【1】
終章 始まりの日
あれは、三年前の出来事だった。
その女の子はとても悲しそうな顔をしていた。女の子に不釣り合いなごついカッターナイフを持って、悲しそうな顔でそのナイフを見つめていた。
その悲壮な顔と、視線が見つめる先を見て、オレは嫌な予感がした。そして、その嫌な予感通りに、女の子は自分の首に刃を沈めこもうとしていて――オレは思わず『影』でそのナイフを斬ってしまった。
女の子は一体何が起こったのかわからなかったのだろう。呆けた顔で不自然に切られたナイフを見つめていた。そして、何を思ったのかぐるり、と周囲へと顔を巡らせて。
「だれか、いるの?」
そう呼びかけてきた。オレは出るわけにもいかず、ただ暗闇でじっと待っていた。できることなら自殺なんて諦めて帰ってほしい。そう心から願って。
女の子は何を思ったのか立ち上がって部屋の中を歩き始めた。何かを探しているらしい。でも、その途中で顔を上げて、口を開いた。
「誰なの?」
もう一度かけられる言葉。
「私は死にたいの。お願いだから、その邪魔はしないでくれる?」
あろうことか女の子は隠しもせず自殺宣言をして、さらには、放置しろと要求してきた。はっきり言って、こんな女の子は見たことがない。でも、普通の女の子とは違うから、なんとなく好奇心が湧いてきて、
「どうして、死にたいんだ?」
と、訊いてしまった。あ、しまった、と思った時にはもう遅くて、女の子が息を呑んだのが分かった。もう、一度出てしまった言葉は呑み込むわけにはいかず、オレは再度、訊いてみたんだ。
「……ねぇ、どうして死にたいんだ?」
オレは戸惑いながら、もう一度だけ声をかけてみた。これで帰るなら、帰ってもいいし。無視してもいい。けれど、
「死にたいから、死にたい。じゃ、ダメ?」
うん。たぶん、彼女はそんな気分だから、そう言ったんだろうな。
「そんなに早く死んでも、つまらないだけだよ」
オレは一応、ありふれたコメントをしてみた。
「つまらない?」
その言葉はきっと彼女の中の何かに触れたのだろう。女の子は、声を少し上げた。
「つまらない? 死んでしまったら、つまらないとか、退屈だとか感じないじゃない」
まぁ、そりゃ、死ぬのだから、楽しいも辛いも嬉しいも苦しいもないだろうけどね。でも、死んでしまったらつまらないよ。
「うん、まぁ、君自身はね」
「私自身?」
女の子は不思議そうに首を傾げた。
「そう。でも、周りはどうなの?」
「もしかして、周囲の人が悲しむよ、とか、そういうありふれた説得でもするの?」
「そんなつもりはないよ」
本当にそんなつもりはない。彼女の周囲とか、特に興味はない。ただ、オレは――。
「つまらないよ。――オレが」
この会話が楽しいと思っている自分がいた。すぐに終わってしまう時間だけれど、不思議な女の子と会話ができて本当に楽しい。
「……は?」
今度は女の子が戸惑う番だった。
「私とあなたは、関係ないじゃない」
「うん、まぁ、君にとっては」
「え?」
さて、どう言おう。どう返せば、この子はどんな反応するのだろう。
「だって、君、オレの秘密を見ただろ?」
そう、だって。彼女はオレの〝秘密〟を見た。この〝秘密〟は決して人には見せてはいけないもの。今回は命がかかわっていたから使ったけれど、普段は人前では使用しない。怯えられるし、そんな反応を見るオレも嫌だから。
「秘密?」
女の子はわからないらしい。
オレは見せつけるように『影』を使ってみせた。狙うは瓦礫の中に埋まっている鉄パイプ。『影』を奔らせれば、すぱん、と小気味よくパイプが切れた。
沈黙。
さすがに、怖かった、かな?
そろそろ潮時か、と思った時だった。
「あなた、私を助けたでしょ?」
なぜか女の子は怒ったように口調が低くなった。まったくの予想外の展開に、今度はオレが戸惑った。
「え」
「カッターナイフ、切ったでしょ?」
本当に怒ってる。何で、オレが怒られなきゃいけないのだろう? 助けたはずなのに。
「何で、助けたの? 私は死にたかったのに!」
いや、まさか。
「……怒られるとは思ってなかった」
「怒るに決まってるでしょ!」
本当に怒っていた。なんか、助けたつもりが、逆に怒られるってどういうことなんだろう、これ。
オレは何も言えずに黙りこむ。でも、心は理不尽なことで怒られたことよりも、好奇心の方がやっぱり勝っていた。
「ねぇ、怖くないの?」
「怖い?」
何が? と言わんばかりの威勢の良さだった。
「そう。これ――……」
オレはもう一度だけ『影』を動かしてみた。きっと、女の子の目からは『化け物』がうごめいているように見えるだろう。けど、女の子は。
「それが、何?」
ばっさりと、切り捨てられてしまった。いい度胸というか、肝が据わっているというか。この子に恐怖というものを感じないのだろうか?
