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箱庭の技法  作者: 游魚
失われた物語
19/31

お風呂の会話って弾むよね

 



 風呂、というものに入るのは、おそらく人生で初めての経験だ。


 孤児院で行水はしていた。寒い冬は、体を洗う水がぬるま湯になる事もあった。

 しかし、熱いとも思えるような湯の中に、体全身を浸けるなど未知の体験である。


 それにしても、こんな大きな風呂があるとは思いもしなかった。なみなみと湯が張られている湯船は、全身を悠々と伸ばしてもまだ余裕のある大きさだ。


「これなら、ゼノさんも一緒に入れたのにな」


 夕食前に風呂でさっぱりされては、と部屋に案内が来た時、ゼノヴィスは窮屈だろうから先に入って来いと言って部屋に残ったのだ。


 でも、もしかしたら裸を見られるのが恥ずかしいのかもしれないな、と思い当たった。思い返してみるが、一緒に旅をしていても、これまで一度もゼノヴィスが服を脱いだ姿を見た事がないのだ。


 僕はそこまで抵抗は無いが、裸を見られるのは一般的に恥ずかしい事であるようだし、男女間では普通禁止されるくらいなものらしいので、やっぱり抵抗があるのだろう。多分、あまり気にしない僕がおかしいのだ。


 僕は、ゆらゆらと立ち上る湯気の量に少々圧倒されながら、石床をくり抜いたような広い風呂の縁にしゃがみ込み、そっと湯に片腕を浸けてみた。


 最初は熱い、と思った。しかし数秒で、じわっと痺れるような感覚と共に、その温度に手が慣れ始める。


 今度は、ゆっくりと足を差し入れる。

 手で感じるよりも熱いような気がしてびっくりしたが、しばらく我慢すれば心地よい痺れと共に体がホカホカしてきた。


「おお……! あったかい」


 僕は全身を湯船に浸けて、ほぉっと溜息を吐く。

 そしてこの感動を分かち合おうと、ルーさんに話しかけた。


「ルーさん、すごいな! 全身があったかいし、なんか浮くぞ!」


 風呂の底に右腕をついてお湯に体を浮かせながら、僕がいつになくはしゃいだ気持ちになっている一方で、ルーさんはいまいち気乗りしていない様子だ。


『俺様が、“熱い”なんて感覚を覚えるというのが不快だ……そして、その原因が水だってのも何となく気に食わん』


「何言ってるのか分からない」


『あと、全身の血が巡ってうるさい……。皮膚表面がピリピリする……』


「ああ、それは確かに」


 ルーさんが治してくれたは良いがピンクのツギの当たった様な状態だった皮膚が、熱い湯に晒されて少し敏感になっているようだ。痛痒い様な感覚がある。


『うーん、直せるか……?』


 面倒くさそうに呟いた後、ルーさんが考え込む様な間を空けた。

 ルーさんの言葉に僕は湯の中の自分の体を見下ろしてみる。水面越しに歪んで見える皮膚の色が、グングン元の色を取り戻していくのが分かった。


『なんだ、妙に直しやすいな……血行か?』


 ルーさんの声が若干嬉しそうになった。


「なんか、凄く不気味だな。……こう、一気に体の色が変わるとさ」


 皮膚の半分以上が変色していたので、それが元に戻っていくのはなかなか気持ち悪い光景だった。明らかに人間離れした自分の姿に、僕は溜息を吐く。まぁ今更ではあるし、傷が治るのは良いことだ。気にしないようにしよう。


「あ、今なら左腕も伸びるんじゃないか? にょきにょきっと」


『言っておくが、腕と皮膚のじゃ構造の複雑さが全然違うんだからな⁉︎ あと、確実に痛い』


 そう言いながらも、ルーさんは試してみるようだ。左腕がジンジンして来た。腕の断面をじっと見ていると、焦れったいような速度でじわじわ伸びているのが分かる。しかし、それに伴って、感じる疼痛は増していった。欠損部分の十分の一ほど戻ったところで、ルーさんが音をあげる。


