カミル1
「ねえ、デューク。私、のどが渇きましたわ」
ジェシカはにっこりと微笑みながら猫撫で声を出した。デューク相手に微笑むのは不本意であるが、目的のためには手段は選ばない。ジェシカはそんな人間だった。
そんなジェシカの心情など素知らぬふりで、デュークは川を見ている。
さらさらと流れていく水。デュークとジェシカの姿が透き通っていた水面に映し出され、ゆらゆらと揺れているのを眺めている、静かな時間。ちょっとロマンチックな状況だが、そんなものは好きな人と一緒でなければ意味など成すはずもない。何が悲しくて、デュークなんかと仲良くしなければならないのだろうか。
「ねえ、のどが渇きました」
先ほどよりも強い口調で言ってやるが、デュークは何の反応も返してこない。
いいかげんに頭に来てジェシカは歩き出した。しかしその腕をデュークに掴まれる。
睨んでみるが、デュークは相変わらず水面を見つめているだけだ。
「ちょっと、何か言ったらどうですのっ」
「……同じ手を二度も使おうとするなんて、単純ですね」
「どういう意味です!」
デュークはため息をつきながら、肩を竦めた。
「念のために言っておくと、これは社会勉強です。イ・ミュラー様がどうしてシーガルと俺と、二人をおもりに付けたのかよく分かりました」
ジェシカは悔しそうに地団駄を踏んだ。単純なシーガル相手ならばいくらでも隙はあるが、このひねくれ者のデュークにはそれが通用しない。
「ジェシカ様~。お待たせしました~」
間の抜けた声と共に現れたのはシーガル。
彼はにこにこと微笑みながらたい焼きの入った袋の口をジェシカに向ける。ジェシカは初めて見るそれを素直に受け取り、しげしげと眺めた。シーガルは自分の分のたい焼きも取って、最後に袋をデュークに渡した。
「最近寒くなってきたから、こういう温かい物が美味しいですよね~」
たい焼きが好きなのか、シーガルは橋の手すりに座りながら嬉しそうにそう言った。
デュークはたい焼きを食べながら、頭から食べようかしっぽから食べようか悩んでいるジェシカの方へ視線をやった。
「シーガル。姫さんがのどが渇いたと騒いでいたぞ」
「自分で買ってこれば良いじゃないですか」
「まあ、冷たい言い方」
「冷たくもなりますよ。ちゃんと小遣いを貰ってるのに、いつも俺に出させるんですから。おかげで、今月はかなり厳しいんです」
シーガルの文句を聞きながら、ジェシカは首を傾げた。
「ねえ、シーガル。あなた、結構位の高い魔道士さんでしょ? それなのに、そんなにお給料は少ないものなんですの?」
「それなりには貰っていますけれど……」
言いづらそうに語尾を濁すシーガル。その不自然さにジェシカは首を傾げた。そこへデュークが横やりを入れる。
「女に貢いでいるから、すぐに金がなくなるんでしょう」
その女とはジェシカの事を指している。鈍いジェシカにもそれは分かった。なぜならば、デュークはジェシカを見てにやりと笑ったからだ。
「誰が貢がせているですって?」
と言うジェシカの言葉を遮るシーガルの悲鳴。
「お前っ。余計なこと、言うなよっ」
「……」
ジェシカは瞬きをしながらシーガルを見た。この反応は本当に貢いでいる女がいると言わんばかりではないか。
「……墓穴を掘ったな」
その原因となった男がしゃあしゃあと言ってのける。
シーガルは真っ青になって、あたふたとせわしなく手を動かす。
「……シーガル君、今のはどういうことでしょう?」
にっこりと笑いながら興味本位でジェシカが尋ねてみると、シーガルは激しく首を振った。
「べ、別に、俺は……」
「じゃあ、どうしてそんなに慌てているんでしょう?」
顔を近づける。するとシーガルは慌てて体を退け反らした。後ろに重心をずらした拍子に、ずるりと彼の手が橋の手すりから滑る。
「えっ? ちょっと、……うわぁぁぁぁぁぁぁ」
