【イベント話】レティシアのバレンタインデー
11章その後な関係でレティシアとカミルの話。
ただし、アリアにいないはずの人が普通にいたりするので、バレンタインデーというイベント共々、パラレルな設定ということでお許しください。
バレンタインデー。
刺すような冷たい風に身を縮ませながら、私は町を歩いていた。
紺色のポンチョ型のコートに、白い毛糸の帽子をかぶった姿。以前、町のお店でひーちゃんに買ってもらった服と、お姉さまに編んでもらった帽子の組み合わせなので、町中で浮くこともない。
帽子がうまい具合に顔も隠してくれるので、私が誰かばれることもない、はずだ。
雲ひとつない、澄んだ青空。
お日さまがぽかぽかと下界を照らしているのに、冷たい風のせいで体感温度はかなり低い。
これで風邪を引いたら何を言われるかわからない。気を付けなければ。
手には鞄を持っている。
その中に入っているのはチョコレートだ。
昨晩、お姉さまが恋人にあげるのだと、チョコレート製作を手伝わされた。ついでに、私の分まで。
おかげで寝不足だ。
お姉さまが言うには、バレンタインデーには好きな男の人にチョコレートをあげるらしい。
好きな男の人……
好きな……
寒いはずなのに、なぜか頬が熱を持ってくる。
確かに、私はカミルが好きだ。
カミルも、私を好きだと言ってくれた。
だが、それだけだ。
特別に、恋人になろうと約束をしたわけではない。
だから、こういうイベントで、彼にチョコレートなんかをあげてしまって、迷惑にならないだろうか。
それが心配なのである。
「うん、帰りましょう」
そう決めた時には、彼の家は目前にあった。
しかも間が悪いことに、病院の入口に、眼鏡をかけて白衣を身に纏ったカミルが現れた。
目が合う。
見つめあったのは一瞬。
カミルは手に持っていた鞄を後から出てきたお婆さんに渡して、何かを話すと、歩いていく彼女を見送っていた。
放置された状態でしばらく佇んでいると、お婆さんの姿が見えなくなるころになって、カミルがこちらを向いた。
「なにしてんの?」
近づいてくるカミルを見上げる。
バレンタインのチョコレートを渡しに来ました、なんて、素直に言えるはずがない。
こういう時はお姉さまの素直さが羨ましい。
無言でいると、カミルは首を傾げ、ややあってぽんと手を打った。
「キャロに用事? あいつ今日非番だっけ。でも、さっき出かける姿を見たぜ」
「そう……」
なんでそこで、自分に用事があると至らないのだろうか。
悪いのは素直になれない自分だと分かりつつも、察しの悪さに苛立ちを覚えてしまう。
ふいに、カミルが手を伸ばしてきて、頬に触れた。
何事だと、顔を上げる。緊張のあまり、頬が強張ってしまう。
多分、私の顔は真っ赤になっていたのだろう。それに気づいたカミルが、からかうような笑みを浮かべていた。
「体、冷えちまってるじゃん。うちでなんか温かいもんでも飲んでく?」
頷くと、手を引かれた。
マックス先生に見つかると怒られそうなので、裏口からこっそりと入って二階に上がる。カミルはお茶の用意をするというので、一緒には上がらずに、別れた。
カミルの部屋は一番奥だ。
気配を消すのと一緒に息を潜めていた私は、部屋に入ると同時に大きく息を吐いた。
コートを脱ぎながら部屋の中をぐるりと見渡す。
ベッド、たくさんの本が並べられている本棚、窓の横にある机。
ふと、視線が釘付けになる。
机の上には掌程度の包装された物がいくつも乗っていたのだ。おそらくは、チョコレートである。
見てはいけない物を見てしまったような後ろめたさで、とっさにそこから視線を逸らした。
「なに? もしかして、カミルってもてるの?」
そういえばそういう話をわざわざ聞いたことはなかった。
子供の頃はどうだったろうか?
