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箱庭の技法  作者: 游魚
失われた物語
14/31

常識と…

 


 屋敷に着くと、使用人らしき人達のビシリと揃った礼に迎えられた。


 外見は3階建てのかなり大きい屋敷だが、入ってみれば、室内に装飾などほとんどなく、素朴な雰囲気である。慣れない丁重な扱いに、背筋がむず痒くなった僕は、ゼノヴィスの大きな体の陰でなるべく視線を遮って進んだ。


「しばらくこちらでお待ちください」


 案内されたのは、大きなソファがテーブル越しに向かい合って置かれた部屋だ。使用人が礼をして出て行くと、部屋にはゼノヴィスと僕の2人だけになった。


 使用人達のお辞儀の嵐も平然と受け流していたゼノヴィスは、躊躇いなく豪奢なソファに腰を下ろす。


「カラン、一応注意しておくが、お前の事情を他人に話すつもりはないからな。お前はあくまでエレットネールで迫害され、困窮していたところを拾われた身寄りの無い子供で私の弟子だ。余計な情報は喋るな。なるべく黙っていなさい」


 僕は頷きながらも、少し引っかかりを覚えた。エレットネールからの逃亡者である事を明かせないのは分かる。しかし、カヨ達の前では伯父だと言ってはばからなかったはずだ。わざわざ身寄りが無いと言うのだから、ここでは血縁関係を隠せという事だろうか。


「あと、私の名前を呼ぶ時に、うっかりゼノヴィスと呼ばないように。不自然に思われるからね。注意するまでも無いだろうが」


 ついでのように言い足された言葉に、僕は首を傾げる。


「……そう言えば、村の入り口でもゼノと名乗っていましたよね? どうしてですか?」


 僕の質問に、ゼノヴィスは虚をつかれたような顔をした。分からないか、と呟いて眉間を押さえる。


「名前は、特別な事情でも無い限り、略称を使うのが普通なんだよ。普段使う略称以上に長く名前を名乗るのは、それだけ相手を信頼しているという事になる。本名を全て明かすのは、かなり親密な相手や、自分が一生仕えると決めた主に対してのみだ」


 という事は、初対面でゼノヴィスと名乗ったのは、僕に対する誠意の表れだったのだろう。常識の足りない僕には、全く伝わっていなかったが。

 番号でしか呼ばれない孤児院で、自分の名前など気にした事もなかった。今、もし本名を名乗れと言われても正直、噛まずに言える自信がない。というか、僕の記憶にあるので正解なんだろうか、あのやたらと長い自分の本名。


「……危なっかしいな。名は魂の核だ。法術や魔術を他人にかける時それがどれだけ拘束力を発揮するかは、どれだけ相手の名を知っているかに比例するんだぞ」


「……気をつけます」


 下手に喋って何かボロを出さないように、この場ではなるべく黙っていよう。





「お待たせして申し訳ありません、ゼノ様、お弟子様」


 しばらくすると、リィラが背後に茶器の載った盆を持つ侍女を従え、部屋に入ってきた。香り高いお茶の入ったカップが、静かに僕達の前に並べられる。


 リィラは僕とゼノヴィスのテーブルを挟んで向こう側に優雅な仕草で腰掛けると、なぜか僕を見てにこりと微笑んだ。


「トトノ、少し席を外してくれるかしら。用があればベルで呼ぶわ」


 リィラの言葉に侍女は無言で礼をして部屋から出て行く。部屋に3人だけになると、リィラはカップを手に取って香りを楽しんだ後、一口飲んで見せた。


「ゼノ様達もどうぞ。ショウハ地方の茶葉に、柑橘類の香りをつけた香茶です。ヴィントレットの高貴なお嬢様方の間で今人気だそうですよ。男性にお出しするのはどうかとも思ったのですけど、あいにくお客様に出せるようなお茶がこれしか無かったのです」


「良い香りですね」


 ゼノヴィスは無難に微笑んでお茶に口をつけると、見定めるようにリィラの顔を見た。


「気に入って頂けて何よりです。実はこの茶葉はイーギル様が贈って下さったのですよ。この村に必要なのは高価な嗜好品ではなく、この辺りでは作れない米や生活必需品だと理解して下っさっているのでしょうか?」


 リィラは穏やかな笑顔はそのままに目つきだけを鋭くした。そして意味ありげに微笑むと、チラリと窺うような視線を僕に向ける。


「……?」


 どこか不穏な空気に戸惑いながらも、僕は出されたお茶を口に含んだ。爽やかな香りが口に広がり、柔らかな苦味と酸味が舌を楽しませてくれる。


(おお、これは甘いものといっしょに飲みたい味だなぁ。)


