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女王と異能者の愛の狂想曲  作者: ましろ
四章 暗闇に手を伸ばして
20/26

【3】

 

「志成、どうして、こんなことをするのかしら?」


 詩の声が、微かに剣呑さを帯びた。スマホの光が詩を映し出した、その時だった。詩の背後に、馬のような『化け物』が現れると、すぱん、という乾いた音をさせて、詩を拘束していた『影』を切った。目を見開くオレの前で、くすくすと詩は笑う。


「詩……」


『化け物』は詩を守っていた。詩を守っていたのは、オレだったというのに。それが当然であるかのように『化け物』が詩の隣にいる。


「……っ、詩!!」


 オレの声が、暗闇に落ちたモールの中に響き渡った。


「詩、こっちにこい!」


 詩の隣にいていいのは、オレだけだ。オレが詩を守るんだ。詩もそれを知っているはずなのに、どうして。


「志成」


 でも、詩はこない。


「私ね」


 寄り添ってきた獅子の『化け物』の首筋を撫でながら、詩は言った。


「陸仁から志成を取り戻すの」


 オレは思わず、『化け物』と戦っている陸仁さんを見た。陸仁さんも詩の言葉が届いたのだろう、横目で詩を視認していた。


「オレを、取り戻す?」


 詩が何を言っているのか、いまいちわからない。


「そうよ。取り戻すの。取り戻して、私たちは本当の恋人になるの」


 ――本当の恋人に?

 詩は、何を言っているんだろう?


「詩、何言ってんだ。オレたち、もう恋人だろ?」

「違うわ」


 まるで縋るように言ったオレに、詩はばっさりと切り捨てた。


「志成、あなたも気づいているんじゃないかしら? 私たちは出会った当時から一人だった。一人で、そして、とても傷ついていた」


 詩が昔を思い出しているかのように遠い目をして、天井を仰ぐ。オレには死を告げに来た天使のように見えた。


「お互い傷ついていて、そして、私たちは独りがとても嫌だったのよ。だから、私たちは求めたのよ。心の隙間を埋めあう存在を」


 そうして、詩がオレを見下ろして、にっこりと、でも今度は困ったように微笑んだ。


「私たちはただ、傷をなめあって、心の隙間を埋めていただけに過ぎないの。それがいつしか、恋人になっていると錯覚してしまっただけのことよ」

「そんなことない!」


 知らず、オレは叫んでいた。


「オレは詩を愛してるんだ! 大好きなんだ! オレは詩のものだ! 詩も言っていたじゃないか! オレは詩のものだって!」


 ――恋人だと思っていたのは、オレだけなのだろうか?

 オレは本当に詩のことが好きだった。愛していた。可愛かったし、そりゃあ、女王様のようにふるまいオレは振り回されていたけれど、決して嫌じゃなかった。


「志成、現実を見て」


 詩は、言う。


「私たちは確かに一緒にいたのよ? でも、私たち――本当に、恋人同士だった?」


 恋人同士。

 そう言われて思い出すのは、ただ、詩と寄り添いあっていた日々だけだ。オレが詩に背中を預ければ、詩もまたオレに背中を預けて。もたれかかれば、もたれかかってきて。でも、それ以上は何も、ない。

 手をつないだことだって、数回だけ。

 抱きしめあってたのだって、寂しい時に温もりを求めただけ。

 そして、キスは一度もない。

 それが、恋人同時の触れ合いかと言われれば――そうじゃない。それくらい、俺だってわかっている。でも、オレはそれだけでも満足していた。隣に詩がいるだけでよかったんだ。それ以上を求めるのは贅沢だったんだ。

 でも、恋人って――?


「志成」


 ふと、気付けば詩が目の前に立っていた。


「詩……」


 そ、と頬を両手で包みこまれて、鼻先が近づいてくる。そのまま唇が触れ合いそうになる前に、詩が口を開いた。


「私は、志成と恋人になりたい。本当の、恋人に。だから、私は――志成のために、戦うわ」


 そうして、頬から温もりが遠ざかり、とん、と肩を押された。オレは抵抗しないままに、しりもちをつく。


「志成!!」


 陸仁さんが叫んだと同時だった。がちゃん、という何かが破壊された音とともに、目の前が真っ暗になる。


「詩? 陸仁さん!?」


 遅れて気づいた。きっと、詩が陸仁さんのスマホを壊したんだろう。だから光源が一切、なくなってしまった。こうなってしまっては、オレは『影』が使えない。


「志成、戦え!」


 暗闇の中から、陸仁さんが叫ぶ。


「詩と戦うんだ!」


 え、何で? そのオレの疑問が届いたのかはわからない。でも。


「詩を止めなきゃ、全てが破壊されるぞ!」


 それこそ、どういうことなんだろう?

 意味がわからない。

 でも、緊急事態ということだけはわかった。

 それを引き起こしているのも、詩だって。詩が元凶だって、わかっている。

 詩を止めなければいけない。

 止めなきゃいけないんだけど。

 一体、誰が詩を止めるんだ?

 オレ?

 オレじゃないといけないのか?

