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箱庭の技法  作者: 游魚
失われた物語
2/31

悪夢

 

 僕は、薄暗い部屋の中にいた。


 不気味な部屋だ。地下にあるのか窓は一つもなく、夏だというのに肌寒い。壁に掲げられた松明の炎が床や壁にゆらゆらと不気味な影を投げかけ、闇を一層強調している。


 足元を見ると、不安定な明りの中に、床いっぱいに描かれた真っ赤な魔方陣が浮かび上がっていた。正面に目を凝らすと、部屋の奥には細身の少年が影に紛れるようにぽつんと立っている。


 少年がゆっくりと顔を上げると口を開く。


「兄さん。ずっと会いたかった……」


 その顔を見て、身体に衝撃が走った。記憶にある姿よりずっと成長しているが、それは紛れもなく7年前に生き別れた双子の弟、アルムの姿だった。


「アルム……⁉︎ 無事だったか! 」


 思わず弟の方へ駆け寄ろうとしたが、足どころか、指一本動かせない。そこでこれは夢だと気づく。妙に現実味のある夢だが、弟が目の前にいるこの状況が現実であるはずがなかった。


 僕が微動だにしないのを気にする様子もなく、アルムはゆっくりと楽しそうに破顔した。鏡で見る自分と全く同じ顔の弟が笑う姿に、心が安心感で満たされていくのを感じる。


 7年前、両親が死んだあの日まで、僕とアルムはいつも一緒だった。離ればなれになって以来、ずっと自分の半身をどこかに置いてきたかのような気持ちだったのだ。夢だと分かっていても、こうして弟と同じ場所にいられることにほっとする。


「兄さん。ありがとう。それからごめん。あの時僕を庇わなかったら、兄さんがあんなところに閉じ込められることなんてなかったのに。会えたら言おうってずっと思ってたんだ」


「そんなこと……」


 気にしなくていい。アルムが無事だったのならそれで満足だ。


「兄さんと僕は離れちゃいけなかったんだ。僕一人じゃ、結局何もできなかった。周りに良い様に利用されただけだよ」


 そう言ってアルムはゆるゆると首を振った。話す内容に反して、顔には清々しい笑みを浮かべている。どこか心のタガが外れたようなその様子に、否応なく不安が掻き立てられた。


「兄さんなら、きっと……。僕にはもうこれ位しか出来ないけど」


「アルム? 一体、何があったんだ?」


 僕の問いかけには反応を示さず、アルムはこちらに一歩近づいて来た。暗闇に隠れていた体が、松明の明かりに浮かび上がる。


 その姿に思わずのけぞりそうになった。しかしやはり体は動かない。耳が痛くなるような静けさの中、自分の息をのむ音がやけに大きく響く。


 アルムの下半身は血だらけだった。ぐっしょりと血を含んで重そうなマントが足にまとわりついている。


「アルム⁉ どうしたんだよその血……! 大丈夫なのか⁉」


 僕の悲鳴も意に介さず、アルムは笑みを深めて僕を見た。いや、その目線は僕を通り越した後ろ側を見ている。暗く光る紅色の瞳に、僕の姿は映っていない。


 同心円状に描かれた魔法陣のちょうど中心まで進んだ彼は、確かめるように床に目をはしらせると、胸元から紙切れを1枚取り出た。


「スピサ」


 アルムの手にしていた紙切れが赤い光を発する。次の瞬間、紙があったその場所ににぼんやりと光る、トカゲの体に猿の手が生えたような姿の悪魔が現れた。悪魔はふわふわと宙を漂いながら甘えるようにアルムの手に頭を摺り寄せる。


 あっけにとられている僕をよそに、アルムは悪魔に次々と指示を出し始めた。


「外周の西と東の位置にギャルムの血を。北と南の位置に僕の血の入った瓶を。第二の円に灰と骨を。火のシジルの上に蝋燭を……」


 悪魔はアルムの指示に的確に従い、地面に描かれた緻密な線や文字に触れることなく物を配置し、新たな線を付けたしていく。


「……そして最後に兄さんの血を、僕の所へ」


 悪魔が僕の立っている所にむかって来た。避けることもできずにいると、悪魔はそのまま僕の体をするりとすり抜け、僕の背後から赤黒い液体の入った瓶を取り出してアルムのところに持っていく。アルムはそれを受け取ると、マントを鬱陶しそうに背中へ流した。


