侵食する村
翌日から、午前のうちは馬車と並走して体力作りに励み、軽い昼食を取った後は、僕が御者台に座るようになった。
大きな街道に合流してから時々他の馬車や騎馬とすれ違ったが、誰もが僕らの馬車を大きく迂回して通るので、ほとんど顔を合わせる事はなかった。一度、薬を求めて騎馬の旅人が声をかけて来た事があったが、あの時の様子を見るに、皆ツィルを避ける為に迂回していたのだろう。ツィルに怯える馬を宥めるのには苦労した。
エレットネールを出立して9日目の太陽が中天を過ぎた頃、周囲の風景が変わって来た。徐々に開けた土地が見え始め、畑作業をしている人々が馬車を見て何やら声を上げる。
畑の向こうには木の塀に囲まれた村が見える。突き出した物見櫓の上にいる人達が、こちらを指差しているのが見えた。
(やっぱり、なんか視力が良くなったような?)
ここ数日ずっと気になっていたが、以前より遠くまで見えるようになっている気がする。昔から、あんな遠くにいる人の顔の造作まで見えるほど目が良かっただろうか。しかし、高い塀に囲まれた孤児院では遠くまで見渡す様な機会もなかったし、こんなものだったかも知れない。
「ゼノさん、村が見えましたよ」
振り返って御者台と室内を仕切るカーテンをめくる。御者台は床より高い位置にあるので、室内全体が見渡せた。整理しておいた本の山が、また散らかっているのが良く分かる。
ゼノヴィスは何やら作っていた手を止めると、ずれた眼鏡を押し上げながらこちらを見上げる。
「おお、もうそんな時間か。よし、御者を代われ。カランは中で服を着替えておくといい。あと、お前の武器も用意しておいたから、忘れずに身につけておくんだぞ」
僕は頷くと、手綱を御者台の金具に引っ掛け、ゼノヴィスに場所を譲る。部屋の中に飛び降りると、ゼノヴィスが繕ってくれた自分の服を手に取った。既に何度か着たが綻びも無く、わずかに光沢のある生地はしっかりとしていて傷みも無い。
僕は運動し易い簡易な服を脱いで丁寧に畳み、新しい服を身につける。長めの上着を腰の部分で縛り、その帯の上から更に、剣を吊るす皮のベルトを巻くのだ。
ゼノヴィスが準備してくれた武器は、手作りの木剣よりも短く、細身の短剣だった。柄に巻かれた皮が真新しい。抜いてみると透けるような白銀に輝く両刃の刀身と、鋭い切っ先が現れた。自分の身を守る武器を常に携帯出来る安心感は大きい。
「カラン、村に入るぞ。ちょっと顔を出してくれるか?」
ゼノヴィスの声に返事をすると、僕は御者台に登る。
馬車は槍を持った兵士達に周りを取り囲まれていた。
鈍く光る槍の切っ先に、思わず身構える僕と違って、ゼノヴィスは兵士達に愛想良く笑いかけると、青い石の付いた腰飾りを見せる。
「ご苦労様。薬師のゼノだ。村長のヴィゼロ殿に通して貰えば分かると思うが……」
「ああ、やはり薬師様でしたか。お待ちしておりました。現在、村長は娘のリィラ様が継いでおられます。商談はそちらでお願いします。……そちらは、お弟子さんですか?」
意外と物腰の柔らかな兵士が僕を示して尋ねる。ゼノヴィスは頷くと、眉根を寄せて兵士を見た。
「ヴィゼロ殿はまだお若いだろう? 引退するには早すぎる。何かあったのか?」
「それが……」
兵士達が口ごもって顔を見合わせる。一人が口を開こうとした時、兵士達の後ろから良く通る高い声が聞こえてきた。
「あなた達、いつまで薬師様を引き止めているつもりかしら?」
兵士達が左右に割れて振り返る。その後ろから、動きやすそうな男装の若い女性が姿を現した。
「ゼノ様、ようこそ我らの村にいらっしゃいました。現在、わたしが父の代理でこの村の代表をしております。大したおもてなしも出来ませんが、どうぞ我が屋敷においで下さい」
彼女が村長の娘のリィラなのだろう。
リィラは額に拳を当てて腰を落とす独特な挨拶をした。それを受けてゼノヴィスは、音も無く御者台から地面に降り立つと、屈んで目線を合わせ、同じ様に礼を返す。
(僕も挨拶した方が良いのかな)
しかし作法がさっぱり分からない。僕が迷っていると、リィラがチラリとこちらを見た。鋭い藍色の瞳が僕を見て僅かに細められる。笑みを浮かべた顔に、一瞬訝るような影が過ぎった。
その視線を遮るように、ゼノヴィスは一歩前に出ると柔らかな口調でリィラに話しかける。
