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箱庭の技法  作者: 游魚
失われた物語
25/31

愛情と友情の快楽

 


(あいつを助ける為なら……顔を知らない誰かを何人犠牲にしたところで、かまわないかもな。)


 僕のその答えを、ルーさんはいたく気に入ったようだ。満面の笑みが見えてきそうな弾んだ声を出す。


『いいねぇ! 愛情と友情ほど、高尚な快楽はないからな』


 いつの間にか、左手がリィラの手を強く握り返していた。楽しそうなルーさんの声に背中を押されるように、僕は口を開く。


「リィラ。ヴィントレットだけじゃなく、ロクーラやエレットネールの魔術師兵についても知りたいんだけど。頼めるかな」


 焦って行動を起こすつもりはない。命の危機があると言うならともかく、そうでないなら機会があるまで静観した方がいいだろう。そもそも128番が僕の助けを必要とするかどうかも疑問だった。窮地でも、彼ならひとりで乗り越えて、己の夢に邁進(まいしん)できる気がする。不用意に動いて邪魔をしてしまう事になったら、目も当てられない。


「あら、それだけ? 今やっている事と大した違いはないわ。もっと頼ってくれても良いのよ?」


 リィラが拍子抜けしたように問い返す。


 真っ直ぐな瞳に、その場しのぎでアテのない事を言った僕は、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。無茶を頼める立場ではない。


「先ずは情報だけでいいんだ。何よりリィラ、君に危険な事をさせるわけにはいかないから」


「あら、案外優しいのね。貴方はもっと、犠牲を厭わない人かと思ってた。貴方自身はこんなに傷だらけなのに」


 そう言ってリィラは僕の頰に手を伸ばし、目元をなぞるようにそっと撫でた。


 思わず身を引いた僕に、リィラはくすくす笑う。


「それと、もう一つ。僕が話した事、誰にも言わないで欲しい。君のお父さんにも」


「分かってるわ。父様は過保護なのよね。今日だってわたしの部屋に見張りを付けてたのよ? 父様も……ゼノ様も、いつかイーギル様に反旗を翻す日が来るんじゃないかって思っていたわ」


 そう言うリィラはとても清々しい笑顔だ。


「連絡手段はこちらで用意するわね。着替えの用意もないくらい、手持ちが乏しいんでしょう?……あんまり長居をしては、私が抜け出したのがバレてしまうわね」


 リィラは服の裾を翻して立ち上がると軽やかな足取りで窓へ向かう。


「貴方に会えて良かったわ、カラン。また後で会いましょう」




「……窓からの出入りって一般的なのかな」


 颯爽と立ち去るリィラを見送った窓を眺めながら、僕はぽつりと呟く。


『いや、あの小娘からは非常識のニオイがする。あんまりアテにしちゃいかん。下手に関わるな』


 確かにそんな気はした。


「だけど、今後関わるように仕向けたのはルーさんだろう」


『……ああいうのは、得てして物事を動かすいい契機になるんだ』


 流石、ルーさんの言葉には含蓄がある。年の功だろうか。





 リィラが部屋を出て行ってしばらくすると、ゼノヴィスが迎えに来た。相変わらず、輪郭が滲んだ様な影は消えていない。僕は思わず目を擦った。


「カラン、この服に着替えな。私の服だからその腕も隠れるだろう」


 手に持っていた上衣を手渡される。着替えると、だぶだぶの袖に完全に腕は隠れた。大きすぎて服に着られている感じだ。ゼノヴィスの方が僕よりずっと背が高い上に、体格も比べ物にならないので当然なのだが、ちょっと傷つく。


「思ったより……いや、私の甥っ子なんだから、そのうち背は伸びるさ。気にするな」


「……」


 ゼノヴィスの励ましに、僕は肩を落とした。その拍子に、ずるりと襟元が肩から落ちる。まだまだ成長期は終わっていないはずだ。それに僕が小さいわけじゃない。ゼノヴィスが大きすぎるのだ。


