【5】
「う、詩!?」
「志成!!」
困惑、戸惑い、驚愕、焦燥といった志成の声色に対して、詩は歓喜の声を上げた。詩は志成へと駆け寄ろうと走り出す。
しかし、突然動き出した詩に反応したらしい蛇のような『影』が、その体をもたげて詩へと襲い掛かった。
「詩!!」
「伏せろ、詩!!」
俺と、志成の声が重なる。詩は足を止めない。暴れている『影』を認識しているにも関わらず。
――あいつには危機感というのがないのか!?
志成が詩に手を伸ばす。
『影』が詩へと突進する。
俺は『風』を巻き上げて、思いきり放った。
『風』が勢いよく走り、『影』を文字通りに八つ裂きにする。縦横無尽に切り刻まれてぱらぱらと『影』の残骸が雪のように降る中で、詩は志成へと抱き着いていた。
「志成……!」
感極まったかのような詩の声に、志成はほ、と安堵した表情を浮かべていた。詩は縋るようにぎゅ、と志成を抱きしめている。
「詩?」
「志成……!」
会えてうれしい、という言葉を言わずに、笑顔がそう言っていた。照れくさそうに苦笑いをして、どこか落ち着きがなくそわそわしている。
そんなに会えてうれしいもんかね? 夜でも会うじゃねぇか、と心の中で突っ込んでおく。俺はとりあえず、そそそ、と危険な恋人たちから距離を取った。こういう色恋にいろいろと突っ込めば、痛い目に遭うのは俺だからな。俺だって、命は惜しい。
「詩、どうしてここに?」
志成は詩を引きはがして、その頬を両手で包み込んだ。甘い恋人の戯れのようだけれど、まるで子供に言い聞かせるように見える。
「私、陸仁を殺しに来たの」
「え、陸仁さんを?」
「えぇ、陸仁を殺せば、あなたは解放されるでしょう? だから、殺すの」
ためらいもなくさらっと言いやがった。
対して、志成は何とも言えない表情になっている。俺は志成の胸中なんて、わからない。何を考えているのか、何を思っているのか。まぁ、大体は詩のことなんだろうけどな。でも、そこで「わかった。殺そう」と詩に同意しないくらいには、志成にとって俺の存在は保護されているらしい。嬉しいか? いや、別に嬉しくもないか。
「詩」
「何かしら?」
「今、陸仁さんを殺されても困る」
あれ、俺の命はやっぱりどうでもいいのか?
「何でかしら?」
「オレが詩と一緒にいられなくなる。オレは詩さえいればいい」
「――それなら、どうして、一緒に居てくれないの?」
「詩も知ってるだろ? オレの『異能』は不完全なんだ。その『異能』がいつ詩を傷つけるかわかららない。オレは詩が傷つくのが嫌なんだ」
「別に構わないわよ?」
「え?」
「私、志成の『異能』で死ねるなら、それでもいいわ」
「……」
綺麗な笑顔とはこのことを言うんだろうか。にっこりと微笑む詩には慈愛に満ちていて、心からそれでもいいと思っているようだった。全幅の信頼、とでもいうのだろうか、それが〝愛〟なのだろうか。それには俺にはわからなかったけれど。
ただ、その言葉で志成がブチ切れたのはわかった。
「何でそんなことを言うんだ!!」
志成の怒声が、この乾いた空気を大きく揺さぶる。詩は目を見開いて、突然の出来事に理解しきれていないようだった。
「し、志成?」
「オレがどんな思いで今、こんなに必死になって陸仁さんから修業を受けてもらってると思ってるんだ……っ」
その言葉は、俺にはよくわかった。どんな気持ちで、どんな想いで言っているのかも。
「志成、何を言っているの?」
詩は、志成の心をよくわかっていないらしい。その手を志成へと伸ばすが、それでも怒られたことに躊躇いがあるのだろう、その指先が志成に触れることはなかった。
「志成? どうしたの? ねぇ?」
「詩」
「あ、もしかして、陸仁のせいなのね? それなら、私が何とかしてあげるわ」
「詩」
「志成、あなたが望むなら、私は何だってする。だから――……」
「詩、帰って」
「……え……」
「お願いだから、今は、帰って」
「志成?」
「帰れ!!」
響き渡った怒声に、詩の肩がびくり、と跳ねた。さすがの女王もお気に入りの騎士様には逆らうことができないようで、おずおずと志成から離れる。でも、浮かない顔で志成と視線を合わせるが、志成は何も言わなかった。怒られた詩は、志成に背を向けて歩き出す。そして、振り返ることもなく、詩は行ってしまった。
志成と俺が残されて、どこか気まずい空気が流れる。
「あー……」
俺は内心ではどうしようか、と頭を抱えながら、とりあえず志成へと近寄った。なんて声をかけたらいいかわからない。気の利いた言葉をかける手腕は年上とかそういうのは関係ないな、とか、場違いなことを考えながら、志成の顔を覗き込んだ。
「志成、大丈夫か?」
「……はい」
志成は、詩以上に釈然としない顔をしていた。きっと、詩の「志成に殺されてもいい」発言を、いまだに引きずっているのだろう。
「陸仁さん」
「ん、んん? 何だ?」
「お相手、お願いします」
「……いいのか?」
「はい。いいんです。オレがやることはただ一つだけですから」
そう言って、志成は『影』を自分の体にまとわせる。その自身の『影』を見上げて、憎々しそうに、もしくは、どこか切実な表情で、ただ口をきつく結んでいた。
* * *
もう土曜日になった。
志成に怒られてからもう二日も経っていた。
私は一人でぽつん、と駅前の広場に座っていた。空はあいにくの曇天。空気がじめじめしていて、不快指数が何とも言えない。私が見上げる先にあるのは、建設途中のビル。その中では志成と陸仁が修業をしているのだろう。
志成に怒られてもう二日も経っていて、夜はいつものように傍にいてくれるのだけれど、志成はどこか余所余所しくて、私も普段通りに志成に近寄ることもできなかった。言葉も交わさない。ただ、本当にいるだけ。
そんな状態が二日も続いて、どうして、こんなことになってしまったんだろう、と今でも苦悩している。
何がいけなかったの?
