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女王と異能者の愛の狂想曲  作者: ましろ
二章 平和を壊し敵は
8/26

【3】


 美術会館前の広場は、いろいろなモニュメントが飾られている。動物や天使など、点々とあり中には子供向けなのか動物の背中に乗れたりもできた。淡い赤の色調のレンガが敷き詰められた地面は、幾何学模様が描かれている。上から見ると、一つの絵となっていることで有名だった。ベンチも設けられているここは、市民にとって憩いの場だった。

 その憩いの場にある馬のモニュメントの背中に私は乗っていて、志成は馬の胴体に寄りかかっている。憩い中? ではなくて、私たちは今、なぜか陸仁に説教を受けていた。


「お前ら、自分たちが危険なことをしてたってわかっているのか!?」


 そこから始まって、延々と説教が続いている。人に対して暴力をふるってはいけない、ナイフを振り回してはいけない、ひざまずけなど他人に強要してはいけない。などなどだ。

 もちろん、私はその説教を聞いていない。志成も。


「本当に危なかったんだぞ? お前らのことを動画で撮っている奴もいたし……」

「あら、それ、本当? それなら、死刑にしないと」

「死刑って言っちゃダメでしょ!」

「それって盗み撮りということでしょう? 私の志成を映すなんていい度胸じゃない」

「野次馬が動画を撮ってたのは、お前だよ」

「死刑ね」

「だから、死刑って言っちゃダメ!」


 陸仁が怒鳴る。だって、志成もそうだけれど、私を撮る権利があんな愚民どもにあると思っているのかしら?


「詩、探し出さないと」


 志成がそう言ってくる。その顔が不快そうに歪められていた。


「オレの詩を映すなんて、許せない」

「お前らいったい何なの!?」


 陸仁が絶叫する。


「私たちは恋人同士よ? だから、志成は私のものだし、私もまた志成のもの。たとえ動画でも私たちを映すことは許されないわ」


 そう私が口にすれば、陸仁の目が見開いた。そして、次に脱力したように手のひらを顔で覆った。まるであきれたと言わんばかりに。


「……これはマジで予想外だ。コミュ障かつ危険すぎるカップルなんて聞いたことがない」


 失礼ね。それにコミュ障ってどういうことよ。そう言いたいけれど、不快感マックスな私は、そのまま黙りこくる。


「陸仁さん、オレたちは本当に大丈夫です。オレの隣には必ず詩もいる。『化け物』も簡単に倒すことができます。危険なことなんて起こるはずがない」


 志成は一歩前に出て、真剣な表情で陸仁を真正面から見つめた。陸仁はその真っ直ぐな視線を受けて、はぁ、と大きな溜め息をつく。


「危険なことを巻き起こしているのはお前らの方だろうが。あー、違う。志成。お前はまだわかってない。『化け物』じゃない。『異能』だ。お前はまだ『異能』の恐ろしさを知らないんだ。今はまだ大人しいけれど、これが暴発した時、一番に後悔するのはお前だぞ?」


 陸仁の睨み付けるような眼差しには、これ以上ないくらいの強い意志が浮かんでいた。自分がかつて『一番に後悔する』ことがあったかのように。私は馬の背中に乗ったまま、志成と陸仁を見比べる。もちろん、私たちは譲る気なんてないし、やっぱり陸仁も一歩も譲る気なんてないようだった。その平行線のままの状態が、いい加減煩わしい。


「――私たちは大丈夫だって言っているじゃない」

「詩。お前も分かってない。ある意味、お前が一番危険なんだ。お前はいつも志成の隣にいるから、いつ志成の『異能』に巻き込まれることになるか――……」

「志成を脅すなんて、いい度胸ね?」

「そういうことじゃなくて」

「私たちは平気、と言ったはずよ? 私だって志成の『影』の力を間近で見ている。それに志成が『影』を発動させるときは、私は離れてる。危険はないわ」

「お前たちがよくても、俺たちの組織がよくない」

「別に表立って犯罪を起こしているつもりはないわ」


 ねぇ? と志成に話を振れば、志成は力強くうなずいた。


「オレが『影』を使うのは、危険な目に遭った時だけで、私利私欲に使ったことはない。それにケンカならオレたちは無敵だからな」

「そういう意味じゃない。俺たちの組織は『異能者』の認知、管理、監視をしなければいけないんだよ。一人でも『異能』を持つ人間がいると世界にばれれば俺たちは実験動物扱いだ」

「戦えばいいじゃない」

「戦争を起こせ、ってことか? 冗談いうな。俺たちは別に戦争をしたいわけじゃない。ただ平和に過ごしたいだけなんだよ。そのためには『異能者』を管理しなければいけない。お互いにな。それに組織はきっとこの町に現れている『化け物』にだって対処してくれる。危険な日常生活を送らなくて済むんだぞ?」


