美味しければ悪食じゃない
ゼノヴィスはまだヒクヒクと痙攣している魔獣の足を持って、逆さにぶら下げると首を掻き切って放血し、そのまま内臓を縛って取り出すと、手早く体を解体する。
僕は手渡される皮や肉を受け取りながら、その手元をジッと観察した。迷いなく肉を削いで行く様子は動物の体の構造を熟知している事が伺える。
『うげぇ……こうして体を持ってみると、死体の見え方も違ってくるな……』
そのうち耐えかねたように嫌そうな呟きが聞こえた。僕がゼノヴィスの手元を凝視していたので、ルーさんも同じものを見ざるをえないのだろう。僕は血飛沫の散る肉から少し目を逸らし、ゼノヴィスに話しかけた。
「その……ヴォルホルンって、おいしいんですか? さっきツィルに良くやったって言ってましたけど」
「ヴォルホルンの角は強心剤や利尿薬になる。あと、魔獣だから魔石を取ることも出来るな。衛兵所や猟師達から仕入れると高くつくんだ」
ゼノヴィスは切り落とした頭から角を切り取ると、頭を割り、中から拳大の薄黄色の石を取り出してこちらに見せてくれる。
なんと、ヴォルホルンというこの魔獣は薬にもなる大事な収入源だったらしい。せっかく僕も一匹仕留めたのに、もったいない事をしてしまった。まだ今なら、野生動物に死体を漁られている事もないんじゃないだろうか。
「ゼノさん、僕、これと同じ魔獣を一匹仕留めたのに死体をそのまま置いてきてしまいました。お金になるなんて知らなくて……。取りに行って来ます」
「は? ……え、今朝の話か?」
「はい。薪を拾いに行ったら襲われたので」
「武器は? 何も持ってなかっただろう?」
「薪でなんとか」
「……っ。なんて無茶な事を!」
初めてゼノヴィスの怒る顔を見た。普段の飄々とした雰囲気とは一転して、のしかかるような迫力がある。
(ゼノさんって、こうして見るとやっぱり母さんにどこか似てるなぁ……)
僕は少し懐かしい気持ちに浸りつつ、ゼノヴィスを安心させようとする。
「大丈夫、無傷ですよ。ほら、それに多少の怪我なら僕、直ぐ治るみたいですし」
「そういう問題じゃない……。ヴォルホルンは熟練の猟師が万全の装備を整えても、手間取る魔獣だぞ! 棒一本でどうにかなる相手じゃない。喰い殺されても不思議じゃなかったんだ」
僕は対峙したヴォルホルンの様子を思い出す。確かに、ほぼ丸腰で勝てたのは本当に運が良かった。
(……ところで、この体は、どれくらいなら欠損しても大丈夫なんだろう? 流石に食べられるのはまずいよなぁ。消化されちゃうし。でも腕が再生できるなら、足一本くらいはセーフ?)
『お前、空恐ろしい事考えるな……⁉︎ 死にたがりは勝手だが、そんな大怪我に俺様を道連れにするなよ‼︎』
(反対だよ。死にたくないから、どこまでなら死なないのか、知っておきたいんだ)
ゼノヴィスは考え込む僕を見て、深く溜息を吐くと、頭を振る。
「とにかく、一人でふらふらするのはやめてくれ。危機感がなさすぎる……」
「たしかに、魔獣が出てくるなんて思いもしませんでした」
頷く僕に、ゼノヴィスはますます顔を渋くした。
「……先にお前を鍛えておいた方が、心配が減りそうだな。常識は、まぁそのうち追いついてくるだろう。今日から毎日、武術の稽古だ。それから、これからは常に武器を携帯するように」
僕は素直に返事をしながら、ゼノヴィスと訓練すれば、大概の生き物と向かい合っても大丈夫な度胸がつきそうだな、と思う。
*
「そうだ、カランは馬車の操車経験はあるか?」
肉の始末を終えた頃、そう聞かれて僕は首を横に振る。家族と暮らしていた時にロバを飼っていた記憶はあるが、家には荷車しか無かったし、ロバに引かせる時に操車していたのは何時も父さんだった。孤児院では馬車になど近寄らせてもらえなかったので操車経験など全く無い。
ヴォルホルンの死体を取りに行くことも却下されてしまったし、今のところ役に立てる事がほとんど無い事に僕は落ち込む。
「すみません……」
「いや、家馬車は重心が高くて普通の馬車に慣れていると操車しにくいし、馬とエケ鳥じゃ操縦方法も違う。その方が好都合だ。じゃあ先ずはツィルにハーネスと轡を付けてみようか」
そう言ってゼノヴィスは御者台の下から道具を取り出し、ツィルを呼び寄せる。保存や食用に向かない部分の肉を腹に収めて、満足げに木の幹で嘴を拭っていたツィルは、ゆったりとした仕草でゼノヴィスの隣まで歩いて来た。
