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フィアンセバトル  作者: きなこ
11章 ジェシカ
72/89

ジェシカ3

「レティ、レティっ!」

 ばたばたと、慌ただしく走る音が近づいてくる。

 廊下を歩いていたレティシアはゆっくりと振り向いた。口元に苦い笑みをこぼしつつ。


「どうしたんですの、レンちゃん」

 レティシアに駆け寄ってきた、布に包まれた槍か何かを手にした黒髪の少女は、にっと白い歯を見せて笑うと、窓越しに見える町を指す。


「レンは、ジェシカ殿に社会勉強に連れていって貰えることになったのだ。とても甘くて美味しい『くれーぷ』という物を食べるんだ」

 機嫌良く語る彼女を見上げ、レティシアは微笑みを浮かべた。

「そう。それは良かったですわね。でも、あまりシーガルさんを困らせないようにして下さいね」


 やや離れた所で手を振っているジェシカと、その隣に立っているシーガル。ジェシカだけでなくレンのお守りもしなければならないとは、シーガルも大変であるなと、ついつい同情心が沸き上がって来てしまう。


「レティも一緒に来ないか?」

 せっかくの誘いたが、レティシアは首を振ってそれを断る。

 レンは唇を尖らせて不満の意を示していたようだが、ジェシカに呼ばれるとその表情を一瞬のうちに満面の笑みに彩り、くるりと踵を返して走り去ってしまった。


 手を振る女二人と、レティシアに頭を下げてから歩いていくそのお目付役。

 レティシアは彼らの姿が消えるのを確認してから、自身も目的地に向かって歩き出した。



 もくもくと浮かぶ白くて大きな雲が真っ青な空の一角を埋め尽くしている。

 強い日差しに地面は熱せられて、湯気が立ち上っている様である。そんなことを、遠い意識の中で思い描きつつ、レティシアは炎天下の通りを歩いていた。


 もちろん、気変りをしてジェシカ達のあとを追ってきたというわけではない。今日は元々外出予定日だったのだ。それは、昨日の夜に自分で勝手に決めた物だったが、昨日の内にヒツジに外出の旨を綴った手紙を送ったので無断ではない。――彼が手紙を読んでいるとは思えなかったが。