 私たちの意見は、見事に真っ二つだった。

 私と志成は――組織に志成を入れたくないし、陸仁は志成を組織に入れたいという。

 私たちは私たちで一緒にいるために。

 陸仁は全部の『異能者』のために。

 意見が衝突しあうのも当然。だって、私たちの主眼は全然違うところに当てられているのだから。


「お前らがコミュ障ということだけはわかった」


 失礼な。


「でも、俺がここまで言っているのにどうしてわかってくれないんだ?」


 そういうあなたこそ、どうして私たちのことをわかってくれないのかしら?

 大丈夫と言ったら、大丈夫だというのに。どうして、そこまで私たちにこだわるのかわからない。私たちはただ一緒にいたいだけなのに。

 ――でも。

 これだけはわかった。

 陸仁は何が何でも志成を連れていきたいようだった。

 それなら私たちは私たちで手を打つだけ。

 すべては志成のためよ。

 別れたくないもの。

 だって私たちは恋人同士なんだもの。

 今回は邪魔が入って失敗してしまったけれど、次はそうはいかないわ。



   * * *



 二人のためと思い、説得した俺だけれど――二人は俺のことを拒絶した。俺は『異能者』としての理想の在り方を説得したつもりだったのだけれど、どうしてもあの二人にはこの声が届かない。それどころか反発し、さらにかたくなに拒絶しやがった。それどころかあの二人の間にある絆めいたものがどんどん強固になっていくのもわかった。

 俺は疑問に思ったことがある。

 志成と詩。

 どうしてあの二人は――自分たちの世界を創り上げ、それにこだわっているのだろうか? と。

 疑問が少しと好奇心が多量の心持で、翌日、俺はあの危険すぎるカップルを観察することにした。

 六月六日、金曜日、昼頃。俺は九桐高校という校庭に生えている木に登って、望遠鏡を使い、教室の中を覗いた。制服姿の男女が授業を聞いている。校舎の中を吹き抜けていく『風』から二人はこの目の前にある校舎にいることはわかっているんだけど、いったい、どこにいるのかがさっぱりだ。みんなが同じ制服を着ているから、同じように見えてしまう。


「お」


 いた。

 二階の左から二番目の教室に、志成がいた。……志成、だよな? おそらく、志成だ。あのクセッ毛頭は。志成は机に突っ伏していて堂々と眠っている。先生も青筋を立てているが、それを無視して寝るとはいい度胸だな、あいつ。それに起きる気配がない。

 俺の中にある志成のイメージは、どちらかというと勝気。難題が立ち塞がろうと、それこそ、鼻で笑い乗り越えていくようなイメージがある。それが志成の性格と思ったのだけれど、今の志成はどこまでもだらけているような雰囲気だ。だらけているというか、眠っているというか。制服だってだらしなく着崩しているし。頭も寝癖なのかいつになくぼさぼさだ。


「うーん?」


 わからない。

 ギャップがありすぎる。

 ほら、先生が教科書で頭をぽんと叩かれても、起きる気配はゼロ。あいつ、成績とか大丈夫なのかな? そう心配してもまぁ、他人は他人。志成だってうまくやるだろう。

 望遠鏡から目を離した俺は少しだけ深呼吸。

 そして、さらに隣のクラスへと望遠鏡で覗けば、そこには。


「あ、詩だ」


 詩がいた。

 詩は――うん、あの地味で暗いルックスをした詩が黒板を見つめている、わけではなく、こちらもまた堂々と教科書ではなく分厚い本を読んでいた。傍から見ればそっちの本が小難しく見えるが、今は仮にも授業中だよ詩さん、と突っ込んでやりたかった。こちらの先生も詩のことが気になるらしく、ちらちらとそちらを見ながら、青筋を立てている。でも、声をかける様子はなかった。

 俺の中では一番不思議なのは、詩だった。

 詩の性格の落差が激しすぎる。初めて詩と会った時は、眼鏡をかけて、前髪が目を覆うほどに垂らした地味で暗い女子高生だと思った。でも、その眼鏡を取った瞬間、その性格が豹変した。

