【4】
オレの隣にいる詩は楽しそうにおしゃべりに夢中になっている。主に話しているのは甘いお菓子の話だった。駅ナカのケーキがおいしいと評判だとか、中央通りにある喫茶店のクッキーがおいしそうだとか。そういう話で盛り上がっていた。
オレは詩が楽しそうにおしゃべりをしているのを見ているだけで楽しい。そして、〝幸せ〟だということをかみしめていた。
そして話題はまた別のスイーツの話で盛り上がる。
オレは詩の話に相槌を打ちながら、今度、そこへと詩へと連れて行こうと考えた。今日は金曜日。明日は土曜日、あさっては日曜日。学校は休みだ。天気も晴れるというし、絶好のデート日和だった。
詩が嬉しそうにおいしいスイーツを食べているのを想像していると、ぎゅ、と頬をつねられた。つまむ力は強くないけれど、爪が食い込んで地味に痛い。
「聞いているのかしら? 志成?」
じ、と見つめてくるオレの詩の視線。その視線を素直に受け止めながら、オレは笑った。
「まったく聞いてなかった」
「あら、お仕置きするわよ?」
詩が懐から取り出したのは一振りのカッターナイフ。世間では主に道具として扱われて、子供たちが使うと注意しなくてはいけない――そして危ない人が持つと凶器となる道具の一種だ。でも、その凶器となりうるナイフを何てことのないように手でもてあそぶ詩の姿は、とても似合う。何でだろう? と考えて、あぁ、そうか、と気付く。詩はナイフのように鋭い雰囲気を持つからだ。
いつも詩は眼鏡をかけて、前髪を垂らして、地味で暗い女子生徒になっている。オレとしてはそれはそれで可愛いのだけれど、本人にとってその姿は他者を寄せ付けない一種の処世術だ。まぁ、その風姿のせいで逆に目立っていることを詩自身は気づいていないようだけれど。オレから見ればコスプレのようなものだった。
でもその皮を脱いでしまえば、その下から現れるのは『女王』。それは誰が言ったのだろう。その『女王』という言葉は、まさに詩にぴったりだと思い――でも、違うと、オレは否定した。オレは『女王』ではなく、『わがままで可愛いお姫さま』としか見えない。
自分を見てほしくて、甘えたくて、わがままばかり言う可愛いお姫様。そういうと、ナイフのような鋭い切れ味のある雰囲気とはかけ離れているのだけれど。じゃあ、どっちだ、と言われれば、どっちも、としかオレには言えない。
誰かが近づけば斬りつける。
触れようものならその刃を向ける。
でも素直になれない。
甘えたくて仕方がない女の子。
それが、詩。
「志成?」
つ、とオレの眉間にナイフの切っ先があてがわれた。不思議とカッターナイフなのに、伝説の聖剣とかに見紛ってしまうオレの頭はどうなっているのか。
というか詩さん。
ナイフは学校で振り回しちゃいけないよ? 今は放課後で、この教室には誰もいないと言えど、見つかると大変だからね。まぁ、その時はその時で何とかすればいいのだけれど。
「あぁ、ごめんね」
オレは軽く謝る。
「なぁに? その謝り方? そんなに私といるのは楽しくない?」
「そんなわけないだろ?」
「そうかしら? いつも志成は女の子に囲まれているから、他の女に目移りして、その子のことを考えているのかと思ったわ」
さすがに、その言葉にオレもかちん、ときた。
「それを言うなら詩。詩はいつだって本ばかり読んでるじゃないか」
「本は英知の結晶よ? いろんな知識がそこにあるの。過去の偉人たちの功績を読んで、何がいけないのかしら?」
「オレが放っておかれる!」
「何よ! 志成だって眠ってばかりで私のこと放っておくくせに!」
「詩の方が長い時間放置するだろ!」
「志成の方よ! 志成は夢の中でも女の子に囲まれているんでしょう!?」
「そこまでオレは女好きじゃない! 詩だってその過去の偉人とやらに夢中になってるくせに! 浮気だ……いだだだだだ!」
思いきり頬をつねられました。マジで痛いです。
「私が浮気したというの?」
とても低い声で笑う詩に、強烈なプレッシャーを感じた。これは、まずい。
「申し訳ありませんでした」
「よろしい」
素直に即謝れば、詩はぱ、と頬から指を放した。また頬がひりひりと痛い。
「でも。どうしてそんなに考え事ばかりしているのかしら?」
「詩のこと考えてたら、何だかぼんやりしちゃって」
「私のこと?」
きょとん、とした詩がナイフを引っ込める。あれ、引っ込めちゃうんだ?