「早く、成仏した方がいいわよ」
は?
「待って、何の話!?」
成仏って、何!? オレ、何だと思われてんの!?
「だって、あなた、このホテルの亡霊でしょう?」
「違うから!」
この女の子はオレのことをずっと亡霊と勘違いしてたのか? しかも亡霊相手に、あんなに会話をするとか本当にすごいね、この子は。
「じゃあ、あなたはいったい、何だというの?」
「――本当に君は、怖がらないんだね」
亡霊相手に怒って会話をして。亡霊相手じゃないとわかっても、こうして会話を続けている。
「怖い? だから、何のことを言っているの?」
逆にこっちが恐縮してしまう。彼女を怖がらせることができなくて、すみません。そんな申し訳ない気持ちでいっぱいになった。え、なんで!?
オレが完全に困惑していると、女の子はまた瓦礫を探し始めた。何を探しているのだろう、と思ったけれど、彼女は死にたいと言っていた。
彼女はきっと、自分が死ねる何かを探しているのだろう。
オレは意を決して、歩き出した。
どうして、この時、オレは彼女の前に姿を現そうと思ったのか、その理由は単純なものだった。
歩き出したオレに、女の子がこちらへと振り返る。
月光に照らし出された彼女は、可愛い女の子だった。ふんわりとした巻いた髪の毛に、柔らかそうな輪郭。それに小柄で華奢で、守ってあげたい女の子ってこういう感じなのかな、なんて漠然と思った。
「死ぬのはやめて」
自然と言葉が出てきた。
「何で?」
「だって、つまらないって言ったでしょ? オレが」
女の子は不可解そうに眉根を寄せた。
「だから、あなたには関係ないじゃない」
「関係あるよ」
そう、関係ならあるんだ。
「――オレのこの力を見て、怯えない人なんて初めて見た」
「力? 何のことを言っているの?」
女の子はさっきの『影』のことを忘れているのか。それともどうでもいいと思っているのかはわからない。でも、オレはこの子と離れたくなかった。オレは女の子に手のひらを差し出した。
「初めまして、オレは夏目志成」
女の子は怪訝そうにオレを見ながらも、差し出したオレの手を握てくれた。
「冬野、詩」
何ともそっけなく、でも、そう名乗ってくれた。
「よろしく、詩」
「……よろしく」
女の子はまだ、戸惑っている。
「あなた、本当に亡霊じゃないのね」
「亡霊じゃないよ!?」
そこにまだ戸惑っていたのか。というか、オレの亡霊説はまだ払拭されていないことに驚いた。
――これがオレと詩との出会いだった。
どうして、オレが詩の前に姿を現したかというと、ただ単純にこの子がオレのこと受け入れてくれたから。見てくれたから。
それがとても嬉しかった。
この時からだ。オレが詩に好意を抱いたのは。
今思えば、それは寂しかったせいかもしれない。寂しかったから、詩と一緒にいようとして、恋人になったのかもしれない。
オレたちの愛は愛じゃなかった。でも、その中には確かに愛はあった。
詩は信じてくれないかもしれないけれど、本当のことなんだ。
調査報告、とメールの文面で書いておいた。
九桐町にて『異能者』を二名確認。力の暴発はあったものの、今のところ再発する様子はなし。ただし、その二名はこちらへとくることを拒否している。
どーする?