 マントの下から現れた上半身は裸だった。むき出のその腕と胸には、途切れる事なくびっしりと魔法陣が刻み込まれ、じんわりと鮮血をにじませている。


 アルムは受け取った瓶の中身を一気にあおると、くちびるについた血をちろりと舐めとった。そしてゆっくりと跪き、自分を囲む魔法陣に触れる。


 途端、魔法陣全体がぼうっと光りだした。


「契約の門にわが血を注ぎ イストリアの混沌に歩を進め 永久の闇に巣食う狼には裏切り者の血 目を焼く光の雲雀には銀の鏡を囮にすり抜ける 隠された古き扉を探し出し 封印の鎖に肉親の骨を 灼熱の嵐を血染めのマントで潜り抜け 遊び好きの子狐にろうそくを差し出して 妙なる調べに導かれ 紅蓮の炎を身にまとい 白熱する鉄の玉座に膝まづく……」


 アルムが朗々とした声で呪文を唱えるにつれて魔法陣は外側から燃え上がり、上に置かれた物を道連れに焼き切れる様に消えていく。炎の輪が徐々に狭まり、内側の魔法陣が一層強い光を放った。中心で膝まづくアルムの体に刻まれた魔法陣も紅く光り始める。


 まるで体がひび割れていくようなその光景に背筋が震えた。何とかアルムを引き留めようと口を開くが、水の中にいるように声が出ない。


 アルムの瞼の隙間から見えていた忙しなく動く眼球が、ある一点を見据える様にぴたりと止まり、すっと瞼が閉ざされる。不意に口角がクイッと上がった。


「来たれ、全てを焼き尽くす劫火の龍よ 聞け、我等が始祖の血の盟友よ その身に供するは我が命 我が全てをもって 汝の名に報いよう ルーサン・ヴァン・フィアラム=アネスティスよ フィアラム・ヴァン・アネス=アルムアーラの名の下に命じる 我が兄フィアラム・ヴァン・アネス=カランバートに宿り その命を守れ……!」


 アルムの傍でその体を支えるように巻き付いていたトカゲの悪魔が悲しげな声を上げて搔き消える。次の瞬間、天井を突き抜けんばかりの火柱が立ち昇り、アルムの体を焼き尽くした。



 ***



 自分の悲鳴で目が覚めた。ひどい寝汗で、服がべっとりと体に引っ付いて気持ち悪い。辺りを見回すが、目に入るのは見慣れた鉄格子だ。


 あまりに鮮明な夢だった。瞼の裏に弟を焼き尽くす炎が焼き付いて離れない。炎に包まれるまでのほんの一瞬の間、こちら向かってほっとした様に微笑みかけた弟の姿が生々しく脳裏に蘇る。思わず胃からせりあがってきたすっぱいものを、僕は無理やり飲み下した。


 ただの夢だ、と自分に言い聞かせる。昨日の会話で思い出してしまった両親が死んだ時の光景や、弟への心配が入り混じって変な夢を見ただけだ。不安で騒ぐ胸を必死に抑え、再び体を横たえる。朝にはこんな不吉な夢も忘れているだろう。


 翌朝、結局ほとんど眠れず何となく重たい頭を抱えながら起きた。


 昨夜の夢のことは無理やり記憶の隅に追いやり、考えないように努める。教官達が僕たちの入る檻の開錠をするのを待ち、寝床の片付けをした後、ちらりと自分の隣の檻を見やった。


 隣の檻は昨日からずっと空っぽだ。隣の彼は、僕のグループではおそらく最弱だった。昨日の闘戯で僕が倒したうちの一人だと思うが、一晩帰れないほど痛めつけた覚えは無い。昨日僕が倒した事が決め手になって処分されてしまったのだろうか。慣れたと思っていても良心が疼いた。


「おい134番。どうしたんだ、ぼんやりして。今日の仕事は洗濯だぞ」


 突然後ろから声をかけられ、振り返る。ひょろりとした体で洗濯物の入った大きなカゴを両手に抱えた128番が、こちらを心配そうに見て首を傾げた。差し込む朝日と同じ色の髪が、窓からの光を受けてキラキラと輝く。


「何でもない」


 僕は首を振ると、部屋の隅に積み上げられていた布団をまとめて持ち、外へと向かった。音も無く後ろを追いかけてきた128番が、僕の隣に並ぶと慰める様に話しかけてくる。


「あぁ、132番の事を心配してたのか。お前と同い年だったよな。残念だけど、あいつはもう保たなかったよ。お前のせいじゃない」


 (そうか、彼の番号は132で、僕と同い年だったのか)


