逆行王子の失敗
この話を語るには、長い前提が必要だ。
異世界リブウィルは女神リブを崇める一神教の世界。そこに僕――ルーサは王族の次男として生まれた。次男とはいえ、僕は次の王と決まっていた。何故ならこの世界はすべて女神リブによって決められるのだから。長男のジュールはさぞがっかりしただろう。例え第一子であっても母親の身分が勝っていても、女神リブ様の神託が全て。そんな世界だ。三男のドレイクのほうがまだ気分的にはマシだったに違いない。この世界には魔術がある。それを管理するために、王家では代々健康な男子を一人、司祭としてリブ様を祀る神殿に差し出す。生贄、といって良いのかもしれない。一番魔力の強い三男のドレイクにはその役目が与えられた。
惨めなのは何の役目も与えられなかった長男のジュールだ。日々を腫れ物扱いで過ごし。弟に毎日優劣を、自分ではどうにも出来ないことで比べられる屈辱を味わう。彼が呪詛に手を出したのはそういう理由だった。僕とドレイクがいなくなれば、自分が王になれる。そう思い込んだジュールは呪われた魔法を使い、王家と王都を呪った。もちろん、そんなものを使ってただで済むはずがない。願いが叶うには代償が必要だ。彼は自分の命と引き換えにその魔法を使った。願いが叶えば死ぬように図った。ほんの一瞬でも、その身に王位が授かれば良かったのだ。そのために、世界を呪った。
命と引き換えにした魔法は協力だった。まず王が病床の身となった。さらに各地の神殿は悪臭と疫病に悩まされた。宗教と政治が結びついたこの世界では王にすべての責任がいく。何か悪政をしているのでは? 女神リブの怒りを買うようなことをしたのでは? と。
もちろん事実無根だ。しかし証明しようにも弁明しようにも身体が動かない。僕自身もとりたてて異常は無いのに、身体が異常に重い、疲れやすい、だるい、そんな謎の病気に見舞われた。表に出ない王達に業を煮やした国民から「あんな状態でよく王を名乗れるものだ」 「健康な人間と代わったらどうなんだ」 と中傷される。まるで気分を変えるために化粧を変えたの、と浮かれる女のように組織の頭を変えようとする。あの時は到底考えられないことだったが、もしかしたらジュールは自分でこの風潮になるように仕向け、それで自分の名が出たら乗っ取るつもりだったのかもしれない。しかし日陰者すぎて名前が出なかったのは本人も予想外だっただろう。
その時の三男、ドレイクは一番症状の軽いものとして何とか呪詛を解こうとしていたが、魔術を解析して分かったのは「強力である」 「この世界の生命ならたとえ女神リブでも手出しが出来ない悪魔の仕様である」 の二点だけ。
王も僕も絶望に苛まれた。誰が何のためにこんなことを? その時の僕達は何も分かっていなかった。ジュールが犯人だなんて全く思っていなかった。それくらい、彼は日陰者だったのだから。
ただ死にたくない一心で、国民の言うように誰か健康な人間に王位を渡してしまおうか、それだと誰が適当だろうか、と王と話したその時、ドレイクがとんでもない、と怒りを露にした。
「父上、ルーサ兄上。呪いのせいで伝統を変えるのですか? これが仕組まれたことならどうします? 女神リブ様の仰ることは絶対です、なのにそんなことで曲げるなんて。この世界の人間でどうにも出来ないなら、いっそ別の世界の人間を使えばいい」
王も僕も酷い暴論だと一笑に付した。そんなもの――この世界の人間には自分達でどうにかする力がありません、と言っているようなもの。腐り落ちる寸前であってもプライドは残っている。しかし、ドレイクは強行した。「リブ様に許可を頂きました。異世界の人間を呼びます」
これで呼ばれたのがせめて屈強な男だったのなら、傭兵みたいなものだと思えたのだが、現われたのは少女だった。ニホンのジョシコウセイでフジシロカレン、と名乗った。謁見の間で少し緊張しながら話す彼女は、見る人が見れば初々しいのだろうが……。
「あ、あの、ドレイクさんからお困りと聞きました。ルーサ様ですね? 私に出来ることがあるなら、頑張ります!」