「私のことって、何かしら?」
ぜひとも聞きたいわ、と机の上に頬杖をつく。その様は少女が大人の女性を演じている拙さがあり、でも、少女から大人へと変わるその中間にある色気がまた妖艶だった。
「そうだな。詩、土日は暇?」
「あら、私はいつもあなたのために予定は空けているわよ?」
わぁ、嬉しい。オレは頬杖をつく詩に顔を近づけた。これから内緒話でもするかのような気分で囁く。
「では、土日にデートなんていかがですか?」
「デート?」
「そう。詩が行きたがっていたケーキや、クッキーを食べに行こう」
「嬉しいわ。でも、私、そんなに食べたら太っちゃうわ」
「大丈夫。どんな詩でも可愛いよ」
それは本当の気持ちだ。詩が太っていようと、やせ細っていようと、それこそ、どうなろうとオレは詩のことを可愛いと思える。だって、詩だからね。可愛いと思うのが当然でしょう。
詩は考えるように頬杖をついたまま、押し黙った。でも、答えをわかりきっているオレは、スマホを取り出して、詩が行きたがっていたお菓子屋さんやカフェなどを検索する。どういうコースで行けば多く回れて、詩が楽しめるか。それを重点的に考える。
でも、答えがわかりきっているはずなのに、詩から答えはない。
どうしたんだろう、と見れば、詩は不機嫌そうに眉根を寄せていた。
「詩? どうしたの?」
「……」
「詩?」
詩は答えない。
あれ、もしかして本当に嫌だったのかな? でも、あんなにも喜んでいたのに。どうしたんだろう、とオレは詩の答えを待つ。詩は不機嫌さをそのままに口を開いた。
「志成。私ね……」
「ん? 何?」
「陸仁を殺そうと思うの」
「……………へぇ」
何でまた? そうオレがその先を促せば、詩はばん、と机の上を思いきり手のひらで叩きつけた。びり、と空気が振動する。机もがたん、と軋み悲鳴を上げた。
「あいつが……!」
それは今日の出来事だったらしい。
詩がクラスの女子に呼び出されて、囲まれた。いわゆるそれはいじめなのだろうけれど、詩は別にそうは思っていないらしい。それはオレもだけど。もしいじめがあったのならオレはそいつらを許さないし、たとえ相手が誰であろうと嬲り殺すつもりだった。でも、それをしないのは詩が別にいじめだと思っていないから。
詩は有象無象が自分の存在を主張したいがためにちょっかいをだしてきた。
とういくらいにしか思っていない。だから簡単にあしらえる。ナイフを振りかざせば、大体の人間は逃げていくし、詩と関わろうとしないから。
オレもそれはそれでいいと思った。
オレには詩がいればそれでいいし、詩がやりたければやればいいし。そこで他人がどうなろうと関係はない。
詩もそう思っているはずだ。
だから、今回も有象無象たちを適当にやっつければ終わると思っていたのだろう。
でも、話には続きがあった。
陸仁が乱入してきた、らしい。
風を操って、有象無象たちを逃がしたとのこと。
詩にとってそれはどうでもよかった。ゴミたちが命拾いしようと、また目の前に現れでもすれば叩きのめせばいい、ということだった。
でも、有象無象を助けたやつが陸仁であるのなら話が別だった。
陸仁は『異能者』だ。
風を自在に操り、何でもこなしてしまう、いわゆる『敵』。
それが、詩の前に現れたらしかった。
何でオレの詩の前に、姿を現したのかはわからない。でも、こうして日常生活の中で突然姿を現したということは、きっと近くで監視している、ということだ。つまり今も、どこからかオレたちを監視している可能性があった。
「詩、何もされなかった?」
「殺そうとしたけれど、ダメだったわ」
それもそうだろう。詩は普通の人間より戦いができるとはいえ、『異能者』相手では太刀打ちできないはずだ。むしろ戦おうとした方が無謀に近い。
「うるさいの。私たちは大丈夫だって言ったのに、あいつは今も私たちの周りをうろうろしている。志成のことを狙っているのよ、きっと」
確かに、陸仁さんの狙いはオレだ。『異能者』のためとか言うけれど、それこそ、オレにとってはどうでもいいことの一つだ。
そして、考えてしまうのは陸仁さんと――『異能』のことについて。
オレの『異能』は『影』。毎日のように使用しているけれど、それは片鱗にすぎないという。本気を出せば『代償』が支払われ、『異能者』が生活するうえで不便になる、ということだった。
オレはその話を聞いて、全然、実感がわかない。
だって、オレは『代償』をはらったこともないし(もしかしたらはらっているのに気づかないだけかもしれない)、生活するうえで困ったことはない。
違う。
困ったことは多くあった。
