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フィアンセバトル  作者: きなこ
11章 ジェシカ
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ジェシカ11

 出立の朝は、少しだけ物悲しい。


 早朝。

 朝日が鋭く差す王城の入り口。ひんやりとした空気は、もう夏が終わったことを告げてくれているようであった。

 他国からの来訪者たちは馬車を背に立っていた。


「せっかくナファイラ殿をけしかけようとしたのにっ。レンの思惑は外れたぞ」

 不満げに吐き捨てるレン。彼女の向かいに立っているシーガルは疲れたような顔をして、肩を落としていた。


「だが、レンはシーガル殿達を祝福してやるぞっ。しかし、やはり悔しいのぅ」

 かかかと豪快に笑ってシーガルの肩を叩く。

 ジェシカもまた、苦い笑みを浮かべるだけであった。なんとコメントをすればいいのか分からないのだ。謝るのは失礼であるし、と考えて、とりあえず礼だけを述べる。


「だから言ったじゃん。けしかけるのは、ちょっと軽率だって」

「そんなものは、実行する前に助言されないと仕方がないぞっ」


 横からちゃちを入れてくるカミルに対し、眉を吊り上げて怒鳴るレン。

 そのカミルは片手に大きな鞄を持っていた。このままダンたちと共にターチル入りするらしい。レンたちとの別れより、彼が去っていく方がやはり寂しく感じられて、ついつい胸が切なくなる。


 じっと見つめていると、その視線に気づいたのか、カミルが視線を返す。微かに唇を尖らせて、不機嫌そうに。


「なんだよ」

「んー。行ってしまうんだなぁって思って」

 感慨深くて、ついついしっとりとしてしまうと、カミルにわしわしと頭を撫でられた。


「一、二年したらまた帰ってくるって。それよりも、さ……」

 少しだけ気まずそうな表情で、背後にそびえる王城を見上げたカミル。

 それにつられて振り返ったジェシカは、かすかに息を吐いて、彼の言わんとしている事を察して頷いて見せた。


 この場にはジェシカの周りにいる人間以外にも、本日帰国するダン、ヤン、ナファイラ、そして見送りにキャメロンやヒツジ、マックスらの姿もあるが、レティシアはここにはいない。

 彼女は誕生日の日から滅多なことでは部屋から出てこなくなったのだ。様子を見に行ったキャメロンの曰くところによると、『ふて寝』らしい。


 とんっ、と肩を叩かれて、ジェシカは横を向いた。そこには穏やかな笑みを浮かべているキャメロンが立っている。


「シアのことは、僕に任せてくださいね」

「ジェシカっ。お前に任せるからな」

 憮然とした顔で、キャメロンを無視してジェシカに訴えるカミル。はてと首を傾げて、ジェシカは唇に指を当てながら問うた。


「キャメロンさんに渡したくないなら、連れて行ってあげればいいのに」

 ちらりと横目でこちらをみやり、目を伏せて。不機嫌顔のままでカミルは自分の髪を掻いていた。


「そりゃ無理だろ。自分のことだけでも一杯一杯で、あいつの面倒まで見ていられる自信ねえもん。あいつ、体弱いし、お嬢様育ちだし。ましてあいつを食わせてやることなんて……なぁ」

「ま、それは仕方がないですよね。カミルは甲斐性なしですから」


 肩をすくめてキャメロンまでもが同意を示す。それに対するカミルは剣呑な眼差しをキャメロンに向けていたが。

 むむっと唸っているジェシカの前に、にたにたと何かを企んでいる顔をしているヒツジが現れた。彼はカミルとキャメロンの肩に手を回して、身をかがめる。


「賭けようぜっ。レティシアは、カミルのことを待っているかどうか」

 何を賭けるんだと呆れつつも、ジェシカはにっこりと笑って手を上げた。


「待たない」

 その言葉は、何人かの物が重なっていた。ジェシカ、カミル、キャメロン。そして、レン。眉根を寄せて、レティシアに同情するように息を吐いているのはシーガルだけで、その他の人間は互いの顔を見て笑っていた。