あの時、初対面の僕は進行する謎の病気の中でイライラしてつい当たってしまったものだった。
「なら、帰ってもらえませんか。こちらにも世間体というものがあるのですよ。それにしても異世界の人間というのは随分暇なようで」
少女――カレンは顔を真っ赤にして涙目でうつむいた。ちょっと言われたくらいで簡単にへこむ。こんな精神力で何が出来る、とその姿すらイラついたものだ。
「何てことを! 花蓮、もう兄上達は放っておこう。死んだって自業自得だ」
「そんな、お兄さんなのに……」
「構うものか。誘拐同然で連れてこられたのに、協力すると言ってくれる、そんな少女を無下に扱うような人間なんてどうなろうが知ったことか」
末っ子というのは一番世間体に鈍い人種だ。わざわざ外の力を借りなければならない王家の体面なんて考えもしない。売り言葉に買い言葉で、僕は吐き捨てるように言った。
「僕もお前達のことは知らない。一切関知しない。金も出さないぞ。それでいいなら好きにしろ」
そう言って重たい足取りで自室へ戻る。面倒ごとを切り捨てる英断……だと思っていた。
「ルーサ様……」
部屋に行くと、侍女頭のリュシィがいた。僕が赤ん坊の頃から忠実な侍女としてよくやってくれている。この城で王族以外にリュシィに偉そうにする者は存在しないくらいだ。顔に刻まれた深い皺すら貫禄を感じてしまう。
「リュシィ、バカ弟が異世界の人間とやらを呼んだ。もちろん相手にしない。あんな馬の骨に頼る王家などあってたまるか。金を無心に来ても断るように。それからあいつ関連の資金の提供は停止しろ」
「かしこまりました。……それで、ルーサ様はこれからお仕事でしょうか?」
「いや……身体が重い。寝る。二時間経ったら起こしてくれ。それから西の神殿に顔見せだ。何が出来るとも思えんが」
「はい、ルーサ様。……」
どこか気落ちしたようなリュシィの様子。そりゃあ、子供の頃から見ていた王子がこのザマでは呆れたくもなるだろう。しかも国民の勢いで王から外されそうと来ている。鞍替えでも考えているのかもしれない。そうであっても、責める気にはなれないが。
数時間後、相変わらず重い身体を引きずって西の神殿に行くと、ドレイクとカレンがいた。
「何をしている?」
「好きにしろと言われたので、好きにしていますが何か」
「あ、ごめんなさい。でも、ここに困ってることがあると聞いたので」
二人を追い出したいのはやまやまだが、ここの神殿の売りは庶民も気軽に神域に入れること。王族であっても追い出す権利はない。……でも、もう少し前なら、権勢を誇っていた頃なら、それも出来たのかもな。今はただ、ふてぶてしいドレイクと、世界を助けに来た割に何故か男物の服を着ているカレンが、意味不明で腹がたった。
「カレン、といったな。何だその服は? 聖女の役割でこの世界に来たのではないのか? やる気がないなら帰ったらどうなんだ」
途端に羞恥に頬を染めて身を小さくするカレン。代わりにドレイクが怒った。
「部屋に行ったら荒らされていた上に金目のものもなかった。異世界の格好では目立って仕方ないからとりあえず僕のを……。母親のツテで当面何とかするつもりだが、兄上、これは貴方の仕業ですか?」
厳密に言うと、リュシィの仕業だ。命令したのは僕だが。まあそんなものはどうでもいい。苦境に立たされてこいつも少しは学んだだろう。
「それが何か? 王の意向を無視する反逆者としてお前を牢屋に入れても良いのだが? お前は王より異世界人が大事なのだろう? 大事なものを守るのに第三者の力を当てにするつもりか?」
「……くっ……兄上達のためにやっているというのに!」
悔しそうにするドレイクに、カレンが心配そうに話しかける。
「ドレイク」
「……行こう花蓮。大丈夫、結果が証明するさ」
ドレイクはカレンの腕を掴み、二人は僕を無視して先へ進んでいった。しゃくではあるが、後を追う形で僕も向かわなくては。ああ、足が重い……鉛を引きずっているようだ。
この神殿は女神リブが喉を潤したという伝説から、泉を囲うように作られている。そしてその泉は誰でも自由に飲んで構わない。水不足の年でもここだけは枯れない女神の加護を受けた場所……だった。