「カラン、こっちが嘴に着ける轡だ。ここの金具に手綱を付けて操縦する。馬車の時は長い方、ツィルに直接乗る時はこの短い方だな。ハーネスは首を圧迫しないように、翼を押さえつけないように……」
ゼノヴィスは道具をそれぞれ手にとって見せながら丁寧に説明してくれた。お陰で道具の使い方は分かったが、しかし実際にツィルに着けるとなるとこれが難しかった。
気位の高いこの鳥は僕に気安く触れられる事を良しとせず、全く協力的で無い上に、僕は片手しか使えない。
左手は利き手ではないが、両手有れば簡単に出来る事も左手を無くした今となっては難しい。四苦八苦しながら何とか着け終わった頃にはぐったりしてしまっっていた。
「初めてにしては上出来だぞ。普通、エケ鳥に触れられる様になるだけでもかなり時間がかかるからな。カランはツィルに気に入られた様で何よりだ」
「これで気に入られてるんですか…?」
ツィルを相手に悪戦苦闘するうちに、この鳥の表情はある程度読める様になって来た。今僕を見下ろしている表情は、くたくたになっている僕を面白がっている顔だ。どう見ても好意的なものではない。
(いつか言う事を聞かせてやる。)
僕がリベンジを決意してツィルを見上げると、ツィルは嘲るように一声鳴いて嘴をならした。
操車の段階でもかなり苦戦した。両手が使えないと細かい指示を出す事が難しく、変に引っぱってしまう度にツィルが抗議の声を上げる。操縦を間違ってもツィルが道を外れる事はないが、曲がるように指示を出しても全く従わない。操縦に関して少しも信用されていない事がよくわかる。
ゼノヴィスはツィルに任せておけば安心だと言いながら、馬車の奥に引っ込んでしまった。
(ルーさん……早く腕治してくれよ)
『痛いじゃねえか』
少し情け無い気分になって文句を言ってみたが、ルーさんは頑なだ。
(腕が無いせいで怪我する方が、もっと痛いと思うけど?)
『……』
ルーさんと無言の押し問答しながら日中進み続け、やがて日が暮れはじめた。エケ鳥は夜目が利かないので、明るい内に停車場所を見つけるように言われている。
一向に上達しない操縦技術に溜息を吐きながら、馬車を道の脇の少し開けた場所に馬車を止めた。やたらと道幅は広いし、全く人気が無いので停車場所にはあまり気を使わなくて良い。
馬車が止まった事に気がついたのか、ゼノヴィスが御者台に顔を出すと、木剣を手渡してきた。
「ほら、暗くなる前に早速剣の稽古だ。剣の扱いは分かるだろう?」
当然のように言われるが、ちゃんと剣術と言えるようなものを学んだのは父さんからで、随分と前の話だ。御者台から降りると、僕は受け取った木剣を手に馴染ませるように軽く振ってみる。結構重たい。
「今日は取り敢えず、どれ位動けるのか見てやる。どこからでもかかって来い」
どこと無く嬉しそうに片手で木剣を構えながら、ゼノヴィスが声をかけて来た。
気負いのない構えに、全く隙が見えなくて僕は二の足を踏む。リーチの長さも力の強さも明らかに相手が上だ。正面からやり合うには分が悪い。実戦なら間違いなく、全力で逃げる事を考える相手である。
「ただの練習だ、カラン。本気でやり合うわけじゃない。自分の動きを確認するつもりで来い」
誘うように隙を見せるゼノヴィスに、僕は仕方なく一気に距離を詰めると、懐に潜り込む。自分より大きな体格の相手だ。至近距離から急所を一撃で仕留めたい。
「おっと」
ゼノヴィスは素早く反応すると、僕の腕を打って切っ先を逸らしつつ、体を捻って避ける。少しも軸のぶれない余裕のある動きに、瞬時に不利を悟って距離を取ろうとするが、斜め上から振り下ろされる剣を受け止めるので精一杯で足を止めてしまった。
そこからしばらくは、ゼノヴィスの猛攻を必死に受け流すので精一杯だった。風を切って振り下ろされる一撃一撃が、同じ木剣を使っているとは思えないほど重くて素早い。
対する僕は、剣の動きは何とか目で追えても、体がままならない。受けた剣もはじき返すどころか、まともに受け止め切ることも出来ないので、どうにか切っ先を外れせている状態だ。片腕が無いというのはこんなにも動きにくいのか。
ゼノヴィスはこちらの体力を見ているつもりなのか、なかなか決定的な攻撃を繰り出す事もなっかたが、やがて、すくうように繰り出された剣を受け止め損ねて、僕の手から剣が弾き飛ばされる。宙に弧を描いた剣が地面に突き刺さった時、僕の喉元にはゼノヴィスの剣の切っ先が突き付けられていた。