「俺も、あいつは待てないと思うから、賭けにならねぇな」

「人を何だと思っているんですのよ」


 高く澄んだ声にぎくりと身を強張らせて、一同は一斉に声の方へと顔を向ける。城から歩いてくるのはレティシア。彼女は据わった目で一同をぐるりと見渡し、不満を表すように唇を尖らせていた。


 彼女には言いたいことはあったのだろうが口は開かずに、後ろ手に隠していた、掌にすっぽりと収まる程度の小袋をカミルの顔面めがけて投げつけた。

「なんだよっ」

 右手でそれを取ったカミルが文句を言うと、レティシアはふいっと顔を背けてしまう。


「クッキーの差し入れですわよ。……それから、私は絶対に待ちませんからねっ。カミルなんて、大っきらい」

 ぱちぱちと、瞬きをして小袋とレティシアを見比べたカミルは、にっと口の端をつり上げて笑う。

「そりゃ、ラッキー。これで、俺もターチルの可愛い子と仲良くできるじゃん」

「わ、わ、わたしだって、他の人のこと好きになりますっ」


 ひっくと口元を引きつらせて、カミルのことを睨み付けるレティシア。

 と、いつの間に移動をしたのか、彼女の後ろに回り込んだキャメロンが彼女の肩を抱く。

「それってつまり、僕との浮気宣言ですよね?」


 かぁぁぁっと頬を真っ赤に染めて、拘束を解こうとしてじたばたともがくレティシア。

 しかし、非力な彼女の力ではそうすることも叶わずに。ひどく不機嫌そうなカミルの目の前で、キャメロンはレティシアのことを抱きしめていた。


 やがて、カミルは手を伸ばしてレティシアの手を引く。意外とすんなりと、キャメロンがその手を放したため、レティシアはすぐにカミルの胸に抱きとめられた。

 気まずそうな顔でそっぽを向くカミル。そして、その胸にしっかりと抱きついたレティシアは、その双眸からぽろぽろと涙をこぼし始めた。


 あらあらと思っているジェシカの目の前で、カミルは狼狽え、レンはレティシアを励まし、そしてキャメロンとヒツジは苦笑いを浮かべながらレティシアの頭を撫でていた。


「案ずるな、レティ。カミルに悪い虫が付かないよう、レンがしっかりと見張っていてやるぞっ!」

「げっ。余計なことすんなよっ」

 そんな言い争いをしているレンとカミルの声を聞きながらジェシカは踵を返した。


 彼らのことは放っておいて。

 ジェシカは笑いを堪えながら、すでに馬車に乗っているダンとヤンとを、窓から覗く。


「ふんっ、バカ王女め。貴様とそこの苦労人の治める国など、攻めるに容易そうぞっ。今の内にせいぜい、幸せに浸っているがよいっ」

 がははと豪快に笑うダンは相変わらず。


「もぅ、シーガルを怒らせると怖いんですからっ。大丈夫っ。魔法が苦手な頭領なんて、敵じゃないですわぁ」

 傍らに立つシーガルの腕に抱きついて、胸を張る。ダンの眉間に深い皺が刻まれた。


 ぷいっとふてくされたようにそっぽを向いてしまうダン。ジェシカは内心勝利の喜びに酔いしれながら、ヤンへと視線を変えた。そして、別れの挨拶を言おうとしたのだが。彼は何故か涙目で、ジェシカとシーガルのことを見つめている。