今は耐え難い悪臭のする濁った汚水しか湧いてこない。入り口には「水に触るな危険」 という看板まで立っている始末。それでも習慣として、月に一度王族がこの水を持って簡単な儀式を行う。その水は王族自身で持ってこなければならない。今は罰ゲームもいいところだ。
「……ホントにするのかよ?」
「怖いんだ? 意気地なし! いっくじなしっ!」
……確かに自由に入れる土地だが、この儀式の間は立ち入り禁止になっているはず。なのに子供の声がする。神殿の職員管理が杜撰になったのか。王族の権威がそれほど落ちたのか……。どちらにせよ、侮られてなければ起こるまい。思わず痛む心臓を押さえる。泉が視界に入る所まで行くと、少し先にドレイクとカレンの姿。その先に泉のほとりに佇む二人の男児の姿があった。
「意気地なしとか言うな! やるぞ!」
六、七歳くらいの男児二人が泉の前でどうやら度胸試しをしていたらしい。そして煽られたほうは容易く挑発に乗って汚染された泉に手を突っ込み……。
「危ない!」
カレンの叫びと男児の悲鳴は同時だった。泉に手を突っ込んだ男児は、熱湯を浴びたように爛れた腕を泉から引き上げた。
「な、なんだよこれ……熱い! 痛い! うわあああああああん!!」
「お、俺そんなつもりは……うわあああああ!!」
僕は遠くの世界の出来事のようにこれを見ていた。ただ、こんなバカの自業自得のようなことでも、どうせ王家の管理責任とか言われるんだろうと不貞腐れた気持ちになった。反対に、ドレイクとカレンは何か思いついたようだった。
「花蓮、あの腕に手を触れてください。大丈夫。貴女なら出来る。これは火傷ではなく、呪詛だから異世界人が触れば解ける」
「分かりました。ごめんね、少しだけ手を借りるね……」
カレンは迷うことなく爛れた腕に触れる。――治った。ひび割れた大地に雨が降ったように、ボロボロだった腕が一瞬で元通りになったのだ。火傷の少年は痛みを忘れポカンとしていた。
「さあ、次は泉です。大丈夫。……手が駄目になるようなことがあれば、僕もお供します」
「いえ、怪我人が増えるだけなのでお気持ちだけ。でも、ありがとう……。それでは、行きます」
カレンがおずおずと泉に触れると、さぁっと泉が元の澄んだ水面を取り戻す。
これが同じリブウィル人なら、奇跡を誉めそやしたものを。この時の僕はどうしても異世界人を認められなかった。どうして、僕達に出来ないことをああもやすやすと……よりにもよって異世界人が……。そう、嫉妬もあったのかもしれない。
「いい気になるな。自慢したいなら世界を救ってからにしろ」
奇跡を起こして沸き立つ二人を前に、僕はそう嫌味を言うしか出来なかった。
「これを見ても、まだ彼女が信じられないと?」
ドレイクは怒りの形相で非難してくる。じゃあ何だ、王族より仕事の出来る異世界人なんてプライドがズタズタになるようなものを認めろというのか。いや、頭では分かっている。認めて利用すればかなりの力になるだろう。それが出来ないのは、ただただつまらない意地からだった。
「信じてほしければ、全ての障害を取り除くのだな。それがお前達の目的なんだろう? 仕事が終わらないうちから評価を寄越せとは浅ましい」
そう言って泉の水を掬って司祭の待つ部屋へ急ぐ。このゴタゴタでだいぶ遅れてしまった。後ろから「兄が、申し訳ない」 とこれ見よがしに言っているのが聞こえる。同時にカレンの声も。こちらはおっとりとした優しい、とても落ち着く声だった。 「いいの。それくらいここは大変な状況ってことだと思うから。私やります。大丈夫。貴方がいれば、頑張れます」
不意に、胸に針が刺さったような感覚を覚えた。
◇
その日から数日間、重かった身体が徐々に軽くなっていくのを感じていた。ドレイク達が仕事をしているのだろうと思った。体調が良くなった、なら――政務だ。今まで後回しにしていたものを早く終わらせなくては。本当なら全快してから取り掛かるべきなのかもしれないが、そんな余裕もない。何から手をつけるか……ああ、あれだ。年に一度、リブウィル様の生誕を祝う儀式。巷では、この儀式の名を借りればどんな言い訳にもなると言われてるほど重要な儀式。余程のことがなければ欠席は許されない。だるい身体を引きずるように、儀式で使う祭具のチェックに入る。王宮の一番奥にその保管庫はある。
