


「まぁ、ヴィントレットやエレットネールじゃもう君は表立って動けないしね。良いんじゃない? 僕は残るよ。ギャルムに後は任せられないだろう?」‬


 気配無く私の隣に座っていたギャルムが、ネヒトの言葉にフンと鼻を鳴らすが否定はしなかった。‬


「まぁ、お前さんはしばらく休んだ方がいいわな、ゼノ。早死してぇなら別だが」‬


 ギャルムの言葉に私はぼんやりと頷く。つい今朝まで、死とは責任と罪悪感から逃れる甘美な誘惑だった。けれど、甥っ子達と約束してしまった今、情け無く逃げるわけにはいかない。‬


「で? この山に住んでる変人はどうだったんだ? 俺たちに協力するってか?」‬


「……いや、幼い子供がいる。今は身動き出来ないようだ」‬


 そもそも、元から親には会うつもりなど無かったが。‬


「子供だぁ⁉︎」っとギャルムが素っ頓狂な声を上げた。ネヒトも片眉を吊り上げてこちらを見る。‬


「こんな山に子供ねぇ。ゼノ、大丈夫? 化かされてない?」‬


「うるさいな。とにかく、ここは保留だ」‬


 私が話を切り上げようとすると、ネヒトが溜息を吐いた。‬


「案外、小さい子供が多くて憂鬱になるね」‬


「こんな状況でガキを作れる馬鹿さ加減に愕然とはするな」‬


 (考えてみれば、私なしにはあの子達が生まれる事も無かったんだな……)‬


 私は無言で焚火をかき混ぜる。暮れはじめた暗い空に火花がふわりと舞い上がり、儚く消えた。‬


お読みくださりありがとうございます。


番外書こうとしたら、どこの誰を書けば良いのか分からなくて困りました。

次は誰を書くと読みやすいのかな…

どのキャラの動向を読みたいとかあります?

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