『同意だ。これにハチミツを入れても美味そうじゃないか?』


 口を挟めそうな雰囲気ではないので、とりあえず僕は初めてのお茶を楽しむ事にした。もちろん話は聞き漏らさないように耳に神経を集中させている。


「リィラ嬢、それは……」


「イーギル様はまだ領地を拡大する事をお望みだそうですよ。わたし達の目的は難民となった者達が生活出来る土地を確保する事。もう十分です。これ以上はただただ魔獣の被害を増やすだけ。そもそもイーギル様のお力では、これ以上の土地に実りをもたらすのは無理があると思うのです。危険が増すばかりで益がないのに、新たな土地を開拓してどうします?」


 リィラはそうでしょう? と同意を求めるように小首を傾げて笑みを深める。ゼノヴィスは苦い笑みを浮かべてわずかに目を伏せた。


「あぁなるほど。それでヴィゼロが伏せることになった、と」


「ご理解が早くて助かります。父の責任感の強さはご存知でしょう? 隷属の身分でありながら主に意見したのです。他にイーギル様を諌められる人がいなかったのでしょうね」


 リィラの顔には、笑顔では隠しきれない怒りが滲んでいる。涼しげな目元が赤く染まり、膝の上の手は固く握られていた。


「王の騎士であった父様が、イーギル様に隷属したのはフィアラム国民を守るためです。危険に晒すような事に唯々諾々と従えるわけがありません」


 リィラは自分を落ち着かせるように目を閉じると、ゆっくりと息を吸った。ゼノヴィスはその様子を見ながらひっそりと溜息を吐く。


「リィラ嬢、事情は分かりました。続きはヴィゼロ殿を交えた席を別に設けて……」


「あら、わたしの話では信用出来ませんか? それともお弟子様に詳しい話を聞かせたくないのかしら?」


 そう言ってリィラが僕に探るような鋭い視線を向けた。そんな風に見られても、僕には何とも答えられない。全く事情が飲み込めていないのだから。


「ゼノ様はどう言うつもりでこの方を弟子に迎えられたのですか? わざわざ国外にまで連れ出されたのですから、相応の理由があるのでしょう?」


 正規の手順を踏んで出国させたわけではないのでしょう?と言いながら再びリィラは強張った笑みを浮かべた。


「ゼノ様は、父にこの方のヴィントレットの身分証の発行を頼みにいらしたのでは? 父には、その権限がありますものね。けれど、今その権限はわたしに移っています。身元の定かでない者に身分証の発行は致しませんよ」


 ゼノヴィスは特に動じた様子も無く、後で話しましょうと微笑んだ。リィラはしばらく沈黙した後、ふいっと顔を背けて立ち上がる。


「……分かりました。お部屋にご案内致します。湯浴みの準備が出来次第、人を寄越しますので」


 一瞬見えたリィラの横顔は、泣きそうに見えた。



 *



 僕は案内された一人部屋の隅のベットに腰掛け、所在無いままにあちこちを眺める。広い空間に誰の監視も無く一人っきりというのは、なんとなく落ち着かない。


 外に勝手に出る事はリィラにもゼノヴィスにも止められてしまったし、余所者で、片腕という特徴のある僕がこっそり外に出ても直ぐにバレそうだ。


(部屋で大人しくしてるしかないか。)


 部屋のにはすでに、僕の僅かばかりの荷物が運び込まれていた。僕はその中からゼノヴィスに与えられた本を一冊取り出すと、それを読んで時間を潰す事にする。


 文字の読み書きは両親にも教えられたし、孤児院でも最低限覚えさせられている。手に取ったのは人体の構造や病態について書かれた手書きの本だ。


 長文を読むのは苦手だが、ゼノヴィスが貸してくれる本はどれも各所にイラストや図解があって理解しやすく、文章も端的でそれほど読むのは苦痛では無かった。僕は夢中で読み進めながら、知識を吸収していく。


『こうして図解されると分かりやすいよな』


 ルーさんが人体の解剖図が描かれたページで興味深そうに呟いた。彼にも文字は読めているようだ。血や肉を直接見るのは苦手でも、絵に描かれたものなら大丈夫らしい。


(腕を治すのに役立ちそう?)