 目の前には古ぼけた家がある。レティシアが幼い頃から馴染みのある家。意識を朦朧とさせながら、レティシアはそれを見上げていた。どうしようか。そんなことを考えつつ。


 突然、腕を捕まれる。

 驚いて顔を上げると、怒っているかのようにつり上がっている漆黒色の瞳が視界に入ってくる。

 そこに彼がいたことに、何故か胸の中に安堵感が広がってくる。


「お前は――」

 その声を聞いたとたん気が抜けて、目の前が真っ暗になり、体から力が抜けていった。





 ――ぱたぱたと、何かで仰ぐような音がする。

 生ぬるい風が顔に当たり、額に冷たい何かが乗せられる。

 それを合図に、レティシアは目を開いた。


 最初に見えたのは、真っ白いタオル。

 頭を動かしたことにより、タオルがはらりと額から落ちていく。視界は薄暗くて、はっきりと物を判別できない。

 落ちたタオルへと誰かが手を伸ばすのを察し、レティシアはそちらに顔を向けた。


「カミ……」

「人がせっかく看病をしてやっているというのに、じっとしていられんのか」


 野太い男の声。レティシアは口の中だけで悲鳴を上げて、瞬きをする。

 タオルを拾って、ぶつくさと不平を並べているのは、ターチルの元頭領ダンである。彼は刀傷がいくつも走る顔をいっそう厳めしくして、部屋の隅へ歩いていく。


「どうして、あなたがこんなこと……」

「ここに居候するならば、働けと言いおったわ、あの禿頭。ターチルの元頭領に対して、親子共々敬意が足りぬわなぁ」


 がははと豪快に笑う様は相変わらずである。それでも、機嫌が良さそうなのはレティシアの思い違いではないはずだ。

 レティシアは起きあがり、差し出されたコップに口を付けた。

 しばらくの間はおとなしくレティシアを見ていたダンであるが、意地悪そうに眉を上げて問う。


「レンに聞いたのだろう。小僧の事を引き留めに来おったか?」

 レティシアは肯定も否定もせずに、水を口に含んだままちらりと横目でダンのことを見た。

 ゆっくりと水を飲み込み、ようやく口を開く。


「まさか。ダン様が迷惑をかけていないか、監視をしに来ただけですわ」

「ぬはははは。笑わせてくれるわ、小娘。突然押し掛けて倒れたお主こそ、小僧どもに迷惑をかけているではないか」


 反論も出来ずに、身を強ばらせる。

 ダンの哄笑が頭に響いて、ついつい眉間に皺を寄せた。


「主、小僧の邪魔をするではない」

 意味の分からないその言葉に、訝しげな表情を作る。

「禿頭も言っておったが、奴に今必要なのは経験だ。ターチルの腕利きの医師にも許可は得たでな。自分の父親以外の人間の下に就いて学ぶのも悪くなかろう?」

 レティシアは無言のままダンを見つめた。彼は挑発するような視線をレティシアに向けている。


「どうして、そんなにカミルにこだわるんですの?」

 彼がカミルをしつこく勧誘する理由が思い当たらない。カミルがアリアでも有名な医者というのならばともかく、有名なのは彼の父親であって、彼自身ではないのに。


「あの禿頭は高名で、アリアの医師達に顔が利くのであろう? その縁を利用することが出来る。それに……」

 意味ありげに言葉を止めて、にやりと、意地の悪そうな笑みを浮かべた顔でレティシアを直視する。

「やつは口では何と言いつつも、ターチルに来たがっておるぞ。やつの将来の展望は聞いたことがないのか?」


 ――なんで?

 心の中で問い返す。レティシアはそんな話は聞いたことはない。それなのに、何故レティシアよりもカミルとつきあいの短いダンが、そんなことを知っている?

 呆然と、返す言葉すらも思いつかずにダンの瞳を見つめ返していると、彼は目を細めて機嫌良く笑った。


「まあ、第一の要因は、小僧が面白いからだがな」

 そう言い残し、ダンは部屋から出ていく。


 その行動は唐突で。突然訪れた静寂に、訳も分からぬほど心がざわめく。不安で、酷く落ち着かない。

 考え事をしているはずなのに、何が問いなのかも分かないまま、静かに時が流れていく。


 こんこん。

 窓が叩かれる音に気付き、レティシアは横を向いた。庭へと部屋とを隔てている窓の向こう側には、不機嫌そうな面もちのカミルがいた。どうやら彼は庭で薬草の世話をしていたようだ。

 窓を開くと、最初に飛んできたのは叱咤の声。


「病人のくせに、なに起きてるんだよっ。安静にしてろって」

「う……。ごめんなさい。さっきも、迷惑をかけてしまって……」

 カミルはレティシアの額を音を立てて軽く叩き、呆れたように息を吐く。


「ばぁか。病人が変なこと気にすんなよ。俺が言いたいのは、ちゃんと自分の体を大切にしろってこと」

 その言葉に、思わず顔をほころばせる。そんなレティシアの顔を見たカミルは、照れたように頬を染めて、そっぽを向いてしまった。


「そのかわり、体調が良くなったら説教だからな。今はちゃんと寝てろよ」

 踵を返して立ち去ろうとする彼。

 不安に耐えきれなくなり、レティシアは無我夢中で手を伸ばした。だが、その手は空を掴むだけ。


「待って!」

 呼び止めて、彼に近づこうと窓の縁に足をかけた。精一杯手を伸ばすことで、ようやく彼の服を掴むことに成功する。

 しかし、制止の声にカミルは振り向いていた。彼の服を掴んだままのレティシアは、腕を引っ張られて体勢を崩し、縁の上にかけていた足が滑った。驚愕のあまり、窓から落ちようとすることに対して何も出来ず、とっさに目を閉じる。