これは詩には内緒だけれど、オレは陸仁さんの話を興味津々に聞いていた。だって、オレの『影の異能』は物心ついたときから、すでに宿っていて。それが何なのかわからないままに生きてきた。その間に『異能者』との出会いもなく、世界でただ一人、オレだけがおかしいのだとずっと思っていたのだから。
でも陸仁さんと知り合って、オレの他にも『異能者』がいて、支えあって生きていることには衝撃的だった。もし、オレが詩と出会わなければ、オレは『異能者』の組織である『隠れ場所』に入っていただろう。でも、オレの傍には詩がいたから蹴ったけれど。
そう、もし、詩がいなければ、即座に加入していた。
オレは全然、『異能』のことについて知らない。だから、教えてほしいことがたくさんあるから。
そして、陸仁さんが自分を保護したい、と言った時。
オレは少なからず心が揺らいだ。揺らいでしまった。
もう、あんなことにならずにすむかもしれない。その恐怖に怯えなくてすむかもしれない。そう思えるほどに、魅力的だった。
オレは陸仁さんの誘いを拒否したけれど、でも、陸仁さんについていきたいと、教えてほしいと言ってみたかった。
でも、それは詩を捨てるということになる。それはオレが望んだ結果じゃない。
オレには詩がいればいい。
そう、詩さえいれば。
オレは詩を見る。
詩は俺の視線に気づかないようで、ものすごく怒っていた。怒っている姿も可愛いとは、さすがに今は言えない。
オレは、考えた。
オレが詩の傍にいるのは、恋人だから。という理由が一番大きい。でも、その他にも理由があった。
詩は『化け物』に狙われている。
夜にいつも姿を現す動物じみた闇の『化け物』は決まって、詩がいると現れた。それこそ場所を問わずに。
詩が一人でいるときも、二人で夜の町を遊んでいるときも現れる『化け物』は、詩を狙って攻撃をしてくる。
陸仁さんが言っていた『化け物』を生み出している『異能者』の可能性。確かに、あんなのが世界に存在している生命体だったら世界は大混乱に陥るだろう。でも、その『化け物』が『異能者』であろうと、突然変異の正真正銘の化け物だろうと、詩が狙われているのが事実だった。
もし。
もしもの話だ。
詩が、『化け物』に狙われていることが陸仁さんに知られた時、陸仁さんはどうするのだろう?
きっと、詩を保護するかもしれない。
もしかしたら、おとりにして『化け物』を捕まえるかもしれない。
どちらにせよ、詩はオレ以外の誰かに守られる可能性が高い。
『異能』の端っこしか使えてないオレはきっと、詩を守ろうとすれば止められる可能性があるし、そもそも、オレは陸仁さんによってどこかへと連れていかれる可能性だってあるんだ。
その時、詩は誰に守られている?
きっと、オレ以外の誰か、だ。
そう考えるだけでどす黒い感情がわいてくるのが分かった。詩を守るのはオレだ。詩を守っていいのは、このオレなんだ。オレ以外の奴は、絶対に許さない――。
ぴし、と、何かが軋む音がした。
我に返ったオレは何だろう、と周囲を見渡す。見れば、オレの『影』が隣の席の脚をぎりぎりと締め付けていた。詩もそれに気づいたんだろう。詩は首を傾げていた。
「志成? どうして『影』を操っているの?」
操ろうとして操ったわけじゃない。つい、出てしまったのだ。そういえばいいのに、オレは「いや? 別に」とはぐらかす。詩は「そう?」とオレの心境に気付かないでいた。
「どこか痛い? もしかして、悩みごとでもあるの?」
それでも心配になったのだろう。顔を覗き込んでくる詩の目は、本当に心から案じているように揺らいでいた。泣きそうにすら見える。
詩は女王様だ。
でも、詩はとても優しい女の子なんだ。それを誰も知らない。あの陸仁さんだって知らないだろう。でも、それでいい。詩はオレのものなんだから。オレだけが知っていればいい。
「大丈夫だ。安心して」
オレが笑えば安堵したのか詩は小さく肩を落として、ずい、詩は身を乗り出してきた。今にも唇がくっつきそうなくらいの距離で、詩が口を開いた。
「ねぇ、志成。私、陸仁を殺したいの」
再確認をするように、詩は「殺す」とオレに言う。詩は内緒話で盛り上がっている女の子のように笑っていた。陸仁さんを、殺す、ねぇ。しばらく考えて、オレも笑みを返した。
「詩がそう望むなら、オレも力を貸すよ」
「さすが、私の志成ね」
詩がそう望むのであれば、異論はない。詩の望みは、オレの望みであるから。オレは詩のものであり、逆に、詩はオレのものだから。片方がそう願うなら、もう片方はその願いを叶えるために並走するしかない。
くすくす、と本当に嬉しそうに笑う詩。
