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女王と異能者の愛の狂想曲  作者: ましろ
一章 女王と異能者の日常
5/26

【4】


 志成は慌てた様子もなく、手を前へと伸ばすと、何かを掴むようにぎゅ、と握りしめた。

 その動きに合わせるように、志成の前に壁となって現れた影が『化け物』へと蛇のように伸びていき、その体に絡みついた。羽交い絞めにされた『化け物』が何とか影から逃れようと、暴れまわる。


「っ」


 志成が苦しそうに、息をもらした。


「志成?」


 見れば志成が握りしめている拳から、血が一滴こぼれおちた。ぽたり、とアスファルトに血が点々と滴を残していた。私は慌てて志成へと駆け寄ろうと、足を一歩前へと踏み出す。


「し、志成っ」

「詩、来るな!」


 その声に、私は立ち止まろうとして――私は突き進む。『化け物』が今にも、志成の『影』から逃れようと一層と暴れ回っていた。仕留めるなら今がチャンスだった。志成の怪我の具合も気になるけれど、その前に『化け物』が優先ね。


「何やってるの!?」

「私に命令しないでちょうだい」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!?」

「あなたこそ、そんなこと言っている場合じゃないわ」


 私はカッターを構えて、『化け物』へと突撃していく。

 志成は――『影』を操ることができる。普通の人間には、もちろん、操ることなんてできやしない。

志成はその能力を持っているから、普通の人間とは違う。そして、その力もまた、常人とはケタ外れだ。でも、その力もまた『限界』のようなものがある。

 志成が操れる『影』は自分の影のみ。『影』は打撃、斬撃、そして、このように拘束をすることができる。けれど、その力もまた志成と同等か、少し上くらい。志成曰く、『影』は志成の身体能力に反映しているらしい。だから、志成より強い存在には実はこの『影』は有効ではない。

 人間相手であるならこの力を見せればたいていは逃げていくし、『化け物』相手ならかすめるだけですぐに消えてしまう。だから、志成の能力が役に立たないことはなかった。

 でも、それが今回、味わうことになるかもしれない。

『化け物』は志成の『影』から何としてでも逃げようともがいていた。それを抑える志成の顔もまた険しい。握った拳がふるふると震えていた。手のひらからはぽたり、ぽたり、と血が伝っている。

 志成がピンチなら、私が助ける。

 志成のためなら、何でもする。

 ――それが私の志成への愛。

 だから、私だってただ守られているだけのお姫様ではない。騎士がピンチであるなら、お姫さまだって戦うわ。ただ、守られているだけのお姫様なんて、いらないもの。


「詩、頼むから!」

「うるさいわよ、志成」


 私はナイフを構える。『化け物』が近づいてくる私に気付いて、暴れるのを止めた。そして、私をうかがっているかのような気配を見せる。ただそう見えるだけで、実際は違うかもしれないけれど。

 志成が頭を切り落としても存在している『化け物』を相手に、このカッターナイフがどこまで通用するかわからない。でも、そういうこともやってみないことにはわからない。

 私は『化け物』の前に立った。がんじがらめにされた『化け物』は微動だにしない。頭もないし、何より真っ黒に塗りつぶされているから、この『化け物』が何を考えているのかまったくもってわからなかった。

 私はナイフの先端を、『化け物』へと突きつける。『化け物』は抵抗しなかった。それに違和感――それどころか、嵐の前の静けさのような不安が過る。でも、ためらっている場合じゃなかった。私が黒い体の上に刃の切っ先を少しだけ押し付けて、そのまま押し込めようとした瞬間だった。


「詩!!」


 鋭い志成の声に、私は、は、と顔を上げる。

 見れば拘束されている黒いウサギのような『化け物』の体がぶるぶると激しく動き出した。この震えは見たことがあった。そう、ウサギから奇怪な動物へと変貌を遂げた時とまったく同じ様子だった。

 黒いウサギもどきの『化け物』がめきめきときしむ音を立てた。そして、その体から、人間のような――違う、サル。サルの腕が二本、背中から生えた。自身の体を戒めている『影』の隙間から生えたその腕は『影』に拘束されているわけじゃなく、自由だった。

 やばい。

 そう危険を察知した時には、もう遅かった。

 サルの腕が私へと伸びて、その指先が私の喉に触れようとして――。


 びしゃ。


 顔に生温かいものが飛び散った。触ると真っ黒い水のようなもの。匂いを嗅いでも、まったくの無臭だった。


「詩!」


 いきなり背後から腕を伸びてきて、その腕の中に抱えられる。まるで私を守るかのように回された腕に、ようやく私の思考が動き始めた。

 私に向かって伸びてきたサルの腕。

 その指先が私の首へと触れようとしたその瞬間に、サルの腕がずたずたに切断された。見えない無数の刃にめった刺しにされ、さらにとどめと言わんばかりに切り刻まれた、ように見えた。だから、私に向かって伸ばされた腕はもうなくなっている。代わりに、腕を無残なまでにボロボロにされた『化け物』は悲鳴を上げるかのように、再び暴れていた。