と、『隠れ場所』にとりあえずの調査報告を送ってみた。そして、帰ってきた返事がこれだ。
「面倒を見ろ」
マジかよ。
オレはこの簡潔な文章を見てうなだれた。普通のガキどもならまだしも、あの二人は普通というか常識が通じない存在だ。それを俺が面倒を見ろっていうのか? マジかよ? オレの胃にそんなに穴を開けさせたいのかよ。ふざけんな。
そんな悪態を心の中でついて、オレは遠くにいる二人を見る。
二人は仲のいいカップルのように(実際はそうなんだけどな)、寄り添っている。くそ、リア充爆発しろ。
それで最後に締めくくって、俺は最後にもう一回大きな溜め息をついた。これはもう諦めの溜め息だ。
結局、俺があいつらの面倒を見ることになった。
これもまた何かの巡りあわせだろう。
仕方がねぇか。
俺は立ち上がって、二人の元へと向かった。
――あれから。
私は一週間くらい、寝込んでいた。らしい。
らしい、というのは、私には記憶がさっぱりないから、志成から聞いてその事実を知った。
原因は、私が『異能』を使い過ぎたせい。
何しろ、吐血するまで『異能』を使ったのだから、当たり前だと陸仁にさんざん叱られた。その時に教えてもらったのは、私の『異能』の正体。
私の『異能』は、心の感情を『形』として現す、ことらしい。
例えば、私は陸仁を攻撃するとき、ひたすらに『憎悪』というもの縛られていた。だから、『化け物』は闇色をしていいてやたらと攻撃的だった、ということ。
そして、もう一つわかったこと。
これは志成には内緒で陸仁にこっそりと教えてもらったことなのだけれど、日常的に私が自身の『異能』に襲われていた理由は、『志成と一緒にいるため』のことだった。私自身が襲われていれば、志成が傍にいてくれるだろう、という無意識の願いからそうなってしまったらしい。さらには『化け物』が凶悪化したのもまた、私の感情が荒れていたから。夜に現れたのも、夜だと志成と二人きりであり、必ず守ってもらえるということだった。
最後に私の『異能』の代償は、使用後は深い眠りにつく。とのこと。
陸仁はどのタイミングで私の『異能』が開花したのかはわからずに首をひねっていたけれど、私には心当りがあった。
私が『異能者』として目覚めたのは、きっと、私が志成と出会った時だ。その時から、私の周りに『化け物』が現れ始めたのだから。
その時から、私はすでに志成に執着していたらしい。
「詩、体調は?」
「……大丈夫よ」
私が吐血して倒れて起きて、それからずっと志成は私の体調を気遣ってくれている。嬉しいことなのだけれど、私が少しでも咳をしたり、億劫そうにしていたりするとこうして気遣ってくれる。嬉しいのだけれど、そのたびに気遣われるのも少しうるさい、というのは内緒だ。
でも、不思議な心地だった。
こうして、気分に余裕があって、落ち着いていられるのもとても久しぶりだった。違う。もしかしたら初めてかもしれない。
他人のことが気になることもないし、気持ちがささくれ立つこともなかった。
――というのは嘘で、やっぱりむしゃくしゃするときがあって、他人に八つ当たりしそうになった。
けれど、その時は志成が「詩、ダメだ」ときつく私を注意した。
その時の迫力は、今まで見たことがなくて、私の荒れた気持ちが静まり返った。
叱る志成はとても怖かったけれど、それでも、私のことを思ってくれているのがわかる。
その分、前よりも近くにいてくれている気がしてそれは本当に嬉しいことだった。
「詩、大丈夫? 暑くない? それとも喉渇いた? 何か買ってこようか?」
――過保護になった気がして、やっぱりその辺はうるさいけれど。
私は志成の額の真ん中に人差し指を当てて、そのままぐい、と押した。
「いたたたた」
「大丈夫って言っているでしょう? そんなに私は軟じゃないわ」
「そんなこといって、いつも風邪ひいたら長引く癖に」
「今回は風邪じゃないでしょう?」
「同じようなものだよ」
「同じじゃないわよ!」
ぎゃんぎゃんと言い合う私たちに周囲の視線が向けられる。それでも私たちは――私は構わずに志成とくだらない喧嘩をする。
「ねぇ、あれって志成くん?」
「え? じゃあ、あの前にいるのは……?」
一つ変わったといえば、私が他人の前であの根暗な格好にならなくなったということくらいだった。本当は人を寄せ付けないために始めた格好だけれど、今となっては志成が本当の意味で隣にいてくれることが分かったから、もうしない。
ふと、私たちに影が落ちた。目の前には小さな男の子が立っていた。
「お前、今、俺のこと小さいとか思ったろ?」
「自意識過剰なうえに、被害妄想かしら?」
確かにそう思ったけれど。
「ほら、お前ら。いちゃついてないで行くぞ」
「「どこへ?」」
「ハモるな。とりあえず、お前らの『異能』を完璧にさせる。いちゃつくのはそれからだ」
ついでに言うなら、なぜか陸仁が私たちの保護者となるらしい。なんでも『隠れ場所』に見放されたとかで。いい気味と笑いつつも、でも、そんなに嫌じゃない自分がいた。
陸仁が歩き出す。
志成が立ち上がって、私に手を差し出した。
「ほら、行こう」
「――えぇ」
出会ったときから変わらない温かい手のひら。私はその手のひらを握って、志成と歩き出す。その手はずっと、つないだまま。
私の口元は、微笑んでいた。
終