「あ、ルーサ様」
「お前は……」
……そこに何故かカレンがいた。開いた扉の前に、一人で。ドレイクは何をしているんだ? というか、呪詛を解くためにあちこち奔走しているのかと思ったが、暢気に城見学とは。
「珍しいものでもありましたか? 他所ではお目にかかれないものばかりですからね」
「あ、はい。凄く綺麗なものばかり……じゃなくて、私呪詛を解く道具を借りにここへ」
「誰かの許可は得ましたか?」
「いえ、その。ごめんなさい。現物見てせめて似たもので代用しようかと思って。本当に、見ていただけなんです!」
そのよそよそしい態度に何故か腹が立った。ドレイクならこうはいかないんだろうな。
「見ていただけね。白々しい嘘はやめるんだな。扉は開いているし、中も荒らされている。貴女以外に誰がこんな事をする?」
そう、僕がここに来た時、扉は開いていた。どう見ても彼女がやったとしか思えない。
「え、でも、私が来た時にはもうこうなってましたよ。それに私、鍵なんて持ってないし……」
「言い訳か? あまり人を不愉快にさせるものではない」
「……ごめんなさい。でも、本当に何も触ってないんです」
「では、今の謝罪は? 悪くもないのにしたのか?」
「それはその……」
「もういい。仕事の邪魔だ。早く失せろ」
詳しい事情も聞かずに追い出した。鈍くさいカレンは本当に目障りでイライラした。荒れた倉庫を整理しながら、ふと、そういえば長男のジュールもここに立ち入る許可を持っていたことを思い出す。そして儀式の際にいつも「王がその後継者だけが、女神の宝物に触れるのだな……」 と憎々しげに吐き捨てていたことも。
そこで初めてジュールが犯人だったら? と思い至る。しかしすぐその考えを振り払った。ジュールが犯人なら、身内の恥を第三者に何とかしてもらう現状は恥以外の何物でもない。それにジュールは権力も魔力も平凡なものだ。こんな呪詛を撒き散らすような力は持っていない。ジュールが犯人であるはずがない。
◇
それから僕の体調はゆるやかに回復していった。が、カレンのお陰だなんて思っていない。ただ、そう理解してはいても認められない。
本当にあの異世界人の仕業なら、世界に平和が戻ったらどう扱ったものか。功績を考えれば、世界の富を全部くれてやっても足りないかもしれない。あいつが猫を被ってるだけで強欲な人間だったら、かなりまずい。
大昔、一人の英雄をそれで殺して神の眷属にすることでお茶を濁した、なんて冗談みたいな話を思い出す。……割といい前例なような気がしてきた。
ふと自分が外道染みた考えになっていることに嫌気がさし、視察に訪れた風光明媚な土地で気晴らしにぶらぶらする。
縁が余程あるのだろうか。そこにはカレンの姿があった。ドレイクは周辺におらず、ただ汚い老人に縋られていた。
「ありがとうございます、ありがとうございます。貴女様が居なかったら、私は惨めに死んでいたことでしょう。これは心ばかりですが」
汚い老人はさっきまで病床だったのだろうか。しかしそう考えると、大差ない服を着ているカレンが嫌になる。女のくせに。
「そんな、お気になさらないで。私はしたい事をしただけなんです。それよりも私は病気が治しただけで、これからの生活をどうにか出来る訳ではないので、このお金はどうぞ、自分のために使ってください」
「なんとお優しい! 引きこもってばかりの王族とは全然違う。この天変地異に自分だけ安全な所にいてあいつらは」
「あの、お気持ちは痛いほど分かりますが、どうか誰かを貶める言葉は控えて。自分に返ってこないように」
「カレン様。本当に、貴女様こそ聖女です」
痛いほど分かる、ねえ。何気ない言い回しにも覚えのある自分は腹が立って仕方なかった。本当に清らかな聖女様なら、お前こそ誰も不快にさせないように立ち回ってみせろ。一人で誰にでも良い顔して何が……一人?