そんな悲鳴の直後、ばしゃんという水音が聞こえた。そう、シーガルは橋から落ちていったのだ。
ジェシカはどこか冷めた目で橋から下を見下ろす。しばらくすると、シーガルが水面に頭を出した。とりあえず、無事なようで何よりだ。
「この寒い中、水遊びとは酔狂だな」
「……シーガルって、腕のいい魔道士でしたわよね。落下を止めるとか、そういうのって出来ない物なんですの?」
「さあ。シーガルの魔法なんて、俺は手品しか見たことはないです」
普段は仲が悪いくせにこんなときだけ気の合う二人は、川に落ちた友人の心配もしないでそんな会話をしていた。
川に落ちたシーガルは濡れたまま家に戻っていったため、その場にはジェシカとデュークが残される。
「……じゃあ、城に戻りましょう」
「え~! まだ昼間ですわよっ、もっと遊びたいですわっ」
デュークはこめかみの辺りをかきながら面倒くさそうにため息を吐いた。心の中で「これは遊びじゃないだろう」と思っているに違いない。
彼は目を伏せて何かを考えはじめた。しばしの間のあと、何かを思いついたのか不気味な笑みを浮かべる。
「いいでしょう。そのかわり、俺の指示に従って貰います。……これは社会勉強ですからね」
「いやですわっ」
「シーガルが貢いでいる女に、会わせてやると言ったら?」
「行きますわっ!」
くくくとデュークは不気味に笑う。「してやったり」と言った気分なのだろう。
ちょっとだけ悔しかったが、好奇心の方が強いジェシカは深くは気にしないことにした。
町の大通りを外れてどんどんと寂しい場所に向かっていく。
デュークが一緒なので危ないことはないだろうが、ジェシカは少しだけ不安になっていた。今まで、ジェシカは人通りのある大通りを拠点に遊び回っていた。アリア城下町のメイン通りと呼ばれる場所は道の両側に露店が立ち並び客引きの賑やかな声が飛び交っている。普段遊ぶのはそこから一本外れた通りだが、そこも人が多いことには変わりなく、シーガルが案内してくれたのはそんな場所ばかりだったのだ。だが、今歩いている場所は人気もなくすれ違う人も稀であり、周りに並んでいる家は古くて所々壊れかけている物が多かった。
「初めてですか? こんなところに来るのは」
「城下町にこんな場所があるなんて、知りませんでしたわ」
「そりゃそうでしょう。通りからはずいぶんと外れていますし。お偉いさんはこんな場所の生活には無関心でしょうから」
棘のあるその言葉に、ジェシカは口を尖らせる。
「だって、誰もこんなこと教えてくださらなかったもの」
そんな彼女を横目で見てデュークは肩を竦めたが、それ以上は何も言わなかった。
しばらく歩くと少し大きめの建物が見えた。庭が広く滑り台などの遊具がいくつかあり、たくさんの子供達が遊んでいる。
「あれは?」
「孤児院です。あそこにいるのは、捨てられたり、親を亡くして身寄りのない子供達です」
そんな場所があるのは国のせいだと責められている気がして、ジェシカは不安そうな瞳をデュークに向けた。
「別にあなたのせいじゃありませんよ」
彼はジェシカを慰めるわけでもなしに、いつも通りの無愛想な顔で言った。
「用事があるのはここです。……付いてきてください」
そう言って歩いていくデュークの後をジェシカは追い掛けた。
物珍しそうにジェシカのことを見ている子供達。ジェシカは子供相手にどういう態度をとればいいのか分からないので、俯きながらデュークの後を追っていた。
デュークが足を止める。
それにつられてジェシカも足を止めた。彼は窓から中を見ていた。眉間にしわが寄っている。
「……やっぱり気が変わりました。面倒なことになる前に帰りましょう」
「何なんですの。あなたがここに来ようって言い出したんじゃないですかっ」
怒鳴ってやると、デュークは額に手を当てた。
突然扉が開き、ジェシカの体に当たった。痛みのあまり顔をしかめていると、
「邪魔だ、どけよっ」
そんな言葉が飛んでくる。