「――この、ばかっ!」

 怒鳴りながらカミルは腕を伸ばすが、不安定な体勢のままでは彼女を受け止める事はできなかった。

 派手な音を立てて落ちた割には、予想していたほどの衝撃がないことを怪訝に思い、レティシアは恐る恐る目を開く。そしてようやく自分がカミルを下敷きにしている事に気付き、青ざめた。


「ご、ごめんなさいっ」

「いいよ。……とっさに支えられるほどの力がねえのが悪いんだし。それより、怪我はねえか?」


 尋ねられて、こくこくと何度か頷く。

 どこかを打ったのか、痛そうに顔をしかめていたカミルの顔に安堵が浮かぶ。彼が体を起こすと、座ったままの格好で間近に見つめ合う形になる。彼の膝の上に座ったままの体勢で。


「カミルの将来の夢って、なぁに?」

 唐突なその質問に、カミルは気まずそうな顔をして視線を横へと向ける。

 その反応は、先程のダンの言葉を肯定している様な気がした。つまりは、ターチルに行きたいのに、レティシア達に遠慮をしているかのような。


 沈黙が続く。レティシアは拳を握りしめ、意を決して口を開く。

「カミルは、ターチルに、行きたいの?」

 それに対しても沈黙。彼は迷っているかのようでもあった。


 ちくりと胸が痛む。結局の所、彼は大切なことは何一つとしてレティシアには語ってくれない。そしてまた、彼に対して持っていたささやかな望みすらも裏切られたような絶望感がわき起こる。


 だが。もしも彼が行きたいのであれば、レティシアにはそれを止める権利などない。むしろ、友達であるならば、彼の夢を応援してあげるべきである。

 悲しいなんて思ってもいないはずのに、勝手に涙がこぼれてきて、きゅっと唇を噛んで俯く。


「カミルが、行きたいなら……」

「俺、さ……」


 カミルの手がレティシアの背中に回され、手元に引き寄せる。彼の胸に顔を埋めると、胸が痛くなってしまい、レティシアも彼の背中に手を回して抱きしめ返した、その時。


「おぉーい、小僧ーっ」

 野太いその大声に驚愕し、レティシアは顔面を蒼白にさせた。


 とっさにカミルの胸を突き飛ばすように腕に力を込めると、同時に体に妙な浮遊感を感じる。

 訳が分からぬままに、つい今し方までいた場所からほんの一歩分後ろに投げ出されたレティシアは、カミルを見つめる。カミルはと言えば、レティシアに突き飛ばされて、肘で体を支えた体勢でこちらを見ていた。