老人が行ってしまうと、僕はカレンに話しかける。
「ドレイクはどうした? 忠実な従者を気取る割にいつも傍にいないようだが」
思わぬ場所で思わぬ人物に会ったことに彼女も驚いたのか、一瞬ぎょっとした顔をする。あと少しだけバツの悪い表情を見せた。しかしすぐ落ち着き払って答える。
「彼も、お仕事があるから」
まさか常に金策に駆けずり回ってる、なんて元凶の人間には言えないとカレンは思った。カレンは人を嫌うのが苦手な人間だが、それでもこのルーサ王子にはどう接していいか分からなかった。仲良く、といかなくても、ただ普通にしたくてもルーサの方から冷たい態度を取られては……正直関わり合いになりたくない。
でも、何か事情があるのかもしれないと思いなおす。事情があるならとっとと解決してしまいたい。元の世界に早く帰るためにも。
「ルーサ様は、お困りのことはありませんか?」
「言っておくが、お前に助けられるようなことはない。お前も世話焼きというかお節介というか、すぐ首を突っ込んでくるな。図々しい」
「……すみません。けど、力があるのに黙ってはいられないと思って」
「そうか。その力が本物なら、僕の体調不良も治せるんだろうが」
「あ、試してみます?」
そう言うとカレンは物怖じせずルーサの手に触れた。女神リブが選びドレイクが連れてきたこの少女、行動力だけは無駄にある。
ルーサは嫌そうな顔をして振り払おうとしたが、触った瞬間に何か温かい力が流れ込んだように感じて出来なかった。どれくらい経ったか、もしかしたらほんの数秒だったかもしれないが、ルーサには随分長く触れ合っていたように感じた。そして身体がどんどん軽くなっていく感覚。異世界の、どこの馬の骨とも分からない人間の力に抱いていた偏見が消えていく。先ほどのあてつけすら可愛く思えるくらいの、女神の力。
「もう大丈夫かな? 終わりました」
手が離れた瞬間、名残惜しいと思った。そう考えた自分に裏切られたような気持ちになる。違う、これは、この女がお節介で押し付けがましいから、だと無理矢理納得させようとする。
しかし理性が叫ぶ。カレンは本当にそんな性格かと。そういえば、この女のことを何も知らない。今まで、知ろうともしていなかった。
「お前は、何でこんな……」
「え?」
「違う世界にまで来てよくそこまで出来る。僕はそこが理解できなくて気持ち悪い」
花蓮は困ったように笑うと、少しだけ本心を吐露した。
「本当は、何かしていなきゃ、と思わないと……」
そこだけ、見たことの無い真顔で言った。
「元の世界のこと思い出しちゃうから」
聖女の役割に浮かれる小娘、としか見ていなかった少女の新たな一面。無性に、慰めてやりたいような可愛がってやりたいような気持ちに襲われ、無意識に手を伸ばそうとした。が、そこでやっと忠実な従者が現われる。
「花蓮!」
ドレイクは花蓮を庇うようにルーサの前に立ちふさがった。花蓮が「話をしていただけ」 と言うが、用心深く疑い深く嫉妬深いドレイクは信じはしない。
「乱暴はされてないなら安心しました。でもどうせ、嫌みったらしいことを言われたのでしょう。兄――いや、この男は苛立ちをすぐ他人にぶつける人間だから」
むっとしてすぐ否定したかったルーサだが、ほぼ間違っていないことに気づき押し黙る。
「まあこんな男のことより、聞いてください花蓮。あちこちから援助させてほしいとの申し出がありました。貴女のしてきた事が評価され始めています」
「本当? これでドレイクが楽になるね」
「楽になるのは貴女ですよ。でもまだまだこれからです。貴女はもっと評価されていい人なのだから」
「私なんて。この力は私のじゃなくて、リブ様のお力だから」
「本当に、貴女は……」
目の前で行われる穏やかな会話が、無性に腹立たしかった。どうして、カレンにあんな風に微笑んでもらえるのが自分ではないのだろう? 僕だって、王子なんて立場でなければ。
