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フィアンセバトル  作者: きなこ
2章 トルタ
7/89

トルタ4

 いよいよもって決戦の時。

 ジェシカは自分が持っている服の中で、出来るだけ庶民的で綺麗な物を選んで身につけていた。それが乙女心という物である。


 シーガルはこれから自分の身に起こるだろう不幸を予想して肩を落としている。だが、その表情には「今日で終わり」と、自分自身を励まそうとしている色が濃く見える。

 ジェシカの方は、これからの甘い恋人達の図でも思い描いているのか、うっとりと夢心地といった感じであった。

 だが……。


「な、何ですって?!」


 ジェシカは悲鳴混じりにそう叫び、シーガルはがっくりと肩を落としてうなだれた。

 珍しくクレープ屋に人だかりがないと思ったら、クレープ屋の看板に『本日定休日』という札がかけられていた。


 ひゅるるるる~と、風が吹いていった、様な気がした。


「定休日ですか。そういえば、調べていませんでした」

 ため息をつきながらシーガルがジェシカを見る。これからどうしようかと言う視線で。

「私、気合いを入れて参りましたのに……」

 その場に座り込むジェシカ。


「ちゃんと定休日を調べていないシーガルが悪いんですわよっ」

「あ、そういうこと言いますか? ジェシカ様だって、気付いていなかったじゃないですか」

「だって、定休日なんて発想、ありませんでしたもの」


 口論を始める二人。

 通行人の視線も気にしないで、二人はにらみ合った。どうあってもシーガルの方が立場は弱く、腰が引けているが。


 と、そこに、

「……どうでも良いから、とっととどこかへ行ってくれ」

 うんざりしたような口調で話しかけてくるのはデューク。今日もこの区画の治安維持のために歩き回っていたのだろう。


「まあ、デューク!」

「何度も言いますけれど、俺の受け持ち地域でもめ事は起こさないでください。面倒くさい」

「なんですの! その言い方っ」


 ジェシカの怒りの矛先はデュークの方へ向いてしまった。

 シーガルはほっと胸をなで下ろしながら、ちらちらとこちらを見ながら歩いていく通行人に視線を向けて、あっと口を大きく開けた。


「ジェ、ジェシカ様。トルタさんです」

 「トルタ」という名前に反応したジェシカは慌てて立ち上がり、スカートに付いた砂埃を払う。

 シーガルに指された方向。そこにいたのは紛れもなくトルタだった。ただし、彼の横には女の子の姿がある。二人は仲睦まじそうに話をしながら歩いていた。


「……ほら、やっぱり恋人がいたんじゃないですか」

「ま、まだ恋人と決まった訳ではないですわっ。妹とか、いとこという可能性だってありますもの!」


 上擦った声で返し、シーガルのことを睨み付ける。

 そんなことをやっていると、ジェシカ達に気付いたトルタが微笑みながらこちらに手を振った。

 連れの女の子に何かを言って、トルタはこちらに走ってくる。連れの女の子は睨むようにジェシカを見ていた。


「決まりだな」

 意地悪そうにデュークが呟く。

 「何も知らないくせに、口を出さないで」と反論したいのを必死で堪えながら、ジェシカはトルタに微笑みを向けた。


「こんにちは、ジェシカさん、シーガルさん。申し訳ないんですけれど、今日は定休日なんです」