 まるで女王。

 しかも、悪辣な女王だ。

 志成さえいればいいと言い放ち、それ以外の人間はゴミだと思っていそうなその不遜な態度と不敵な笑み。その堂々とした王者たる雰囲気と物腰。

 どっちが詩の本性かと言われれば、女王の方なのだろうが、なぜ、人々の前ではあんなに暗い女に変貌するのかまったくわからない。

 女王の時に分かったのだけれど、詩はどちらかというと可愛らしい顔立ちをしている。大人しくて、にこにこことおしとやかに微笑めば、男子が殺到するだろうというぐらいに。


「それが、どうしてあんななんだ……」


 あんな、とは、暗い地味な女と、誰をも見下す女王。

 性格がよさそうな面なんて、どこにもない。

 しかも、そんな二面性がありすぎる詩に恋人がいて、さらにその恋人も一癖あるという。


「世界は不思議なことで溢れてるんだな」


 今さらそれを痛感。

 ふと、電子音のチャイムが鳴り響いた。どうやら授業が終わったらしい。生徒が起立して、挨拶をする中でも、詩と志成は全く動かなかった。先生が出て行ってから、みんなが思い思いに動き始める。手にはパンやらジュースやらを持っているところを見ると、どうやらお昼休みらしかった。


「そうか。飯か」


 俺も何か食ってくるかな、と思った時だった。詩のクラスで異変があった。詩を女子たちが囲い始めた。十人くらい、だ。

 詩を女子生徒たちが囲んでいるせいで、詩の様子がわからない。でも、剣呑な雰囲気だとわかった。周囲にいる生徒たちは遠巻きに見ている。詩を助ける気配なかった。それでも、望遠鏡で覗いていると、女子生徒の一人が詩の腕を引っ張っていた。

 ずるずると半ば引きずる感じで。詩は嫌な表情を浮かべているだろうな、と思いきや無表情だった。冷たい目でじっと自分を逃がさないように囲む女子生徒と腕を引っ張る女子生徒を見つめている。

 その眼差しが、俺でもぞっとするほど冷え切っていた。

 その冷めた視線に俺は胸騒ぎを感じて、俺は木から飛び降りた。



 詩たちがいるのは、校舎から外れた体育館――講堂? と思しき建物の中、というわけじゃなく、その裏手だった。

 そこには誰も来る気配がなく、詩はそこで十人くらいの女子に囲まれている。

あきらかに一触即発の雰囲気だった。これがまさにいじめの瞬間なのかもしれない。それはいじめの現場なのかもしれないけれど、でも、そこにある光景はいじめの空気すら感じられなかった。

 なぜなら、詩が堂々と十人の女子たちに対して全然怯えていない――どころか、殺意を纏っていた。女子生徒たちはそのことにすら気づいていないようで、無謀にも詩に掴みかかろうとしている。

 一触即発の雰囲気は彼女たちが作り出したものじゃなくて、詩が作り出したものだ。このままだと、やばいんじゃない? と、冷静な俺が、観察している俺に言ってくる。明らかに、危険な状況だ。主にあの女子生徒たちが。

 俺は詩の裏と表を知っているから、今、女子生徒たちが何をしているのかよくわかるけれど――、彼女たちはきっと詩の表と裏を知らない。きっと、彼女たちは何もできない根暗で地味で、自分たちよりも弱い存在として認識しているはずだ。

 どうしようか。俺が彼女たちの仲裁に入ってもいいけれど、俺は部外者だ。教師たちを呼ばれても困るし、何よりも詩に見つかるのが危険だ。詩は俺をよく思っていない。はっきり言って嫌われているはずだ。そんな嫌われ者な俺が彼女の前に姿を現せば、詩が何をするかわからない。……このまま放っておいても、何が起こるかわからないけれど。

 ふと、一人の女子生徒がどん、と、詩の肩を突き飛ばす。よろける詩だけれど、倒れるような無様な真似はしなかった。ひたすらに目の前にいる女子たちを睨み付けている。

 女子生徒たちは何かを言いながら、また詩を突き飛ばす。周りにいる女子たちもぎゃあぎゃあと何かを喚いているようだった。嫌われてんなぁ、詩。でも、本人は別にどうでもいいことかもしれない。だって、詩は「志成さえいればいい」と言っていたから。

 女子生徒たち十人による一方的な糾弾を前に、詩は身じろぎ一つしない。けれど、ヒートアップしたのだろう。一人の女子生徒が詩の髪の毛をわしづかみにしようとした。しかし、その手のひらは髪の毛をかすめて、眼鏡に当たった。眼鏡がからん、と落ちる。それを、女子生徒が笑いながら踏みつぶした。

 あーぁ、なんて、他人事のように、あきれる俺。あれ、完全にやばくないか? ほら、詩の雰囲気が一変した。それなのに女子生徒たちは鈍感なのか――または優劣がはっきりしているとおごっているのかはわからない。でも、目の前には君たちが絶対に敵わないものとして現れてしまっていることに気付いているかな?