もし、僕の方が魔力が多かったのなら、あそこにいたのは自分だったのだろうか。
ルーサがもう少し要領が良くプライドの低い人間だったなら、前言撤回してでも恥をかいてでもドレイクに謝り、カレンの傍にいられるようにしただろう。けれど、そうでなかった。だから、最初の結末は当然といえる結果になった。
◇
ドレイクと花蓮が呪詛を解いていくと自然に導かれる答え。これが全部出来るのは一人だけ。身分と暇のある第一王子のジュール。
強制参加させられた女神リブを称える儀式においてそれは暴露された。国民の過半数が王宮前に集まっている中、ドレイクがジュールを糾弾する。集まった民衆は口々に言った。
「やっぱり……」
「王家の内輪もめかよ。今代はクズしかいないな本当に」
「いや、ドレイク様は王家を出ている。そのうえで我らのために奔走してくださった」
「あの少女もだ! 見たことある、お袋の病を治してくれた少女ではないか!?」
「あの二人は別だ!」
突然人を押しのけて前に出て行ったドレイクと花蓮。しかも隅っこで大人しくしているジュールを突然糾弾した。儀式始めの挨拶を述べようとしていたルーサは呆気に取られた。
こいつらは何を言っているんだ? ではなく、自分が脇役のようになったことに。民衆の注目を一身に集めて称えられて。まるで、物語の主人公のようじゃないか。あいつらがそうなら、僕は――何だ?
そんなルーサを気に留めることもなく、ドレイクは目的を果たそうとする。世界のあちこちを混乱に陥れた犯人を暴き世間に知らしめる。
「兄上、信じたくありませんでした。他人同然に育ったとはいえ、血の繋がった貴方が世界を呪っていたなんて」
ジュールは光の宿らない目でじっと自分を責めるドレイクと花蓮を見ている。いや、よく見ると花蓮のほうを見ているのかもしれない。
花蓮は怯えた。罪を暴いた自分。恨まれても仕方ない。と思うくらいに、人のいい性格だった。その性格をよく解っているドレイクがジュールに追い討ちをかける。悪いのはジュールだけ、と示すように。
「兄上、貴方が倉庫から盗んだ宝物。貴方の部屋から出てきました。これが最後の呪詛ですね。花蓮……」
「分かった、触ればいいのね?」
花蓮が宝物に、儀式用の剣に触れた瞬間、光が溢れ女神リブが姿を現す。
『ありがとう、異世界の勇気ある者よ』
民衆は一斉に歓声を上げる。すっかり興奮状態でドレイク達が何を言っても許しかねない様子だ。ルーサはただ、それを遠い世界のように感じていた。御伽噺のように、超越した存在に認められ誰からも称えられて……自分は何なんだろう?
『そして私を呪った者よ。覚悟はよろしいですか』
不意に女神がそう言うと、一斉に視線がジュールに集まった。全ての元凶に。
ジュールは震えているように見えた。民衆から「今さら怖がってるのか」 と野次がとんだ。
しかしすぐに気づかされる。震えているのではない。身体の内側から沸騰しているのだ。ボコボコと何かが棲み付いているように段々膨らんでいく。呪詛返し――。
そのことに気づいた花蓮が駆け寄って助けようとするが、ドレイクに止められる。
「助けてもどうせ死刑台送りです。それよりはこのまま、世界を呪った者がどうなるのか、民衆に身体を張って示してもらいましょう」
「そんな!」
ジュールの口元がもごもご動いていた気がするが、風船のように膨らんだ今では分かるはずもない。最初は何が起こっているか分からなかった民衆だが、ジュールの異常な姿に悲鳴が溢れた。
やがてパンパンに膨らんだ風船は弾け飛ぶ。肉片が溢れなかったのは女神の意思だろうか。
間近でそれを見ていた民衆は嘔吐したり失禁したりで軽く騒ぎになった。身内の自分ですら、ただ現実感が湧かなくて他人事のように感じていたというのに、感受性が強いことだとルーサは思った。
◇
その後、ドレイクと花蓮は一躍人気者になった。いや、人気者どころではない。英雄扱いだ。王も王子も差し置いて。
