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女王と異能者の愛の狂想曲  作者: ましろ
二章 平和を壊し敵は
10/26

【5】

 今日、私と志成はデートをした。

 志成は私をいろいろなところへと連れて行ってくれた。中央通りに下町に、美術会館に、駅ビルにモールまで。スイーツ巡りをしつつ、私たちは思いきり楽しんでいた。楽しくても、疲れは出てくる。休憩もかねて、私たちは中央通りのベンチに二人して座っていた。


「どうやって陸仁を殺す?」


 話題はそれに持ちきりで、私はいろいろと案を出したけれど、すべて志成に却下された。むかつく。けれど、志成の言うことももっともだった。


「相手は『異能者』。しかも『風』を使う。不意打ちとか、夜襲とかはきっとすぐに反撃されると思う」


 そう言われて思い出せば、確かに陸仁が扱う『風』は志成以上に自由自在に操っているようだった。しかも『風』のため広範囲で、飛距離もまた長い。普通の奇襲じゃきっと太刀打ちできないだろう。

 私たちは悩む。

 どうすれば陸仁を殺すことができる? それも確実に。

 いろいろなイメージを頭の中で巡らすも、出てくるのは簡単に避ける陸仁の姿。『風』を使い、見事に避けるか、『風』を操って跳ね返す、反撃するイメージしかわかない。

 だめね。

 全然、勝てるイメージが出てこない。

 悩んでいる私たちの目の前できゃっきゃと楽しそうに通過する恋人。その会話の内容はとても平凡で、退屈な物なのに、どうしてか楽しそうだった。


「……」


 瞬間、陸仁のことなんて頭から消え去っていた。私の視線はつまらない恋人たちを追っていた。取るに足らない、どうでもいい恋人たち。楽しそうに笑い、手をつなぎ合っている。それに、変な違和感を覚える私がいる。胸の奥が締め付けられるような、息が詰まるような、変な感覚だった。それが何かはわからない。考えても、心当たりを探してもわからない。わからないから無視をする。


「そうだ、詩」


 違和感を無視している私に、志成が体を寄せてきた。志成の温もりに、私は我に返る。本当に、意識がどこかへと行っていたわ。そうだった。今は陸仁をどう殺すか、という策を出し合っていた。それを忘れるなんてどうかしている。

 そんな私に気付かずに、志成はにやり、といつもの勝気な笑みを浮かべていた。


「罠、なんてどう?」

「罠?」

「そ。罠を仕掛けて、かかったとろころに二人でリンチ。陸仁さんだって罠にかかれば、慌ててすぐに態勢は戻せないだろうし」

「罠、ねぇ……」


 さて、どうかしら? それは何だか私の美学と反する気がする。どちらかと言えば私は正面からぶつかり合って、正々堂々勝利して、敗北者をいたぶるのが好きだ。

 でも、相手は『異能者』。

 私たちが真正面からぶつかっても、勝てる可能性はとても低い。

 それなら、罠しかないのかしら? と悩む。美学に反するのは確かだけれど、このままでは志成を奪われると考えると、――天秤はどちらに傾くかしら?


「詩、どうする?」


 志成の顔を見れば、志成は笑っていた。その口元には勝気な笑みが浮かんでいる。私の前でしか見せない、自信に満ち溢れた彼は、この作戦は絶対に失敗しないと自負しているようだった。

 志成のくせに生意気ね。と思うけれど、でも、今のはさすがは私の志成、と、褒めて遣わすべきなのかしら? 手口は幼稚で単純なもの。でも、だからこそ、大人の陸仁には予想外の罠なはず。それに引っかかってくれたら、それはそれで楽しいわよね。

 さて、天秤はどちらに傾く?