 ほとんど交流のなかった他人のことや、僕が彼を倒したことまで把握している様子の128番に驚きを通り越して呆れてしまった。


 水場でひたすら洗濯を済ましていく。洗い終わった物は別の子達がまとめて物干しへ運んでくれるので、大して重労働ではない。


 大量の洗濯物が大方片付いた頃、物干し場の方から誰かの怒鳴り声と悲鳴が響いてきた。洗濯の様子を監視していた教官が慌ててそちらへと向かう。


 (……何があった?)


「あれ、146番の声じゃなかったか?」


 128番が顔をこわばらせてこちらを見るが、そもそも誰かがわからない。番号からして僕よりも1つ年下の子なのだろう。


「お前がここに来た少し後に、外から連れてこられた子さ。ほら、髪が緑の…」


 そう言われて思い浮かんだのは、若葉色の髪で青白い顔の少年だ。去年、年長のグループで一緒になってからほとんど闘戯で勝ち残ることがなかった子だと思う。


 僕は立ち上がると物干し場のほうへ向かった。後ろを128番がついてくる。


 角を曲がり、物干し場が見える場所に着いた途端、突風と共に何か白い物が僕の足にまとわりついてきた。


 バランスを崩し、咄嗟に突き出した両手を擦りむく。

 手の平の痺れるような痛みに顔をしかめながら自分の足を確認すると、絡みついていたのは白いタオルだった。顔を上げると物干し場では、洗われて水を含んだ洗濯物が空中に舞い上がり、その場にいた者に生き物ののように絡みついて自由を奪っている。


 その小さな竜巻の中心に、淡い緑の髪の小柄な少年が立っていた。その顔は真夏の日差しの下にあってなお青白い。そして体の周りには赤黒い霧が渦巻いている。


「———こんな所で、死んでたまるか……フィリーネ!」


 146番の甲高い声が強風を切り裂く。大きく広がる耳を持つウサギのような悪魔が現れ、身動きの取れない人達を吹き飛ばしながら突進し、物干し場に面した塀にある搬入口の扉へ突き刺さった。木でできていた扉が爆散する。ぽっかりと空いた穴からは内側の塀を取り囲む、もう一枚の白い外塀の壁が見えた。


 ウサギの姿をした悪魔はそのまま外塀へ突撃したが、壁に触れた瞬間フッと煙のように搔き消える。白い壁には傷一つない。


 146番は構わず開いた穴に突進した。巻き起こっていた風がわずかに弱まる。


「———《締め上げろ》!」


 顔にまとわりついていた服を引きはがした教官の一人が怒鳴った。


 途端、立っているのがやっとだった横殴りの風が嘘のように治まり、空から重い音を立てて洗濯物が落ちてきた。うめき声をあげて146番が倒れ、地面をかきむしる。


 146番の首輪を作動させた教官はゆっくりとその場を見回した。物干し場では、まとわりつく布から解放された他の子供たちがしゃがみこんでゴホゴホと咳きこんでいる。


「全員《落とせ》」


 しびれるような痛みが脳天まで突き抜けた。同時に首輪が僕の首を締め上げる。咳きこんでいた子供たちがヒュッと笛の様な呼吸音をたててバタバタ倒れていった。


 僕も数秒で意識を失うだろう。そう思って、倒れた時ケガをしないようにしゃがみ込む。しかし、なかなか意識は遠のかなかった。むしろ痛みも締め付けも和らいでいく。


 ……パンッ


 物干し場に乾いた破裂音が響いた。教官の取り乱したような声が聞こえる。視線を向けると、教官が首元から引っ張り出したペンダントを信じられないというように見ていた。紐の先についた赤黒い石が粉々になっている。


「おい、134番!」


 ぐいっと腕を掴まれた。隣でしゃがみこんでいた128番は立ち上がって僕を引っ張り起こすと、塀に空いた穴に向かって走り出す。


「128番⁉ もう一人教官が……」


「あいつならさっきので意識を失ってるよ! 別の教官が来るまでしばらく時間がかかるはずだ! こんなチャンス、二度とない! 逃げるぞ‼」


お読みくださりありがとうございます。

明日も更新するつもりです。

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