何で志成は怒ったの?
まったくわからない。私のせいで志成が怒ったのだから、私が謝ればいい。でも、私は何に対して謝ればいいの? 考えても、その正答らしい正答がわからなかった。仲直りしたい。いつものようにいたい。でも、それができない。
そのもどかしさと焦燥に、苛立ちが募る。
――もう、何もかもが気に食わない。
私には志成がいればよかったのに、それが上手くいかない。陸仁が来るまでは大丈夫だったのに、それがなぜ?
私は唇を噛む。
このままでは志成はきっと陸仁に連れていかれる。私は、志成を守られなければいけない。
それなら、私は陸仁を排除するまでだ。相手が『異能者』であろうと関係ない。私が弱くて、無力であろうと関係ない。私は志成のために、戦おう。
――オレは詩さえいればいい。
ふと、彼の言葉を思い出す。
そう、私も志成さえいればいいの。志成さえいればいい。そう、志成さえいれば。でも、でも、でも。
ねぇ、何で?
「どうして、こんなにも……」
不安を感じるのだろう?
私は志成さえいればいいのに。
志成も私さえいてくれればいいと言った。
でも、どうして? その言葉が真実だとわかっているのに。
――志成は本当に私のことを愛してくれているの?
疑念が、浮かんだ。
疑念。
その感情に、私は私自身に愕然としてしまった。
私はなんてことを思ってしまったのだろう? まさか、私が志成に対して疑念を抱くなんて。でも、一度抱いた不安や疑念はそう拭いきれるものではなくて。
志成は本当に私のことを愛してくれているの?
愛してないから、一緒に居てくれないんじゃないの?
愛してくれているなら、隣にいるはずなのに。
どうして?
本当に私のことを――そう考えて、私はその思考を振り払う。一度渦巻いた不安と疑念はぐるぐると頭の中で巡り続けて。その不安と疑念に、罪悪感が芽生えて、「何で恋人を疑う?」と責め立てる。
そう思ったのは、私が弱いから。
私が弱いからいけないの。
そのことに気付いたのは、昨日の夜のことだった。昨夜現れた『化け物』を相手に、志成が戦っている姿を見て、私はそのことに気付いた。
私が弱いからいけない。
だから、志成に不安を抱く。疑ってしまう。
怒られたのも、私が弱いから。無力だから。
それなら、私だって戦おう。
志成と隣に並べるように強くなろう。
強くなるには戦えばいい。志成だって修業をしているのだから、私がその間に怠けていてはいけない。それなら、どんな相手でもいい。戦うしかない。
今までも、志成に背中を預けて、隣で一緒に『化け物』と戦ってきた。だから、大丈夫。それに志成の戦い方も見てきたから、どんなふうに戦えばいいかはなんとなくわかる。『異能』がない私でも平気だ。戦って、強くなろう。
私は志成と待ち合わせとしている廃ホテルを抜け出して、一人で駅の近くにある美術会館へと来ていた。もう時間帯は深夜。夜もライトアップされているはずの広場は、外灯だけを残してすべて消えてしまっていた。
オレンジ色の外灯に照らされた広場は、ほんのりと暗い。オブジェも影を落として、不気味な様子を見せていた。
私はそのオブジェの一つである白鳥の背中に座り込んで、手のひらでナイフを遊んでいた。
こうして一人でいれば、『化け物』がやってくる。その『化け物』と戦って、強いところを見せれば、志成だって戻ってきてくれるはずだ。
私は遊んでいたナイフをぎゅ、と握りしめる。
ふと、私の頭上に影が落ちた。顔を上げて、確認してみると――、
「出たわね」
そこには、熊のような形をした『化け物』が私を覗き込んでいた。私は白鳥から飛び降りて、ナイフを熊に向ける。
全身が真っ暗闇に包まれている『化け物』はどこに目があるのか、口があるのかもわからない。表情も分からないのだから、どんな感情を浮かべているのかもわからない。
けれど、私を殺そうとしているのがわかった。
鋭い爪を私に向けて、前傾姿勢を取っている。
私も突きつけていたナイフを、構えた。
その時だった。
熊の『化け物』の様子がおかしくなった。体をぶるぶると大きく震わせている。
見たことがある。
それは、確か一度きりだったけれど。
そうだ。『化け物』が変化したんだった。変貌? 進化? どの言葉を使えばいいかはわからない。でも、はっきりと言えるのは変化を遂げたとき今以上に強くなったということだった。
私は思わず、一歩、後退する。
変貌した『化け物』相手にした時、私は太刀打ちできるだろうか?