「くそっ」


 志成が珍しく悪態をつく。『化け物』を拘束していた右手がついに放された。広げられた志成の右の手のひらは、血で真っ赤に染まっている。解放された『化け物』はもだえ苦しんでいた。体を建物の壁、路面に打ち付けて、腕を失った痛みを何とかやり過ごそうとしているかのようだった。

 私は志成に連れられて、『化け物』から距離を取った。『化け物』はそんな私たちの気配に気づいたのか、暴れるのをやめて、その足先を私たちへと向ける。これで本当に狙いを定められたようだった。

 そして、『化け物』の足が大地を力強く蹴り上げる。音こそさせないものの、それでも、力強いその脚力で大きく跳躍して、私たちに襲いかかろうとして――……。

 ぐしゃ。

 そんな音が聞こえた気がした。本当は音さえしなかったのだけれど。でも、『化け物』の体が、面白いくらいにひしゃげた。ぞうきんを絞るかのようにひしゃげた体は、今度は真っ二つに両断される。さらに、そこから再び見えない刃でめった刺しにされて、さらには細かく――けれど、粗く切り刻まれた。

 再び、真っ黒い液体が私にかかる。実際は志成に守られているように抱えられているから、志成の方がその黒い液体を思いきり被ったはずだった。でも、抱えられているから今起こっている光景の細かい様子がわからなかった。

 私たちが何もせずに見守っている間にも、『化け物』はかわいそうなくらいに、ぐちゃぐちゃにされていった。そうして、影も形もなくなったとき、『化け物』だったものはこの世闇に溶け込むかのように消えていく。

 最後に残されたのは静寂だった。痛いくらいの――そして、異常な事態に対するぴりぴりとした緊張感で張り巡らされた空気。それが、何とも居心地が悪かった。


「志成、痛いわ」

「え、あ、ごめん」


 私はようやく志成から解放された。私はまじまじと志成の顔を見るけれど、志成にはあの黒い液体がかかったはずなのに、染み一つ残っていなかった。ふわふわのクセッ毛も健在だった。そして、私も。確かに『化け物』の体液を浴びたはずなのに、私の体は全然汚れていない。あの『化け物』の血のような真っ黒い液体は錯覚だったのだろうか、と逆に私自信を疑ってしまうほどに。

 私たちがお互いの顔を見て首を傾げあっていると、


「おい、お前ら。大丈夫だったか?」


 声が降りかかった。

 志成が自分の背中に私を隠すようにして立つ。私はその背後でカッターを握りなおした。


「待てって。俺は怪しいもんじゃない」


 どこからともなく聞こえてくる声は、男のもの。そして、大人ではない子供の……違う、子供から大人へとなろうとしている、低く幼さを残す声色だった。時間は夜。私たちに届く声は、同年代か、もう少し年下の男の声。落ち着ている声色は特に怪しくも何もない。けれど、今は私たちが異常と感じ取っていた事態が終わった頃合い。そこに飛び込んできた声はいくら落ち着いていても、異常さしか際立たせない。だって、『化け物』との戦いが終わった頃合いを見計らったかのように、かけられたんだもの。怪しいとしか、思えない。


「誰?」


 志成が視えない存在に向かって投げかける。さっきの『化け物』のこともあってか、いつになく志成が緊張しているのが私に伝わってきた。私も志成の緊張が伝播したのか、いつになく、神経を尖らせる。


「こっちだ。こっち」


 声がする方向へと顔を向ければ、一人の少年がそこに座っていた。年は私たちより少し幼いくらい。目はぱっちりとしていて、口元には笑みが浮かんでいた。可愛らしい男の子、というのが第一印象ね。けれど――、大きな建物の非常階段。おそらく二階にあたる踊り場の手すり。少年はそこに腰をかけて空中にぶらぶらと足を投げ出していた。危うげなその光景に、でも、当の少年はその危うさを感じさせず、それどころか呑気にも私たちを見下ろして笑っている。


「君、誰?」


 簡潔に質問する志成の声色は警戒心がむき出しだった。まぁ、それもそのはずだった。あんなところに人は座らないし、そもそも、『大丈夫だったか?』という発言はあることを示していたから。

 この少年は私たちが『化け物』と戦っていたところを見ていた。

 そして、その発言は――私たちのことを助けて、『化け物』を文字通りに八つ裂きにしたのは、その少年ではないかと思ってしまう。違う。確信に近い疑惑を、私たちは抱いていた。


「俺の名前は秋山(あきやま)(りく)(ひと)


 少年――陸仁は、志成の簡潔な質問に、簡潔に応えた。そして、


「夏目志成、だっけ? 俺はお前を保護しに来た」


 そう、私たちに告げた。


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