ゼノ様の訪い(リィラ視点)
リィラ視点です
「父様! 父様、起きてらっしゃいますか⁈ 」
村の入口でゼノ様と別れた後、わたしは屋敷まで、なるべく急いで戻りました。村人の目がある所では不自然に思われない程度の速足でとどめていましたが、屋敷の中に入ってからは周囲の目も気にする必要もありません。わたしは父様の寝室まで階段を2段飛ばしで駆け上がり、ノックもせずに扉を開けます。
勢いよく開かれた扉に、扉横に控えていたらしい使用人が仰け反り、ベット傍の椅子に腰掛けた巫女が驚いた様に目を見開いて竪琴を爪弾く手を止めました。
(なんて事かしら!この程度の事で清めの調を止めるなんて!)
わたしが巫女に鋭い視線を向けると、彼女は慌てて調を再開します。しかし、一度綻びた結界は簡単には戻りません。薄暗い部屋の中に、硫黄の様な臭いがわずかに漂い始めます。
「……リィラ、落ち着きなさい。夢中になると周囲が見えなくなるのはお前の悪い癖だ。何があった?」
ベットの天蓋の奥から穏やかな父様の声が聞こえました。その声で、興奮と焦りで昂ぶっていた心が少し落ち着くのが分かります。わたしはなるべく平静な声を出す様に努めながら、ゆっくりと話しました。
「父様、先ほど、この村にゼノ様が着かれました。ゼノ様なら、父様のこの状況をなんとか出来るはずです。ゼノ様は——」
「リィラ、黙りなさい」
わたしの言葉は父様の鋭い声に遮られました。同時にゆっくりと父様が身を起こす気配がします。天蓋の陰から、痩せ衰えて、もはや骨と皮の様になってしまった父様の姿が見えました。自力で身を起こせるのが不思議な程です。
(以前は、ゼノ様と並ぶほど頑健な体格をしていらしたのに……)
弱りきった父様の姿に、胸が刺された様に痛みます。思わず胸元をぎゅっと押さえながら、わたしはベットの傍まで駆け寄りました。
「父様、お願いです……! 父様の代わりを出来る者なんて、どこにもいません。父様が直接お頼みすれば、ゼノ様はイーギル様に掛け合って下さるはずです。父様は反逆の意思など無いのだと分かって頂かなくては!」
「黙りなさいと言っただろう。ゼノ様は他国の、ただの薬師だぞ? もちろん貴族との繋がりもあるだろうが、決定を覆させるほどの力があるわけがない。分かるだろう?」
落ち窪んだ目が、静かにわたしを見つめました。体の苦しい中でも、決して穏やかさを失わない力強い薄紅色の瞳は、自分の意見を曲げるつもりなど無いと言う意思をはっきりと伝えてきます。そして、わたしにこれ以上不用意な発言をするなといっている様にも見えました。
わたしはどうしようもない苛立ちともどかしさに唇を噛みます。
(ゼノ様がただの薬師ですって? あの方は背負うべき責任を投げ出して逃げた卑怯者だわ……! )
ゼノ様は、今は身分こそただの薬師ですが、かつてこの村の母体となったフィアラムからの移民兵団を作った方のひとりです。それなのに、ヴィントレットに移民の定住が許された途端、後は知らないとばかりに父様に全部押し付けて、ご自分は勝手気ままにフラフラされているのですから、わたしが苛立つのも仕方ありません。
新たに土地を開拓する許可を頂き、移民達がヴィントレットの市民権を得たと言っても、それで万事解決とはいかないでしょう。父様は、新たに措かれた貴族であるイーギル様との折衝を重ねながら、数千人単位の人々を束ね、これまで王の恩恵が無かった霊子の乏しい土地に、人が暮らせる村を一から作って来なければいけなかったのです。父様に課された重責は想像するに余りあります。
そうして、今まで努力を重ねてこられた結果が、父様のこの状態だというのはあんまりではないでしょうか。
父様に統率力があるのも、イーギル様に意見するのも、この村を守るためです。村人が兵として高い練度を保っているのも、辺境のこの村で魔獣やエレットネールの脅威に晒されながら生きていくために必要だからです。父様に反逆心など微塵もないのです。それを示すために、イーギル様の使い魔を受け入れてこうして隷属までされたのではないですか。
本来、イーギル様の横暴を諌めるのは、彼をこの地の貴族として引っ張って来たゼノ様であるべきです。父様はなぜ、ゼノ様に腹を立てないのでしょう。どうしていつも、ゼノ様を優遇するのでしょう。
わたしの考えている事が分かったのか、父様は固く握りしめたわたしの手にそっと骨ばった大きな手を重ね、なだめる様に撫でてくれます。カサカサとした手は氷の様に冷たくて、わたしは思わずその手を両手で包みこみました。
それを見て、父様は苦笑いを浮かべます。
「リィラ、私を心配してくれる気持ちは嬉しい。しかし、いつかこうなるのはイーギル様に隷属した時から覚悟していた事だ。他人に無茶を言ってはいけない」
じわりと目に涙が滲みます。父様の為に何もできない自分が情けなくて仕方がありません。