 なんて、また他人事のように心の中で呟いていると、女子生徒から悲鳴があがった。ここからでも聞こえた女子生徒の金切り声に、俺はぎょ、っと心臓が跳ねあがった。

 女子生徒の前にはナイフを取りだした詩の姿があった。

 詩は前髪を掻き上げて、ナイフを突きつけて――嗤っていた。

 いや、あれ、完全にやばい人だよ、というくらいの、異様な雰囲気だった。だって、可愛らしい顔立ちをした女子高生が髪を掻き上げて、ナイフを振り回して、嗤っている。これが危険な人物じゃなくて、何だというのだろうか?

 かわいそうなのは女子生徒たちだった。まさかナイフを持っていることを知らなかったんだろう。むしろ、ナイフなんていう存在は、頭になかったはずだ。この平和な日常で、まさかナイフを突きつけられるなんて思ってもみないだろうし。ただ、女子生徒たちは危機感がないらしく、今のこの危険な状況に対してどう反応していいかわからないようで、そして、地味で暗くて弱そうな女が豹変したことにも困惑しているようだった。

 確かにそうだろうな。

 眼鏡をかけていた詩は暗くて、地味で、無言で、何をしても、何も返してこなかった。一方的に、彼女たちの暴力を受け止めていた。

 それが一転して、その雰囲気は高圧的。自分以外のすべては有象無象で、ごみに等しく、何をやろうと私が正義と言わんばかりの厳然とした空気を纏っている。まさに女王。

 彼女たちは哀れにも、不運にも女王を呼び覚ましてしまったんだ。

 ――なんて、そんなことを言っている場合じゃない。

 ようやくこの状況を理解した女子生徒たちは悲鳴を上げているが、あまりの恐怖に逃げすこともできないようだった。対して、詩は愉快そうにそれこそ鼻歌を歌いながら、じりじりと女子生徒たちに近づいている。まさか、本気で刺すわけじゃないだろうな? と、俺は詩の正常な常識を信じようとするが、でも、危険を察知しているもう一人の俺は「あれは本気で刺すぞ」と告げている。

 女子生徒たちは逃げない。女子生徒たちと詩の間にある距離は縮まる一方だった。

 講堂の影に覆われているというのに、ナイフがぎらり、と輝いたように見えた。あ、もう危険だ。

 俺は『異能』を発動させた。

 指先でふ、と詩たちの方を仰げば、鋭い風が奔る。地表を走り、空気すらも切り裂いて、でも、それは暴風を伴い詩と彼女たちの間に風の壁を作り上げた。

 突然のことに驚く詩と、そして、女子生徒たち。女子生徒たちはようやく動き出して、悲鳴を上げながら一目散に逃げていった。

 詩は動かない。風に髪があおられながら、驚愕の目で風の壁を見上げて――じろり、と風が奔ってきた方、つまり俺の方を睨み付けてきた。


「そこにいるのは、誰?」


 白々しく、詩は誰何してくる。

 そんなことわかっているだろうに。

 詩はナイフをしまわずに、それどころか手でもてあそびながらこちらに向かって歩いてきた。その姿はもう普通の女子高生なんかじゃない。もう戦いに手慣れているアサシンとか、殺し屋とか言った風情だ。本当に何なの、あの子。


「待て、詩。それ危ないからしまえ」

「あら、誰かと思ったら陸仁じゃない」

「詩、わざとらしく驚くなよ。わかってたんだろ?」

「ふふ。まぁ、そうね」


 詩の足は止まらない。優雅なステップを踏むように、俺に近づいてくる。おかしいな? 彼女は女子高生で、普通の人間だ。俺たちのような『異能者』ではないはずなのに、どうしてこんなにも威圧感がすごいのだろう。『異能』を使って戦ったことがある俺が、変に気遅れている。それどころか、冷汗も流れていた。


「ねぇ、陸仁?」


 彼女(女王)が呼ぶ。そして、――俺は咄嗟に身を退いた。その鼻先をナイフがかすめていく。


「――っ!」


 こいつ、本気で俺を刺そうとしやがった。その事実に、今さら心臓が恐怖で弾み始める。でも、詩のナイフは止まらない。俺が避けた先にナイフによる刺突を繰り出してきた。さらには袈裟切りなど女子高生にあるまじき行為を連発してくる。しかも、動きが早くて無駄がない。この子は、本当に何者なのだろうか?


