【4】
オレは歯噛みした。
『影』が制御できなくなってきていた。少しでも気を抜けば、『影』が暴走する。気を抜かなくても、しっかりと意志を持っていなければ逆にオレが引っ張られそうになった。最初の頃はしっかりと把握できていたというのに、いきなりどうして。
「志成、持ちこたえろ!」
「は、はい!」
オレはしっかりと『影』の手綱を握っているはずだった。でも、『影』は周囲へとその触手を伸ばして、かまわずにどんどん壊していく。
「『異能』を意識しろ! 言うことを利かせるんだ!」
「わかってます!」
言われていることはわかる。でも、できない。ぎりぎりと、体がちぎれそうな痛みを何とか持ちこたえて、『影』を操ろうとしていた。けれど、『影』はオレを嘲笑っているかのように、まったく言うことを聞かなかった。
「志成! 集中しろ!」
さっきから集中している。でも、言うことを聞かない。そう言い返す余裕はなかった。『影』は天井をえぐり、壁を砕き、さらには床までも叩き割る。すでにこの建設途中のビルは、もうボロボロだった。
「ちっ」
陸仁さんが舌打ちをする。そして、風を巻き上げたかと思うと、暴れまわっているオレの『影』を叩き切った。そこでようやく『影』の暴走が終わり、オレの体から一気に力ぬけて、床にへたり込む。また視界が暗くなっていくのは、もう慣れ始めているオレの『異能』の代償だ。
「大丈夫か?」
「……はい。ありがとうございます」
声のする方向へと、オレは頭を下げる。
「目は?」
「見えないです」
「とりあえず、視力が回復するまでそのままでいろ」
「はい」
ふと、陸仁さんが動く気配がして、オレは首を傾げた。
「陸仁さん?」
「悪い。少し外す。お前はそこでゆっくりと休憩してから、もう一回練習してろ」
「? はい」
何が何だかわからないけれど、オレは頷く。そうしている間にも、陸仁さんの気配はなくなっていた。
オレはゆっくりと立ち上がって、周囲を探りながら、ようやく壁際へとたどり着いた。背中を壁に預けて、ずるずると座り込む。体の中で重く存在する空気という空気を深く深く吐き出して、オレはようやく一息つけた。
「詩……」
詩がここにいなくて、本当によかった。もし詩が近くにいればまた『影』の暴走のせいで、詩を巻き込むところだった。
『影』が暴走し、制御ができない現状に、オレはさらに溜め息を吐く。いつになったらオレはこの修業を終えることができるのだろうか。
「まだまだ先、か……」
オレの修業は夕方まで。夜になると詩が危険になるから、詩を守るために修業は見逃してもらっている。だから、夕方までは詩とは会えない。こんな状態だから、なおさら焦燥がつのった。
早く、詩と一緒にいたい。
あの温もりに触れたい。
隣にいないことがこんなにも寂しいものだと気づいたのはつい最近のことだった。隣にいるだけで勇気がもらえていたと気付いたのは最近のことで。オレは詩がいたおかげで、オレであれたんだと気付いたのも、最近のことだった。
「早く、制御してみせる」
今はまだ詩とは一緒にいられない。詩が傷つくくらいなら、オレは修業に専念する。その時はオレが寂しいのを我慢していればいいだけのことだ。でも、詩はどうだろう? 少しは寂しいと思ってくれるだろうか? わからないなぁ。詩だし。
ようやくオレの視界に光が戻ってきた。ぼんやりとした視界には、ボロボロとなっているビルの内部が映し出されている。建設途中ではなく解体途中のようだった。オレは苦笑いを浮かべる。
「さて、やるか」
詩と一緒にいるために。
遠くで『異能』が発動される気配がした。
おそらく、志成の『異能』だろう。視力を失ってから、約五分。その『代償』の失明の時間が長くなっているところを見ると、志成は確実に『異能』を使いこなしている。ただ、心配なのは暴走。それさえ何とか制御できれば、あとは平気なんだけど。
「まだ、道のりは遠いなぁ」
俺はぼやく。
志成のことも気になるけれど、今の一番の気がかりは『化け物』を操る『異能者』の存在。
――あの時、『化け物』が現れたというのに、その周囲には人影がなかった。普通なら、すぐ近くに『異能者』がいるというのに、そこにいたのは志成と詩だけだった。『異能者』がいたという痕跡すらなかった。
「何だ? 遠隔操作か? そうなると、見つけるのは厄介だよなぁ……。もしそうなら『異能者』を見つけるのは骨が折れるな」
志成の『異能』。まだ姿を見せない『異能者』。解決できない問題が山積みだった。立ちはだかる壁のことを考えて、俺は一人、溜め息をこぼした。
「詩、そういうわけだから邪魔をするのは許さないぞ?」
その言葉で柱の陰から現れたのは一人の少女だ。今日はすでに眼鏡をはずした女王様モードに入っていて、その表情は『不機嫌です』と訴えていた。
「我慢の限界なの。そもそも、どうして私が寂しさを我慢しなきゃいけないのかしら?」