「ええ。そうみたいですわね。残念ですわ」

 焦る気持ちを抑えようと、ジェシカは大きく息を吸った。喉がからからに乾いていて、声がかすれてしまう。


「ところで、あの方はもしかして、トルタさんの恋人さんですの?」

 トルタはちらりと背後を見て、はにかむような笑みを浮かべる。

「ええ、まあ」

「そ、そうですの。じ、じゃあ、あまり待たせては、失礼ですわ、ね」

「お気遣いありがとうございます、ジェシカさん。それじゃあ、また」


 乾いた笑みを顔に張り付けながら、ジェシカは手を振った。

 トルタはぺこりと頭を下げて恋人の元へ戻っていく。

 彼は恋人と何言か話し、ジェシカ達に手を振りながら去っていった。

 ジェシカは彼の姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。


「……よく暴れなかったですね。感心しました」

 トルタ達の姿が見えなくなった頃、感心したふうにデュークが告げる。だがジェシカは何も反応を返さない。いや、返せなかった。


 怪訝そうにシーガルとデュークがジェシカの顔をのぞき込んでみると、彼女は目に涙をためていた。ぎょっとしながら、二人は後ずさった。


「だって、迷惑をかけるわけにはいかないじゃないですか。……私、トルタさんに嫌われたくないですもの」

 いつになくしおらしいジェシカの言葉に情が移ったのか、シーガルは彼女の肩を叩いて元気づけようとする。

「元気出してください。ジェシカ様。ジェシカ様に似合う人は他にきっといますよ」

「でも、私にはもう、出会いの場なんてないんですの。これからは約束通りお城でおとなしくしてなくちゃならないんですもの」

 ジェシカの言葉の後半はかすれていて聞き取りにくかった。彼女は顔を伏せて、目元を覆う。


 シーガルの心が痛んだ。ジェシカにそう約束をされたのは自分なのだから。


「俺がいます! 俺がまたジェシカ様のことを外に連れだしてあげますから、泣かないでください!」

「あら、そうですの?」

 今までとはうって変わって軽い口調。

 ジェシカは顔を上げて、涙を拭いながらにっこりと微笑んだ。


「バカ……」

 心底呆れた様にデュークが呟く。

 シーガルは一体何が起きているのか分からずに、目を瞬かせながらジェシカのことを見つめていた。

 そんなのにはお構いなしに、ジェシカは目をごしごしとこすりながら背伸びをする。


「……だ、騙しましたね?」

「何をですの? 私、トルタさんに彼女がいたことで落ち込んでいただけですもの」

 あっけらかんとそう言って、ジェシカはシーガル達に背を向けた。

「酷いじゃないですかっ。俺、今、本当に心配してたんですから」

「ありがとうございます、シーガル。嬉しいですわよ」

 くるりと振り返って微笑むジェシカはいつものジェシカだった。


 そんな二人のやりとりを見ていたデュークは、腕を組みながらうーんと唸る。

「……姫さんとシーガルがつきあえば良いじゃないですか。そうすれば、もうこれ以上面倒は起きなくなるし、姫さんの目的も果たせて一石二鳥」

「嫌ですわ」

 デュークの提案に即座に異議を唱えるジェシカ。その横では、シーガルが何とも言えないような複雑な顔をしている。「そんな即座に断らなくたって……」などと言っているようだが、ジェシカもデュークも気にしていない。


