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フィアンセバトル  作者: きなこ
11章 ジェシカ
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ジェシカ2

 ターチルの現頭領ヤンは、うろうろと落ち着きなく部屋の中を歩いている。

 久しぶりの再会で、話に花を咲かせたのはほんの一時。ヤンは眉間に皺を刻んで、うなり声を上げていた。


「ヤンったら。そんなにキリキリしていると、胃が痛くなりますわよ~」

 脳天気なジェシカの言葉に、ヤンは脱力をしたように肩を落とす。その忠告はすでに遅かったのか、彼は胃の辺りを押さえていた。


 とんとん、と軽い音を立てて扉が叩かれた。

 ヤンはぴたりと足を止め、姿勢を正して扉の方へと体を向ける。

 部屋の中に入ってきたのはロキフェルであった。仕事のきりが付いたため、ターチルの頭領に挨拶をするために駆けつけたのだろう。


「失礼するよ、ヤン君。いや、今は頭領と呼ぶべきだね。ともかく、遠路はるばる……」

「申し訳ないっ」

 突然、土下座でもせんばかりの勢いで頭を下げるヤンに、ロキフェルはぱちくりと瞬きをする。

 傍目でそれを見ていたジェシカも、思わずクッキーを食べる手を止めた。


「父上が、護衛の目を盗んで町へ出かけてしまったばかりに、国王達には多大な迷惑をかけてしまった」


 そもそも、このヤン達の訪問は、突然決まったことだという。

 きっかけはレティシアから手紙。

 彼女はアリアを訪問したがっていたヤンの妹へ、誕生パーティの招待状を出したらしい。それを知ったダンは自分も行くと言い出し、結局の所、アリアとターチルの交流会などという名目が付いてしまったそうな。


 ところが、アリアに着いたとたんダンは姿を消してしまった。それを探しに行くと、ヤンの妹もまた、行方知れずになっている。

 ――現在、ダン達の行方は騎士団が追跡をしているのではあるが。


「いや、気にしなくても良いんだよ。むしろ、この国にやってきて早々行方不明になるなんて、ダン殿らしいじゃないか」

「国王……あなたは、なんて寛容な人なんだ……」


 なにやらいたく感動した風に、目を潤ませているヤン。

 ジェシカは苦笑いを浮かべながら、ぱくりとクッキーを頬張った。

 扉が叩かれる。


「ターチルの前頭領殿が見つかりました」

 黄色いマントを羽織っている男が、礼儀正しく頭を下げて報告をした。

「どこにいたんだ?!」


 切羽詰まった様子のヤン。

 それを横目で見つつ、ジェシカは次のクッキーに手を伸ばしたが、皿の上には何も乗っていない。やれやれとため息を付きつつ、部屋の中の面々の顔を見渡す。ロキフェル、ヤン、ヤンの従者、アリアの大臣。クッキーを取りに行かせる相手が存在しないため、ジェシカは再び息を吐いた。


