【イベント話】バレンタインデーのディラック
4章の回想で出てきたディラックとゼリヴと+αのお話です。
ディラック、ゼリヴ、ヒツジ、トリスタンが同い年の友人で、ディラック以外の三人が聖騎士です。
バレンタインデー。
誰がどういう由来で始めたのか彼は知らないし、別に興味もない。――まあ、チョコレートを貰えるのは、嬉しいのではあるが。といった程度の認識である。
彼の手の中に、一通の手紙がある。
白い封筒に、何故か赤いハートマークの封が貼ってあるそれ。
『ディラック・ゾルクーグ殿
2月14日午後4時。
闘技場にて待つ。
ゼリヴ・フィクスラム』
「なんで、バレンタインデーに決闘なんてしたがるんだか」
うんざりとしたように呟いて、ディラックは廊下から外を見た。
陽は西に傾いている。
本日、彼は彼女との決闘以外にも約束がある。それは、彼が面倒を見ている王族の娘――レティシア・アリアとの約束だ。彼女に今夜は一緒に夕食を食べようと誘われていたのだ。
赤い頬をよりいっそう赤く染めてお願いをしている彼女の顔を思い出し、ついつい笑みを零す。
腰に携えた剣を確かめるように触れ、視線を上げた。
ひらひらとひらめく赤色のマント。
じっとその赤色の布を見つめる。
「実に良いところに現れたものだ」
ふむとわざとらしく唸ってみると、階段からディラックの目の前に降りてきた青年は振り返る。
黒髪の青年だ。名はヒツジと言うが、その名前で呼ばれることを嫌っている彼のことは「ひーちゃん」と呼んでいる。この王国の騎士団の最高名誉称号とも言われる聖騎士の階級を得ている、優秀な人物だ。
彼はじろりと半眼になって、ディラックのことを睨む。
「じゃあ、な」
突っ慳貪な態度で去っていこうとする聖騎士の首根っこを素早く掴み、それを妨害する。
「俺は今から用事があるんだっ」
「少しくらいなら大丈夫だよな、ひーちゃん。親友のために、一肌脱いでくれないか?」
「いやだ」
即答され、それは心外とばかりに驚いた顔を作ってみせる。実は、彼が拒否をすることくらいは予想済みではあったのだが。
「まぁまぁ。今日は仕事がたまっていて手が空かないからと、アイーダの誘いを断ったらしいよね、ひーちゃん」
ぎくりと彼の身体が強ばる。
ディラックはにこやかな笑みをたたえたまま、ヒツジの腕を引いて歩き出した。
「仕事も大変だろうけれど、たまには休まなくちゃね。なぁに。今からやるはずの仕事は、俺が責任を持ってやってあげるから。それで問題はないよな?」
ヒツジは、何も言わなかった。
闘技場。
西日を受けたグラウンドは朱く染まっている。
そしてその中央に立つのは、目が覚めるくらいの朱を閃かせている女。陽光に曝された金色の髪がうっすらと赤みがかって見えていた。
ディラックとヒツジは肩を並べて闘技場の中央へ歩いていくところだった。彼女が剣を抜いたのは。
ディラックは足を止め、いつでも剣を抜くことが出来るように、柄に手をかける。
「なんで、ひーちゃんも一緒なのよっ!」
巻き込まれたくないという思いからか、ヒツジはディラックから離れていく。
「審判は必要だろ?」
「なんのっ!?」
悲鳴混じりに叫ぶゼリヴのことを見つめ、ディラックは首を傾げた。
「だって、決闘だろう?」
「ちがーうっ!!!!!!」
よほど悔しいのか、地団駄を踏んで悔しがっているゼリヴ。
そんな様子を眺めているディラックは、億劫気にため息をついた。
「今日は何の日だと思っているのよっ。乙女の純情を弄ばないでっ!」
「乙女の純情か……おおよそ、ゼリヴには似遣わない言葉だよね」
その言葉が引き金となり、ゼリヴは利き腕に剣を取ったまま、地面を蹴って駆け出す。対するディラックは、疲れたように剣を抜こうと指先に力を入れ――止めた。
