目と手
「さ・て・と」
早朝、僕は取り敢えず落ち着こうと、誰もいない部屋で敢えてはっきり声を出した。
「……どういうことなのか、説明してくれるよなぁ⁉︎ ルーさん!」
『いやぁ、それがよぉ……深夜に目覚めて色々弄ろうとしていたのは、な〜んとなく覚えてるんだが……イマイチ記憶がだな? 不思議な事にはっきりしなくてだなぁ……』
「それじゃあ、しょうがないな……なんて言うと思うのか⁉︎ どうするつもりだよ……まともに外歩け無いぞ、これ……」
僕はめまいを覚えて右手で目を覆った。これで直視したくない現実は目に入らなくなる。しかし目を開けば、やはり変わらない現実が目の前にある。というか、そもそもその目が問題なのだ。
「なぁ、なんだこれ? なんか妙なモノが見えるんだけど⁉︎」
上手く説明できないが、空気に色が付いているというか、一部陽炎のように歪んで見える様な気がするというか、昨日まで確かに認識出来なかった何かが、今はそこに存在しているように視える。普通に目を開いているだけで、景色に酔ってしまいそうだ。
そして、今度は自分の左手にその目を向けると、これまた何とも奇妙な物が見える。一度目を閉じて、再度心を落ち着け、また目を開く。何一つ変わらない、おどろおどろしい左手が見える。
動かしてるみる。自分の腕であるかのように……いや、うん、自分の左手が在るべきところに生えているので、自分の腕なのだろうが、何の違和感もなく滑らかに動いた。
『目は成功だと思うぞ? ほら、よく見えるようになったじゃねぇか。な? 感謝しろよ? ……まぁ、腕の方は、その……うむ、似合うと思うぞ?』
「これが似合う人間がいてたまるかよ……」
そう言って僕は、爬虫類のように刺々しい鱗にびっしりと覆われた左肘下と、鋭い爪の生えた指を見下ろした。目にも鮮やかな真紅の鱗が、朝日を反射して濡れたようにてらてらと輝いている。
『ふむ、どうやら本来の俺様の腕のイメージで作っちまったらしいな。けど、ちゃんと配慮はしてるぞ? 感覚はあるし、大きさも人間サイズだし、指も5本あるしな! ほら俺様って元々4本指だし……?』
確かに、形だけ見ればそこまで異常ではないかもしれない。尖った爪と鱗を除けば。
「……よし、爪は切るか」
『硬いからな。気をつけろよ』
「鱗は剥ぐか」
『硬いからな……じゃねぇ⁉︎ いやそれは反対だ! 痛いのは無理だぞ!』
僕はルーさんを無視して、鱗を爪に引っ掛けて剥がそうとしてみる。痛い。爪の方が剥がれそうだ。
『ほら痛ぇじゃねぇか!』
「そらそうだ」
荷物の中から短剣を引っ張り出すと、その刃を鱗に引っ掛けた。
「よーし、いくぞ」
『はぁっ⁉︎ やーめーろっ……うぎゃぁぁ』
ルーさんの切ない悲鳴が途切れ静かになった頃、僕はやっと全部鱗を剥がし終え、滲んだ脂汗を拭う。細かい鱗を含めると剥がした鱗は百枚ほどになる。自分の腕についているので無ければ、宝石のように輝く鱗は綺麗だ。うん、こうして見ると達成感がある。腕は見るも無残な状態だが、まぁ仕方ない。気にしたら負けだ。
僕は剥がした鱗を集めてハンカチに包むと、次は赤く光る指先の爪を睨んだ。
「ふぅ。よし次は爪を……」
途中から痛いを通り越して燃えるように熱い左手をそろそろと動かすと、爪の根元に短剣の刃を当てる。カチンと硬質な音がした。
(あ、これはノコギリとかの方が向いてるかも。……もういっそ、指先を落とせば早いんじゃないか?)