あの頃は、今以上に悪戯ばかりしていたから、女の子たちの評判はそれほど良くなかった。
普段の言動から生意気そうで幼い雰囲気を醸し出しているが、黙って本を読んでいるときや、眼鏡をかけてお仕事をしている時は、多少知的な感じもする。
腹を立てることの方が圧倒的に多いが、寝込んでいる時は優しくもしてくれる。
お姉さまの見立てによると、彼の容姿は上の中くらいなようだ。
ちなみにシーガルさんは中の中らしい。
わが姉ながら、シーガルさんに失礼だと思う。
ともかく、お姉さま曰くところの『カッコイイ』カミルが、病人に対する時特有の優しい態度で接すると……と思い至り、「ああ」、となんとなく声が出た。ちょっとだけ、納得した。
そんなことを考えていたら、背後の扉が開いた。
ひゃっ、と変な声が思わず出る。
恐る恐る振り返ると、白衣と眼鏡を外した、いつもの出で立ちのカミルが立っていた。
「なにやってんだよ、座ってればいいのに」
「えー、と」
カミルはさして気に留めた風もなく、手に持つマグカップをふたつ、机の上に乗せようとして、気付いたようだ。
振り向くカミルから思わず視線をそらした。
「ふぅん」
ややあって聞こえてきた声に、横目でカミルを窺うと、彼はニヤニヤと、いやらしい笑みを浮かべている。
腹が立つ。
何故かは分からないけれど、苛立ちを覚えて、唇を尖らせた。
「なんですのよ」
「べっつにー」
含んだ様な笑みが本当に腹立たしい。
「これ、病院に来るバアさまがくれたんだよ」
こっちの胸の内なんて全てお見通しだというその瞳が気に入らない。
カミルはなんだか、私に好きだと言ってきてから、妙な所で余裕が出てしまったようだ。カミルのくせに。
だけどまだまだ甘い。
私はふぅんと興味なげに頷いて、包装紙をじろりと見た。
「その割には、若い娘が好きそうな可愛らしい包装が多いみたいですわね」
「う……。ほら、孤児院のちび共とか」
「手作りっぽいですけど?」
「……。いや、でも、義理だから」
本当は分かってる。チョコレートをもらったことに対して、カミルを責めることなんて出来ないことを。
だけど嫉妬という名の醜い炎は私の胸をじりじりと焦がしていた。
私はなんて嫌な女なのだろう。
沈黙が落ちる。
居心地が悪くなって、逃げてしまおうかと思ったその時、
「お前はくれねえの?」
こちらに向く瞳には、期待と緊張が含まれていた。
思わずつばを飲み込む。
私はひとつ頷いて、おずおずと歩み寄った。
鞄を開く指先が震えている。なんて意気地のない。お姉さまを見習え、私!
やっとの事で、チョコレートが入った箱を取り出し、カミルに差し出した。
腕を伸ばしてそれを受け取ったカミルは口元を緩めていて、なんだか嬉しそうだった。
私の視線に気付いた彼は、すぐにそっぽを向いてしまったけれど。
「食っていい?」
「どうぞ」
がさがさと音を立てて包装を解くと、四角い生チョコが現れる。
ちょっとラム酒の香りがする、口当たりの良い仕上がりになっている、はずだ。
カミルはチョコレートをひとつ摘み上げて、口に放り込んだ。
その眉間に微かにしわが寄せられるのに気付き、目を瞬かせた。まさか、失敗した?
カミルは指についたチョコレートを舌で舐めたあと、少しだけ申し訳なさそうな顔をして、こっちを見た。
「これ、ジェシカのと一緒に作ったろ?」
その一言ですべてを理解した。
私が作った物とお姉様が作った物とが、どこかで入れ替わってしまったのだ。
「ちょっとそれ貸して」
「あっ、俺の!」
私はコートも鞄も投げ捨てて、カミルの手から箱をひったくるようにして奪うと、チョコレートをひとつ、口に含んだ。
最初に感じたのは濃いアルコールの味。私が用意していたラム酒以外にも何かを大量に入れている。
さらには、得体のしれない謎の酸味が舌を攻撃してくる。
何をしたら、こんな味になるのか、皆目見当がつかない。
だから隠し味は止めろと毎回言っているのに!