志成と離れて三日目。志成が隣にいない生活というのは詩にとってとてもストレスを抱えるものらしい。自分の中でくすぶる苛立ちを発散させるために、ここへと来たのだろう。
時刻はすでに午後五時過ぎ。『異能』になれていない志成の相手をしていて、陸仁は疲労がたまっているだろうし。志成を帰した後の陸仁は疲れから無防備になっていて、殺す絶好のチャンスなはず。狙うならその時だから、今のうちに潜入して機会をうかがおう……とか、思ってたんだろうな。だが、おあいにく様。こんな建設途中のビルで派手なことをしてるんだから、このビルに侵入してくる人間がいないかちゃんと見張っている。無関係な人間なら追い出すが、知っている人間なら話は別だ。特に彼氏を思い過ぎている、女王さまならなおさら。もし、追い出そうものなら、きっとただではすまさないだろうし。
建設途中のビル――このフロアには、オレと詩しかいない。外の雑踏すら聞こえないここで、俺と詩はまるでこれから戦いでもするかのように対峙していた。
「何か、用か?」
「あら、用がないとここへ来ちゃいけないのかしら?」
「ここは立ち入り禁止区域だぞ?」
「そうしたのは、どこのだれかしら?」
「……俺だけどな」
「それともう一つ。私の前に『禁止』という言葉はないわ。私は私の思うがままに歩く。邪魔をすることは許されないわ」
「相変わらずの女王さまだな」
俺がこれ見よがしに大きな溜め息をついても、詩は動じない。それどころか、目元が鋭くなっただけだった。
「それで、お前はそのナイフをどうしようっていうんだ?」
俺が見つめる先にあるのは、黒い柄を持つ詩愛用のカッターナイフ。それを詩はくるくると遊んでいた。
「それに、殺気ぐらい隠せ。それじゃあ、奇襲をかけられないぞ?」
「何で奇襲しなくちゃいけないの? 私は正々堂々とあなたを処刑するまでよ」
「……さようですか」
詩はくるくると遊んでいたカッターを持ちなおして、俺に向かってナイフを繰り出した。けれど、その刃は俺をかすめもしなかった。避けたからな。
「何で逃げるのかしら?」
「そら、逃げるだろ。命の危険を感じればなおさら」
詩はナイフを再び構えなおす。その姿を見て、俺は内心でまた大きな溜め息をついて、歩く。詩がまたナイフを突き出してきたけれどそれを避けて、詩の懐に入り込み、その手のひらからカッターを叩き落した。
「動くな、詩」
静かに殺意をまとった『風』を、まるで喉元にナイフの切っ先を突き付けるように圧迫した。少しでも動けば喉が切り裂かれるような気迫と圧迫感なはずだ。ちりちりと痛いその張りつめた空気でも、詩はそれを絶対に表には出さない。それどころか眼差しがどんどん鋭いものになっていった。
「あら、私を殺すつもり?」
「いや? お前に危害を加えたら志成から「殺す」と宣告を昨日受けた。さすがにまだ死にたくはないんでね」
「さすが、私の志成ね」
「でも、お前がこうして俺の命を狙ってやってくるのは少し面倒なんだよ」
ぐい、と風で喉元を押した。苦しいのか、僅かに詩の眉間にしわが寄る。
「……お前は、本当に何なんだよ? 普通の人間なら、こういう状況だと怯えきるはずなのに、お前はそれどころか殺気が増していく。どうしたら、お前のような人間になるんだ?」
心からの疑問だった。どのように育てば、どんな環境に身を置けば、こんな子供に育つというのか。
「そんなこと知ったことじゃないわ。私にはいつも志成がいる。志成がいるだけで――志成との〝愛〟があるだけで、私は、私たちは無敵になれる」
誇らし気に詩は、まるで謳歌するように言う。なるほど? なるほどね? でも、それは違うだろ。
「お前らの〝愛〟は〝愛〟じゃない。〝愛〟ですべてがどうにかなると思うなよ」
それは前にも言ったことがあるセリフだった。
詩と志成の間にあるのは〝愛〟じゃない。そんな風に思うのはどうしてだろうか? それを俺はまだ見つけていない。でも、直感ではわかるのは、二人の間にある絆はそんな綺麗なもので繋がっているのではないことだけでは確かだった。
詩は、――何の反応もなかった。
ただ目を見開いて。けれど、頭の中でぐるぐると思考が駆け巡っているのが分かった。俺はしばらく様子を見守って。でも、次の瞬間には、
「うるさい!」
詩は拒絶した。
「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい!! あなたに何がわかるの!! 私たちは繋がっている、繋がりあっている! 愛しているし、愛されている! 間違いなんかじゃない!!」
「詩……?」
何をそんなに激しく怒ることがあるのか? 前とは違う反応に俺の方が困惑する。何でそんなにも怒るのかさっぱりわからなかった。けれど、詩は拒絶する。まるで恐れているかのように、ただ、拒絶していた。
「うるさい! うるさい!!」
「詩、詩!」