『……は!』
痛みで妙にハイになった頭にちらりとそんな考えが過った時、急に左手が逃げるように動いた。自分の意思と関係無く動いた手に、僕は目を見開く。
『おっっっそろしい事考えるな! テメェは⁉︎ 俺様とお前が感じてる痛みは同じだよな⁉︎ なんだ? 俺様だけが痛ェのか⁉︎ お前の頭がおかしいのか⁉︎」
「あぁ、うん、ごめん。今のは僕が悪かった…」
だって僕の何倍もルーさんが痛がるから、変に冷静になるというか、わざわざ自分が痛がる必要が無いような気がするというか……
「いやそれより! 今、腕動かしたのってルーさんだよな?」
『あぁン? なんだ、俺様にはテメェの意思が働くところを勝手に動かしたりできねぇぞ? 動かせんなら、自分の鱗剥がすなんて頭おかしい真似させっかよ……ぉおお⁉︎ 動いたぞぃってェ⁉︎』
動かせない事を確かめようとしたのか、ぶんぶんと左腕を振り回したルーさんが悲鳴をあげる。空気に触れるだけで痛いのに、勘弁して欲しい。
「痛いな」
『テメェにだけは言われたくねぇぞ⁉︎』
僕も左腕を持ち上げて、手をにぎにぎ開閉してみる。思い通りに動く。
『痛ェ』
ルーさんの声と共に、腕が動かせなくなる。無理に動かそうと力を込めると、痙攣のように震え始めた。どうも左手については、僕とルーさんの意思が拮抗しているようだ。
『おお、これならテメェをぶん殴る事もできるな……って痛いのは俺様じゃねぇか!』
「いや、僕も痛いよ? 取り敢えず、爪も切れるか試してみるからじっとしてて」
とにかく、この爪では人前に出れない。目立ちすぎる。一晩で昨日まで欠けていた腕が生えている時点で今更だとも思うが、さすがにもう一度腕を切り落とすのは恐い。僕だって痛いのは嫌なのだ。
『テメェまたアホな事考えてるだろ?』
「いやいや。どんな形にしろ、一度は諦めた左手が戻ってきたんだ。大事にするよ?」
『どうやら、“大事”の意味が俺様とお前とでは違うようだな……』
愕然とした声のルーさんに首を傾げつつ、もう一度爪に刃を当てる。硬い爪の表面で滑りそうな剣をしっかり固定し、なんとか引っかかりを作る。
(これは無理に切ろうとすると危ないな……)
無用な怪我を増やすだけな気がする。僕は抜き身の剣を片手でもてあそびながら、少し考える。
(こっそり馬車まで行って、扱い易いナイフを探すか、それとも……)
『一回おっさんに相談しろ。アイツの方がまだマトモだろ……』
「ああ、その発想は無かった」
そういえば、今は信用できる相談相手がいるのだった。ちょうどその時、外に人の気配がする。多分これはゼノヴィスだ。
「おはようカラン! 良い朝だな! 一応、二日酔いに効く薬を……っと⁉︎」
小さい薬箱を片手に現れたゼノヴィスが、僕の姿を見るなり素早く背後で扉を閉めると、目にも留まらぬ速さで僕の手から剣を取り上げた。
「カラン? 何をしていた?」
静かに問うゼノヴィスを見上げながら、僕は言葉を探す。やっぱり急に生えた左腕よりも、目の方がまずいかもしれない。
『ぬおぉぉぉ⁉︎ このおっさんもマトモじゃねぇのかよっ……!』
(ルーさん? この目は本当に大丈夫なのか?)