逆境の中で民のために動いたとあちこちで誉めそやされる。
「私らでさえあの子達を疑っていたのに、よくやってくれたわ。素敵」
「ドレイク様にこそ王になってもらいたいものだが」
「まあ、形ばかりでもアレがいるうちはな」
「いなくなればいいのにな。ルーサ様が一体何をした? 一連の騒動を黙って見てただけの人間に、この世界の舵取りをさせるなんて納得いかないね」
城にこもっていても嫌でも聞こえてくる。世界中がこんな論調だと、城のメイドですらルーサを軽んじるようになった。ふらりと城内を歩いてメイドに会えば、彼女はあからさまに嫌そうな顔をして言った。
「あら、ルーサ様……いらっしゃったんですか。何か?」
統括しているリュシィがここ数日無断欠勤ということも拍車をかけた。……本格的に見限られたかな、とルーサは思う。
「……いや、ぶらぶらしていただけだ」
「そうですかー。でも今ここはお掃除中なので。よそへどうぞ」
早く出て行け、というムード全開なメイドに怒る気にもなれず出て行く。自分の城なのに。こんな状況を誰も何とも思わないのが今の普通だ。
「あ、ルーサ兄上。ようやく見つけた」
不意に呼ばれて振り返ると、ドレイクが花蓮を伴って歩いてきた。リュシィとともに城に居られなくするように仕向けたが、それも今となっては民衆からの格好の叩きネタだ。世界を救った二人をまだ出禁にするのかと言われ解除すれば、功績を出したら手の平返す卑怯者と言われた。まあ、世の中そんなものだ。それで、民衆に守ってもらえる人間が攻撃されてる人間に何の用なのだろうか。ジト目で見てくるルーサに笑顔で返しながら、ドレイクは明るく言う。
「兄上、俺、花蓮と婚約しました」
咄嗟に言葉が出ない。絶句する。……いや、そうなるかもとは思っていたけれど。
「いつから……そんなだったんだ?」
押し殺したような声で言うと、ドレイクは花蓮には見えないように口の端で笑いながら言った。
「少なくとも俺は初めて会った時から。ねえ、花蓮、君は?」
話を振られた花蓮は照れながらも答える。その様子を見ていると、ルーサは世界を呪ったジュールの気持ちが分かるような気がした。
「その、私は最初とか無我夢中だったし、いつからなんてはっきりは言えないけど、いつもドレイクが支えてくれてたから……」
頬を染めて言う花蓮。口の中に苦いものを走る。
「きっとどう転んでも、私はあなた以外なんて考えられない。つらい時に支えてくれたあなた以外なんて」
聞いていたドレイクは幸せそうに笑っていた。
花蓮の指には、綺麗な花のリングが光っていた。――それから、どうやって部屋に戻ったのか覚えていない。
心を反映したような暗い部屋の中でルーサはぼんやりと、恋路を邪魔する魔術はあっただろうかと考える。急に、部屋が明るくなった。
『不穏な気配がしたから来てみれば、ルーサ、貴方でしたか』
女神リブだ。不穏な気配? 言われてルーサは反逆じみたことを考えていたと自覚した。
『放ってはおけませんね。短期間で二度も世界を混乱させる訳にはいかない。それにこのままいけば、貴方は引きずり降ろされドレイクが王になる。元々はその資格の無かったドレイクが……。それは少し認められない。誰が王になるかは私が決めたことなのだから。ルーサ、貴方はどうしたいのです?』
女神にそう言われたルーサは、ポツリと本音を吐き出した。
「出会った頃に戻りたい。今度は、間違えないのに」
花蓮と出会った頃に戻りたい。そうしたら、ドレイクから引き離し、厚遇し、つらい時も励まして、民衆からの支持だって自分のものになるのに。
『そうね。それも良いでしょう。私も助けてもらうために呼んだ少女が冷遇されていたのは、残念に、情けなく思っていましたから。あの時は呪われて何も出来なかったとはいえ……。ルーサ、今度は間違えないようになさい』
それは呆気ないほど簡単に叶えられた。
そう、ここまでが長い長い前提となる。