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箱庭の技法  作者: 游魚
失われた物語
10/31

行き先は

 


「カラン‼︎ ああ良かった! はぁぁ……本当に心配したぞ……」


 山を下りて馬車のあった場所に戻ると、僕の姿を見たゼノヴィスが、心底安心したという表情を浮かべて迎えてくれた。


 しかし、その姿を見て僕は一歩後ずさる。

 今起きたところなのだろう。まだ髪は寝癖がついたままだし、眼鏡の奥の目が心なしか腫れぼったい。服装も、寝ていた時と同じ服の上にマントを羽織っているだけだ。


 それは良い。問題なのはその手に持った抜き身の大剣である。

 形はよくある両刃の剣と変わらなが、しかし、その大きさが普通ではない。刃渡りだけでも僕の身長以上の長さがあるし、幅は僕の身幅より広い。かなり大柄なゼノヴィスでも、片手で持ち上げているのが不自然に見える重量感だ。


 そして何より、それが放つ異様な雰囲気が僕の目を惹きつけた。艶のない漆黒の刀身は、まるで周囲の光を吸い込んでいるように見える。一体何が原料なのだろう。


 僕がちょっと引いたのが分かったのか、ゼノヴィスは慌てて剣を背に隠す。そしてカバンに手を突っ込み、そこからまるで手品のように、ズルリと飾り気のない長い鞘を引っ張り出した。そこに剣を収めると、取り繕う様にこちらに笑いかける。


「すまんな。朝起きてみたらカランがいなくなっているもんだから、何かあったかとつい焦ってしまった。私はどうも寝起きが悪くてね……」


(何を想定して、あんな大剣引っ張り出してきたんだろう……)


 できれば寝起きのゼノヴィスには会いたくないな、と思う。しかしこれから一緒に寝起きをするわけだからそうも言っていられない。不用意に心配をかけないよう、なるべく気をつけよう。


 ゼノヴィスは本当に寝起きが悪いらしく、一通り僕の無事を確認すると、何度も眠そうにあくびをしながらのっそりと身支度を始めた。大きな体を丸めて荷物を漁る姿は、まるで冬眠明けの熊のようだ。


 陰の落ちた目元には、うっすらと疲れが見て取れる。疲れの原因は、確実に僕にあるのだろうなと思うと、申し訳無かった。



「ゼノさん、何か手伝える事はありますか?」


「ん〜じゃあツィルの飲み水とエサを用意しておいてくれるか? 桶はそっちにある。エサは昨日の残飯とそこの袋に入ってるやつだ。足りない分は手綱の外してやれば、この辺りなら自力でエサを取れるだろう。……その前に自分の体を拭いておきなさい」


 そう言って濡らした布巾を投げ渡される。寝起きに一度拭ったが、汗をかいたのでありがたい。布巾は香油の様な物を垂らしてあるのか、僅かに柑橘系の爽やかな香りがした。


「服を着替えられないのは辛いですね」


 少し泥で汚れてしまった服を摘みながら僕は呟く。孤児院から着てきた服しか無いので、汚れても服の替えが無い。この間着せられていた死装束は別にすると、だが。あれは少し丈に余裕があったので、とっておこうと思っている。この先いつか死んだ時に必要になるだろう。



 これまでは毎日着替え、行水もする習慣だったので、数日着替えられないのは不潔に感じる。いつでも水場を確保できない行商は大変だ。


 体を拭いてまた同じ服を着ながら、僕がそう言うと、ゼノヴィスは少し困った様に首を振った。


「気候にもよるが、王都から遠い地域だと、毎日体を洗って清める者は珍しいと思うぞ。毎日の様に風呂に入って着替えられるのは、ある程度余裕のある生活をする者に限られるからな」


 常識の違いに目を瞬く。やはり僕には日常的な外での常識が足りていない様だ。毎日の掃除・洗濯・行水は当然と思っていたが、意外とあの孤児院の衛生環境の水準が高かったらしい。


「私は富裕層を相手にする事も多いし、薬品を扱うから、なるべく清潔に保つ様にはしているが……。カランに新しい服を買ってやれるのは都市に入ってからだから、しばらくかかるな。私の服では大き過ぎるしなぁ」


 眠たげな目を濡れ布巾で擦りながら、ゼノヴィスはのそのそと布地の入った箱をひっくり返し、服を漁る。


 つい服をねだったようになってしまった。僕は慌ててゼノヴィスの背に声をかける。


「気にしないでください。裸でなければ何だっていいんです。……ツィルにエサをやって来ますね」


「ん? ああ、うっかり喰われないように気をつけろよ」


 喰われるなんて嫌な冗談だ、と思ったところであの爪とクチバシを思い出す。


(確かに人くらい食べそうだよな……)


 まさかこいつも魔獣の一種じゃあるまいな、と思いながら、僕は水とエサを桶に準備し、恐る恐るツィルに近づく。頭上にあの鋭いクチバシがあると思うと落ち着かない。


 しかし、目の前に桶を並べて置いた僕を、ツィルは呆れ果てたとでも言いたげな表情で一瞥した。そして足先で、地面に置かれた水桶を軽く蹴る。


(……あ、持ち上げろと?)