「ほら、お茶飲め」
よほどひどい顔をしていたのだろう。カミルにお茶を勧められ、口の中に入っていたおぞましい物をなんとか飲み込んだ。
ほっと息を吐く。
「とりあえず、返せ」
伸びてくる手からチョコレートをかばうように、私は箱を抱きしめた。
「イヤ」
「何でだよ。俺が貰ったもんじゃん」
「だって、お姉さまが作ったものですもの」
「どうせ味付け以外はお前がやったんだろ?」
意外と鋭いと感心はするが、ダメなものはダメだ。
「明日、ちゃんとしたのを作ってきます」
「そっちはそっちで貰うから、それ、返せよ」
なんでカミルがこのチョコレートに執着をするのかは分からないけど、お姉さまが作ったチョコレートを食べさせるのはたまらなく嫌だった。
失敗作だからではない。
今日は、私以外の女の子からもらったチョコレートを、食べて欲しくない。
「別にいいじゃないですか」
「良くない。それは、俺が、シアから貰ったもんなんだ」
意味が分からない。
とにかく、このままではいつかチョコレートを奪われそうなので、私は余っていたチョコレートを全部口に放り込んだ。
あっと口を開けて、恨めしそうにカミルが私を見る。
「リスか」
チョコレートで膨らんだ頬を突かれる。
だが、実のところ私にはあまり余裕はなかった。理由はお姉さまのチョコレートの破壊的な味。
噛まずに、口の中で溶かして少しずつ飲み込んでいるが、これはお茶で一気に溶かして流し込んだ方がいいかもしれない。
だがそれを実行する前に、マグカップが取り上げられた。
何をするんだと視線で訴えようとしたが、身を強張らせてしまう。
だってカミルはにやりと笑っていたのだ。何かろくでもない事を思い付いた時の顔。
身の危険を感じて逃げようとしたが、後頭部を押さえられ失敗した。
ぺろりと唇を舐められ、あっと思った時には、何か、熱くて柔らかいものが口の中に入って来て、チョコレートをかすめ取っていった。
何が起こったのか、全く理解できずにいる私の目の前で、彼はチョコレートを咀嚼し、「まずっ」なんて文句を言いながら、私の手から奪っていったマグカップで喉を潤す。
間接キス? それどころじゃなく直接キスをされたし、そ、そ、そのうえ、舌まで……?
自身の上唇に付いたチョコレートを、ぺろりと赤い舌で舐め取るのを見た瞬間、背筋が、震えた。その様子はひどく扇情的で、頭に熱がこもり、心臓が早鐘を打つ。
目の前にいるのは子供の頃から知っているカミルなのに、知らない男の人のように見えた。
目眩がして、何も考えられなくなる。
「目ぇ瞑って、はい、あーん」
思考能力が奪われた私には逆らうことなんて出ない。
大人しく従うと、目を瞑る直前に見えた彼は、とてもとても機嫌が良さそうに口元を緩めていた。
口の中からチョコレートが奪われていく。
頭はぐらぐらして、平衡感覚がおかしくなり、息苦しくなってくる。
頭も体も溶けてしまいそうだった。
背筋がぞくぞくする。体から力が抜けていき、膝が震える。倒れてしまいそうだったが、カミルの腕が腰を支えてくれて、体が密着する。
チョコレートがなくなったあとも、その行為はしばらく続いた。
苦しくて、酸欠になりそうだ。
ああ、息苦しいのは物理的にだと気付いて、眉間にしわを寄せてカミルの肩を叩くと、ようやく解放された。
激しく息をしながら目を開くと、じっと興味深げにこちらを見ているカミルの顔がぼやけて見えた。
「うわぁ、お前、なんかエロい」
何ですって、失礼な。
カミルの指が前に流れてきていた私の髪を耳にかける。それがくすぐったくて、目を細めた。
「ねぇ」
「ん?」
「なんでそんなに余裕なの?」
「そうか?」
「うん。とても、慣れてるふうなかんじ」
「……。いや、すげえドキドキしてるって」
なんだか、はぐらかされているのではないだろうか?
そうは思うものの、手を導かれて、カミルの胸に手を置けば、確かに鼓動は早い。
「ほんとうだ。……わたしも」
彼の手を取って、先ほど彼がしたように胸に当てると、慌てて腕を振り解かれ、逃げられた。
眉をひそめて見上げると、何故か頬を染めたカミル。
「なに?」
「いや、これ以上はマズイって」
「これ以上って、なにするの?」
「何もしない。何でもない」
「よく分からないけど、さわってみなさいって、いってるの」
「え、怒ってんの? 調子に乗りすぎたよ、悪かったって。ごめん」
この人は何を言っているのだろう?
迫ると、慌てて彼は後ずさる。
何度かそんなことを繰り返していると、ベッドに躓いた彼が尻餅をつく。
ベッドの上に腰を掛けた状態の彼の頭はちょうどいい高さで、私は満足して笑うと、その後頭部に両腕を回し、抱きしめた。
「ね? わたしもドキドキしてるでしょ?」
「もしかしてレティシアさん、酔っていますか?」
「ドキドキしてる?」
「はい、ドキドキしてます」
私は鷹揚に頷いた。
カミルは渋い顔をして、半ば無理矢理に私の拘束を解いてしまう。
抱きしめている感覚が心地良かったのに、残念だ。
「シア、とにかく横になれ。水持ってきてやるから、それ飲んで少し寝ろ」
この人はさっきから何を言ってるんだろう。
人が楽しんでいるのに邪魔をしないで欲しい。
「ねえ、さっきの、もういっかい、して」
「もう喋るな。正気に戻った時に死にたくなるから」
「だって、きもちよくて、ゾクゾクしたの」
「分かったから、もう黙っとけ」
「カミル、いじわる。なによ、もてるからって」
「だからあれは義理だっつうの。ヤキモチ焼くんじゃねえよ」
「ヤキモチやいて、なにがわるいのよ。カミルがすきなんだから、しかたないじゃない」
「え? えーと……」
なんで変な顔してるのだろうか。
顔を真っ赤にして、そっぽを向いて、馬鹿じゃないの?