振り下ろされる剣の軌道を避けるように横にステップを踏む。
完全に振り下ろされた剣を横目で見て、再び指に力を込めようとするが、しばし迷ってやはり剣を抜くのは止めた。
ゼリヴは足を踏ん張って、剣を横に一凪させるが、その一撃すらもディラックは涼しい顔をしてかわす。
「すぐに頭に血が上るのは、悪い癖だよ、ゼリヴ。ついでに、頭に血が上ると、大振りになるんだよね、君は」
剣を振り上げたゼリヴの横に回り込み、その軸足を軽く払うと、いとも簡単にゼリヴはバランスを崩し、その場に尻餅をつく。
「あーん、もうっ!なんなのよー!!」
闘技場の硬い土の上に座り込んでいるゼリヴのことを見下ろし、ディラックは口元に涼しげな笑みを浮かべた。
「そんなことじゃ、聖騎士の称号が泣くよ、ゼリヴ・フィクスラム」
わざと挑発するような言葉を言ってやると、少し離れたところでヒツジがため息をついた。
むくりと起きあがり、剣呑な眼差しを向ける。整った顔立ちのゼリヴが怒りを面に表すと、それは背筋が氷るほどの迫力がある。が、ディラックはそんな物はお構いなしである。
「あんたなんて、叩ききってやるっ!!!」
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闘技場。
辺りは薄暗く陰り、少し離れたところの物すらも判別できなくなりつつある。
「まあ、なんだ。冷静さを失った状態で、ディラックに挑んだのが、敗因だよな」
ぽんぽんと慰めるように、ゼリヴの肩を叩いたヒツジが苦笑いを浮かべる。
「あーん。全部ディラックが悪いのよー」
全身を痣と刷り傷だらけにした美女は、ぼろぼろとその双眸から涙をこぼしていた。結局一度も彼に剣を抜かせられなかったことが、また悔しい。
「私はチョコを渡したかっただけなのにー。何で気付いてくれないのよ?!」
「闘技場なんかに呼び出されたら、誰だって勘違いするって」
おそらく、ヒツジが同じ内容の手紙を受け取ったとしたら、本気で武装をして訪れそうである。その辺の町娘ならまだしも、相手はアリア初の女聖騎士で、数々の名誉を欲しいがままにしている、ゼリヴ・フィクスラムなのだし。
――今の彼女からは、見る影もないが。
「せっかく、キャロに手伝って貰って、すっごくおいしいのが出来たのにぃ」
懐に手を入れ、その力作チョコレートを出そうとするゼリヴ。彼女の行動パターンから考えると、やけ食いに走るつもりなのだろう。
ふいに、彼女の動きが止まる。
「どうした?」
問うと、
「ないの」
真っ青な顔をして、ばっと上着をはだけさせる彼女。
なんとなく視線のやり場に困りながら、ヒツジはあさっての方向をみやる。
「私の愛情、落としちゃったー!」
わぁっと泣き崩れる彼女を同情したような瞳で見つめ、ぽんぽんと背中を叩いてやる。
「なんでー。だいたい、ディラックはなんなのよっ。そんなに私って魅力がないのっ?!」
「まあ、あいつの場合は意図的だろうけどなぁ。だいたい……」
苦笑と共に漏らしかけた言葉を飲み込んで、建物の影になってほとんど見えなくなった太陽を見つめるヒツジ。
しばらくの間わんわん泣いていたゼリヴはむくりと起きあがり、ヒツジの鼻先に指を突きつけた。
「よし。いつまでも泣いていたって仕方がないわ。ひーちゃん、今から飲みに行くわよ」
「……いや、ムリ。俺、これから約束があって……」
太陽の位置を気にしながら、逃げようとするヒツジの腕をとって、ゼリヴは歩き出した。
「おい、待てッ、俺は……っ」
「今日はこれから仕事の予定よね? ミリカから聞いたもの。明日、ちゃんとひーちゃんがこれからやるはずのお仕事を手伝ってあげるから、心配しなくても大丈夫よ」
「……」
ヒツジは涙を堪えながら、ゼリヴに引きずられていった。