「ジェシカ……どうか、幸せに」

「うん。ありがとうございますわね、ヤン。ヤンも、幸せになって下さいねっ。結婚式には呼びますからね」


 へらりんと頬を緩めて手を振ると、ヤンはがっくりと肩を落として、そのまま動かなくなった。シーガルに促されてそれ以上は干渉せずに馬車の前から離れた。

 やがて、レンとカミルとを乗せて馬車は走り出す。

 手を振ってそれを見送っていたジェシカ達。


「さて。それでは、私もそろそろ行くとするか」

 馬車が見えなくなってから、今まで少し離れたところで事の成り行きを見守っていたナファイラはジェシカ達に向き直る。

 視線が交差するのは一瞬。

 どちらからともなしに微笑みを浮かべ、ぺこりと頭を下げた。


「それじゃあナファイラ、頑張って」

「ああ。ありがとう。ジェシカも、お幸せに」


 そう告げて、ナファイラはシーガルへと向き直って右手を差し出す。

 驚いたようにナファイラの顔と手を見比べたシーガルは、慌てて右手を差し出して、握手を交わす。


「シーガル殿も、これから色々と大変な事もあるだろうが、頑張るのだぞ。次に会うときは、もしや国家の代表同士としてやもしれぬがな」

「あ、はい。……精一杯がんばりま……いてっ!」


 悲鳴を上げて慌てて手を引いたシーガルの手は赤くなっていた。

 ナファイラはにやりと意地の悪そうな顔をしてシーガルを見たあと、ロキフェルに一礼を残して、踵を返した。


 彼が馬車に乗ると、ゆっくりと車輪が回って馬車が走り出す。

 一同は無言でそれを見送った。


「みんな帰ってしまって、寂しくなるねぇ」

 のんびりと呟いたのはロキフェル。

 未だ泣き続けているレティシアを横目で見やり、ジェシカはんーと背伸びをした。


「でも、また会えますわよ、きっと」

 そうだねと言わんばかりの顔をして頷くロキフェル。

 ジェシカもまたこくりと頷き、城の中へと戻っていった。




     *     




 そして、代わり映えのない日常が戻ってくる。


 ぱりぱりぱりと、頻繁に室内に響くのはクッキーをかじる音。時折聞こえるのは本のページを繰る音と、誰かが書き物をしているらしい音。


「んー」

 そして、うなり声。


 日当たりの良い応接室。

 窓から差し込んでくる日差しが、部屋をぽかぽかと暖めてくれている。ロキフェルは仕事で。そして、この部屋がお気に入りのレティシアは読書を。さらに、この部屋の最後の在室者であるジェシカは机に突っ伏して、難しい顔をして唸っていた。


「終わってみれば、なんて平凡な恋愛だったのかしらっ。こんなのでは、小説を真っ青にさせるどころか、ネタにもなりませんわ」


 シーガルのことは好きだし、彼とこういう関係になったことなど文句はない。だが、お目付役と姫など、ありきたりな物語であって、それは本来ジェシカが夢見ていた物ではない。


「どうでも良いじゃないですの。未だに独り身というわけでもないんですから」

 それといった関心はないらしく、本から視線も上げずにレティシアが口を挟む。

 そんな態度は相変わらずだが、気に入らない。


 じとっと剣呑な眼差しでレティシアを睨み付けたジェシカではあるが、ふと気付いてぽんっと手を打つ。


「そうだ、レティ。私の代わりに、小説も真っ青な恋愛を!」

「嫌ですわよ。面倒ですもの」

「あーーーっ。そんな、デュークみたいな事を言って! カミルを追いかければ、それでオッケーじゃないですのっ! 家族も国も捨てて、愛する人の元へ……」


 ここで返ってくる言葉はたいてい「馬鹿馬鹿しい」。それを予期して構えているが、いつまで経っても返事はない。

 おやっと首を傾げてまじまじとレティシアを見つめると、同時にロキフェルから叱咤が飛んでくる。


「ジェシカっ、余計なことを言うんじゃないっ」

 レティシアは俯いていた。表情はよく見えないが、その雰囲気は背後にどんよりとした真っ黒な雲を背負っていそうなくらいに落ち込んでいる。

 カミルのことなどもう知らないとよく言っているが、その実、引き摺りまくっているのだろう。


「そ、そうだ、レティ。ケーキでも食べないか」

 仕事をしていたはずのロキフェルは娘に駆け寄って機嫌を取り始める。

 ジェシカはあははと乾いた笑みを浮かべて、ぱくりとクッキーをくわえた。ロキフェルに怒られないうちに、レティシアが反撃をする気力を取り戻さないうちに、逃げ出そうと画策をする。