「今、ぽいっと、しようとした……?」

「てめえだって、突き飛ばそうとしたじゃねえか」

「な、なによっ。だからって投げ捨てることないじゃないっ。最低っ!」


 剣呑な眼差しで見つめ合い、ふいっと同時に顔を背ける。

 再びダンが呼ぶ声が聞こえ、カミルは立ち上がって庭から去っていった。

「ちゃんと、寝てろよ」

 とだけ、言い残して。


 レティシアは唇を尖らせて、窓から部屋へと戻ると今度は大人しくベッドに入った。

 ――結局の所、目的は何一つとして果たせないままに。




     *     *     *     




 ジェシカはぼんやりと空を仰いでいた。

 青い空。白い雲。そして、冷たいかき氷。汗をかきながら冷たい物を頬張るのは、なかなかに気持ちがいい物であった。


「かき氷はうまいっ」

 アリアにあるジェシカお勧めの美味しい食べ物屋を梯子して、何件目になるのか。レンは満面の笑みを浮かべて、かき氷屋の店員マーチェと会話をしている。

 かき氷に対する賛辞を聞きながら、ジェシカは切なげに息を吐いた。


「ジェシカ様、どうしたんですか?」

 隣に座っていたシーガルの顔を見て、ジェシカは再びため息をつく。

 「人の顔を見てため息をつかなくても……」などとぼやいているシーガルのことは気にしない。


「レティ、ずいぶんと気落ちをしているようでしたけれど、大丈夫かしら」

「カミルの事ですか……。今度、カミルにレティ様の所を訪ねるように、言ってみますね」


 それには少しだけ安心をしてこくりと頷くが、またしてもついついため息が零れる。シーガルはますます心配そうな面もちになってジェシカの顔を覗き込む。


「他に何か……?」

「私、何だか変なんですわよ」

 きょとんと目を瞬かせるシーガルを横目に見て、ジェシカは空になった器を隣の椅子に置いた。


「……実は、ウィルフから帰ってきてもう何ヶ月にもなるのに、未だにナファイラのことを思い出す事がありますの」

 昨日もそうであったし、日常でも、庭園を歩いている時やケーキを食べているときに、不意に彼の姿を思い出してしまうということは、実は度々あった。


「どうして、今、そんなことを……?」

「んーと。空が青いから~」

 おどけて笑ってみせると、シーガルは優しい笑みを浮かべて、ジェシカの頭を撫でてくれた。


「寂しくなったり、切なくなったりしたら、俺を呼んでくれて良いんですよ? 話し相手になることくらいしかできませんけれどね」

 そんな言葉に、胸が温かくなってくる。ジェシカは満面の笑みを浮かべ、甘えるようにシーガルの肩に頭を乗せた。

 なんだかんだで彼の存在には助けられているなぁと、改めて思いつつ目を伏せる。


「よし。元気の充填完了」

 すくっと立ち上がったジェシカはぐっと拳を握りしめる。

 安堵したような顔をして、シーガルも続いて席を立つ。


「さぁてと。次はどこを案内してあげましょうかしら」

 相も変わらず、マーチェと談笑をしているレンのことを見て、ジェシカはアリアの城下町の美味しい食べ物の店地図を頭の中に思い描いていた。




 たらふく物を食べ歩き、ジェシカ達は城へと戻ってきた。

 シーガルは魔法兵団の方に用事があるらしいので、少しの間だけ別行動を取ることになっている。


「ジェシカ殿は、美味しい店をたくさん知っているのだな」

 きらきらとその双眸を輝かせながら、尊敬の眼差しを向けてくるレン。

 ジェシカはえへんと胸を張って、それに答える。


「これも、社会勉強の成果ですの」

「それは素晴らしい。レンも国に帰ったら、父に社会勉強の許可を貰うことにする」 


 うきうきと語るレン。そして彼女は何かに気付いた様で、興味深そうにある一点を見つめる。

 ジェシカもつられてその視線を追った。

 その先にいたのは、レティシアとカミル。ぐったりとしているレティシアを、カミルが支えているらしく、寄り添うようにして歩いている。


「あの子ったら、また抜け出して……」

 世間では何と言われようとも、あれでレティシアは頻繁に城を抜け出しているおてんば姫なのだ。ジェシカと違う点は周りにばれていない事のみである。


「おおっ、レティとカミルはラブラブなのかっ?!」

 何を期待しているのか、頬を染めて二人を見ているレン。レンの言葉についつい吹き出しながら、微笑ましく二人を見つめたジェシカではあるが、その直後、二人の前に立ちはだかった人物の姿を見て悲鳴を上げてしまう。


「何をしているざますかっ!」

 城中に響いたのではないかと言うくらいの大声。

 レンは鼻の頭に皺を寄せるようにしてしかめっ面を作り、両手で耳を塞いでいた。


「あれほど、レティ様には近づくなと申したでございますのに、あなたという人はっ!」

 自力で立ったレティシアは、不思議そうな面もちでボリュドリーを見つめている。彼女は今までボリュドリーがカミルに対して吐いていた暴言など知らないようだ。


「だいたい、何故騎士でも貴族でもないあなたが、城の中を平然と歩いているざますかっ。汚らわしい」

 カミルは反論などしない。それをするのも労力の無駄とばかりに、諦めきった顔をして、ため息をついている。


「私がカミルの世話になっていたのです。礼を言う謂われはあっても、中傷する謂われなどありませんわ。謝りなさいっ」

 レティシアの命令にも、ボリュドリーは従わない。

 ずり落ちた三角眼鏡を人差し指で上げながら、彼女は首を振る。


「レティ様。あなたも、ご自分の立場を理解するべきざます。あなたは、アリアの王女。この国にとって特別な女性なのです。今はまだ子供ですから目を瞑るとしても、成人なさったあなたがそのような振る舞いをなさる事は、断じて許されません」