「あなたが突然開けるから……」
文句を返そうとしたジェシカの口を手で塞ぎ、デュークは背中にジェシカのことを隠す。
ジェシカが場所を移動したおかげで開いた扉から、誰かが外に出てくる。
「あれ、デューク? 珍しいなぁ。どうした?」
それは若い男の声。
「それはこっちのセリフだ。何でお前がここに?」
「親父が風邪でくたばっちまってさ、代わりに俺がここに来たってわけ。ここでも風邪が流行ってるからさ」
ジェシカはデュークに阻まれているので会話に入っていくどころか、相手の顔も見ることが出来ない。文句のひとつでも言ってやらないと気が済まないのだが。
「で? その後ろのは何なの?」
「ちょっと! 人にドアを当てておいて、他に言うことはないんですのっ」
腹を立ててデュークの影から顔を出すと、怪訝そうな黒い瞳と目が合う。彼は年はジェシカと同じかそれより下といったところ。黒い髪の上に帽子をかぶっている。少し吊り気味の目をした生意気そうな顔立ちだが、全体的な印象としては結構カッコイイかもしれない――ジェシカは彼をそう評価した。
「誰、これ?」
人に向かってこれとは何事だ。顔立ちだけでなく、態度まで生意気である。こんな男を少しでもカッコイイと思った自分を愚かしく思いながらジェシカは拳を握りしめた。
「あっ、分かった。もしかして、デュークの恋人?」
「ないない」
「誰がこんな人と!」
二人からほぼ同時に否定され、目の前の男はにんまりと意地が悪そうな笑みを浮かべる。
「ずいぶんと気が合うじゃん。でもまあ、デュークは面食いだしな」
笑いながら彼はそう言った。
デュークは大きくため息をついた。
そしてジェシカは腹を立てていた。確かに、ジェシカは美人ではないし、レティシアのように特別可愛いわけでもない。だが、初対面の人にそんなことを言われる筋合いなどない!
「ちょっと、黙って聞いていれば言いたい放題言ってくれますわねっ。そういうあなたは何者なんですのっ」
そう言いながら、彼のことを指さした。
人差し指を突きつけられた彼は、癖のある笑みを浮かべて自己紹介をする。
「俺はカミル。一応、医者の卵みたいなもんだ。親父が医者をやっているんで、俺も色々教わってるんだ。ほら、俺は名乗ったぜ。あんたも名乗れよ」
「私はジェシカと言いますわ。……今は社会勉強中ですの」
「社会勉強?」
怪訝そうにカミルが尋ねる。
丁度その時、室内から誰かが出てきた。にこにこと微笑んでいるのは年老いた老婆である。
「一体どうしたんだい? そんなに大騒ぎして……」
「ご無沙汰してます。メアリー婆さん」
デュークが珍しくまじめな顔をして頭を下げる。
「おや。デューク君? 久しぶりだねぇ。ところで、こちらのお嬢さんはデューク君の恋人さんかい?」
「違いますわっ。単なる知り合いですのっ」
「おーおー。ムキになるところがまた怪しいなぁ~」
ひゅぅ~と口笛を吹きながらカミルが横やりを入れる。そんなカミルを睨んでやるが、彼は気にした風はない。
「メアリー婆さん。彼女はジェシカと言う名の貴族の娘なんです。社会勉強をしているので、是非とも子供達の世話をさせたいと思って」
「もちろん、構わないよ」
メアリーは優しそうな瞳でジェシカのことを見る。
「なっ! 何ですって?! そんな話は聞いていませんわよっ」
「俺の言うことを聞くって言ったじゃないですか」
「それは、シーガルが貢いでいる人に会わせてくれるっていうから……」
デュークは無言で人差し指を前に向ける。それを辿っていくと穏やかに微笑んだメアリーにぶつかった。ジェシカは驚愕しながら、デュークとメアリーを交互に見やった。まさかそんなと視線で問えばデュークは無言で頷いた。つまりはそう言うことなのだろう。
「シーガルの恋人さんって、おばあさまでしたの?」
「………………」
真剣に尋ねたジェシカを見て、デュークは何も言わずに首を振った。