城の廊下を慌ただしく駆ける音。
「レティー!!!!!」
すでに日課となりつつある、この国の王子といとこの娘のおいかけっこ。
角を曲がってきた王子、トリスタンは周りを見ながら大声を張り上げている。彼は元々声が大きいため、その声量には思わず耳を塞ぎたくなる。
「くそーっ。今日は、早く騎士団の本部に行きたいのにっ」
そんな彼の羽織っているマントの裾は団子結びになっている。おそらく、彼のいとこの少女、レティシアがまた悪戯をしでかしたのだろう。
「ゼリヴなら、いないよ」
その言葉にぎくりと頬を引きつらせて、勢いよく振り返るトリスタン。瞬時に赤く染まる頬を見つめながら、心の中で可愛いよなぁと、本人が聞いたら激怒しそうなことを思ってしまう。
次の瞬間、手にしていた書類が派手な音を立てて床に落ちていく。
「さっき決闘をしてきたところなんだ。……もう、帰ったんじゃないかな?」
少しだけ罪悪感を覚えながら、かがんで書類を拾っていく。
トリスタンはがっくりと肩を落とし、大きくため息を付いたようだ。
ふと、ディラックは彼のマントにくくりつけられている物に気が付いた。赤いマントの結わえられているその中に、青い包装の何かがある。
「いや、深い意味はないんだぞ。少しな、南東の砦の件で用事があっただけで。実は、北側の壁に……」
「それはいいんだけどさ、トリスタン。この書類、一枚足りていないよ?」
書類を順にそろえていたディラックは、七枚目が抜け落ちていることに気付いてそれを指摘する。
トリスタンは悲鳴を上げて、辺りを探すが、書類は落ちていない。ディラックから渡された書類を受け取り、彼は別れの挨拶も述べる余裕もなく、疾走していった。
その後ろ姿を見ていたディラックであるが、ゆっくりと視線を横にずらし、物陰に隠れている小柄な少女を視界に映した。
「あまり悪さばかりしていると、本当に嫌われるぞ」
「トリスタンになんか、嫌われたって平気だもん」
辺りを憚りながら現れた彼女、レティシアはディラックに駆け寄る。
彼女を抱き上げてやると、彼女はそこが定位置だとばかりに満足しきった表情をして、彼の首に腕を回す。
「ねぇ、ねぇ。今日はバレンタインデーなの。あたしね、料理長に教わって、手作りチョコを作ったの」
「へぇ。レティシアの手作りチョコか。ちゃんと出来たのかい?」
問うと、彼女は頬を染めてぼそぼそと呟く。
「あたしのは失敗ちゃって、ほとんど料理長にやってもらった」
ふと、レティシアは何かに気付いたように眉を上げ、ディラックの懐に入っている赤い包装紙に包まれた箱を取り出した。
「チョコだ。ディラックの恋人さんから?」
「まさか。闘技場に落ちていたのを、拾ったんだよ」
そう。それは決闘後。城へ戻るために通路を歩いていた時、足下に落ちていたそれに気付いたのだ。ご丁寧にも、その箱には宛先が書いてあった。
――『ディラック・ゾルクーグ様へ』と。
しかし、中を開けてみても差出人は記されてはいなかった。
「拾い食いはダメだよ」
「確かに毒でも入っていたら、困るなぁ。まあ。せっかくだから、食べてみようかと思っているんだ」
のんきに笑いながら、ディラックはチョコレートの入った箱へと一瞥をくれる。
そんな彼の横顔を見ていたレティシアは、ふてくされたように頬を膨らませていた。
「そんな、誰からかも分からないチョコより、あたしのチョコの方がおいしいもん」
「それはちゃんと分かっているよ」
その言葉に満足をしたのか、レティシアは再びディラックに抱きついてきた。
焼き餅を焼いている小さなお姫様に苦笑いを浮かべながら、ディラックは歩みを再開させた。
――チョコの差し出し主の予想は出来ていたのだが、怖いので本人には確かめられない。
こっそりとそんなことを考えながら。