 それはもちろん決まっている。


「志成。あなたの作戦は必ず成功するのかしら?」


 志成が奪われるくらいなら、私の美学なんて塵に等しいの。だって、そうでしょ? 私のすべては志成にあるのだから。


「もちろん、オレが陸仁さんをやっつけてやるよ」


 志成が自身に満ち溢れた声色で、断言する。さすがは私の志成ね。けれど、


「志成?」


 私は志成を見る。違う、私は志成の『影』を見た。


「何?」

「どうして、『影』を操っているの?」


 普段、志成は昼間には『影』は使わない。昼間は『影』がくっきりと出やすいため、人目につく、という理由からだった。明るい日の下で、『影』がうごめいていれば、誰だって驚くし、気味が悪くなるだろう。

 でも、志成の『影』がうねうねと動いている。まるで何かを探しているかのような動きに、私は首をひねった。


「え?」


 志成は一瞬だけなぜか焦りの表情を浮かべて、『影』を見下ろす。そして、また慌てた様子で『影』を元に戻した。


「志成、どうかしたのかしら?」

「いや、ちょっと、興奮して」

「興奮?」

「うん。ほら、相手が『異能者』だからさ、まともな人間やあの『化け物』連中じゃない……」

「怖気づいたとでも?」

「違う! 何ていうのかな? どっちかといえば武者震いに近いな。ほら。強敵と戦えて、血が滾る! みたいなさ!」


 志成が困ったように笑って言う。それが本心で言っていることなのか、今の私にはわからなかった。だって彼は私には嘘をつかない。だから、きっと、それは本当のことだろう、と思う。思うのだけれど、志成の焦燥や狼狽した様子を見ると、彼が嘘をついているようにしか見えなかった。でも、私は疑ってはいけない。だって、志成だもの。私の志成なのだから、そこに疑いという余地はまったくないの。


「志成」

「何?」

「絶対に、殺すわよ」


 私がそう確認するように言えば、志成はきょとん、として、


「わかってる」


 いつもの勝気な志成の笑みに、私も笑う。疑問、不安をすべて押し殺して。


「志成、覚悟はいいかしら?」

「詩も、平気?」

「当たり前じゃない。さっさとあいつを殺して、平和だったあの時に戻りましょう」



 そう。

 私たちは陸仁を殺す。その作戦を今から決行しようとしていた。

 作戦はこうだ。

 この廃墟のホテルに陸仁を呼び出して、罠にはまらせる。そして、動けなくなったところで私と志成で全力で殺す、というものだった。

 本当はこの場所ではやりたくなかった。ここは私と志成のお城だから、血などで汚したくはなかった。でも、ここで作戦を決行するには大きなメリットがあった。一つは志成が人目を気にせず大いに『影』を操れるから。二つ目はここには誰も来ない。どんなに戦おうと、誰も気づかない。三つめは、ここで人殺しが行われようと誰も気づかないし、遺棄できる場所なんていくらでもある。それにここは私と志成の城。この城の内部構造を知り尽くしている。つまり私たちはとても動きやすい環境にある、ということ。

 それこそ、陸仁が所属する何とかという組織にすら、見つけにくいはず。

 だからここにした。ここに罠を仕掛けて、呼び出した陸仁がそれにかかればあとは簡単。私は手のひらの中にあるナイフを握った。左手は志成の手を握っている。その温もりが、握りしめてくれる感覚が、力をくれる。

 ふと、握っている志成の手のひらがぴくり、と動いた。


「志成?」

「来た」


 今、ここは志成の『影』によって包囲網が敷かれている。それはこの廃墟そのものではなく、廃墟の外にまで及んでいた。そんな広範囲に『影』を敷いているのだから、志成にとって辛いはず。でも、志成はにんまりといつもの自信に満ち溢れた笑みを浮かべていた。


「詩、準備はいい?」

「私はいつでもOKよ」


 くすくすと笑う。その笑い声だけが、室内に静かに響いていた。



「土曜日、『異能』のことで確認したいことがあるのでここに来てほしい」


 陸仁に招待状(といっても、ただのメモ用紙だけれど)を渡して、その約束の日。陸仁はやってきた。『異能』とあれば、さらには志成からの呼び出しとあれば、陸仁は来るよりほかにない。たとえ、それが〝罠〟と理解していても、ね。

 私たちが仕掛けた罠はとても単純で、稚拙なもの。

 それは〝落とし穴〟。

 本当に単純で稚拙なものだけれど、でも、ただ単純で稚拙なものだけじゃない。五階から一階へと落ちる落とし穴だ。陸仁は『異能者』だから、五階から一階へと落ちてもそう簡単には死なない。でも、不意はつける。陸仁を五階へとおびき出して、そこで落とし穴へと押し込み、一階へと落下したところで、志成が『影』を操り拘束。そして、私がとどめを刺す――という算段だ。