「昨日服を汚したといってあるし、その格好でも変に思われないさ。挨拶は済ましてある。さっさと行こうか」


 部屋を出ると屋敷の中は慌ただしい様子だった。行き交う使用人は僕達の姿を見てお辞儀をしてくれるものの、通り過ぎればまた忙しなく動き始める。


 大して注目される事も無く屋敷を出ると、既に玄関前には馬車と、それに寄り添うツィルがいた。不機嫌そうなツィルをなだめながら、手綱を着けるゼノヴィスを手伝う。


「カラン」


 馬車を出そうとしていたところで、リィラに声をかけられた。彼女はそのまま素早く近づいて来ると、僕の耳元に口を寄せる。


「リィラリンゼ、よ」


「……ん?」


「わたしの本名。家名までは明かせないけど、ここまでなら教えてあげられる。貴方が秘密を教えてくれたから、これはわたしの信頼の証よ」


 僕は一瞬、なんと返すべきか言葉に詰まって、まじまじとリィラを見てしまった。


「ああ……ありがとう」


「あとこれも。父様のついでに、貴方の旅支度もしてあげたのよ。あと連絡手段もね。もう使わない物だから、遠慮は要らないわ」


 そう言ってリィラは僕の胸に大きな木箱を押し付ける。


「助かります……」


 礼は言ったものの、もらってばかりなのも申し訳ない。しかし何か贈り返そうにも、自分の私物と言える物は何も無かった。今僕が持っているのは、全てゼノヴィスが用意してくれた物ばかりだ。


「……あ、そうだ。良かったら、お礼にこれを受け取ってもらえるかな」


 唯一、持ち物の中で間違いなく自分の物だと思える物を思い出した。今朝、左腕から剥がしたばかりの鱗である。僕は中でも特に大きくて形の良い物を選び出すと、リィラに手渡した。


「何これ? 宝石?」


「まぁ、そんなところだよ」


 リィラは受け取った鱗を光にかざして見ると、ほうっと溜息を吐いた。


「綺麗……」


「気に入ってくれたなら良かった」


 この左腕に生産性があったようで何よりだ。





 昨日案内してくれたのと同じ兵士が、羽をイライラと逆立てているツィルを怯えきった目で見ながら、村奥の関所にまで先導してくれた。入って来た所よりも造りのしっかりとした関所だったが、詰めている兵士はゼノヴィスの顔見知りの様で、特に見咎められる事も無くすんなりと通過する。


 村を出てからも、ヴィントレットに入るまでと同じく綺麗に整地された道が続いていた。村の中よりも馬車の揺れが軽減されて快適である。僕は時間をかけて慎重に左手の爪を切り取ると、ヤスリで研いて形を整えた。


「よし」


 形に違和感がない事を確かめ、指の一本一本を動かして、感覚が正常である事を確かめる。満足した僕はひとつ頷くと、ゼノヴィスに声をかけた。


「ゼノさん。御者、替われますよ」


 御者台に顔を出すと、ゼノヴィスが無言で隣を示す。僕は御者台の上まで登ると腰を下ろした。さっきの村は飛び地のような場所だったらしく、次の街が見えるのは遥かに霞む前方だ。


「カラン、腕はどうだ?」


「痛みは大分引きました。普通に動かせます。けど見た目は戻りませんね」


 僕が差し出した左手を、ゼノヴィスは目を眇めて見た。鱗を剥がれた皮膚にできた波紋状の赤い痣はそのまま定着して治る気配がない。真っ赤な爪も、小さく削ったところでやはり異様だ。


「後で手袋を作ってやろう」


 ゼノヴィスは苦々しい表情でそう言った後、遠くに見える街並みを指差した。


「向こうは元からヴィントレットだった土地だ、城壁が見えるだろう? 西側の海沿いに進むと首都のヒンメルに着くが、今回はもう一度空白地帯に出た後に東の山沿いに進んで、最短でオーリュイ国に入る」


 ヴィントレットの都市を取り囲む旧フィアラム領土はまるで防波堤のようだ。リィラ達の村は、駐屯地の意味合いが強いのかもしれない。


「なぜヴィントレットの都市を避けるんですか?」


「やはり、外国人が都市間を移動するのは手続きが煩雑だからね。早めにオーリュイに入りたいんだよ。あっちには私が所属している薬問屋があるからな。清算や補充の為にも急いで戻る必要がある」


「……そういえば、ゼノさんはどうしてオーリュイ国籍なんでしたっけ。母さん達も、オーリュイ生まれだったりしたんですか?」


 僕は以前聞きそびれた質問を思い出して問いかける。

 ゼノヴィスは困った様に苦笑した。


「ああ、違うよ。私もお前の両親もフィアラムの生まれだ。私は向こうで薬師の勉強がしたくなってな。ただ困ったことに、オーリュイの学舎に入学しようにも、私には身元を保証してくれる人が居なくてね。ちょうど、オーリュイに生まれた環境と境遇を持て余している奴が居たんで、国籍は譲ってもらった。だから紙面上では、私は向こうで生まれ育った事になってるんだよ」