 オレが詩と戦わないといけないのか?

 詩を止める――それはきっと、言葉では届かない。それなら力でねじ伏せるしかないだろう。じゃあ、誰が力でねじ伏せるんだ? 陸仁さんは戦っている。オレは何もしていない。

 ――詩と戦えるのは、オレしかいないじゃないか。

 そうだ。オレしかいない。

 足が一歩、後退した。心臓がばくばくと痛いくらいに脈打っている。

 だって、そういうことだろ?

 オレが詩と戦わなくちゃいけないんだ。

 そんなの、――戦えるわけがないだろ!

 そう思った時には、オレは全力でその場から逃げ出していた。



 まさかとはまさにこのことだった。

 あろうことか志成が詩を置いて、逃げ出していた。


「志成、逃げるな!」


 けれど、足音が遠ざかっていく。俺を置いて逃げるなんて、あいついい度胸じゃないか。

 俺は目の前にいる『化け物』を手で殴った。手ごたえは、ない。こいつらには実態がないのか、素手ではどうにもなりそうになかった。


「陸仁」


 暗闇から、詩が囁いてくる。まるで死に神のような、囁きと気配だった。


「死んでよ、早く」


 マジで死に神かよ、と悪態をつきながら、オレは何とか『化け物』から距離を取った。ここは逃げるが勝ちだ。

 それに態勢だって立て直さなきゃならない。

 志成のためにも、詩のためにも。


「陸仁、逃げるのかしら?」

「まずはそうさせてもらう!」

「逃げるなんて、見た目通りの小さい男だったのかしらね?」

「外見は関係ないだろ!」


 この騒ぎが落ち着いたらあとで説教をしてやる! そう心に決めて、俺は駆けだす。


「詩! 一つだけ言っておく!」


 暗闇からの返事はないが、俺は構わずに続けた。


「このままだと、お前、死ぬからな! 死にたくなけりゃ、さっさと戦いを止めろ! わかったな!!」


 けれど、やっぱり暗闇からの返事はない。

 本当に、いい度胸してやがる、こいつも。

 俺は悪態をかみ殺しながら、逃げ出す。


「死ぬのはあなたよ、陸仁」


 そう、死に神と化した女王の言葉を背中で聞きながら。



 オレはひたすらに逃げ続けていた。

 光が一切ない暗闇の中、オレは何かに躓いて転んだり、ぶつかったりしながら、その場から一心不乱に逃げていた。

 オレが詩と戦う?

 いやだ。オレは戦いたくない。詩と戦うということは、詩を傷つけてしまう可能性があるということだ。いくら手加減をしたとしても、ちょっとした拍子に傷つけてしまうことだってあるはずだ。あの詩にケガを負わせるくらいなら、オレは戦いたくなかった。

 オレの脚がまた何かに躓いた。そして、派手に転んで、思いきり体を打ち付ける。痛みなんてどうでもいいから、早く、一刻も早く詩から逃げないと。そう思った時だった。


「――殺す」


 ふと、そんな言葉が聞こえてきて、オレは思わず息を押し殺した。


「殺す」

「ころす」

「コロス」


 不穏な言葉による合唱がオレの耳に届く。殺す? 一体、誰を? 違う、誰がこの言葉を言っているんだ?

 オレが闇に目を凝らした時、ぐい、と襟首をつかまれた。思いきりのどが絞まって痛かったけれど、「静かに」という言葉に、オレは大人しくそれに従った。


「志成、静かにしてろ」

「陸仁さん……?」

「あぁ」

「ぶ、無事だったんですね!」

「まぁな。というか、お前、よくも俺を置き去りにしてくれたな?」


 そういえば、陸仁さんの存在をすっかりと忘れていた。


「後で説教だ。とりあえず、ここから離れるぞ」

「え? どこに?」

「とりあえず隅に逃げる。ここにいたら、殺されかねないからな」


 腕を掴まれて引っ張られるままに歩いて、不思議と陸仁さんは障害にぶつかることなくすいすいと歩いていった。


「ここだ。ここで、息を殺して、周りの声に耳を傾けてろ」

「え」


 ぐい、と頭を下へと押されて、膝をつく。そして言われたとおりに、息を殺して、周りの音に集中してみた。


「コロス」

「殺す」

「ころせ」


 また、あの声が聞こえてきた。


「殺せ」

「ころせ」

「あいつを、殺せ」


 ずるずるとまるで引きずるような足音が聞こえる。誰が怨嗟の言葉を吐きながら、歩き回っている。想像するとすごい不気味だった。暗闇の中で何者かが殺意の言葉を口にしながら、徘徊しているイメージを思い浮かべると幽霊とかそれ以上に怖い光景だった。


「陸仁さん、あれは……」

「静かにしろ」


 すぱん、と後頭部を軽くはたかれる。そして、オレはまた口を閉ざした。


「ころせ」

「コロセ」

「あの女を、殺せ」


 ――あの女?

 あの女って誰のことだろう?

 ずるずると足音がまだ続く中で、陸仁さんがためらうように口を開いた。



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