『……ほらな、痛ぇじゃねぇか!』


「え……この程度で限界なら、ちょっと派手にこけただけでもマズイんじゃないの」


『俺様はテメェと違って繊細なんだよ!』


 地面に顔面ダイブして全身擦り傷とか作ったら、ルーさんは気絶するんじゃないか。そう思って、ふと思いついた。どうしてもルーさんを黙らせたい時は、思いっきり痛い怪我をすれば良いのかも知れない。


『……また不吉な事考えてんじゃねぇだろうな』


「いやいや。無理はしなくて大丈夫だよ。それに急に腕が生えたりしたら、リィラに怪しまれるよな。よく考えてみれば」


 うっかりして、また変な疑いを持たれては困る。危ないところだった。


「……ところで、ルーさんってさ、悪魔の属性で言うと何なの?」


 リィラとの会話を思い出して、僕が問いかけると、ルーさんはぶっきらぼうに答えた。


『炎』


「あ、やっぱり?」


 ずっと気になってはいたのだ。フィアラム王家が滅びても、炎の創世の龍がいれば、悪魔の統制は叶うはず。弟の犠牲があったとはいえ、僕なんかにルーさんが憑けるという事は、王家なんて何とでもなるんじゃないか。


「実はさ、国を作るって約束をしちゃってるんだよね、僕。だからそれを守らないとなんだけど」


 正直なところ自由になる事などあり得ないと思っていたので、128番の壮大な夢に安易にのってしまった事を少し後悔している。しかし、約束の施行条件は整ってしまった。一度、約束をしてしまったからには、相手がもう良いと言うまで守り続けなければ。


『俺様がいても、テメェが王になるのは無理だぞ。王家の純血が守れなくなった時点で、“国”の存続は無理だ』


「あ、そうなのか。そうだよなぁ……」


 まぁ、お前でも王になれると言われたら、それはそれで困るのだが。人の上に立つのは柄じゃないし、そもそもあの約束は128番が主体で、あくまで僕は手伝いでしかない。


『テメェに流れる王の血は半分だからな。純血だって王の資格を持てるかは半々なんだ。テメェに俺様が憑けた事が、ほとんど異常事態なんだぞ』


「そうだったんだ……ん?」


 僕はのぼせてボーっとしてきた頭を傾ける。


『まぁ、約束は大事だ。約束は世界の秩序だからな。俺様の存在意義でもある』


「今なんて?」


『つまり俺様はこの世界の秩序だと言う……』


「じゃなくて、その前」


 なんだか、聞き流せない発言があった気がするぞ。


「誰に王家の血が流れてるって?」


『へ? だから、テメェにだよ。半分だけな。何、知らねぇの?』


「……初耳だよ⁉︎」


『ま、半分になった時点で、そこらの魔術師と大して変わらねぇよ。困った事に』


 ルーさんはそう言うと、大きな溜息を響かせた。


『テメェの母親が最後の王権を持つ者だったが、有ろう事かとんずらしやがったからな。そのせいでこの有り様よ。潮時だとは思っていたが、こんな事態になるとは。流石の俺様もびっくりだぜ』


 なぜか楽しそうに語るルーさんの声を聞きながら、僕はしばし、浮かび上がる嫌な思い出を反芻(はんすう)した。いくつかの曖昧だった遠い記憶の一部が急に鮮明になる。喉を焼く吐き気と共に、炎と血で真っ赤な映像が断片的に頭で再生された。手を濡らす血が炎の熱で急速に乾いていくあの感覚が蘇って、僕は衝動的に右腕も切り落としたいような気分になる。


「あー……なんか、腑に落ちたよ。これは宿命だけど僕は絶対に死ぬなって約束させられたんだったよな。僕が母さんを殺す時」


 当時の記憶はいまいち良く思い出せないが、最終的に母さんに手をかけたのは僕だったりするのだ。


 誰にも話すつもりはなかったが、ルーさんには言っておこうと思った。なんと返されるかと身構えたが、しかし、ルーさんは大した反応を示すことも無くしみじみと呟く。


『死者相手の約束は、ほんと厄介だよなぁ。分かるぞその気持ち。それにしても、あの娘は自分の為にとんでもない事をしでかしたくせに、最期は秩序を守ろうとしたんだな? 最後の王の身内殺しは、別に義務じゃないんだが……千年も経つと語弊(ごへい)が生まれるんだなぁ』