「え? そんな事が出来るんですか」


「ふむ。出来ないはずだな。まぁ気にするな」


 ゼノヴィスは軽くあしらう様に鼻を鳴らすと、唐突に話題を変えた。


「それよりカラン。さっきはリィラと何を話していたんだ? 色々渡されていただろう?」


 そう言ってにやりと笑うと、こちらを覗き込む。


「あんまり女の子を泣かせるような事をしちゃダメだぞ?」


 僕はその言葉に内心首をひねる。


(そういえば、今朝の会話はゼノヴィスに聞かれていたのかな?)


 またゼノヴィスの使い魔に監視されていたのかもしれない。だとしたら、ゼノヴィスは僕がアルムに成り替わるような真似を容認しているということだろうか。


『それはない。前みたいにメクラじゃねぇんだ。今はしっかり霊子が見えるだろう? 悪魔がいたら気づく』


 ルーさんが僕の自問に応えた。


(あ、これって霊子が見えてるんだ?)


 今朝から視界に映る、得体の知れない諸々の正体がやっと分かった。淡い発光物が、視野いっぱいに重なり合い、うぞうぞ動き回っている物だから、鬱陶しいことこの上なかったのだ。


『ああそうだ! 人の身で限界はあるが、俺様の認識を視野に反映することによってだな、』


(元に戻してくれ。)


『な?』


(正直、これじゃ動き難い。目がチカチカする……)


『せっかく上手にできたのに!』


(……やっぱり、左手の爪先切り落とすか)


『わーったよ! 戻せばいいんだな⁉︎』


 一瞬、目の焦点が合わなくなり、数回明滅したかと思うと、視界が元どおりの世界に戻った。急に世界が色褪せたような感覚に、目を瞬く。



「……そんな戸惑った顔をするな。少しからかっただけだ」


 ゼノヴィスは僕のその様子を見て、肩をすくめて苦笑いを漏らした。


「友人ができるのはいい事だ。リィラは直情的なところがあるが、根は素直でいい子だからね」


「友人、ですか」


 僕が魔術師と知って本名を教えてくれたのだ。その信頼を無下にすることもできないが、友人と言われるのには違和感がある。


 僕にとっての友人とは、自分の心の一領域を占めるような、もっと重要な存在だ。リィラは多少は信用出来る知人と言ったところだろうか。


 今のところ、現在生きている人間で、そこまで大切に思える人物は128番とゼノヴィスくらいである。改めて、暑苦しいほど愛情を示してくれるこの伯父の存在を有り難く感じる。


 唐突に、僕の中に何か恩返しをしなければ、という焦りにも似た使命感が湧き上がってきた。僕は、黒い(もや)が消え、再び普通の輪郭を取り戻したゼノヴィスの姿を見上げる。


「……ゼノさんには、何か望む事があったりしますか?」


「は?」


「これからやりたい事とか、欲しい物とか……」


「お前が居るから何かを我慢しているという事はないぞ。気を使うな」


「そうじゃなくて」


 僕は首を振る。


「ゼノさんの喜ぶことが知りたいんですよ」


 僕は貴方に何を返したらいいんでしょうか。


「変な事を聞くな? あまり考えた事はないが……」


 ゼノヴィスは一旦言葉を切ると、笑みを漏らした。


「うまい物を、うまいと言いながら一緒に食える相手がいる事が、最高に嬉しいな」


「そんな事ですか」


 ゼノヴィスは声を上げて笑った。


「小さいと思うか? しかし私は大きな野望を追うより、その日1日を楽しめる事の方がよほど幸せだからな。誰かと楽しみを共有出来るなら、それ以上に嬉しい事はない。そんなもんだ」


 どこか陰りを含んだ口調でそう言うゼノヴィスを見ながら、僕は自分に出来る事を考える。


「……とりあえず、料理の腕を磨こうと思います」


「ああ、いつか誰かに作ってやれるといいな」



お読みくださりありがとうございます。


ルーさんが再生した事のあるカラン君の肉体は、左腕、眼球の大部分、皮膚表面の半分くらい、内臓をいくつかですね。だからルーさんはその辺からの影響を受けやすいです。

でも、ルーさんも全体的に肉体に馴染んで来ました。


次の更新は水曜日かな…頑張ってみます。

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