「だいたい、あなたは! いつも面倒だ面倒だって連呼して、いったい何なんですの!」

「ただの面倒くさがりな、一騎士ですよ……」

「……そう言うのを聞きたかったのではなくて」

 ジェシカが眉をつり上げてデュークに詰め寄ろうとしたとき、よく通る高い声が聞こえた。


「お姉さま」


 微かに怒気の含まれた声音。

 ジェシカは青ざめながら、シーガル、デュークと視線を交わす。

「振り返らないで、走り去りましょう」

 無言で頷く男二人。


 だが、

「いいかげんにしやがれ、この馬鹿者ども」

 啖呵の利いたその声に、ジェシカばかりではなく両隣にいる青年達の顔からも血の気が引いていく。

「……俺はたまたま通りかかっただけだ」

 デュークが呟いたが相手には聞こえていないし、たとえ聞こえていたとしても取り合ってくれるような人間でないことは、ここにいる誰もが知っていた。


「回れ右っ」

 今度は若い男の声。

 その声に逆らうことが出来ずに、ジェシカ達は観念して振り返った。


 そこにはそうそうたる顔が並んでいる。アリア国の第二王位継承権を持つ姫、魔法兵団の総帥、そして、騎士団の副将軍。


 通行人がこちらを盗み見しているが、ジェシカ達にはそれを気にする余裕もなかった。


「楽しいお遊びもここまでですわ、お姉さま。おとなしくお城にお戻りなさい。現場を押さえたのですから、もう言い逃れは出来ませんわよ」

 レティシアに捲し立てられ、口では敵わぬジェシカはシーガルの後ろに隠れた。


「シーガル。てめえをジェシカのおもりに付けたのは、こんな事のためじゃなかったんだがなぁ」

 にやりと笑ってイ・ミュラー。シーガルは露骨に脅えた表情をしているが、ジェシカに腕を掴まれているので身動きがとれない。


 デュークは恐る恐る上司である副将軍の顔色をうかがった。目の下にクマが出来ていることから、彼は寝不足に違いない。寝不足、イコール、機嫌が悪いということで。

「安心しろ、デューク。俺はお前を咎めに来たわけじゃない。お偉いさんの護衛にかり出されただけだ」

 その言葉を聞いて、デュークは胸を撫でおろした。だが、副将軍はにやりと笑い、鋭い視線をデュークにやる。

「だけど、報告書にはなかったよなぁ。ジェシカ姫が町を徘徊してるなんて」

 デュークは誤魔化せないことを悟り、ため息をついた。


 その横では頬を膨らませたジェシカがふてくされたように呟く。

「徘徊とは、酷い言われようですわ」

「それでは男漁りと言い換えますか?」

「それも酷いですわ」

「街に出て好みの素敵な殿方と知り合おうとしていたのでしょう!」

 図星を指され、ジェシカは言葉に詰まった。やはり、ジェシカの行動はレティシアにはお見通しだったらしい。


 ジェシカは心の中で今までの楽しい生活に別れを告げていた。

「おうおう、レティシア。ちったあ落ち着けよ」

「でもっ! これでも私は心配しているんですのよっ。お姉さまは世間知らずで、考えなしで動き回るくせに、何も出来ないんですもの! しかも目的が……」

 いつになく興奮したレティシアを、まあまあと副将軍がなだめているが、あまり効果はないようだ。


 すると突然イ・ミュラーが笑い出した。

「はっはっはー。心配をかけていたという点では、どっちもどっちじゃねえか。元家出娘」

 『家出娘』という言葉にレティシアは頬を引きつらせながら言葉を詰まらせる。


 ジェシカは思い出してレティシアを指した。

「そうですわよっ、レティ! あなただって、昔は勝手に城を抜け出して遊び歩いていたじゃないですのっ。しかも、家出までして私に心配をかけていたじゃないですかっ。私は忘れませんわよっ」

 今まで忘れていたんだろう、と言う周囲の冷たい視線に気付いていないジェシカは勝ち誇ったような顔で胸を張る。

 

 その言葉にひるんだのも一瞬。レティシアはこほんと咳払いをして、反撃に出る。

「そ、そんな昔のことを持ち出さないで下さい。子供だった時のお話じゃありませんか。今のお姉さまとは立場が違います。少なくとも、今のお姉さまの行動は分別のある大人の物とは思えませんわ」

「おう、ジェシカ。レティシアの言うとおりだぜ。自分の立場ってもんを理解しろよ」

 さっきはジェシカ寄りの意見を言っていたくせに、今度はレティシアの言葉に応援をする。


 ジェシカとレティシアは拳を振るわせて、イ・ミュラーのことを睨んだ。

「一体どっちの味方なんですのっ」

 姉妹はそろって叫んだ。


 イ・ミュラーはにやにやと笑いながら、レティシアを真っ直ぐに見つめる。

「レティシア。おめえ、町に出たことで得たもんはたくさんあったろ? いろんな人に会って、視野だって広がったって言ってたよな」

「そりゃ、まあ……」

 イ・ミュラーは今度はジェシカに視線をやった。

「ジェシカだって、それを知る権利はあるってもんさ。どうだい、ジェシカ? 男漁りじゃなくて、社会勉強のために町に通うってのは」

「イ・ミュラー様?!」

 驚愕したレティシアが叫ぶ。


 きょとんと瞳を丸くさせながら、ジェシカは首を傾げた。てっきり強制送還されられるものだと思っていたので戸惑ったのだ。何か裏があるのではないかと疑ってみたが、イ・ミュラーの思惑など、ジェシカが見破れるはずもなかった。