「誰がどう許さぬというのだ?」


 突然横から発せられた大声に、ジェシカは驚いてレンを見つめる。

 彼女は不機嫌そうな面もちで、鋭い視線をボリュドリーに向けていた。


「レティは王族で、カミルは平民。だからといって、人間として、何か問題があるわけではなかろう」

「いいえ。あなたも頭領の一族という立場であるなら、分かるはずでございましょう。あなたは特別な人間なのです。このような、下賤の者と戯れて良いはずがございません」

「ほぅ。アリアでは、そのような考え方をするのか。頭でっかちの、狭い世界しか知らない者の言葉だな。身分は低くとも、人間性や能力に何かの問題があるわけではない。こんなことも分からぬとは、アリアの民とは、物資は豊かでも心は貧しいのだな」


 侮蔑を含んだレンの言葉に、ボリュドリーの眉が動いた。

 剣呑な眼差しでボリュドリーとレンが睨み合う。ジェシカはどうして良いのか分からずに、その場で固まってしまい、レティシア達の元へ歩いていくレンを見守っていた。


「所詮、ターチルの品格もその程度の物でございましょうか。卑しい平民などの肩を持つなど、ターチルの品格も疑われるでございます」

「貴様のような者に我が部族の品格など語られたくはないっ。それこそ、侮辱であるぞっ!」


 布が巻かれたままの棒状の物をボリュドリーに突きつけるレン。それを見ていた全ての者は青ざめ、皆がレンを止めようとする。

 だが、すっかり頭に血が上っているレンは、制止の声も聞かずに棒状のそれを振りかぶった。


「レンちゃん、だめっ!」

 ひときわ響いたレティシアの高い声。


 ボリュドリーの周りを風が吹き抜けていき、彼女のスカートの裾が翻る。

 レンが振り下ろそうとしたそれは、風の抵抗を受けて、目標まで達することはなかった。が――


 がつん。


 鈍い音が廊下に響き渡る。

 布が風に攫われ、中から現れたのは古い造りの薙刀。その柄が途中から真っ二つに折られ、レンを止めようと彼女に駆け寄りつつあったカミルの足下へと転がっていく。

 ジェシカは呆気にとられたままレンの手の中にある柄と、床の上の薙刀の半身とを見比べた。


「あーーーーーーーっ!!」

 レンの悲鳴。


「父上から戴いた薙刀だったのにぃ……」

 はらはらと、その瞳から涙をこぼすレン。薙刀を拾ったカミルは、何とも言えないような複雑な顔をして、レンの肩に手を置いた。


 ジェシカは改めてレン達の元へ近寄ろうとして、少し離れたところで蹲っているレティシアに気付いた。

「レティ……?」

 呼びかけてみても、返事はない。


 慌てて駆け寄ると、レティシアは胸の辺りを押さえ、顔面を蒼白させながらも微笑んでみせる。

 カミルはすぐさまレティシアの傍らにしゃがみ込み、彼女の体を支えた。やや遅れてレンとボリュドリーもレティシアのことを囲む。


「レンちゃん。ごめんなさい。でも、お願い。両国の、ためにも、暴力沙汰は、避けて……」

「う、うむ。すまない、レティ」

 ぐしぐしと鼻を啜りながら何度も頷くレン。


「ボリュドリー様。カミルも、レンちゃんも、私にとっては、大切な友人です。彼らを侮辱するような言動は、許しません」

 一気にまくし立てたレティシアは、大きく息を吐くと、カミルの胸に身を預け、目を伏せた。


 弱々しく息をしながらぐったりとしているレティシアを見て、ジェシカは泣きそうになりながら彼女の手を取る。

「レティ、死んじゃだめですわよっ」

「死なねえよ」


 悲壮にくれているジェシカに対し、あっさりと答えてくれるのはカミル。冷たい物言いに腹を立て、ジェシカは口を膨らませて彼のことを睨んだ。


「こいつ、体が弱っているときに魔法を使うと、消耗がでかいんだよ。寝てればすぐに治るって」