「……さすが、シュウの息子だな。正直ここまでやるとは思わなかったぞ」
ほとんど息の上がっていないゼノヴィスが、突き付けた剣を退けると、ニヤッと笑いながら僕の頭をくしゃくしゃと撫でる。対する僕は、もう抵抗する気力もない。浅い呼吸を繰り返し、痺れる右腕を曲げ伸ばしする。
「ゼノさんは、父さんにも会った事があるんですか?」
呼吸を無理矢理整えながら、夕食の準備を始めるゼノヴィスの背中に問いかけた。ゼノヴィスは振り返って僕の顔を見ると、懐かしむように目を細め、ふっと自嘲気味の笑みを浮かべる。
「私はお前の父さんほど強い男に会った事が無いよ。剣でも、それ以外でも、私がシュウに勝てた試しが無い。カランは顔立ちは母さん似だが、髪色と仕草は父さん似だなぁ」
ゼノヴィスの表情に、なんとなくこれ以上追及するのがはばかられて、僕は再び撫でられるに任せた。
ゼノヴィスは稽古が終わると無造作に木剣を投げ捨て、全く疲れを見せないテキパキとした動作で夕食の準備を始めた。僕はゼノヴィスの手元の物に目を移す。表面が見え無いくらいびっしりとスパイスの類いをまぶされた肉の塊が切り分けられ、普段目にするよりずっと黒っぽい色をした肉の断面が見えている。
「……それ、今朝のヴォルホルンの肉ですか?」
肉と言うより血の塊のような見た目である。
「ああ。新鮮な内に食べないと、魔獣の肉は傷みやすいからな」
ゼノヴィスは一口大に切った肉を水を張った鍋に入れ茹でこぼす。それでも鍋の表面には大量のアクが浮き、辺りには強い獣臭が漂った。
「うーん……。やっぱり臭いがなぁ」
茹でた肉を洗い、野菜と一緒にもう一度火にかけると、ゼノヴィスは顎を撫でながら調味料の入ったビンを見比べる。そこでじっと見ている僕の様子に気づいたのか、にこりと笑うと手招きした。
「カラン、医食同源と言う言葉もあるように、食と健康は密接に繋がっている。自分の食事は自分できちんと管理できるようにならないといけないぞ」
調理を手伝いながら、ゼノヴィスの臭みのある肉類の処理の仕方や、香辛料の用途や薬効のある物、それぞれの産地などの解説を聞く。
(覚えきれない……)
分かりやすく噛み砕いて説明してくれているのはわかるが、聞き慣れない食材や地名の羅列に頭が追いつかない。
『おいおい、しっかり聞け! 美味い料理のためだぞ!』
(じゃあ代わりにルーさんが覚えればいいだろ。)
急にルーさんに話しかけられた所為で、ミックルの実とカガシの薬効がごっちゃになった。投げやりにそう返すと、それもそうだな、と素直な返事が聞こえる。
「……と、私が扱っているのはこれ位だな。馬車にまとめた冊子があるから、後で読んでみると良い。一度では覚えきれなかっただろう?」
途中からルーさんに丸投げしていた僕を見透かすように笑うと、ゼノヴィスは鍋の蓋を取って味見をした。
「うん、まあまあだな。もうちょっと煮込みたいところだが、腹を空かせた可愛い甥っ子を、これ以上待たせるのもな」
からかうような表情でゼノヴィスはこちらを見ると、少しむっとする僕の前に、食事をよそった器を並べる。
昼の間に、ゼノヴィスは僕の座高に合わせた簡素な食事台まで作ってくれていた。至れり尽くせりである。
「いただきます」
僕は湯気を立てるヴォルホルンの肉煮込みと米の前に座ると、気になる肉に箸をのばす。
「ふむ。久しぶりに食べたが……手間をかければ、それなりに美味くなるな」
ゼノヴィスが言うように、覚悟していたほどの獣臭さは無い。少し硬いが、野性味のある独特の風味がクセになりそうだ。空腹も相まって、なかなか美味しい。濃い目の味付けにごはんが進む。
『美味いじゃねぇか』
ルーさんはかなり気に入ったようで、いつに無く声が嬉しそうだ。
ただ、薪も水も時間も、たくさん必要になる料理である。ゼノヴィスは惜しむ様子も無く使っているが、香辛料だって安い物では無いだろう。あまり気軽に作れる物では無いと思う。
(僕が気に入ったと言えば、毎日でも作ってくれそうだしな……)
にこにこと僕を見守るゼノヴィスから目を逸らしながら、しっかり自律しなければと思ったのだった。
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