「嫌なら別にいいんだぜ?」

「私、社会勉強がしたいですわっ」

 元気よく返事をすると、イ・ミュラーは目を細めて笑った。


「おし。じゃあ決まりだな。そのかわり、ちゃんとシーガルとデュークの言うことを聞くんたぜ?」

 一呼吸置いて、シーガルが悲鳴を上げる。

「い、イ・ミュラー様?!」

 デュークも額に手を当てていた。表情は特に変えていないが、心の中で「なんでそんな面倒なことを」と呟いているのかも知れない。


「てめえら、がたがたぬかすんじゃねえ。逆らったら、家から追い出すぞっ」

 イ・ミュラーにすごまれて、彼に世話になり、現在彼の孫の家に居候している二人は情けなくうなだれた。身寄りのない孤児だった二人が未成年だった頃、身元引き受け人になってくれたのがこの老人だったため、二人共彼には頭が上がらないのだ。


「と言っても、あそこはイ・ミュラー様の家じゃあないっスけどねぇ」

 笑いながら副将軍がレティシアの頭を撫でる。レティシアはすっかりへそを曲げているようだ。唇を尖らせながら横を向いている。


「細けえことは気にすんなや、ひー。あそこは俺の孫の家だぜ?」

「それもそうでした。それじゃあ俺達はこの辺で。レティシア、行くぜ」

「ちょ、ちょっと待ってよっ。ひーちゃんまで、お姉さまの行動を許すって言うの?!」

 副将軍は頭をかきながら片手でレティシアの事を担ぎ上げた。華奢で小柄なレティシアは片手でも簡単に持ち上げられてしまう。


「あの総帥が一度言ったことを覆すわけないんだから、諦めろって。ほれ。いろいろと貴重な情報を提供してやった礼に、たくさん働いてもらうぞ」

 レティシアが抗議の声を上げているようだが、口を塞がれているため何を言っているのかは分からない。彼は近くに止めておいた馬にレティシアごと乗る。

「それじゃ、総帥。お先に~」

 そう言って、副将軍はレティシアを連行して城へと戻っていった。


 それを見送ると、イ・ミュラーは意味ありげな視線をジェシカに向ける。

「社会勉強と称して何をするのもてめえの自由だが、てめえの行動にはちゃんと責任を持てよ。それから、あまりレティシアの奴に心配をかけるな」

「はぁい」

 素直に返事をして、ジェシカはにこにこと微笑んだ。


 一方のイ・ミュラーはにやりと笑い片手を上げた。

「俺も帰るぜ。デューク、おめえ、馬車を操作しろ」

「……俺は、仕事中です」

「いつも面倒くさそうに仕事をしている奴が何を言ってるんでえっ。つべこべ言わずに、さっさと馬車の運転をしやがれっ」

 イ・ミュラーに尻を蹴られて、デュークは渋々と御者台に乗った。


「お気をつけて~」

 のんびりと走っていく馬車に、浮かれた様子でジェシカは手を振っていた。


 シーガルはジェシカに聞こえるように、大げさにため息をついてやった。

 さっきはトルタに恋人がいたというので落ち込んでいたくせに、今は上機嫌でにこにこと笑っているジェシカ。イ・ミュラーの許可が出てしまったからにはそこから話は国王へと伝わり、たとえロキフェルが反対したとしても最終的には承認されてしまうだろう。


「一言言っておきますけれど、ジェシカ様が町に出るのは、社会勉強のためであって、いい男探しのためじゃないですからね」

「はぁい」

 返事はいいが、彼女がまじめに聞いているとは思えない。その証拠に、

「トルタさんにはたまたま恋人がいましたけれど、世の中、もっといい人がいますわよね」

 なんて気合いを入れているのだから。


「シーガル。早速参りますわよ」

「はい、はい」

 そして、ジェシカ姫は社会勉強のために通りに向かって走り出した。

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