「詩!」

「何かしら?」


 詩はそれでも攻撃を止めない。それどころか、苛烈を増して俺を何としてでも仕留めようとしてくる。


「詩、殺人罪で捕まるぞ!」

「あら、簡単に死んでくれるのかしら?」

「いや、簡単に死なないけど……」

「じゃあ、問題ないじゃない」

「そういう問題じゃない!」

「だって、私、あなたのことを殺したいんだもの。仕方ないでしょう?」

「何で俺を殺したいんだよ!」


 俺はようやく詩の手首を掴んで、ナイフをはたき落とす。詩は悲鳴一つ上げないけれど、不快そうに顔を歪めていた。


「私の手を叩いたわね? 死刑よ」

「元から俺を殺すつもりだろ……」

「そうね」

「認めるなよ!」


 俺は詩の手首を放せば、詩はあっさりと身を退く。距離を置いて、俺の様子をうかがっているようだった。さすがに丸腰の女の子相手には俺は何もするつもりはない。落ちたナイフを没収。ナイフを振り回すことになれている女子高生なんて聞いたことがないぞ、まったく。


「それで、お前はどうして俺を殺したいんだよ?」

「あなたが志成を連れて行こうとするから。あなたが私の邪魔をしようとするから。あなたが小さいのに、大人ぶっているから」

「いや、俺は大人だよ!」


 少しは敬え! という言葉は呑み込んでおく。これを言ったら、さらに言い返してきそうで面倒だからだ。


「それよりも、俺はまだいいとして、どうしてあの一般人にナイフを向けたんだ」


 俺は手に持ったナイフを詩に突き付けた。詩は表情一つ変えずに、そのナイフの切っ先を見つめる。


「私を怒らせた罰よ。少し斬りつけておけばしばらくは静かになるわ」

「静かになるって――まるでやったことがあるような口調だな」

「あるもの」


 衝撃的な返事を、詩はにっこりと笑うことでさらに異常性を際立たせた。口元が歪む、目が細まる。そして、それが当然と言わんばかりに、言う。


「いつも周囲の人間は、私の何が気に食わないのか知らないけれど、うるさいくらいにちょっかいを出してくるの。だから、そのたびに私は粛清してきた。粛清といってもナイフで軽く肌を撫でるくらいよ? 刺しはしない。だって、刺したら周りがまたうるさくなるでしょう?」


 笑う詩が、――とても怖かった。詩の常識が正常ではないとわかっていたけれど、ここまでとは思わなかった。それどころか、詩の中ではそれが正常として認識されている時点で、すでに異常で――こんなにも壊れた人間がいるのだろうか、と、戦慄した。


「教師から呼びだされたことはないのかよ? それに、志成は? あいつは何をしてる?」

「教師? あぁ、あの豚ども? 残念だけれど、彼らに私を止める術はないわ。あの中には私に粛清された豚もいる。それに、粛清された生徒や教師が周りに言うことはないわ。周りに言ったら、私は「殺す」と脅してるから」


 くすくす、と詩は笑う。それは本当のことなんだろうな。それが『嘘』だと思えないことがすでに怖い。どれくらいの生徒や教師がこいつの餌食となったのだろう? 想像しても、全然、わからない。


「それに志成は私を許してくれるわ。だって、私は志成のものだもの。私が何をしようと志成は自分のことのように当然と思ってくれているの。だから、志成が私に言うことは何もないわ」


 俺は、言葉が出てこなかった。

 まさか、ここまでとは思わなかったから。

 こんなにも他者を踏みにじることを当然としている彼女が信じられないし、それを容認している志成もまた信じられなかった。

 この二人は危険だ。

 二人を引き離さないと、危険なことが起こる。

 詩は人を傷つけて。志成はそれを許す。その一連の流れで、どれだけの人が傷つくのか、わからない。

 同時に、疑問に思った。

 どうして、この子たちは〝こんな〟なのだろう、と。

 どうして、こんなにも人の道を外れてしまったのだろう、と。

 俺が考えたって答えは出ないだろうし、二人に問い詰めても答えは返ってこないだろう。それどころか、ナイフやら暴言やら飛んでくるだろうし。

 詩は唐突に憂いに満ちた溜め息をついた。


「私、ずっと考えていたの」

「は?」

「あなたがどうすればいなくなるのかって。いろいろと考えたわ。それこそ、不意打ちを襲うとか、あとは毒を盛ることさえ考えたわ」

「何考えてるんだよ……」


 本当に危ないわ。こいつらと関わる時は細心の注意が必要じゃないか。


「仕方ないじゃない。だって、あなたが私の志成を奪おうとするのだから」


 にっこりと笑う。笑っているけれど、その目は笑っていない。


「覚悟してちょうだい。私は――あなたを許さない」


 そう言い残して彼女は去っていく。

 その後ろ姿を見つめて、俺は慄然と震える体を抑えることができなかった。



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