「お久しぶりです、リィラ嬢。しばらくお会いしないうちに美しくなられましたね。……お父上が引退されたと聞いて驚きました」
「父は、引退したわけではございません。少し伏せていて、その間わたしが仕事を代行しているだけです」
ゼノヴィスの言葉にリィラはきっぱり首を振ると、詳しくは屋敷の方で、と僕たちの先導を兵士に任せて去って行った。
「ゼノ様、村長の家まで馬車ごと移動されますか? その、馬車は良いのですが、その鳥を休ませる場所が……。馬房に入れると馬が怯えますので……」
「ああ、ツィルは馬車に繋いだままで大丈夫だ。水だけ用意してもらえればいい。車庫に一緒に入れられるか?」
「ええ、その余裕はあると思います。それでは……」
ゼノヴィスが兵士と話している間、僕は村の様子を見回していた。
どの家もよく似た木造住宅で、木の色はまだ真新しい白さを保っている物も多い。道行く人々はほとんどが動きやすそうな服装で、着飾っている者は見当たらなかった。裕福そうな家は少ない割に、馬を引く人が多いような印象だ。夕食の支度の時間なのだろう。見通しのきかない入り組んだ家々のあちらこちらから、煮炊きの煙と共にどこか懐かしい匂いが漂って来る。
「ゼノ様、こちらが村長のお屋敷です。手綱を渡して頂ければ馬車は車庫の方へ納めておきますが…」
「いや、場所を教えてくれるか? 慣れない者がツィルに触って怪我をさせてしまってはいけないからな」
馬にまたがって馬車を先導していた兵士は、ツィルに怯えた目を向けると、大きな屋敷にコブのようにくっついている納屋を指し示した。
「あちらへどうぞ。後のことは、お屋敷の者に聞いていただけますか」
「ゼノさん、この村に来たのは初めてではないんでしょう?」
上手く馬をいなしつつも、逃げるように立ち去った兵士を見送った後、僕はまるで初めて来た所のように振舞っているゼノヴィスの様子に問いかける。兵士やリィラとの会話を聞いている限り、何度かここに訪れたことがあるようなのに、先導されなければ道も分からない様子なので不思議だったのだ。
「ここに最後に来たのは1年ほど前だな。ただ、その時からこの村はかなり北上している。18年前の戦争で、フィアラム国がエレットネール国に征服されただろう? ここはフィアラム王家が倒された後、ヴィントレット国に庇護を求めた者達が新たに開拓した土地だよ。この村は徐々に移動しながら国境を侵食し、ヴィントレット領土を広げる動く村なのさ。来る度に様子が変わる」
「それって、大丈夫なんですか? エレットネール国への侵略になるんじゃ……?」
ここはつまり、侵略の最前線だということではないだろうか。そんな事をして、攻め込まれたりしないか心配だ。
「今のエレットネール国には、国境の空白地帯を気にする余裕など無いだろうさ。王都から離れてしまえば、どうせほとんどが不毛地帯だしな」
しかし、ゼノヴィスは心配ないよと首を振る。
「この、平和に創られた世界では、もうかれこれ千年もの間、国家間の戦争と言える様なものなど起こらなかったんだ。一つの国を滅ぼし、その土地を支配する方法など、我々人類の記憶からは、とっくに消えてしまっている。エレットネールの王族は、自分たちの手に余る土地と国民を手にして、途方に暮れているかもな。未だエレットネールとヴィントレットの国境は曖昧になったままだ」
僕は高い位置にあるゼノヴィスの顔を見上げ、色のついた眼鏡の奥を覗き込もうとする。僕の感が正しければ、ゼノヴィスはまた感情を窺わせないガラス玉のような目をしているのだろう。
けれど僕がそれを確認する前に、ゼノヴィスは思案顔になった。
「ヴィゼロが伏せている、か……。リィラ嬢がこの村に戻って来ているのも気にかかる。カラン、一晩宿を借りるだけのつもりだったが、多少長引くかもしれん」
僕は無言で頷く。ゼノヴィスの判断に異を唱えるつもりはない。
(滞在中に、何か情報を得る機会はあるだろうか)
できれば、ゼノヴィス以外からも、エレットネール王家やアルムについての情報を得たかった。もう少し色々知れれば、これから僕は何をするべきか、考えられるようになるかもしれない。
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