「マックス先生のご自宅です」

「マックス先生の?」

 素っ頓狂な声を上げるロキフェル。ヤンは訝しげに眉根を寄せている。

 ふと思い当たり、ジェシカはぽんと手を打った。


「頭領って、カミルと仲がよろしかったですものね。またリバーシ勝負でもなさっているのかもしれませんわ」

「ああ、なるほど。まあ、所在が明らかになって何よりだ。それじゃあ、夕食の時間までには城に来てくれるようにと、ダン殿に伝えてくれるかい?」

 穏やかな口調でロキフェルが命令を下すと、騎士は頭を下げて部屋から出ていく。


「国王。そんなに気を遣わなくてもいいのだぞ。父上など、首に縄でも付けて、引っ張って来ればいいのだ。皆にこんなにも迷惑をかけて……何と謝罪をすればよいか」

「良いんだよ、頭領殿。ダン殿だって、頭領という重職から解放されて、少しは羽を伸ばしたいんだろうから、ね」


 仕事があるからと、ロキフェルは部屋から出ていってしまった。大臣とヤンの従者も手続きがあるとそれに追従する。


「父上はいつだって好き勝手に行動をしているんだ。今更甘い顔をしては、つけ上がるだけだ」

 ようやく椅子に腰を落ち着けたヤンは、拳を握りしめて不平を並べている。前よりも父に対して強くなった物だと感心をしながら、ジェシカは笑みを浮かべた。

「まあまあ、良いじゃないですの。夜までにはこちらに来て下さりますわよ。きっと」

 だが、それでも納得はしていないのだろうか。ヤンは渋面のままである。


「もぅ。せっかく会えたのに、怒ってばかりだと、つまらないですわよ」

 そう咎めるてやると、ヤンは慌てて姿勢を正した。

「すまない。それもそうだな」

 照れくさそうな顔をして笑むヤンに微笑みを返し、ジェシカは立ち上がった。


「でも、ちょっと待って下さいね。私ったら、一人でクッキーを全部食べてしまいましたの。お代わりを貰ってきますわね。ついでに、お茶も入れ直してきますわ」

 皿とティーポットを手に立ち上がると、ヤンは顔をしかめてジェシカを見上げる。

「ジェシカがわざわざやらなくても……」

「侍女達に監視をされるのは嫌だからと、人払いをしているんですもの。仕方がありませんわ」

 微笑みながらそう告げて、ジェシカは部屋を後にした。


 途中で侍女に会ったため、皿とポットを渡して、後は任せることにする。

 一人で来た道を戻るさなか、ジェシカはふと窓から空を見上げた。

「……ウィルフにも、招待状を出してあげたって良いのに」


 いくら、レティシアが個人的に親しいとはいえ、ターチルの人間に招待状を出したのならば、ウィルフの王族に出してくれても良いだろうに。ジェシカが見たところ、レティシアとシェスタは仲が良さそうであったのだし。

 ぼんやりとしながら、意味もなく大きな雲を見上げる。


「今頃、どうしているのかしら……」

 ふと脳裏に、銀髪美形の王子の姿が思い浮かんでくる。

 しばらく空を仰いでいたジェシカであるが、はたと我に返って頭を振る。


「もう。ナファイラは関係ない、ないっ! いつまで引きずっているんですのっ。私らしくもないっ」

 ぱんぱんと両手で頬を叩き、ジェシカはどしどしと足音を立てて歩き出した。




     *     *     *     




「シーガルっ」

 突然名前を呼ばれ、その聞き慣れない声に、なんとなく瞬きを繰り返す。


 夕暮れ時。

 あらかた仕事も片づいたので、上がろうとなと思っていた矢先の訪問者であった。


 魔法兵団の新米兵に案内をされて、誰かが室内に入ってくる。

 浅黒い肌に黒髪。身長は高めで、筋肉質な体躯のその青年が誰であるかに気付き、シーガルは思わず声を上げた。


「ヤン様っ?! 何で、こんな所に?」

「シーガルも聞いていなかったか? ターチルとアリアの親睦のために……」

「そうじゃなくてっ……。あー、そうではなくて。用事があるのでしたら、言って下されば、こちらから伺いましたのに」


 ヤンはそのことかと言わんばかりに苦笑いを浮かべる。シーガルは慌てて立ち上がり、ヤンの前に駆け寄った。


「堅くならないでくれ。非公式の場だぞ」

 どこか寂しそうな表情を漏らすヤンを見上げ、シーガルはゆっくりと息を吐いた。そして微笑みを浮かべ、ヤンに片手を差し出す。


「お久しぶりです、ヤン様。アリアへようこそ」

 握手を交わし、シーガルは落ち着ける場所はないかと視線を巡らせた。この場所には、シーガル以外にも数人の魔法兵団員がいる。休憩所はあるが、ターチルに対しては複雑な思いを秘めている人もいるだろう。