「千年って、あの土王のお伽話か? そっか、ルーさんはその時代の生き証人だよね」


 僕は長い間、自分の中にわだかまっていた秘密の一部を吐き出した事に気が抜けて、ほわほわした心地のまま湯船を抜け出し体を洗いに行く。


「実際のところ、どうだったの? フィアラムが滅びても魔人が出て来ないのって、やっぱりあの話が間違ってるからなのか?」


『十数年分にもなる昔話を、今から俺様に語れと?』


「いや、要点だけ……」


『俺様たちの要点と、テメェらの要点は違うだろう。どこを話すべきだ……?』


 ルーさんの言葉に、僕は少し笑う。いつも唯我独尊といった態度で話すルーさんだが、何だかんだで相手を(おもんばか)った細かい気遣いをしてくれる。


「ルーさんはこれから何がしたいんだよ? あのお伽話みたいに魔人が暴走するのを止める為に、僕に憑いたんじゃないのか?」


『うんにゃ、そりゃあ違うぞ。むしろ逆だな』


「逆?」


 僕はやたらと泡立つ石鹸を擦る手を止めながら、ルーさんの言葉に首を傾げる。しかし、ルーさんはそれ以上詳しくは話してくれなかった。その代わり、困ったような口調で意味深な事を言う。


『なぁ、死ねないというのは、案外きついもんだ。長くなればなる程な……どうする?』


「どうするって……僕は死なないって約束があるから、全力で生きる努力はするよ。自分から死んだりするつもりはない」


 生き続けるのは面倒もあるが、犠牲になった大事なものを思えば、簡単に死んでしまう訳にもいかない。


『そうか……俺様もテメェの命は守らなければいけねぇんだよ。その辺は、考えどころなんだよなぁ。……やっぱり、エレットネールに復讐しようぜ。な? 許せねぇじゃねぇか』


「話の繋がりが全然見えないんだけど? 嫌だよ、何の意味もないのに。ゼノさんに迷惑かけるだけだろう」


『あんな事をされたくせに、えらく淡白だなぁ⁉︎』


 ルーさんは怒ったように叫んだ。過ぎ去った事に腹を立てて、疲れないのだろうか。


「終わった事にはいちいち拘らないよ。何の益もないのに、面倒ごとに自分から突っ込めと?」


 僕は手に掬った泡をふぅっと吹き飛ばした。いくつかの泡が空中にふわふわと漂い、あっという間に消えていく。


「ほんと、こうやってあっさり消えられたら気楽なのに」


『ぬぅ。薄々気が付いてはいたが、テメェはちょっと頭おかしいな?』


 ルーさんは失礼な事を言うと、それきり黙り込んでしまった。



 僕は体を洗い流すと、脱衣所に戻った。そこで大きな鏡を見つけて、ふらふらとそちらへ向かう。


「……そういえば顔とか、今どうなってるんだろう?」


 ゼノヴィスの馬車の中に鏡は無いし孤児院でも見かけなかったので、今の自分の顔貌は水面や窓に映る歪んだ姿くらいでしか認識していない。


 蒸気で曇った鏡の表面を擦り覗き込むと、そこには真っ赤な目で無表情にこちらを見つめ返す、自分の姿が映っていた。


 夢でアルムを見た時は、自分と鏡写しのようにそっくりだと思ったが、こうして改めて自分の顔を見てみると、昔ほどそっくりだとは言えない気がする。顔の造作はほとんど違わないはずなのに何故だろうと考えて、自分があまりに無表情過ぎるのだと気付いた。なんだか作り物みたいだ。


 試しに鏡の前でにっこり笑ってみる。鏡に映った自分は我ながら完璧な笑顔を作っていて、僕は驚きつつもほっと安堵の胸を撫で下ろした。


お読みくださりありがとうございます。


最近サブタイトル付けるのが苦手だと気づきました。センスが欲しい。

カラン君の風呂のマナーがなっていないのは許してあげて下さい。


更新頻度については活動報告で。

ではまた来週末(・ω・)ノ

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