 簡単で、単純で、幼稚で、でも、陸仁はまさか落とし穴があるとは思わないはず。しかも、五階から一階へと落ちる穴だし。準備は万端。あとは標的がのこのこと現れるのを待っているだけ。

 今、陸仁はこのホテルの一階にいるようだった。そこで私たちを探すように一室一室、確認してるらしい。私にはわからないけれど、志成にはわかるようで、ときおり目を閉じては『影』を通して陸仁の動向を探っているようだった。

 私は時間を持て余して、ナイフを手のひらで遊ぶ。

 ここは五階の廊下だ。このフロアには十室部屋が設けられていて、残念なことにすべての扉が壊されて、そのぽっかりとした中の闇をのぞかせていた。

 その一室一室に私たちが張った罠がある。どこでもいいから誘い込むなり、押し込むなりすればあとは簡単だ。運が良ければ死ぬだろうし、運が悪ければ生き残るだろうけれど重傷は負うはずだから。


「志成、陸仁の様子は?」

「うん、階段を上ってる」

「ふぅん」


 エレベーターはあるけれど、電気が通っていないため、エレベーターは閉ざされている。開いたところで、動きもしないのならただの鉄の箱そのもの。だから、ここへと来るには階段で来るしかない。

 陸仁は慎重になって上ってきているから時間がすごいかかりそうだった。志成は監視で忙しい。私は何もすることがなくって暇だった。

 私はふらり、と志成から離れる。

 志成が私を気遣うそぶりを見せてくれたけれど、結局はそのまま放置。気になるなら声をかけてくれたっていいのに。つまらないわね。

 そのやりどころのない小さな怒りと、大きく持て余した暇と、これから起こるであろう戦いに向けての興奮や不安に、私はその辺にあった瓦礫の石ころを蹴る。からん、と遠くで蹴り飛ばした石ころが転がる音がした。

 私はさらに歩みを進めて、五階から見える九桐市の夜景を眺める。

 このホテルは小さな山の中腹にある。さらに私がいる場所は五階。窓から一望できる九桐市の夜景は綺麗だった。あんなごみダメのような町中で、どうでもいい人間たちが生活しているあの光。煩わしいと思うのに、こうして夜に輝いているのを見ると、まるで宝石のように見えるから不思議だった。

 私はその有象無象が生きる光を眺め、少しでも心を落ち着かせようとした。

 けれど。


「―――――?」


 ふと、目の前の風景が真っ暗になった。あの美しい夜景がまるで、闇色に塗りたくられたかのように、眼前が闇によって覆いつくされてしまった。

 違う。

 目の前に、何かが現れた。

 この夜闇と同じ色をした何かが私の前に壁として現れて、私がそれを認識できなかっただけで――……。


「詩!!」


 志成の怒声に、私は無意識にナイフを振るっていた。けれど、そのナイフを目の前の闇は踊るようにひらり、とよけてしまう。

 壁となっていたその闇色の体が動いたため隠されていたあの美しい町並みが再び私の視界に映る。綺麗ね、なんて感慨を抱く暇なんてなくって。私の前には闇色の何かがうごめいていた。

『化け物』だった。

 最近、私たちの前に現れてなかったからすっかり油断していた。


「詩、離れて!!」


 志成の言葉に、私は一目散に志成の元へと走った。『化け物』が追撃してくる気配に、でも、目の前で志成が『影』を私に向かって放っているのを見て、私は迷わずに走る。

 私の横を『影』が風のように奔るのを視界の端で確認して、私は志成の胸の中へと飛び込んだ。志成がためらいもなく、私をぎゅ、と抱きしめる。その力強さにこわばっていた体から力が抜けていく。自分がいかに危険だったのかと、恐怖を感じていたのかを痛感した。


「詩、大丈夫?」

「えぇ、大丈夫に決まっているでしょう?」


 心臓がばくばくしているのを、きっと志成はお見通しでしょうね。でも、それでも彼は何も言ってこない。それでいいの。私は大丈夫なのだから。そこに嘘と偽りはない。

 志成が私を守るように背後へと押しやる。それにムッとした私は逆に志成を押しのけた。


「詩。危険だよ」

「私だって戦えるわ」

「そうはいっても」

「私が可憐でか弱いお姫様だったら喜んであなたの後ろで隠れていたでしょうね。けれど、残念なことに私はそんなお姫様ではないの。そんなつまらなくて愚かな存在には成り下がりたくはないわ。だったら、私は共に戦う姫でありたい。そう思ってはいけないことなのかしら?」


