リィラの言い分 2
「貴方、ゼノ様を信用し過ぎると痛い目に合うわよ。あの方は、優しく見えて利己的な人だから」
その言葉に、僕は何と返して良いのか分からず口ごもる。それを見てリィラは、やきもきした様に口元を歪めた。
「ゼノ様が、行く当てが無くて自分を頼って来た炎術師達に、何をしたか知ってる? ヴィントレットの貴族を斡旋したのよ?」
どうだ、と言わんばかりの態度でリィラは僕を見るが、それの何が悪いのか僕には全くピンと来ない。
「……ええと、就職先を紹介したと?」
「……貴方、本当に世間を知らないのね。向こうじゃ魔術師と見れば、見境なく迫害の対象だったんでしょうけど」
リィラは呆れた目を僕に向けると、諭すように言葉を続けた。
「あのね、風王の治めるこの国で、風術師以外が生活しようと思えば、一定以上の階級を持つ者の身元保証がいるわ。だけど、炎術師はそれだけでは無理なの。だって、いつ魔人になるか分からないと、みんな戦々恐々としているでしょう? 千年前のお伽話が、みんなの頭に刷り込まれているもの」
「千年……ああ、“愚かな土王” の話ですか」
リィラの話を聞いて思い出したのは、エレットネールとフィアラムの間にかつて存在したという、土王の国の滅亡物語だ。
昔、当時最も栄える国を治めていた土王は、力に奢り、その天誅だか何だかでその王族はみんな死んだそうだ。すると土術師達がみんな悪魔に乗っ取られ、邪悪な魔人となって人々を襲い出したとか、天災を撒き散らすようになったとか。加えて魔獣達が、王の加護を失った土地で命あるもの全てを食い荒らしてまわったという。
そこで民衆を助けるために駆けつけたのは、当時の各国の王達だ。王が一声命じれば、その使い魔が魔人をなぎ払い、王自らが戦場に立てば、全ての魔獣は恐れおののき逃げ出した。
やがて害を為す者はすべて王達の威光によって駆逐され、荒れた土地も他国に統合されると、これまで以上の実りをもたらし、人々を癒したとか、そんな話だ。
本当は、それぞれの王や太子達の英雄譚が合わさったもっと長い物語だ。アルムが好きだったので、父さんが寝物語に語ってくれたのだが、僕はどうも苦手だった。かつて人格を持っていたはずの魔人達を、情け容赦なく屠る描写は、子供心にも残酷だと思えたものだ。
「まぁ確かに、次々に魔人になられたりしたら困りますよね…」
炎王がいなくなった事で、このお話通りになるのなら僕は魔人側か。かつて英雄側に自分を投影して聞いていただけにちょっと憂鬱である。
「だから、炎術師はこの国の貴族に、自分の名前の全てを預ける必要があるの。いざという時、いつでも術師の命を奪えるようにね。魔人を止めるには、それしかないから。……だけど、それはつまり、貴族にとっては都合のいい奴隷を手に入れる良い口実になるわ。名の受け渡しなんて、よっぽどのことがない限りしないものだけど、相手が炎術師だと堂々と名を奪って使えるでしょう」
リィラの口ぶりでは、全名を預けるというのはかなり特別な行為なのだろう。それを強要することに憤っているように見える。
「これまで魔人の被害って、どれくらいあったんですか?」
そんな事を義務化しているくらいだ。それなりに被害があったのだろう。そう思って聞いてみたが、リィラは苦々しい表情で首を振った。