 どうも地面まで頭を下ろして飲み食いするのでは、お気に召さないらしい。僕は仕方なく、苦労して片腕で重たい水桶を持ち上げると、頭と肩で支えながらツィルの飲みやすい位置を保つ。


 結局ツィルは、僕を食事台代わりにゆったり用意されたものを食べ切ると、僕に手綱と轡を外させて、エサを取る為、颯爽と森の中に消えていった。去り際に、ご苦労さんとでも言うように、僕の頭を叩くおまけ付きだ。どうも完全に見下されているらしい。


 ツィルの使った桶を片付けると、僕は馬車の中を覗いた。背中を丸めてゴソゴソしていたゼノヴィスはその気配に顔を上げると、嬉々とした表情でこちらに服を広げて見せる。


「カラン、ほら、古着の仕立て直しで悪いが、お前の服を作っておいたぞ。サイズはこれくらいだろう?」


 慣れない片腕での作業で手間取っていたとはいえ、ゼノヴィスはこの短時間の間に服を1着縫いあげていたらしい。受け取って見れば裾もきちんと始末され、仕立て直したとは思えない仕上がりだ。今僕が着ている質素な服よりも、明らかに数段上等な物である。


(服の仕立て直しくらいは、出来るのが当然なんだろうか……)


 常識的な嗜みを身につけるのは大変そうだ。 僕は随分と軽い左腕の断端を見ながら、少し憂鬱になる。

 無いはずの左手が激しく痛かった。ルーさんが反応を示さないので、これは僕の頭が生み出す幻肢痛なのだろう。我慢はできるが、不意に訪れる痛みは鬱陶しい。


「……それにしても、見慣れない形の服ですね」


 孤児院で見る大人達の服装は、襟の詰まった上着に細身のズボンというのが多かった。しかし、ゼノヴィスの用意してくれた服は、前合わせの風通しが良さそうな長い上着と、比較的ゆったりとした裾を絞ったズボンである。上着の首元にあしらわれた群青色の刺繍と縁飾りが、白い生地に良く映えている。


「ああ、それはオーリュイ国の衣装だからな。この辺りでは見かけないだろう」


「僕には立派過ぎませんか?」


 僕は汚れやすそうな広がった袖や、実用性を無視した房飾りを見ながら困惑していた。僕が着たって、確実に中身と釣り合わない。


「カラン、所属や裕福さなんかが一目で分かる服装というのは、魔術師にとっての鎧だよ。エレットネール程でないが、どの国でも魔術師への差別はあるからな。後援の存在や立場の高さを示せれば、無用な厄介ごとがぐっと減る。それなりの格好をしていれば、内心何と思っていようと、相応の対応をしてくれるものだ」


「……そういうものですか」


 僕は鎧と言われた服を、皺にならないよう丁寧に折り畳んだ。


「だけど、なぜオーリュイ国の衣装を? これから行くのはヴィントレット国でしょう?」


 ゼノヴィスは言ってなかったか? と呟きながら頭を掻く。


「私がオーリュイ国籍だからな。その服の方が相応しいだろう。オーリュイ国は医術や薬学の優れた国だ。あそこで正式に薬師と認められた者は、どこの土地に行っても歓迎される事が多い。たとえ魔術師でも、な。群青色に白い刺繍の服は正式に認められた薬師の、白の服はまだ見習いの服装だ。明日には主要街道に合流するだろうから、多くの人とすれ違う。こっちの服の方が都合がいいと思ったんだ」


 ゼノヴィスの服装を見ると、僕が渡された服と似た形の深い青の服に着替えている。なるほど、僕は薬師であるゼノヴィスの見習いとして着いて行くわけだ。


(だけど、僕らが生まれてからずっとエレットネール領に住んでいた母さんの兄が、オーリュイ国籍?)


 オーリュイ国はエレットネール国と最も交流の少ない国だったはずだ。この二つの国は、間に天高くそびえる山脈と、完全な閉鎖国家であるグラスネーヴェ国を挟んでいる。そのため陸路だと、山脈を避けるように他の国のを経由して行かないと辿り着けない。


 僕が疑問を口にしようとするのと、山の方から聴き覚えのある甲高い悲鳴が聞こえるのは同時だった。

 ゼノヴィスと僕は顔を見合わせ、慌てて外に出る。


 暫くすると、ガサゴソと音を立ててツィルが木々の間から姿を現わした。胸のふわふわした白い羽が血でベットリと汚れ、クチバシからは血やら肉片やらが糸を引いて滴っている。


「うわぁ……」


(やっぱりこいつ、肉食なんだ)


 ツィルの足元に放り出されているのは、さっき僕が襲われたのと同じ、狼の様な魔獣だ。腹の部分を食い破られてなお、ピクピクと痙攣している。


「おお、ヴォルホルンじゃないか。ツィル、良くやった!」


 ゼノヴィスは嬉しそうに魔獣を見ると、いそいそと袖まで覆う前掛けを服の上から身につけ、短刀を片手に魔獣の側にしゃがみこむ。


「……え、それ、もしかして食べるんですか?」


「ん? 食べたいのか?」


 僕は慌てて首を振りかけて、ふと首を傾げる。


(いや、見た目によらず美味しいのかも?)


 そういえば、昨日の干し肉の原料も分からない。孤児院で食事を作る時に使うのは豚や鳥肉だったが、外ではこういう魔獣も食べるのかも知れない。


『美味いのか?』


 ワクワクした様子でルーさんも話しかけてくる。食べられる物を粗末にするのは良くない。


「食べられるなら、食べてみたいです」


「……わかった。カランが食べたいのなら、美味しく仕上げてやるぞ。おじさんに任せなさい」




お読みくださりありがとうございます。

ブックマーク、評価、ものすごく嬉しいです。お陰様で元気百倍です。


カラン君のちょっと頭のネジが緩んでる性格、どこまで伝わってるでしょうか。


出来るだけ明日も更新します。無理だったらごめんなさい。

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