動物を模した『化け物』の動きは単調で、その動きを見切ってしまえば私でも簡単に倒せた。でも、相手は正真正銘の『化け物』になろうとしている。そんな『化け物』を相手に、私は戦うことができる?
後退し続ける私の前で、どんどん熊の体が変化していく。
熊の頭部が軋み、首からもう一つ頭のようなものが生えてきた。さらに前足は大きく太くなり、けれど獣の前足ではなくその形状はまるで鎌。鋭い弧を描いた、カマキリの鎌のようになった。体もまた膨らんで、三階建ての美術会館ほどの高さになってしまった。
「え……」
本当の『化け物』が私の前にいる。
この展開は、私は予想していなかった。私に戦える? この小さなナイフ一振りと、ゆうに五メートルを超える化け物を相手にできるのかしら?
結果なんて、火を見るよりも明らか。
後退し続ける私の足。でも、私はその場で踏みとどまった。
「何で、私があなたごときに逃げなきゃいけないのかしら?」
私がなぜ『化け物』を相手に怖がる必要がある?
これに勝てなきゃ、私は志成の隣に立つことができない。
それなら、私は戦うわ。
恐怖で心臓がばくばくとうるさく訴えていた。でも、それが何? 私が何よりも怖いのは、志成と離れることよ。それなのに、なぜ、戦うことに怯えるの?
私はナイフを構える。
『化け物』は私のナイフよりも大きくて、鋭そうな鎌を私に向けた。双頭が私を睨んでいる気配がする。
そして、先に動いたのは双頭の熊の『化け物』だった。
地面を砕く勢いで走り出して、私へと突進してきた。それだけなら、避けるのは簡単だった。けれど、避けられない予想外の出来事があった。
――速い!
速すぎた。今まで戦ってきたどの『化け物』以上の速さだった。目で追うのがやっとの速さだから、もうすでに目の前に『化け物』がいる現状を呑み込むのに、遅れてしまった。
その鎌が私の首に添えられて、撫でられようとした時だった。
「詩っ!!」
真っ黒い『影』が、目の前の熊を吹っ飛ばした。大きな熊の『化け物』がいなくなったことで、目の前が急に明るくなった。何が起こったのかしら? いまだ理解が追いついてない私に温かい腕が回された。
「詩、大丈夫か!?」
「……えぇ」
志成は息も絶え絶えで、急いで駆けつけてくれたのがわかった。その腕がぎゅ、と私を抱きしめる。数日間得られなかった温もりを感じてうれしいはずなのに、でも、私は不服だった。志成だけだったらよかったのに。どうして、志成の隣には陸仁がいるのかしら?
「志成、連携を取るぞ」
「はい!」
陸仁がそう言って、志成が頷く。私から離れていく温もり。そして、私に向ける背中。
その光景に私は「どうして?」としか浮かばなかった。私は歯噛みをする。
目の前で熊の『化け物』を相手に、志成と陸仁が戦っていた。会って間もない二人なのに、その息はぴったりだった。志成が攻撃すれば、陸仁がフォローをして。陸仁が攻撃を仕掛ければ、志成がフォローをする。
熊の『化け物』は確実に、追い詰められていた。
どうして?
志成の隣にいたのは私だったはずなのに。
私と志成で『最強』だったはずなのに。
どうして、どうして、そこにいるのは私じゃないの?
私はただ突っ立っていた。
私は、何で無力なのだろう。私はただ見つめているだけしかできない。ただ二人が戦っている光景を前に突っ立っていることしかできない。
私は奥歯をかみしめた。私は、負けた。本当の意味で、負けた。
「ねぇ、何で私の大切なものを奪うの?」
陸仁に、志成を奪われてしまった。志成の隣を奪われてしまった。背中を任される信頼を奪われてしまった。
でも、無力な私にはどうすることもできなかった。