「わたしの知る限り、炎術師が魔人になって人を襲った事は、この18年の間一度もないわ。だってそもそも魔人になるなんて噂の根拠は、擦り切れたお伽話なんだもの。そうでしょう? ……でも今の炎術師は一種の便利な珍獣と同じね。道楽で飼い慣らされるくらいならともかく、面白半分に狩られても、誰も同情してくれない。むしろ、それが正義なのよ」
リィラは痛そうに顔をしかめながらそう言うと、ぎゅっと目を閉じた。固く握られて筋の浮き出た拳が、隣で震えている。
僕は少し心配になってその拳に手を重ねた。あまり強く手を握り締めていると、爪が食い込んで血が出てしまう。力を込めている時には気づき辛いが、手の平の傷は後から地味に痛いものだ。
リィラはびくりとしてこちらを見ると、ぱっと手を引っ込めた。とりあえず、傷は出来なかったようでなによりである。
「フィアラムからの移民だと言うことは、リィラさんのお父さんも炎術師なんですか?」
リィラの様子を見る限り、彼女の父は炎術師なのだろう。そして、あまり良い扱いはされていないに違いない。
「父はもう、ヴィントレット貴族であるイーギル様に従属しているわ。今は、隷属状態だけれど……何もやましいことはないのよ」
早口ででリィラはそう言うと、両手を振った。
「わたしなら、あなたの従属先を探してあげる事もできるわ。ゼノ様に任せたら、彼の利益になる様にしか使われないから。炎術師を従わせることが、今は一種のステータスなのよ。取引き材料にでもされるのが関の山」
「……でもゼノさんって、そんなに貴族と繋がりが必要な仕事なんですか?」
まぁ、誰でも病気にはかかるのだから、王族に薬を卸す事が出来れば良い儲けにはなりそうだけど。
「王族もそうだけど、聖堂や巫女社では、定期的に薬を入荷するそうよ。そこに販売するには、土地の貴族の許可が必要だから、その為でしょう」
「なるほど。確かに、同じ炎術師を売るような事は良くないですよね‥…」
僕としては、別に利用できるならすれば良いと思う。見知らぬ他人がどうなったかよりゼノヴィスが利を得たという事の方が、僕にとってよほど大事だからだ。だけど、ここはリィラに同調すべきだろう。そう思って返したが、リィラは訝しげな顔をした。
「ゼノ様は水術師でしょう? オーリュイ国籍なのだし」
「そうでしたね」
素早くそう答えてから、その態度が不審に思われていないかと僕はリィラを窺い見る。幸い、リィラは気にした様子もない。
(焦った……ゼノさんは自分が炎術師だとは、周囲に明かしていないのか。)
外見上は術師の区別などつかないのだから、人前でそれと分かる魔術を使わなければ、案外隠しおおせるのかもしれない。それならそうと、言っておいてくれれば良かったのに。
「だから、ゼノ様には、忠誠を誓ったわけでもない相手に名を捧げて従属する屈辱も、あまつさえ隷属の術に縛られる苦しみも、結局は他人事なのね。あまり彼に気を許さないことよ」
「はぁ……」
(とにかく、炎術師は危険視されているのか。この国じゃ貴族に従属しなきゃいけないと。)
せっかく首輪から解放されたのに、また自由を奪われるのはいい気がしない。
『は? 俺様をバカにしてるのか? 俺様の使ってる身体に、木っ端悪魔の侵害を許すわけがないだろう』
生死まで他人に握られるのは勘弁してほしいな、と思っていると、ルーさんの苛立った声が聞こえた。
(ん? 悪魔が身体の中に入ってくるのか?)