『そうだな……せっかくだから、そこの関節と筋肉をちょっと弄れば、可動域が広くなって面白いんじゃねぇか? 便利だろ?』


(……改造するのはやめてくれ。)


 関節があらぬ方向に曲がりまくった自分を想像して、僕は顔をしかめる。ルーさんに体を任せると、そのうち人間の範疇を超えてしまうかもしれない。気をつけなければ。

 名案を拒否された事にルーさんは不満そうだ。


『けっ! テメェごときに俺様の高尚な発想を理解するのは無理だったか……』


(はいはい。だから僕じゃ理解が及ばない事はしないでくれよ。体を動かすのは僕なんだから)



 1時間ほど読書に熱中していただろうか。僕はふと部屋の外にかすかに人の気配を感じて、本から顔を上げた。


 その気配は、一旦僕の部屋の前を通り過ぎ,僕とゼノヴィスの部屋の間でしばらく迷うように立ち止まると、引き返して僕の部屋の扉の前に立つ。


 ずっと扉の前に立たれていると、気になって本を読み進められない。なかなか動かないその人物にしびれを切らして、僕は立ち上がると扉を開ける。


「どうぞ。入って下さい」


 僕よりやや低い位置に、驚いたように見開かれたリィラの深い藍色の瞳があった。しばらく無言の間が空く。

 その後、警戒心もあらわな表情になったリィラは、僕を押しのけるように入って来た。


「……我が家の壁や扉はそこまで薄くないはずですが」


(あ……ノックを待ってから声をかけるべきだったか。)


 これでは、ずっと外の気配を窺っていたのだと勘違いされるかもしれない。家主を信用していないのだと思われるのは良くないだろう。

 僕は慌てて友好的と思える笑顔を取り繕った。それを見たリィラが、なぜか口元を引きつらせる。


「何の御用ですか?」


 僕の問いかけには答えず、リィラは僕の近くまで歩み寄ると、ベットに上に開かれたままになっている本に目をやった。


「……字が読めるんですか?」


「ええ、まぁ一応は」


 僕は戸惑いながら頷く。一体彼女は何をしに来たのだろうか。


 リィラは僕からそっと目をそらすと、身を屈めて本に手を伸ばした。と、そう思った瞬間、視界の外から鋭い掌底が飛んで来る。


 いきなりの攻撃に驚く意識とは裏腹に、僕の体は半ば反射的にその手を跳ね除け、相手の体を投げ飛ばそうとしていた。


(あ、やばっ)


 僕はリィラの手を捻り上げて、その体をベットに押さえつけながら、ホッと安堵の息を吐く。危うく床に思い切り叩きつけるところだった。咄嗟にベット上に投げられた自分を褒めてやりたい。


(けど、一体何なんだ……?)


 何かリィラの気に障るような事をしてしまっただろうか。やはりさっきので、ずっと外の気配を窺っている不審者だと思われてしまったのかもしれない。


「いつまで、上にいるつもりですか」


 リィラの声にふと我に帰る。少し迷ったが、僕は束縛を解くとリィラの上から体を退けた。部屋や食事まで用意してくれると言う相手である。僕を害するつもりならもっと確実なやりようがあるだろうし、本気では無かったのだろう。それに万一また暴れられても、もう一度抑え込める自信はある。


 リィラは素早く立ち上がると僕から距離を取って背を向け、服や髪の乱れを整える。その背中からは無言の怒りが感じ取れた。


(……もしかして、一発殴られておくのが正解だったんじゃないだろうか。)


 何か僕の知らない常識が、ここにもあったのかもしれない。これも一種の挨拶だとは考えられないだろうか。殴られてもやり返さない事で、敵対の意思がない事を示すとか。


(うん……ありそうだ。)


『はぁ⁉︎ まさか冗談だろ?』


 僕はちらりとリィラの様子を窺い見る。それと同時にリィラが振り向き、ばっちり目があった。リィラの頰は怒りで赤く染まっている。やはり僕は怒らせるような事をした様だ。とりあえず謝っておこう。


「すみません。咄嗟に反応してしまいました。貴女を傷つける意思は無かったのです」


 僕はベットに落ちていた髪飾りを拾うと、謝罪の意味も込めてその蜂蜜色の髪にそっとさした。ただでさえ赤かったリィラの顔が茹で上がった様に真っ赤になり、肩が怒りで震え始める。


(うーん、常識って難しいなぁ。)


 僕は途方に暮れつつ、飛んできた平手打ちを、今度は甘んじて受け入れたのだった。



お読みくださりありがとうございます。

カラン君にはそろそろ受け身を脱して欲しいと思ってはいます。


ちょっと忙しくて来週末まで更新できないと思うので、今回は長めに書きました。

(次の更新どうしましょう…男の風呂回とか、カヨ視点の番外とか…需要無いですよね…)


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