ゼノヴィスの体が、虫喰いのようにポツポツと黒っぽく滲んで見える。これまで見えていた普通の姿に被って、渦巻く闇のようなものが見えるのだ。
「えぇっと、ゼノさん……大丈夫ですか?」
「それはこっちのセリフだ! なんだこの血だらけの腕は⁉︎ 何があった⁉︎」
「あ、これ、血だらけに見えますけど、ほとんど出血はしてないんですよ。内出血でそう見えるだけで……」
「そういう問題じゃない!」
『おお! おっさん!そういうところはマトモなんだな!』
ゼノヴィスもルーさんも、僕がまるでおかしいような言い方である。失礼な。
「腕が、生えてきたんだな? もう少し時間がかかるんじゃ無かったのか?」
「ルーさんが……あ、僕は憑いてる悪魔をルーさんって呼んでるんですが、そいつが酔った勢いで作っちゃったみたいなんですよ」
ゼノヴィスが眉間を押さえながら「“創世の龍”をそいつ呼ばわりとは…」とつぶやく。
「ですけど、何しろ酔った勢いだったので、この有様で……さすがにこの爪で出歩くのはまずいだろうと、切ろうとしていたんです」
そう言って手にある剣を指すと、ゼノヴィスは僕の左手と剣を見比べて溜息を吐く。
「分かった。後で良く切れるナイフを貸してやるから、こんな危なっかしい物を使おうとするんじゃない。それより、その腕の手当てが先だ。……痛いだろう? 可哀想に」
ゼノヴィスは部屋にあった水差しの水で傷口を洗うと、薬箱から軟膏を取り出して塗り、丁寧に包帯を巻いてくれた。こうしてみると、爪さえ除けばただ怪我をしただけの普通の腕に見える。
朝食は給仕を断って、ゼノヴィスと一緒に部屋でとった。その後僕はベットに放り込まれ、「昼前にはここを発つ。それまで部屋で大人しくしてろ」と何度も念を押された後、ひとり部屋に残される。
(部屋にいろと言われたけど……)
部屋にいても人目につかないというわけじゃないと思うのだ。
そして窓の外に目を向ける。さっきからコソコソと屋根を人がつたう気配がしているのだ。
「入るわよ」
ひょっこりと窓から逆さまのリィラの顔が覗いた。そして、僕の返事を待たずに鍵のない窓を開け、くるりと身軽に部屋の中へ着地する。
「……もう入ってるじゃないですか。返事くらい待って下さいよ」
「断られたら困るもの。それに、客人が家主の入室を拒むなんて非常識よ」
「窓から入って来るのは非常識じゃないんですか?」
流石に家主だからといって、屋根伝いに入室しても良いということはあるまい。もしもこれが普通だと言われたら、常識の方がどうかしてると思う。もう気軽に他人の家には泊まれないじゃないか。
リィラはこちらの質問を聞き流すと、僕をジロリと観察し、ふんと鼻を鳴らした。
「やっぱり。昨晩、吐いて服を汚したから、乾くまで着る服が無いなんて嘘じゃない。ゼノ様がわたしに言うことは嘘ばっかりね」
そう言いながらも、片手に抱えていた男物の服を荷物入れの上に放り出す。僕のために着替えを持って来てくれていたようだ。
幸い、咄嗟に上掛けで隠した左手にはまだ気づかれていないらしい。
「それ……ゼノさんが言ったとおりだったら、僕が部屋の中で下着姿だったかもしれないんですよ。普通、遠慮するんじゃないですか?」
多分、ゼノヴィスも誰も部屋に入って来ない事を期待してそんな嘘を吐いたんだと思うんだが。
「大丈夫。気にしないわ」
「……」
僕は困るんですよ、と言っても無駄な気がして僕は溜息を吐いた。せめて信用度が底辺にまで落ちているらしいゼノヴィスのために、言い訳をしておく。
「ちょっと調子が悪かったので、ひとりにして欲しかったんです。ゼノさんは気を使ってくれたんです」
「そんなことより! 一体どういう事かしら⁉︎ 父様がイーギル様のところへ行くなんて言い出すなんて! 貴方、事情を知っているでしょう? 昨日何があったの?」
(ああ、やっぱり。聞きに来ると思った。)
この様子だと、納得するまで出て行ってくれと言っても聞いてくれないんだろうな、とリィラの引き結んだ口元をを見ながら思う。となると、この左腕を隠し続けるのは不自然だろう。多分、リィラなら腕を隠し続ける様子に気づけば問いただしてくる。
(参ったなぁ……)
何とも外の世界には面倒が多いものだ。僕は、すっかり錆び付いてギチギチと音を立てるような頭を働かせながら、溢れ出そうな溜息を飲み込んだ。
主人公が中二病を発症しましたよ!(爆笑)
そしてとうとう10万字に。ここまでお付き合いして下さってる方々、本当にありがとうございます。皆様のお陰で楽しく書けています。
この話は、真面目に中二病を発症するとしたらどんな世界観のどんな状況だろう?と考えて書き始めた話だったりします。今後も出来るだけ丁寧に中二病を進行させますね。サブタイトルも中二病に変えてやろうかな…
次の更新は3/6になるかな…と思います。筆がちゃんと進むと良いのですが(-_-;)