 先ほどまで感じていた恐怖感はまだ心に強く根付いている。でも、私はそれさえも無視をする。ここで志成と戦わないで、何が最強の恋人だというのかしら。志成に隠れて逃げるよりは、私は恐怖と立ち向かい一緒に戦いたい。


「いや、嬉しいけど……、でも」

「男ががたがた言わない!」

「へい!」


 私はナイフを構える。

 志成もまた『影』で臨戦態勢へと移った。

 目の前には一体の『化け物』。スポットライトに照らされて、その闇のような体がくっきりと浮かび上がっていた。

 蝙蝠の形をした『化け物』。

 相手は一体。私たちは二人いるけれど、数の上でだけは有利。志成は『化け物』相手に、何度も戦っているし、『化け物』と戦った経験値で言うならそれなりだ。負けるというビジョンは、私たちにはなかった。違うわ。どんな強敵であろうと、私たちの前にあるのは勝利のみ。それがたとえ、苦しい戦いだったとしても。


「詩!」


 珍しく、志成の切羽詰まった声色で名前を呼ばれた。見れば、志成の横に巨大な猫が。私の横には大きなカマキリもどきがいた。

 一体じゃなく、三体。しかも囲まれている。それも、かなり接近されていた。気づかなかった。本当に気配がなかったため、こんなにも急接近されているとは思わなかった。

 優勢が劣勢になった?

 そんなことあるわけないじゃない。そう、私は笑う。隣を見れば、志成もまた笑っていた。その勝気な笑みに、私と同じ思いでいることがわかる。

 ――絶対に勝ってみせる。

 私たちはゆっくりと背中合わせになった。私の目の前にはカマキリの『化け物』が。志成の前には猫の『化け物』がいる。さらに私たちの横には蝙蝠のような『化け物』が威嚇していた。


「詩」

「志成」


 私たちは名前を呼びあう。


「「行こう」」


 その声と同時に、私たちは『化け物』へと躍り出た。



 私たちはまるで踊るように戦った。

 志成が『影』を使い、私はナイフで舞う。志成の息に私が合わせて、私の動きに志成がフォローをする。互いが互いを支えあいながら、私たちは踊るように『化け物』と戦い、カマキリ、蝙蝠と倒していった。

 追い詰められた猫の『化け物』は、怒り狂ったように毛を逆立させて、無音の雄たけびを上げる。その前足が志成の体を押しつぶそうとしたが、志成は自身の『影』で盾を作り跳ね除けた。私はその隙を見逃さず、志成の横から躍り出て、猫の前足を切り落とした。猫の前足が吹っ飛び、血のような黒い液体が体にかかる。猫は狂ったように身もだえているのを見て違和感が襲う。いつもなら少しでも傷つければ空気へと消える『化け物』が今回に限っては消えない。ほんのかすり傷でも消えるのに。どうして? 志成もその疑問があるはず。でも、消えない『化け物』は悲鳴をあげるかのように暴れ回っているのを見て、志成が冷静に『影』で縛り上げた。


「詩!」


 それはとどめを刺せ、という合図。私は志成の意図通りに、ナイフで猫の首を貫こうとした。これで猫は消えるはず。消えるといい。でも、


「っ!!」

「え」


 志成が苦悶の声を上げたとき、猫を縛り上げていた『影』が大きくうごめいた。何が起こったの? と理解する間もなく、私の体に衝撃が貫いて、気づけば私は空中へと体が放り出されていた。

 志成の私を呼ぶ声が聞こえる。

 でも、次第にそれが暗転していく。私の体は叩きつけられた。息が一瞬止まって、意識だって吹っ飛んだ。がしゃん、というガラスの音が聞こえて、視界の端でかろうじて見えたのはスポットライト。それは私がぶつかったせいで無残にも倒れて、電球が粉々に砕けていた。

 暗転したのは、スポットライトの明かりがなくなったせいだったのね、と、今になって理解して、気づけば私の体はごろごろと床上を転がり続けて、あろうことか部屋の中へと入ってしまった。

 暗闇の中で何かが動く気配がした。

 志成?