俺が名前を呼んでも、詩はまるで意識がここにないかのように、ただ拒絶を繰り返す。明らかに、俺の声は届いていなかった。いったい、どうしたんだ? どうしていいかわからずに俺が呆然としていると、
「私は、一人じゃない!!」
詩が一際大きな声で――そして、心から叫んだ。静まり返った空気が、びり、と反響する。残されたのは、その余韻だけで。詩の荒れた息だけが、耳につく。
「詩? お前……?」
俺が恐る恐る声をかければ、さっきの恐慌状態が嘘だったかのように、詩は俺を睨み付けてくる。
「さっさと志成を返して。さもなければ、殺すわ」
さっきのは幻だったのか? 俺は自分自身の記憶を疑うが、幻なんかじゃない。詩は叫んでいた。心からの声を。でも、今の詩はいつもの女王様に戻っている。取り乱したことをなかったことにしようとしているのかはわからないが、ただ、いつも通りだった。
俺も俺で、さっきの詩の様子を言及しようとは思えなかった。詩には詩なりの事情があるんだろうし。俺が詩の中にある何かに触れてしまっただけのこと。それに、詩は強く反応しただけ。そう思うことにしよう。追究してはいけない。心の中でそう決めて、俺も俺で、いつもの俺らしく詩と真っ向から対峙した。
「そんなに、俺が嫌いか?」
「さっさと血反吐を吐いて死ねばいいと思うくらいに大嫌い」
もう殺害レベルの嫌悪かよ。本当にさっきの荒れようは幻にしか思えない。
「詩、お前も分かれよ。志成はここで『異能』のことを把握しなきゃいけないんだ。把握せずむやみやたらに『異能』を使っていれば、危険な目に遭うのは他でもないお前なんだぞ?」
「私たちは平気よ」
きっぱりと気持ちがいいくらいに断言する詩に、どこからそんな自信がわくのだろうと逆に不思議に思う。詩はまたあのナイフを取り出してきた。本当に、何がなんでも俺を殺して、志成を取り戻すつもりらしい。
「詩、お前な……」
「あなたがいけないのよ? あなたが私たちの邪魔をするから」
もう女王さまには俺の言葉は届かないらしい。その剣呑な眼差しには、どす黒い憎悪しかなかった。
「……」
この女子高生は俺を恐怖に駆り立てるのが本当にうまい。その憎悪だって、普通の人間は持ち合わせない代物だ。それこそ、視線だけで人を殺せる、くらいの、恐ろしさだ。
――お前らの〝愛〟は〝愛〟じゃない。
もしかしたら、それが引き金になったかもしれない。
俺から見れば、こいつらの〝恋愛〟は、〝恋愛〟には見えなかった。詩が暴れて志成が笑っているだけ。何というか、そこに〝愛〟と呼ばれるものが全然見つからなかった。お互いが大切に思っているのは伝わる。でも、違う。それが何かわからないけれど、違うんだ。
「詩、どうお前があがいても、志成はまだダメだ。少なくとも、暴走を制御できるまでだ」
「うるさい」
俺の説得は、一刀両断にされた。もう、俺の言葉は彼女には届かないかもしれない。でも、相手は人間の少女だ。説得するより手立てはない。
「いいか、詩? そもそもお前、ここへ来ることを、志成に禁じられてるだろ? 見つかったら、怒られるのはお前だ」
「そんなこと関係ないわ」
「いや、関係あるだろ……」
聞く耳持たない詩は、ナイフを構える。
こうなるのだったら、あんなことを言うんじゃなかったと心の中で猛省しつつ、俺は『風』を吹かせた。こうなったら気絶させて、あの廃ホテルまで届けるしかない。このままだと志成に支障が出るし、何より相手をする俺が面倒だ。
けれど、
ドォン。
という、轟音が上の階から聞こえてきた。その轟音が次第に近づいてきている。どうやらどんどん床を突き破って落ちてきているようだった。
「また暴走しやがったな……っ」
志成の『影』が再び暴走を始めたらしい。本当なら、『異能』の感覚さえつかめてしまえば、暴走は滅多なことでは起こらない。志成は一度感覚を掴めたはずなのに、どうして?
暴走が起こる原因として考えられるのは、『異能者』の心が不安定な時だけだ。
志成は確かに今、心が不安定だ。
何しろ、『異能』という存在を知ったばかりで、それを恐る恐る使っている状況だ。そしてこうして修業を重ねていること。極めつけは、暴走した『影』が詩を襲おうとしたこと、だろう。
自分の『影』がいつ、詩を襲うかわからない。
その恐怖が、もしかしたら志成に根付いているのかもしれない。だから、無意識に『影』を恐れて、制御を失敗して、暴走する。
それが、今の状況なのかもしれなかった。
「志成……!?」
詩が目を見開いて、天井を見る。天井から塵が落ちてきて、大きく揺れていた。そして、天井がぶち抜かれて現れたのは、巨大な『影』。太くて長いそれはまるで大木のようだけれど、でも、そのぐにゃりとした体から見ると蛇のようにさえ見える。
「陸仁さん!!」
志成が切羽詰まった声を上げて、天井から飛び降りた。
「志成、これ、何だ!?」
「わ、わかりません! いきなりこうなって……!」
志成が天井から飛び降りてきて、説明をしようとした時だった。志成の目が俺から詩へと移される。