 その時扉が叩かれた。

 ロキフェルからの返事を待って扉が開き、シーガルが頭を下げて現れた。


「陛下。イ・ミュラー総帥から……」

「ああっ、シーガル君。陛下だなんて、他人行儀な呼び方はしないでいいんだよっ」


 諸手を上げて、にっこりと満面の笑みを浮かべるロキフェル。両手に書類を抱えていたシーガルは頬を引きつらせて、ふるふると首を振っていた。


「ジェシカとつきあっているなら、ゆくゆくは私の息子になるわけだからね。お父さんと呼んでくれて良いんだよ。あ、そうだ。婚約パーティはいつにしようか」

「え、えっと」


 シーガルは、とりあえずはロキフェルの元に書類を届けたものの、どう返答して良いのか狼狽えているだけであった。

 ジェシカはすくっと立ち上がり、にっこりと微笑んで彼の腕を取る。


「ちょうど良いところに来ましたわ、シーガル。社会勉強に行きましょう」

 その発言に、一同はぎょっとしてジェシカの事を見つめる。

 不自然なその反応に首を傾げて、ぐるりと視線を巡らせると、まず飛んできたのは呆れたようなレティシアの声であった。


「お姉さまったら、やっと恋人が出来たのに、また男漁りに行くなんて……」

「そうだぞっ、ジェシカ。シーガル君にまで見捨てられたら、大変じゃないか。恋人は一人にしておきなさい」


 そしてシーガルは無言で疑惑の瞳だけを向けている。


 ジェシカは頬を膨らませて、どんっと力一杯机を叩いた。


「人を何だと思っているんですのっ! 私は将来のために、社会勉強をしているだけですわ。だいたい、今ままでだって男漁りなんてしていません」

 だが、誰も肯定はしてくれない。

 唇を尖らせて、ジェシカは地団駄を踏む。


「私は、真面目に将来のことを考えて社会勉強をしていましたのっ!」

「将来の伴侶との出会いを探すため、でしょうけれど。しかも、全部失敗していましたし……」


 先ほどの仕返しか、そう返してきたレティシアのことをぎろりと睨み付け、ジェシカは肩をわななかせた。

 レティシアがロキフェルに注意をされているが、それには構わずにジェシカは踵を返して、ずかずかと大またで扉に向かって歩いていく。その途中で、呆然とこちらを眺めていたシーガルの腕をつかんで、引っ張るようにして連行をした。


「それでも、最終的には幸せだからいいんですの。出かけてきますわよっ!」

 そう言い残して、振り返りもせずに扉を閉めた。


 廊下をしばらく歩き、立ち止まる。

「ジェシカ様、俺、まだ仕事が……」

 相変わらず立場が弱いらしく、ジェシカの顔色をうかがってのシーガルの発言に、ジェシカはにっこりと微笑みを返した。


「だめですっ。今から、町に出かけるんです」

 反論をしようとして口を開いたシーガルに向けて指を突きつけると、彼は言葉に詰まって頬を引きつらせる。


「可愛い恋人のお願いは、ちゃんと聞くものですわっ」

「でも……」

「仕事と私とどっちが大切なのっ」

 がっくりと肩を落とし、シーガルは情けないうめき声を上げた。

「社会勉強のお守りは、仕事なんじゃ……」

 その呟きを聞いて、ジェシカは心外とばかりに首を傾けてシーガルの顔を覗き込み、腰に手を当てた。


「違いますわ、シーガル。あなたは今から、私とデートをするんです」

 ぱちくりと瞬きをしてジェシカを見つめるシーガル。

 にこにこと微笑みながら彼のことを見上げていると、やがて、彼の顔に浮かんだのは苦笑いの表情。


「分かりました。でも、お願いですから、あと一時間だけ待ってください」

「三十分なら待ちますわよ」


 じっと見つめ合う。ややあって、先に折れたのはシーガルの方だった。がっくりと肩を落として彼は弱々しく頷いた。

 へらっと頬を緩めて、ジェシカはシーガルの手を取って、足取り軽く歩き出した。

これでフィアンセバトルの本編は終わりです。

長いお話にお付き合い下さった皆様、本当にありがとうございました。



この先は番外編的な過去話や、クリスマスやバレンタインなどのイベントの時に用意した小話になります。

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