 それとも、『化け物』?

 そう思う間もなく、私は部屋の中央――皮肉なことにそこで止まり、私たちが仕掛けた落とし穴によって、床が崩れた。私の体は再び空中へと投げ出されて、途切れ途切れだった私の意識は落ちてしまった。



「詩!」


 やってしまった。

 オレは真っ逆さまに落ちていく詩へと『影』を使って救い出そうとした。けれど、光源を失った今では『影』は出てこない。オレが伸ばした手のひらなんて、彼女を捕まえることなんてできるはずもなくて。

 ただ落ちていく詩だけを見つめているしかなかった。


「詩ぁッ!!」


 気づけばオレは走り出していた。

 本当なら陸仁さんがはまるはずの、落とし穴。単純で、それこそ子供じみた罠だけれど、でも、まさか五階から一階へと続く落とし穴なんて誰も想像しないはずだ。それに陸仁さんがはまりさえすれば、あとはオレの『影』で拘束して、二人で叩きのめす。そんな作戦だった。

この穴は、普通の人間が落ちたら死ぬ高さ、だ。

 でも、陸仁さんは『異能者』で、陸仁さんがかかっても簡単には死なないだろう。陸仁さんには『異能』があるから、落ちた時に『風』を使って何かしらの対処をするはずだからだ。

 けれど、それは陸仁さんが落ちたなら、という話だ。そう陸仁さんが落ちたなら――『異能者』が落ちたなら、という話。

 けれど、今、落ちたのは誰だ?

 他でもない詩、だ。

 ナイフを扱えるけれど、でも、彼女は普通の人間。特別な力を持っていたり、肉体を持っているわけじゃない。本当に普通の女の子なんだ。

 その子が落ちていった。

 無防備に、転がって。落とし穴の底が抜けて、落ちて。五階から一階へと、放り出されて。その高さは一体、何m、だ?


「詩! 詩!!」


 オレは叫ぶ。叫んで、詩を求め続けた。

 もつれそうになる足で必死になって詩が落ちた穴へと向かう。

 詩が落ちた。その結果を想像したくない。想像なんてできるはずなんてなかった。オレの隣にはいつも詩がいて。詩が笑って。それなのに。

 オレの前に猫の形をした『化け物』が飛び出してきた。


「邪魔だぁっっ!!」


 いつもなら詩のナイフで傷つけても消える『化け物』が、なぜか、今回は消えなかった。そのせいで、詩があんなことになってしまった。どうして? 何で? 疑問ばかりが空回りする。でも、一つだけ確かなのは、こいつのせいで詩が傷ついたことだけだ。

 怒りと恐怖で思考なんか回っていない。目の前にいる邪魔者を殴り殺そうとした。でも、『影』が動かない。違う。『影』が、ない。


「っくそ!!」


 オレは咄嗟に胸の前で腕を交差させる。そこを、猫の『化け物』の前足が突っ込んできた。簡単に飛ばされるオレの体は宙を舞い、無様にも床の上を転がった。腕が痛い。体も痛い。どこもかしこも痛い。でも、何より、詩を失うかもしれない痛みの方が怖かった。


「詩、待ってて……オレが必ず助けてやる」


 力の入らない体を無理やり立たせようとする。がくがくと悲鳴を上げる体なんて無視をした。詩を助ける。絶対に、助ける。その意志だけで、オレは立とうとした。体がずきずきと痛み、血も流れているけれどどうでもいい。

 前足を切り落とされた形になっている猫の『化け物』が威嚇するように、体の毛を逆立てていた。でも、真っ黒に塗りつぶされたその体では、その表情がわからない。

 ふと、猫の背後から何かが現れた。

 トカゲ、蛇、馬、オオカミ――多くの動物を模した『化け物』だった。


「は、はははは」


 オレは笑う。

 別にこいつらが何体いようとかまいやしない。勝つのはこのオレだからだ。でも、今は戦っている場合じゃない。


「はははは!」


 オレは笑う。

 崩れた壁から微かに月光が差し込んでいた。それが幸運なことに、オレの体を照らし、『影』を作っていた。


「はははははは! ――邪魔だ!! そこをどけっっ!!」


 ありったけの殺意と憎悪を怒声に乗せて、オレは『影』を『化け物』に向かって解き放った。



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