人と話をしている時は、ちゃんとこっちを見なさいよ。
「あなたのことが、すきだっていってるの。きいてる?」
「聞いてる、聞いてるから! マジでもう喋んな」
そう言って、無理矢理私のことを布団に押しつけた。
私はまだ眠くないのに失礼な。
でも、体を包む柔らかい感触が、とても心地よかった。
「正気に戻った時に同じ事が言えたら、何でも聞いてやるから、寝ろ。早く寝ろ。とっとと寝ろ。とにかく寝ろ。俺の心臓がもたない」
反論したい事はたくさんあるような気もするが、意識はもう微睡んでいる。
おやすみと言われて、頷いて、私はそのまま睡魔に抗うこともせず、意識を手放した。
*
目を覚ますと、そこはカミルの部屋だった。
カミルはいない。
部屋の中は薄暗い。外を見ると、随分と日は傾いているようだった。
ぐるりと部屋を見渡して、机の上で視線が止まる。
来た時にはたくさんのチョコレートがあったはずなのに、今は綺麗に片付けられていて、何も乗っていない。
ぼんやりとそれを見つめて、思わず布団を頭からかぶった。
胸が騒ぎすぎて痛い。
頭に血が上ってくる。多分、私は今、真っ赤な顔をしていると思う。
頭の中を占めているのは後悔のみ。
ああ、せめて記憶を失っていることができていれば。
消したい。記憶も私という存在も。
消えてなくなってしまいたい。
扉が開く音。
そして中に入って来た誰かは、机の前の椅子に座ったようだ。
「おい、狸寝入り」
バレているようだ。
布団からそっと顔を出すと、白衣を身に纏っているカミルと目が合った。
その顔は、新しいおもちゃを手に入れた時のように、とても機嫌が良い、笑顔。
ぞくりと背筋に悪寒が走る。
「覚えてる?」
「覚えていません!」
ふうんと、含む様な声。
ニヤニヤしてる。
ものすごくニヤニヤしてる。
正直、頭にくるくらいに、ニヤニヤしてる。
「で? お願い聞いてやろうか?」
覚えていないと言って怒鳴るのは簡単だ。どうせカミルは人を怒らせて遊ぼうとしているだけだ。
カミルめ、私を誰だと思っている。
何年あなたの友達をやってきたと思っているんだ。あなたの思考なんて全部お見通しだ。
彼の問いかけは諸刃の剣も同然。
ただし、逆襲する手立ては、私にとってもダメージは大きい。
だが、その手札を今切らずにいつ切るというのだ。このまま、しばらくの間、からかわれ続けるなんて耐えられない。
だから私は言ってやるのだ。
「キ、キスしてよ」
さあ、狼狽えるがいい。
顔を真っ赤にして、あっちを向いてしまえ。こっちを見るな。
私の心臓は、壊れてしまうのではないかというくらいに騒ぎ立てていて、全身は火がついたように暑い。
こちらこそ目を逸らしたかったが、それは負けを認めることのような気がして、そもそもカミルの反応を見ることができないので、ぐっとこらえた。
カミルの顔から、ニヤニヤが消えた。
彼は感情を消したような表情でこちらを窺っている。
純粋に私を観察をしているような、そんな顔。
な、何よその顔。そんな顔で見ないでよ。からかおうとしていた私が馬鹿みたいじゃない。
「ふぅん」
近づいてきて、ベッドに座るカミル。
布団を剥がれ、顔にかかっている髪を指で避けられ、私は負けを認めた。場数が違う。私にはこの人をからかうなんて無理だったのだ。
なんで逆襲なんて試みたんだろう。私のバカ。バカバカ。
「ご、ごめんなさい。嘘。私の負けでいいですから……」
布団をかぶって、せめて彼の視界から逃れようとしたがそれもままならない。
抵抗しようとした両方の手首を捕まれ、向かい合う。
「目、瞑って」
観念して、おとなしくそれに従おうとした時、目を瞑る直前に見えたカミルの顔は、機嫌が良さそうに微笑んでいた。