(せめて、わたしが父様の能力を受け継いでいたら……)
そうであれば、わたし自身を交渉の材料に出来たかも知れません。けれど、わたしには何の能力もありません。亡くなった母様譲りのわたしの青い目が、今ばかりは恨めしく思えます。少々腕が立つだけの普通の女に、イーギル様が興味を持つとは思えません。
父様は指で優しくわたしの目元を拭うと、見透かす様にわたしの目を覗き込みました。
「お前が私の能力を受け継がなくて良かった。お陰で私のように支配されなくて済んでいる。リィラ、たとえどんな甘言を囁かれようと、自分の未来を決める権利を他人に譲り渡してはいけないよ。……人によってそれは、得難い権利なのだからね。お前は時々無茶をするから心配だ」
父様の顔を見る事が出来ず、俯くわたしの頭を、父様は軽く叩きます。
「ほら、ゼノ様が来たのならここに泊まるのだろう? 急いで手配をさせなさい。お前の指示が無いと使用人達が動けない。お着きになったら私も挨拶に伺おう」
*
父様の部屋を出ると、扉の前で侍女のトトノがぐったりとしていました。わたしの姿を見て直ぐに背筋を伸ばしましたが、少し息が荒いように思えます。
「トトノ、どうしたの?」
「その、リィラ様があまりにお急ぎになるので…。申し訳ありません。お側を離れてしまって…」
そういえば、いつの間にか後ろをついて来ていたトトノの姿が見えなくなっていた様な気がします。屋敷へ急ぐ途中で振り切ってしまったのでしょう。確かに村の最も奥まったところにあるこの屋敷まで、速足で歩き続けるのはトトノには辛かったのかも知れません。
けれど、それでは良くないのです。この村は国境の最前線。魔獣の襲撃があった時、そしていつかエレットネールが攻めて来た時、いち早く迎え討ち、背後にいるヴィントレットの人々を守る義務があります。ですから、有事の際に足手まといとなるようなことは許されません。
「医療班だからと言って鍛錬を疎かにしていませんか、トトノ? 戦場で体力と機動力を求められるのは、戦闘班と同じですよ」
「申し訳ありません」
謝ってほしいわけではないのですが。仕方ありません。非戦闘員の体力強化については後日考えましょう。今はお客様を迎える準備をする事が先決です。
「トトノ、使用人達に南側の客室を整える様に伝えて下さい。お客様には大浴槽を使っていただきますから、お湯の準備も忘れずに。旅をされていたのですから、夕食の前に湯浴みにご案内した方が良いでしょう。食事の席には、わたしもご一緒するつもりです」
他にも細々とした指示を出し終わると、ひとまずは客人を応接室にお通ししようと階下に降りようとして、その場から動かないトトノに気付きました。
「何か指示の足りないところがあったかしら?」
「リィラ様、準備する客室は2部屋でよろしいでしょうか?」
(あぁそうだったわ。今回はゼノ様にお連れがいらしたわね)
「ええ、隣の部屋を整えて下さい」
わたしは先ほど出会った黒髪の少年を思い出して答えます。薬師見習いの服を着ていましたが、ゼノ様の従者という様子ではありませんでした。きちんと客室を用意した方が良いでしょう。
どこか影のある雰囲気と、顔にうっすらと残った火傷の跡が印象に残っています。あまり見ては失礼だと思って直ぐに目を逸らしてしまいましたが、片腕の肘から先が欠けている様でした。
(かわいそうに。エレットネールの野蛮人どもに迫害されたのでしょう)
一瞬合った彼の目は、確かに鮮烈な赤色でした。
赤い目を持つ者が必ずしも魔術師である訳ではありませんが、魔術師は全てが赤色を持っています。だから、赤色を持って生まれる事は、まともな人生を歩めない事を意味するのです。特にあの国では。
(それにしても、黒髪に、赤目の少年ね……?)
当然、赤い目など滅多に見るものではありませんが、黒髪も比較的珍しい色です。脳裏に、近頃良く耳にするようになったある炎の術師の噂がよぎりました。その術師も赤目に黒髪で、彼と同じ位の年頃だと聞いています。
(偶然かしら?)
わたしの知っている容姿に関する噂が、エレットネールでどれ位認知されているのかは分かりませんが、出国の際に見咎められなかったはずがありません。ただでさえあの国は出入りの制限が厳しいのです。
ゼノ様が何度か赤色を持つ子供を保護した事があるのは知っていますが、危険を冒して出国までさせたのには、何か理由があるのでしょう。
(……何か弱味を握れれば、父様を助けてくれるよう、ゼノ様を説得するのに有利になるかもしれません。)
父様にはああ言われましたが、可能性があるのに何もしないなんてわたしには無理です。多少脅し、もといお願いする位、良いではありませんか。
色々考えましたが、リィラ視点でお届け。
日曜にも投稿できるよう頑張ります。無理だったら次の更新は来週末です。ごめんなさい。
感想レビュー評価、大募集ですよ!