だから、オレは気づかないふりをした。
オレの『影』がいまだに、隣の席の脚を締め付けていることに。そして、オレはそれを消せない――制御できていないことに。
その恐怖の事実を認識しながらも、オレは気づかないふりをした。
もうすでに夜が更けた時間帯。歓楽街にある小さな居酒屋で俺はちびちびと酒を呑んでいた。人目につかないこの居酒屋には、客は俺一人。しん、と静まり返った店内と、ほんのりと明るい照明は考え事をするにはちょうどいい空間だった。
酒を呑みながら考える。どうしたらあの二人を説得できるか――引き離して、普通の人間として戻せるか。
そんな途方もないことを、実は考えていたりする。俺は教育者ではないから、あの二人を導くことができない。それどころか、導こうとした瞬間に攻撃されるのは目に見えている。さすがの俺も命を懸けた教育なんてまっぴらごめんだった。
志成と詩。
何よりも一番の危険人物は詩だ。人を人として見ようとせず、ごみのように扱い、自分が気に食わないようだったら平然と凶器を振りかざす。
志成は別にまとう空気や受け答え、その姿勢は詩ほど危険ではない感じがしたけれど、詩の凶行を〝許している〟という時点で、あいつも相当に危険な思考を持っていると言ってもいいかもしれない。
その二人が一緒にいたい、と、俺に平然とのたまってきた。
俺からすればその二人こそ危険な怪物に他ならない。二人の凶行を知る人々も、人間の皮を被った『化け物』とはこいつらのことだ、と口を揃えて言うはずだ。
どうしてこうも二人がああも一緒にいたがるのかがわからない。
そして、『化け物』についても何かを知っているはずなのに、口を割ろうとしなかった。
だから『化け物』を調査しようとしたのだけれど ――実はあれ以来、『化け物』の姿を見ていない。
あの夜。二人を襲っていた合成生物のような『化け物』を初めて見て、この町にはこんな『化け物』がいるのだと危惧して、もし『異能』であるのなら、『異能者』を見つけて保護しようとした。けれど、なぜかそれ以降ぱたりと『化け物』の姿を見なくなってしまった。まるで最初からいなかったかのように。
いないとなれば調査だって進まない。
この町に現れている静かな脅威と、その脅威を振りまく『異能者』の存在に。
それに関しては詩と志成も、別に何も思っていないようで、思い思いに過ごしていた。現れれば倒す、そんな感じだろう。
それはそれで危険なことなのだと、何故あのふたりは築かないのだろうか?
はぁ、と溜め息をついても、どうにもならない。
どちらにせよ、志成を早く保護しないと大変な事態を巻き起こしてしまう可能性がある。優先すべきは志成。次に『化け物』を操る『異能者』だ。
「仕方ねぇな」
このままあの二人と戯れている時間はない。向こうは向こうで、俺のことをどうしようか、と今頃作戦を練っているかもしれないし。
あの二人にはかわいそうだけれど――、
「力ずくでいくか」
そう、行くしかなかった。
* * *
翌日の土曜日。
歓楽街の裏手にある小さな山。
そこには一つの廃墟のホテルがぽつん、と存在していた。もともとは恋人たちがいかがわしいことをするためのホテルで、こんな山の中腹にあるために潰れてしまったようで。私と志成は暇さえあれば、そこで過ごしている。もちろん、そんないかがわしいことはしていないわ。
ここは地元の心霊スポットとして有名で、夏になると肝試しをしに来た愚民どもか集まってくる。そのたびに志成が『影』で追い出していた。今となっては〝本当に出る場所〟となってしまっていて、誰も近づかなくなってしまった。
それでいいの。
ここは私と志成のお城だもの。
侵入、侵略は絶対に許さない。
私と志成はホテルの一室で、背中合わせに座り込んでいた。この室内は瓦礫や、ホテル側が残していった調度品がある。もちろん、長い年月が経っているから、すでに朽ちているけれど。埃、瓦礫、塵に埋もれる室内は、心霊スポットに似つかわしい雰囲気が漂っている。これが本当に暗ければ、肝試しにぴったりね。ただ、心霊スポットとしても十分な迫力があるこのホテルには、いたるところに簡単に取り付けたスポットライトが置かれている。強い光が廃墟の中を乱雑に照らし出していた。それだけで雰囲気はぶち壊されているはず。まぁ、相手はそこらへんの幽霊よりも危険な存在。準備は怠ってはいけないから。
私たちは部屋の中央で座り込んでいる。温もりがあるのは背中だけで、お互いの鼓動すら聞こえてきそうだった。
すでに山の中は夜の闇が落ちている。しん、と静まり返り、聞こえるのは虫の音だけだった。
その虫の合唱を聞きながら、私は思い出す。