 仕方なしに魔法兵団の本部から出ることにした。


「わざわざここまで来るなんて、どうかしたんですか?」

 詰問と言うよりは、単なる好奇心である。

 ヤンは忙しなく視線をあちこちに向けた。


 もし仮に。彼がシーガルに何か聞きたいことがあるとすれば、それはシーガルが仕える王女、その人の事に違いないという確信はあった。

 それを表には出さずに、じっとヤンのことを観察する。

 その視線に気付いたヤンは、おほんと誤魔化すような咳払いをした。


「ジェシカは……何というか、その。変わったな」

「はぁ?」

 自分はジェシカと常に一緒にいるためであろうか。さほどそのような印象は受けない。訝しげにヤンのことを見つめると、彼は考えるように天井を仰ぎ、腕を組んだ。


 魔法兵団の本部の入り口で、シーガルは係員に頭を下げた。

 それを横目で見ていたヤンは、建物を出るなり口を開く。


「少し、大人っぽくなったか?」

「そうですか?」


 シーガルから見るジェシカは、相変わらず我が儘ばかりで昔とまるで変わっていない。

 だが――

 ふと思い当たる節があり、シーガルはなんとはなしに「ああ」と呟いた。

 それを聞きつけたのだろうか。ヤンは深刻ぶった顔をして真っ直ぐにシーガルへと視線を向ける。


「言われてみれば、確かに、最近落ち着いてきたなぁとは思いますけれどね」


 ウィルフから帰ってきて以降、いつも浮かれていて落ち着きのなかったジェシカが変わったというのは、実はアリアの貴族達の噂話の的になっている。ウィルフ王国での縁談が破談になったため、面白おかしく脚色されているらしい。


 しかし、落ち着いてきたとはいっても、結局の所、社会勉強は未だに健在であり、城下町には仲のいい男もたくさんいる。彼らと会っているときのジェシカはやはり足が地についていない様な感じなので、シーガルには昔と変わっている様には感じられなかった。


「なにが、あったんだ?」

 話しても良いのだろうか。

 しばし迷ったのだが、あまりにも真剣なヤンの懇願に負けて、ぽつりぽつりと語りはじめた。



「そんなことがあったのか……」

 大まかな話を聞き終えたヤンの第一声はそれだった。哀れみを込めた顔をして、そっと目を伏せて。


 なにやら考え込むように、腕を組んで俯いているヤン。

 嫌な予感を覚え、シーガルは余計なこととは思いつつも、口を出した。

「ヤン様がジェシカ様を口説くのは、ダメですからね」

 彼の考えていた事とシーガルが考えていた内容は、おそらく同じだったのだろう。ぎょっとしたように頬を引きつらせるヤンを見て、シーガルは再び息を吐いた。


「ヤン様は、ターチルの頭領です。ターチルをまとめる必要があるじゃないですか。ナファイラ王子と同じで、アリアに婿入りは出来ないでしょう?」

 それはヤンには思い至らなかったのであろう。明らかにショックを受けた顔をして、よろめく。

「しまった……」

 がっくりと肩を落とす彼を横目で見て、シーガルは思わず苦笑いを浮かべた。




     *     *     *     




 長方形のテーブルに並べられた数々の料理達。

 今晩はターチルの頭領達が訪れているということもあり、料理長達も腕を振るったらしい。ただし、ヤンはともかくあのダンがこの料理を素直に喜ぶかどうかは怪しいのではあるが。