『そんな事も知らないで聞いてたのか……?』
ルーさんが呆れた口調で説明してくれたことによると、本名を知った相手なら、術師はその人物がどこにいても自分の使い魔を派遣し、取り憑かせることできるそうだ。それで監視や処罰が可能だと言う。
隷属の術とは、術師が他人の体内に自分の血を取り入れさせて、直接相手の体内に悪魔を宿らせるらしい。その悪魔を介して他人の生死を握るという仕組みの様だ。こちらは悪魔が半永久的に相手の身体に宿り、術師の命令を実行し続ける事ができるのだそうだ。
隷属の術は自分の状況と少し似ている気がする。ただ、自分が契約した訳でもない悪魔を身体に受け入れる隷属状態は、結構な負担が伴うらしい。苦痛の加減も自在だそうだ。
「へぇ……」
ルーさんの説明に僕が頷いていると、リィラが鋭い視線を向けてきた。
「分かってるの⁉︎ 従属するという事は、生殺与奪の一切を主に握られて過ごす事になるのよ。意に沿わない事でも、死なない為にはしなければいけないの。誰に仕えるかで、人生が変わるのよ……」
リィラは一瞬口籠ると、急に優しげな口調になって僕に語りかけてきた。
「ねぇ、ゼノ様にとってあなたは、自分の立場を守る為の都合のいい貢物でしかないわ。わたしなら、ゼノ様が居なくても貴方が一人で生活できる様にしてあげられる。だから……」
「僕はゼノさんを信頼していますよ」
少なくとも貴女よりはね、と心の中で呟きながら、僕はリィラの言葉を遮った。
なんと言われようとゼノヴィスを裏切るようなことはしたくなかった。ゼノヴィスに何か打算があって僕を助けたのだとしても、彼の行動と言葉に僕が救われたのは事実だ。
それにリィラの口車に乗れば、まさしく彼女に、彼女の父の立場を改善する為の取引き材料に使われる気がする。助けてあげたいとは思うが、ルーさんがいる限り、彼女の望むようにはなるまい。
リィラは信頼ね、と反芻するように小さく呟くと、考え込むように目を伏せ押し黙った。
しかし、リィラは僕を取り込む様なまねをして、実際どうするつもりだったのだろう。
問い質して詳しいところを知れたら良いのだが、生憎、僕は会話に慣れていない。自分の欲しい情報を、話そうとしない相手から引き出すなど無理そうだ。というか、リィラと話している内に自分がどうも人見知りであるらしいと自覚した。慣れない愛想笑いと会話で、酷使された顔の筋肉が強張ってきているのが分かる。もう早く対話を終わらせたい。そろそろ表情筋が痙攣を始めそうだ。
その時、僕の願いに応える様に、部屋の扉をノックする音が聞こえた。そして返事を待たずに扉が開かれる。
「カラン、失礼するよ。……ん? あぁこれはリィラ嬢。お話中でしたか」
遠慮無く部屋に足を踏み込んで来てゼノヴィスが、リィラの姿を見て意外そうに目を見開く。
その自然な仕草が、僕には胡散臭く見えて仕方が無い。
リィラが僕の部屋を訪ねて来てから、隣の部屋からゼノヴィスの気配をぴたりと感じなくなっていたのだ。僕の部屋にリィラがいる内に、どこかへ行ったのかと思ったが、ちょうど会話が途切れたこのタイミングで部屋に入って来たという事は、気配を殺してこちらの様子を窺っていたのでは無いだろうか。
「あら、何の用なのかしら?」
リィラは取り繕った笑顔で、ゼノヴィスを振り返る。
「いえ、手持ち無沙汰なもので、カランの勉強でも見てやろうかと思いましてね」
ベットの上に開きっぱなしになっている本にチラリと目をやりながら、ゼノヴィスは肩をすくめた。
「リィラ嬢こそ、カランに何のお話でしょう? お邪魔な様なら私は退室しますが…」
年頃の娘さんが一人で男の部屋を訪ねるのは感心しませんねと、特に興味も無さげに言いながらゼノヴィスは部屋を出ようとする。
「いいえ、もう結構よ。わたしが出て行くわ」
リィラは少し焦った様に立ち上がり、扉に向かおうと足を進めた後、ふと足を止めて僕の方に向き直った。
「カラン殿、お話できて楽しかったわ。是非これからも仲良くして下さいね。ではまた後ほど……」
先ほどまでと打って変わった優しげな笑みで慇懃に退室の礼をするリィラに、僕は引きつらない様に細心の注意を払いながら笑顔を返したのだった。
お読みくださりありがとうございます。
年内にもう一度更新出来るとしたら12/29ですかね…頑張ります。ちょっと筆が遅くなっているので(。-∀-)
感想とか、お気軽にどうぞ…