 珍しく優しげな表情で微笑み、ジェシカの頭を撫でたカミルは次にレンの方へと体を向けて、薙刀の片割れを手渡す。


「悪ぃな、レン。俺のせいで……」

「いいや。カミルは悪くない。悪いのは、そっちのくそばばあぞ」

 その発言には、ボリュドリーのこめかみの辺りが引きつった様な気がしたが、ジェシカは見ないふりをした。


 カミルはボリュドリーには何も言わずに、レティシアを抱き上げ彼女ての部屋へと向かう。

 さすがのボリュドリーも、今ばかりは何も文句は言わなかった。そして彼女も、ジェシカ達に一礼をすると、立ち去ってしまう。


「まったく。おばあさまにも困ったものですわぁ。長年の隠居生活で、すっかりもうろくしてしまったのかしら」


 のほほんと、本人が聞いたら激怒しそうなことを言ってのけたジェシカは、沈んだ顔をして薙刀を見ているレンに気付き、困ったように天井を仰ぐ。

 ふと、名案を思いつき、手を叩いた。


「それの代わりに、私が新しいのを買って差し上げますわ。シーガルはあれで結構高給取りですから、お金の心配はしなくても大丈夫ですわよ」

 しかし、レンは首を振りながらぼろぼろと涙をこぼし始めた。


「だめだ……。これは、父上が、レンの八つの誕生日に買ってくれた、何物にも代え難い品なのだ」

 ひっくひっくと、レンが嗚咽を漏らす声だけが響く。

 ジェシカは助けを求めるように周囲に視線を巡らせ、入り口から歩いてくる黒マントの男を視界に映して、ぱあっと表情を明るくした。


「あ、良いところに来ましたわ、シーガル」

 泣いているレンに気付いたシーガルは、困惑した面もちで駆け寄ってくる。

 そんな彼に、ジェシカはここであった出来事をこっそりと説明する。それを聞き終えたシーガルは、優しそうに微笑んで、レンに声をかけた。


「レン様。その薙刀を、少し貸しては戴けませんか?」

 レンはシーガルと手の中の二つに折れた薙刀とを見比べ、こくりと頷いた。

 レンの薙刀を手に取ったシーガルは、その切断面を確かめ、両手にひとつずつ持つそれらを合わせる。そして、そっと目を伏せた。


「……戻れ」

 囁くように告げられた文句。

 シーガルの手から、淡い光が漏れる。


 不思議そうな四つの瞳が見つめる中、シーガルは目を開き、薙刀から片手を放した。

 それまで二つに分かれていた柄は、元通りにひとつになっていた。


「おおっ」

 感極まりないといった様子で、差し出された薙刀を受け取るレン。

 さすがはシーガルだと感心すると共に、何故かジェシカまで誇らしい気持ちになってくる。


「良かったですわねぇ」

 のほほんと、ジェシカが祝福をすると、レンはこくこくと何度も頷いた。


「シーガル殿っ。感謝をするっ。……レンはとっても感動したぞっ。一生お主に付いていく!」

「そ、それはちょっと大げさ……。わぁ!!」


 満面の笑みを浮かべたレンに抱きつかれ、彼はその突然の行動に体を支えきれず、彼女もろとも尻餅を付く。そんなことすらも楽しかったのか、レンはきゃっきゃっと幼女がはしゃぐように笑っている。


「シーガル殿。レンはお主が気に入ったぞ。是非とも、ターチルに参れっ」

 どこかで聞いたようなセリフに、ジェシカは吹き出した。レンはすっかりシーガルに懐いてしまったようである。


「ジェシカ殿も大好きだぞっ」

 油断していたジェシカはレンに飛びつかれ、その場に尻餅を付いた。

 よほど嬉しいらしく、浮かれきった様子のレンに安堵して、ついついジェシカも大声を上げて笑ってしまった。

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