 テーブルの周りに座しているのは、ロキフェルとジェシカ、レティシアにヤン。

 そして、扉の前に姿を現しているのはヤンの妹のレン、ただ一人であった。


「レティ。お前、また体調を崩したそうだな」

 からかうような言葉を投げかけられ、レティシアは唇をとがらせて、頬を朱に染める。

「カミルに聞いたのですわね?」

 その確認に、レンは大きく頷いた。


「あやつはなかなか楽しい奴だな。父上は、リバーシの再戦を申し込んだが、十戦をして一回も勝てなかったぞ。ぼろくそ言われて、悔しがっていたのだ」

「カミルはあのゲームが得意なんですわよ。私だって、全然叶いませんもの」


 放っておくと、そのまま世間話を続けかねない妹たちの会話に、ヤンは慌てて割り込む。

「レン。父上はどうした?」

 レンは手にしていた棒状の、包みにくるまれた何かで肩を叩きつつ、困ったように天井を仰ぐ。

「カミルがターチルに来ると頷くまで、絶対にあの家を離れないと言っていたぞ」


 テーブルを叩きながら、ヤンが立ち上がる。その顔は怒りのあまり真っ赤になっていた。

 そして、レンのその言葉に過剰な反応を示したのは、レティシアも同じ。椅子を倒して立ち上がった彼女は、だが何も言葉は発っすることはなく、呆然と立ちつくしている。


 そんな二人の様子を交互に見つめ、レンは目を細めた。どこか面白がっている様子を口元に覗かせて。

 しかしレンは彼らに対しては何の言葉もかけず、ロキフェルの前に立つと、片膝をついて頭を垂れる。


「本日は色々と迷惑をかけてしまったようで、申し訳ない。父のことも、どうか大目に見てはくれないだろうか?」

「はは。良いんだよ、レン殿。ダン殿がマックス先生のところで生活をすると言うなら、それはいいんだけれど。護衛は必要かねぇ?」

「国王っ?!」


 ヤンが悲鳴を上げるが、ロキフェルは動じない。

 そればかりか、悪戯っ子のような顔をして、片目をつぶってみせる。


「あの人が一度言い出したことを覆すわけはないんだから。今更騒いでも仕方がないとは思わないかい?」

「しかし、それでは、あまりにもけじめがなさ過ぎるっ!」

「まあ、私は気にしていないし。マックス先生が良いと言えば、それでいいんだけど」


 そう言いながら、ロキフェルは立ち上がったレンへと視線を転じる。

 彼女はにんまりと口元を緩めて頷いた。つまりは、マックスもダンが泊まることを許可したのであろう。


「かかか。国王は兄と違って話が分かる。兄上も、少しは国王を見習って、懐の深い人間になるがよいわ」

 豪快に笑う様は、彼女たちの父親によく似ていて、ついついジェシカは吹き出してしまった。

 その声に気付いたのだろう。レンはこちらに向かって歩いてくる。

 ジェシカは立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。


「はじめまして、レン様。私、ジェシカと申しますの」

「こちらこそはじめましてだ、ジェシカ殿。噂は兄から常々聞かされている」


 横の方でヤンが吹き出す音が聞こえる。

 レンはそんな彼をちらりと横目で見て、口元を機嫌良く緩めた。

 握手を交わすと、レンは目を細めて人懐っこく笑う。


「呼び捨てで構わぬぞ。レティはレンちゃんと呼ぶので、それと同じでも良いけどな」

「じゃあ、レンちゃんで。私のことも、呼び捨てで叶いませんわよ?」

「あ、それはまずい」

 片手を上げて、ジェシカを制するレン。きょとんと首を傾げるジェシカに、レンは真顔のまま続ける。


「レンは、今年で十七になった。ジェシカ殿は十九なのだろう? 年上の者を呼び捨てにすることは出来ないのだ」

「そうなんですの?」

「ああ。ターチルでは、年上の者には敬意を払えと教えられるからな」


 ジェシカははあと曖昧に頷き、興味をテーブルの上のご馳走に移したレンの横顔をみつめた。

 レンは歩き出し、空いている席へと座り込むと、ロキフェルへと話しかける。


「国王。父は来ないのだから、待っていても仕方がない。食事をはじめよう」

 にこにこと、可愛らしく微笑むレン。ロキフェルは「そうだね」と応えて、給仕に食事を始めるようにと命令を下す。


「そうそう。カミルといい、この前会ったキャメロン殿といい、アリアの男どもはみな、ひょろっこい体をしているな」

 それはレティシアへと話しかけられた言葉の様である。

 レティシアは我に返ったかのように、レンのことを見つめ、侍女が直してくれた椅子へと腰を落とすと、「そんなことはない」と言葉を返した。

 だが、それはどこか上の空である。


「レンはもっと逞しい男が好きだぞ。父上が理想のタイプなのだ」

「ははは。それは、ずいぶんと理想が高いねぇ」


 のんきに会話をしている、レンとロキフェルの声を聞きながら、ジェシカは眉間に皺を寄せた。会話をしているのはロキフェルとレンだけであって、レティシアとヤンは憂鬱そうな面もちで俯いてしまっている。


「何だか、色々と大変そうですわねぇ」

 のほほんと呟いたジェシカの目の前に湯気の立ったポタージュスープが並べられる。食欲をそそらせる、美味しそうな香り。


「まあ、難しいことは、私には分かりませんし」

 ぺろりと唇を舐めたジェシカはスプーンを手にとって、食事を開始することにした。

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